代理人は魔法少女 #2

 逃げた魔黒マゴクを追って、この町にやってきたのだと梨々花は語った。


 群れで出現した魔黒マゴクを察知した梨々花は迷わずその場に飛び、殲滅を図った。梨々花は大嵐を巻き起こすほどの強大な魔法を使い、魔黒マゴクの群れを壊滅させることに成功する。

 だが、1匹だけカンの良い奴が居たらしく、魔法から逃げ伸びてしまった。すぐに追いかけようとしたが、魔法を使い消耗した梨々花はその場で膝をついてしまう。

 大魔法を使った代償として、梨々花は魔黒マゴクを逃がしてしまった。


 再び動けるようになった梨々花は即座に魔黒マゴクを追った。回復もままならない体では空を飛ぶことも、気配を察知するための魔法を使うこともできず、地道に足を使った捜索を続けた。


 気付けば、見慣れない町まで来てしまっていた。よりによって、知らない町に逃げ込まれるなんて。土地勘の全くない町を捜索するのは、それだけで時間がかかってしまう。

 梨々花の心に焦りが募る。こうしている間に魔黒マゴクは誰かを襲っているかもしれない。

 そして、その予感は的中してしまった。


 ――なんて、俺はいやだ!


 どこからか、叫び声が聞こえた。弾かれたように梨々花は駆け出す。未だ回復しきっていない身体を顧みず、上空へと飛んだ。

 周囲を一望できる高さまで飛んだ梨々花は、声のした元を探ろうと町に目を向ける。その瞬間だった。


 ――来てくれ!梨々花ッ!!


 はっきりと、助けを求める声が聞こえた。反射的に振り向いた先に、倒すべき相手と、守るべき人が見えた。


 「――風よッ!」


 助けを求める人に手を差し伸べるように、梨々花はその手を伸ばし。

 一直線に飛びながら、魔法を放った。



 その後の展開は、おぼろげながらも覚えている。


 梨々花が目の前に現れ、魔黒マゴクを打ち倒したあの光景を。

 瀕死の俺を勇気づけ、優しく微笑んでくれた梨々花の笑顔を。

 俺は一生忘れることはないだろう――



 夜空の下で自己紹介を交わし、梨々花と共に自分の部屋に戻った俺は、彼女から事の顛末を聞いていた。


 「突然私の名前が呼ばれたのは驚いたわ。けどあの叫び声がなかったら、間に合わなかったかもしれない」


 俺の対面に座る梨々花はそう語った。部屋の中央に鎮座する小さな物書き机を挟んで、俺と梨々花は向き合い座っている。


 目の前に自分で描いた理想の子がいる。

 さすがにもうそんな状況にも慣れてきたが、自分の部屋で女の子と二人きりでいるというのはやっぱり気恥ずかしい。そんな思いを隠しつつ、俺は真剣に、梨々花の話に耳を傾けていた。


 「あの時、私の名前を呼んでくれて、ありがとう。創造主さん」


 自分でもはっきりわかるほどに、俺の顔は真っ赤に染まった。


 「いやいや……俺の方こそ、ありがとうだよ。そんな無茶をしてまで、どこの誰ともわからない、こんな俺を助けてくれたなんて……」


 ほんの少しの自嘲が含まれた俺の答えに、梨々花はほんの少しだけむっとする。


 「こんな、なんて言わない。創造主さんは私の世界を創ったすごい人なんだから。もっと自分に自信を持たなきゃ、ダメだよ」

 「ああ……うん、ごめん。気を付ける……」


 機嫌を損ねてしまっただろうか。俺は取り繕うようにして、話題を切り替えることにした。


 「ところでさっきから気になってたんだけど……その『創造主さん』って、何?」


 梨々花はずっと俺の事を『創造主さん』と呼んでいる。

 『マジカルハートリリカ』という小説の作者である俺の存在は、梨々花からすれば彼女が住む世界、そして梨々花自身を創りだした『創造主』。

 そう言っても決して間違いではない。

 とはいえただの一般人にすぎない俺には、あまりに大仰すぎるあだ名だ。

 まあ、あだ名で呼ばれること自体はいやじゃない。でも、さっき夜空の下ではっきり名乗ったばかりなのに。憧れの相手にきちんと名前を呼んでもらえないのは、少し残念に思う。


 「あ、これはその……なんというか……そう!敬称!」

 「敬称? 」

 「そうです。たとえば、担任の先生を名前では呼びませんよね? 『先生』って呼ぶじゃないですか。先生の事を『先生』って呼ぶのって、役職に対する敬意のようなものだと思うんです」


 先ほどまでと変わらない口調で丁寧に理由を話しているように聞こえる。ただ、なんというか、誤魔化されているというか、はぐらかされいているというか。

 

