36缶目 戦闘終了




 ことわりを不正に捻じ曲げ、死を冒涜する神への反逆者をその不敬ごと洗い流さんと降り注ぐ聖水。


 それは不死王ノーライフキングの身体をかすめて、床に派手に飛び散り、その闇よりも黒い衣の裾からほんの少しだけ煙をあげさせた。


「……不死王なんて重厚な名前っすけど、意外と身軽なんすよ」


 幽鬼のように重力をまるで感じさせない動きで、不死王はするりと後退し、神への祈りが込められた聖なる液体にその身を濡らすことを拒絶することに、いともたやすく成功していたのだった。


 酉井とりいの切り札を躱した不死王であったが、その代償として位置的には追い詰められたような格好となる。


 彼は壁を背にしていた。


「……壁 ? 」


 ありえない。


 ここはショッピングモールの吹き抜けとなった二階の両サイドをつなぐ空中路。


 落下防止の手すりを除けば、不死王の後退を妨げるものは何もないはずだ。


 不穏なものを感じて振り返ろうとするが、先ほどと違いその身は動かない。


「……もう発動してるからな。動けないだろ ? 」


「な、何をしたんすか !? 」


 不死王に対峙する酉井の目には、当然死神を思わせる容貌の不死王とその背後に浮かぶ紋様の描かれた大きな紙が映っていた。


「言ったろ ? 死から逃げきることはできなくても、遠ざけることはできるってな」


 そう言って酉井が片頬を上げた瞬間、不死王の背後の紋様が青く光り、死の象徴は消えた。


「……負け惜しみくらいは聞いてやりたかったが、どうもタイミングが良くなかったな」


 彼は、さして残念そうでもなく軽く首を振って、次に手にした剣を振る。


 シュ、と軽い音を立てて、宙に浮かぶ紙が真っ二つに断たれた。


 それは少なくともあのままの不死王がこの場に戻ってくる可能性を完璧に消し去るための行為であり、それが終幕の合図でもあった。



────



 配信の終わった黒い画面から視線を外して、夕夏はその年齢に似合わないような深い溜息を吐いた。


「良かった~ ! これで日本は救われたよ~ ! 夕夏ちゃん~ ! 」


 それに反して、幼く感じるほど無邪気に微笑むうた


 以前から勇者達について知っていた彼女は、夕夏に比べてこの事態を消化するのも早かったのであろう。


 早速手元のリモコンを操作して、エグゼクティブ・ラグジュアリー・プレミアム会員のみ視聴可能な動画を画面に映し出す。


「……これは……今の『勇者』の過去の戦いの動画 ? 」


「うわ~ ! すごいよ~。『異世界から召喚された邪竜を撃退してみた』とか『野党に雇われた総理大臣呪殺集団を解散させてみた』とか~」


「ユーチューバーみたいな動画タイトルつけてるけど、どれも『してみた』ってノリで片付けられる内容じゃない…… ! 」


 呆れたように呟く夕夏を尻目に詩は画面を下にスクロールしていく。


 すると何かピンクなバナーがあった。


「……あなたは 18 歳以上ですか ? ……だって ? 」


 二人は 17 歳。


 この先に進むには一年足りない。


 夕夏が苦笑いして、何かを言う前に、詩は躊躇なく「はい」の項目を押す。


「ちょ、ちょっと ! 」


「大丈夫だよ~。私、身体は 17 歳だけど~中味は 18 歳以上だから~」


 まるで子供の姿にされた名探偵のようなことを吐きながら、詩は画面から目を逸らさない。


「なにこれ~ !? 『女騎士は本当にオークに弱いのか検証してみた』とか『エルフの耳は本当に性感帯なのか検証してみた』だって~ ! 」


「あ、あの『勇者』 ! そんなエロいこともしてんの !? 」


 頬を真っ赤にして純情可憐な乙女は叫ぶ。


「……ううん、違うみたい~。動画のサムネイルに映ってる顔も違うし~」


 再生された画面には爽やかな笑顔の、明らかに日本人ではない青年が映っていた。


「──やあ、僕はボブ ! 今日は教会所属の女騎士を……」


「人の家でこんな卑猥な動画を再生すんな ! 」


 夕夏の怒声が、閑静で平和な住宅街に響いた。



────



「酉井さん ! うまくいったね ! 」


 駆け寄ってくる零。


 その後ろには赤ちゃんを抱いた舞由。


 そして「不審者」に肩を貸されてふらふらと歩く湖山こやま


「……ご苦労さん」


 酉井のねぎらいに湖山は苦笑で応えた。


「あれだけ大きな紙を操作しただけじゃなく、転移魔法陣まで発動させたんですから、しばらくは起き上がれないかもしれませんねぇ」


 相変わらずのにやけ顔で「不審者」が言った。


「……それにしてもそのカバン、業務用大型プリンターまで入ってるなんて……」


 今は「不審者」が肩から掛けている魔法のドクターバッグを見やる零。


 酉井と零が不死王の気を引いている内に「不審者」達がバッグ内から業務用大型プリンターを設置し、データ化されていた転移魔法陣を巨大な紙に印刷して、それを湖山の能力『紙の一団ペーパーカンパニー』で操作して不死王をこの場から転移させる作戦だったのだ。


「でもさ……あの不死王、どこに転移させたの ? こっちは安全になったけど……転移した先で暴れまわってたら……」


 零の顔が少しだけ曇る。


「心配ないさ。さっきの転移魔法陣は特別だ。転移先には俺より不死王に相性の良い奴がいるし、あっちの世界の女性から『とんでもない化け物が現れたら、是非ともこの魔法陣で転移させて欲しい』って頼まれたくらいだからな」


「そうなの ? 」


「そうさ。何と言っても転移先は『聖騎士』ボブの部屋だからな」


 ボブ、と聞いて彼女は異世界から通販番組に登場した女エルフにセクハラをかましていた爽やかな青年を思い出す。


「……ああ、あの殺しても死ななそうな男なら……大丈夫……なのかな ? 」


「きっと大丈夫さ ! 」


 首をひねる零に酉井はこれ以上ないほど無責任に笑った。


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