7缶目 To break our inaccurate ruler.



 薄汚れた雑居ビルが並ぶ通り。


 朝は出されたゴミを目当てにカラスが電線に並び、昼はわざわざ誰も歩きはしない。


 まだ日が落ちて魔法がかかる前の通りの一角。


 夜のとばりが下りると、安っぽいネオンや光る看板が闇のキャンパスをいろどる。


 その薄汚さを覆い隠して。


 それはまるで魔法のよう。


 由美は薄暗い店内を見渡して、小さく溜息をついた。


 闇は優しい。


 どんな化粧よりも、女を綺麗に見せてくれる。


 彼女は握りしめたスマホを一端、カウンターの上に置いた。


 そして傍らの紙パックを見やる。


 「飲食店様向け」と黄色をバックに黒文字。


 警告色で書かれた注意書きの上には「24%」の数字。


 ストロング系酎ハイの紙パックが偉容を誇っていた。


「希望の『希』にお釈迦様の『釈』か……」。


 「希釈きしゃく用」の文字を細い指でなぞってから、彼女はグラスに氷を入れて紙パックを傾ける。


 見ためからはまるでレモンを感じさせない透明な液体が氷を撫でながら、グラスに満たされいく。


 そして本来であれば炭酸水で割るはずのそれを勢いをつけて飲み下す。


 缶タイプの9%のアルコール度数でさえ、かなり高めなのにその2.6倍のアルコールが彼女の悩を揺さぶる。


「お願い……。私のちっぽけな物差しをぶっ壊して……」。


 どんどん世界の輪郭が曖昧になっていく。


 そして彼女は素面しらふでは躊躇ためらいのままに過ぎ去ってしまうであろう想いを行動に移す。



 ちゃぶ台の上に置かれたスマートホンが特徴的な音をかなで、誰かが彼と話したがっていることを告げる。


 画面には「ゆみ」の文字。


 れいはそれを何とも言えない顔で見た。


「もしもし……ああ、ママか」。


 酉井とりいが肉親ではない店の、スナックのママからの電話に出る。


「……ちょっと二日間忙しくてな。……孤独死なんかしてないよ。春風亭昇太じゃねえんだから……」。


 酉井と彼女の母親との通話を片耳で聞きながら、零は再びテレビ画面に目を向ける。


 エルフの女が笑顔で言う。


「……それでは本日ご紹介しておりますこの特別な『聖水』の聖値セイントバリューを計測してみましょう ! クリスティ、お願いね ! 」。


「は、はい」。


 再び初々しい修道服の少女が登場。


 右手には、なにやら金属製の計器らしきもの。


 針と目盛りの古臭い握力計に似ている。


 彼女はそれを左手に持った「聖水」の瓶に近づけていく。


 画面は目盛りをズーム。


 針は「1」を指している。


「見てください ! クリスティが祈りを込めた『聖水』の聖値セイントバリューはたったの1です ! それでは次に司祭であるディック・オールドリッチ様が祈りを込めた『聖水』を測ってみましょう ! 」。


 続いて修道女クリスティは赤いテーブル掛けが掛けられた台の上の「聖水」の瓶に計器を近づける。


 針が指すのは「10」の目盛り。


「すごい ! ファンタスティック ! なんとクリスティの十倍の聖値セイントバリューです ! 」


 盛り上がる画面内。


「……どういう単位なんだろうね ? この聖値セイントバリューってのは ? 」。


 いつの間にか通話を終えた酉井に零が問いかけた。


「さあ ? あいつらが勝手に作った単位なんじゃないか ? 実際は1と10にはそれほど効果の差はないかもな。やはりこれくらい世界共通の単位で示してもらわないとな」。


 そう言って酉井は手にしたストロング系酎ハイの缶に大きく記された「9%」を掲げてみせる。


「基準が独特の目盛りほどやっかいなものはない。……人間だってそうだ。世の中や自分や他人を自分の基準で測って判断する。そんなのは思い込みや世間の常識にとらわれてるだけなのにな」。


「深いようで浅い遠浅とおあさの海みたいなこと言うね」。


 零は小さく肩をすくめる。


「……母さん、何の用事だったの ? 」。


 画面から目を離さずに零が問うた。


「ただの営業電話だろ。……二日行かなかっただけなのにな」。


 酉井は苦笑しながら、甘く熟れた桃が描かれた缶を傾けた。


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