22缶目 「紙の一団」と「不可視の腕」



「……なんであいつらまで連れて来たんですか ? 」


 不満を隠そうともしないなな 舞由まゆ湖山こやまに小さな声で言った。


「あの遺体を見ただろ ? 一人は腐乱して胃の中に人肉があった。残り四人は食いちぎられた形跡があり、証言によると死後それほど経っていないはずなのに急速に腐敗していた。まるでゾンビ映画みたいに。もしあの男の証言どおりに本当にゾンビがいて、襲われた人間がゾンビになるなら、人手はいくらあっても足りない。わかるだろ ? 」


「ここの警察署の警官でいいじゃないですか…… ! それか本部からの応援を待っても…… ! 」


「こういうのは場慣れしてない人間は足手まといになるだけだ。経験あるだろ ? 本部からの応援は時間がかかりすぎる。みんな案件を抱えてんだから。……今までだって外部の『術士』の力を借りたことだってあるのに、どうして今回はそんなに渋るんだ ? 」


「それは……」


 言いよどむ内に、すぐに開けるべき扉の前に到着してしまう。


 地方都市の中でもさらに郊外の閑静な住宅街の割と大きな二階建ての住宅。


 この家に住むのは、二カ月ほど前に不幸な事故によって四人家族から二人暮らしになった親子だそうだ。


「気に入らない奴に力を借りたくないのはわかるが……。職務に私情を挟むな。それに……あの『不審者』は警察でも有名な能力者だ。捜査に協力してもらえばどんな難事件でも解決できるってな。ここで奴とつながりを持っておけば……お前の事件も……」


 湖山はさとすように言って、「存美そんび」と記された表札の下のインターホンを鳴らす。


 しばらくして応答があった。


「……はい」


「存美さんですね ? 警察の者ですが、作太郎さくたろうさんはご在宅ですか ? 」


「え !? 警察 !? ちょっと待ってください ! すぐに開けますから ! 」


 バタバタ、と足音が聞こえて、ガチャリ、とドアが開いた。


 そして休日のお父さん、といった風の中年男性の焦った顔が飛び出してきた。


「け、警察って、作太郎の奴、何か仕出かしたんですか !? 」


「落ち着いてください。話を聞くだけです。それで作太郎さんは ? 」


「二階に居ますけど……おい ! 作太郎 ! 警察の方がお見えになってるぞ ! 下りてこい ! 」


 ギイィと二階から力なくドアが開く音がした。


 玄関から向かって左にすぐ階段があった。


 二人は存美を押しのけるようにして意外と広い玄関に入り、並んで構える。


 湖山は脇に持ったクラフト紙製の分厚い書類封筒の口を開け、舞由はファイティングポーズ。


 この家が当たりであることはドアを開けた瞬間に分かっていた。


 多種多様な芳香剤がブレンドされた強烈な匂いでも隠し切れない死臭が二人の鼻孔を恥ずかしそうに刺激したからだ。


 ギシリ、と足音の種類が変わって、その発生源が廊下から階段に移ったことがわかった。


 そしてまず裸足が見えた。


 紫色だ。


 それから短いスカート。


 紺色だ。


 女子高生の紺色だ。


 白く濁った眼球が見えたところで、そいつは跳んだ。


 低い階段の天井にぶつかることもなく、大きな着地音を立てて、ゾンビは一瞬で一階に到達した。


「B6 ! 」


 湖山の短い声とともに、大きなクラフト封筒から小さな白い長方形が二枚飛び出し、薄い金属板のようなそれは目に追えないほどの速度で女子高生だったものへ放たれた。


 サク、サク、と軽い音がして、紫と濃い紫のまだら模様の首に二枚の硬質な長方形が彼女の首をねることもなく、少しだけ刺さり、力を使い果たしたかのようにくたりと刺さったところを支点にして垂れ下がった。


 本来の在り様である、ただのB6用紙に戻ったのだ。


「クソッ ! 腐敗してるのにやけに固いな……。A3 ! 」


 まさしく意にも介さずに二人に向かって突進するゾンビの前に先ほどの小さな紙とは異なり、ゆっくりと大きな紙が一枚、展開する。


 バチン、とその突進力の反作用でゾンビは一瞬仰け反り、そのまま彼女の胴体の前に浮かぶ壁となることで、A3サイズの紙は回り込む知性のない憐れな化け物から二人を護った。