 「だから私の世界を、『マジカルハートリリカ』っていう世界を想像してくれた創造主さんのことを、敬意をこめて『創造主さん』って呼ぶことにしました」


 ……名前で呼んでくれないのは残念ではあるが……まあ、『創造主さん』でもいいか。

 それに、梨々花の一挙手一投足でいちいち高鳴ってしまう俺が、彼女に名前で呼ばれた日にはもうそのまま帰ってこれなくなるかもしれないし。


 話が脱線したついでに、俺は疑問に思っていたことを彼女に投げかけようとした。


 「まあ、お互いに、わからないことだらけだろうし……」

 「そうだよね。私がわかることでよければ、答えてあげる」


 どう切り出そうかと口ごもりながら言った俺に対し、梨々花はあっさりと言葉の意味を汲んで、後に繋げやすい言葉を返してくる。

 人と話すのが苦手な俺にとって、ありがたい事だった。


 「梨々花はいつ、この世界にやってきたの?」

 「さっき話した、逃げる魔黒マゴクを追いかけてるとき、かな。他にこっちに来られるタイミングはなかったと思う」

 「気が付かないうちにこっちの世界に迷い込んでたって感じだね……じゃあ、こっちの世界に来てしまった原因を聞いても、仕方ないか」

 「う~ん……魔黒マゴクの中には変な魔術を使うのもいるけど、こんな複雑な事ができるのなんて見たことないし……」


 やはりというかなんというか。この事態を引き起こした何者かは、俺と梨々花の知る範疇にはいないらしい。

 質問を変えようと思ったが、聞きたいことが多すぎる。何から聞くべきか、と思案を巡らせていると、梨々花の服装が目に入った。


 梨々花は『魔導服』を解除し、通っている学校のものであろう学生服を着ている。

 魔導服を作成する際、梨々花は学校の制服を元にイメージし、具現化した。そう俺は小説で描いた。

 しかし、紺色の学生服とは正反対に、魔導服は白い意匠で仕上げられている。

 学校に通いながら日常を過ごす梨々花と、魔法少女として非日常を飛び続けるリリカ。2つの服装は、相反する姿を持つ彼女を現している――そんなつもりで描写したことを思い出す。


 俺がまず疑問に思ったのは『日常を過ごす梨々花』の方だ。

 なぜ彼女が、小説で描いた中学生時代の梨々花ではなく、高校生まで成長した姿でここにいるのかがずっと気になっていた。


 「その……ちょっと聞きにくいんだけど……梨々花は今、高校生なんだよね?」

 「そうだよ。高校3年生」

 「俺は小説で梨々花の事を書いたとき、梨々花は中学1年生って書いたんだけど……」

 「小説で描かれた私と今の私で、年齢が合わないのはそんなにおかしい?」

 「うん、もし梨々花や魔黒マゴクが俺の書いた姿のままでこっちの世界に来るんなら、中学生の梨々花じゃないとおかしいんじゃないかって……」

 

 うーん、と梨々花はしばし考え。


 「もしかして、私がこっちの世界に来たら突然この姿になった。って思ったんじゃない?」

 

 そう思った。こっちの世界に来た影響で姿が変わったのかと。


 「創造主さんの疑問の答えは、結構シンプルだと思うよ」


 俺は息を飲み、梨々花の答えを待つ。


 「創造主さんの創った『マジカルハートリリカ』に描かれてるのは全部、私が5年前、中学1年生の時に経験した出来事なの」


 おお、と膝を打った。そう言われてみれば、納得できる気がする。

 彼女は小説の世界からやってきた。

 だから、小説で描いたそのままの姿でやってくるはずと、勝手に決めつけていた。

 『マジカルハートリリカ』が梨々花の体験談である。それならば『俺が小説で描いた梨々花が、この世界にやってきた』という事実と、目の前にいるのが成長した梨々花であることには矛盾はない。

 突然の急成長より、よっぽど筋が通る話だ。疑問が一つ氷解した。


 「あっ!」


 そんな俺を尻目に梨々花が唐突に声をあげ、爆弾を投下した。


 「ごめん! !」


 1年? 梨々花がこの世界にやってきてから、1年?

 ……ってことは魔黒マゴクに襲われてから、俺はまるまる1年間昏睡状態だったってことなのか?

 聞き捨てならない事実を耳にし、俺は唖然とした。


 「あれから1年……ってことは、俺は1年も意識がなかったのか……?」

 「本当にごめんなさい! 創造主さんが目を覚ました時にすぐ言うべきでした!」

 「いや大丈夫! 別にいいよ! 1年くらい寝て過ごしたって、大丈夫だから!」


 手を合わせて必死に謝る梨々花を、慌てて俺はなだめる。

 しかし、1年か。1年もたてば、俺の周りも変わってるだろう。悪い意味で。

 音信不通でバイトはクビになってるだろうし、携帯は親からの着信履歴で埋め尽くされているだろう。下手すれば行方不明扱いで、警察沙汰になってるかもしれない。取り繕う苦労を思うと、億劫になる。

 だけど、そんなことよりも気がかりだったのは。


 「書籍化のチャンス……逃しちゃったのか……」


 溜息とともに俺は落胆の言葉を吐き出す。

 梨々花がやってきたあの日は、初めての書籍化に向けて打ち合わせをする予定だった日だ。事件に巻き込まれたとはいえ、連絡もせず約束をすっぽかした奴の作品を、書籍にしてくれるほど心の広い編集部はないだろう。


 「あのぉ……」


 俺が落胆に暮れていると、梨々花がおずおずと声をかけてきた。

 年甲斐もなく落ち込む俺を見て呆れているのか。それとも、巻き込んでしまった私のせいだと言おうとしているのか。

 続く言葉はそのどちらでもなかった。


 「『マジカルハートリリカ』は、私がなんとか書籍化まで、こぎつけました……」


 この子は一体、いくつ爆弾を投下する気なんだろう。

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