なな ! 」


「はい ! 」


 湖山の声に応じて、七 舞由はすでに発動していた彼女自身が操る不可視の巨大な腕の拳をぎゅっと握り、生前は街中を歩けば結構な割合で男性が振り向いたであろう、腐敗した小さな顔の白濁して意志の感じられないゾンビの瞳を見据えた。


「……今、死なせてあげるからね」


 そこから死への願望を読み取ったのだろうか、舞由はそう呟いて、コンクリート製の壁をぶち抜く威力を持った「不可視の腕インビジブル・ハンド」で思い切りゾンビの顔を殴った。


 ぱあああぁぁぁぁぁぁあああああんんんん !!!!


 炸裂音がして、腐乱した顔面が弾け、仰け反るが、それだけだった。


「え ? 」


 鼻が潰れて、さらに憐れむべき容貌になった以外、さしたる変化もなく今現在も彼女は二人に向かって両腕を伸ばし続けていた。


「……限界だ ! 一端退くぞ ! 」


 戦闘中なのに、どこかほうけた舞由を湖山は引きずるようにして、外に出る。


 それと同時に、はらりとA3の紙が落ちて、ゲートが開いた競走馬のようにゾンビは勢いよく走りだした。


 獲物に向かって。


「ひっ…… ! 」


 転がるように外に出て、小さな悲鳴をあげた女刑事は先ほどとは違って、一本に束ねることなく、幾つもの不可視の腕の拳を連続して叩きこむ。


 細かな炸裂音が小気味よく響く中、ゾンビは遅くなっても止まらない。


「な、なんで !? 頭蓋骨を透過させて脳ミソも殴ってるのに !? 」


 そこには明らかな出力の差があった。


 パァン ! パァン ! と乾いた音がした。


 ついに湖山が自らの能力、「紙の一団ペーパーカンパニー」に頼ることをやめて、刑事の特権である拳銃を使ったのだ。


 鉛の弾はゾンビの髪の毛をいくらかこそぎ落として、さらに彼女の容姿を悲惨なものとする。


 そんな仕打ちに怒ることもなく、ただただ彼女は目の前の獲物に向かい、ついにその肩に手をかけたところで、崩れ落ちた。


酉井とりいさん、ひょっとしてあのディックとかいうガマガエルみたいなオッサン、結構すごい聖職者なの ? 拳銃が効かない化け物もディック製『聖水』ぶっかけたら一撃じゃん」


 動く腐乱死体から、動かない腐乱死体へと変貌をとげた彼女を見て、れいは感心したような呆れたようなどっちつかずの声で言った。


「ディックがいる世界は魔族との戦争を剣や魔法を研鑽、発展させて乗り切ったんだからな。俺達の世界の科学があちらとは比べ物にならないくらいほど進歩しているように、あっちの剣や魔法はこっちが太刀打ちできないレベルなんだろうよ。まあ確実に酒造の技術はこっちが勝ってるだろうがな」


 自分以外の人間に襲い掛かっているゾンビに「聖水」をぶっかけるという簡単でありながら、この世界の危機を救うほど大きな功績となるローリスクハイリターンな一仕事を終えた酉井は、満足げにベルトから取り出したストロング系缶酎ハイをあおった。


「ひひ、酉井さん、屋根をみてください。まるで将軍ですねぇ」


 『不審者』の指さす方を見ると、運動会の騎馬戦のように三人のゾンビが作った騎馬に一人の青年がって、屋根の上をガシャガシャと瓦を踏み鳴らしながら駆けていく。


付箋ポストイット


 湖山のクラフト封筒から小さな紙片が飛びだし、屋根の上の四人で形成された一騎を追った。


「これでどこへ逃げても位置はわかる……。七、行くぞ。いや、その前に署に連絡して緊急配備の要請と……本部に連絡を……おい ! 聞いてるのか !? 」


 先輩刑事の呼びかけにこたえもせず、腐乱死体に抱き着かれたままの後輩刑事は座り込んだままだった。


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