代理人は魔法少女 #1

 目ざめた俺の前にいたのは、夢に描いた少女だった。


 「よかったぁ……」


 紺色の学生服に身を包み、現実離れした鮮やかな青い髪を持つ目の前の少女は、今にも泣きだしそうな顔をして、しかし嬉しそうに呟いた。翡翠色の瞳を潤ませながら、風見梨々花は微笑んだ。


 俺はゆっくりと、横たえていた体を起こす。開けた視界に入ってきたのは、なんとも不思議な光景だった。


 俺が目を覚ました場所は、よく見覚えがあるところだった。

 日に焼けてくすんだ色をした壁紙。その壁にはアニメキャラが描かれたポスターが貼ってある。部屋の隅に積み上げられた本の山。それらは全てライトノベルだ。棚に飾られたフィギュアも、小さな机に乗った使いこまれたパソコンも。そのどれもが全て、俺の私物だ。

 ここは、俺の部屋だ。

 俺の部屋に、俺が書いた小説のキャラクターがいる。それはなんとも不思議な光景だった。


 「体の具合は大丈夫?」


 呆然としている俺の心中を知ってか知らずか、梨々花が俺に話しかける。


 「あ、ああ……特に問題ない、みたい……」


 梨々花に心配されてようやく俺は思い出した。そうだ、確か俺は魔黒マゴクに襲われて……慌てて俺は、魔黒マゴクの攻撃を受けた腕を見る。

 直撃を受けて、真っ黒に染まっていたはずの腕は、きれいに治っていた。布団に座っている感触も感じられる。失われていた感覚も戻ってきているみたいだ。視界もはっきりしている。梨々花の可愛い顔を見ることもできるし、ほんのりと香るいい匂いも漂ってきて――

 と、そこまで考えが至った瞬間、俺は声を上げながらひっくり返りそうになる。


 「創造主さん?!」


 梨々花が慌てて俺の両肩を掴み、姿勢を正してくれた。

 ああ、顔が近い。

 ライトノベルに没頭し続けてきた俺に、女の子とお付き合いした経験などあるわけない。しかも相手は、自分の理想を詰め込んだ理想のヒロインだ。頭が真っ白になり、思わず体をよじってしまう。


 「創造主さん、もしかして後遺症が……創造主さん、しっかりして!」


 突然体をひねった俺を見た梨々花は慌ててふためき、肩を掴んだまま俺の体を激しく揺すり始める。


 お互いにパニック状態となってしまった状況から抜け出すのに、数分を要した。



 「黒呪こくじゅの後遺症はないみたい。良かった」


 梨々花は俺の体に手をかざしながら、そう言った。

 黒呪こくじゅ――魔黒マゴクに襲われた人々に起こる、体が黒く染まる現象を作品中で表現するために俺が付けた呼び名だ。

 とりあえず俺は黒呪こくじゅから解放され、死の運命から逃れられることができた、ということらしい。


 しかし、わからない。

 なぜ目の前に、俺が作った作品のキャラクターがいるのか。

 俺が好き勝手に想像し、空想を膨らませて描いた小説のヒロインが。あろうことか創作世界を飛び出して、作者の目の前に現れる。おまけに彼女は俺の部屋で、俺の看護までしてくれているときた。

 というか、そもそもの発端からして現実離れしすぎている。自分で書いた小説の化け物に襲われて、挙句その小説のヒロインに助けられただなんて。傍から見れば妄想甚だしい頭のおかしい奴と取られても仕方ない。

 

 実はこれは夢で、現実の俺はまだ目が覚めていないままなんじゃないか? 魔黒マゴクに襲われたんじゃなくて、現実では交通事故にでも巻き込まれて昏睡状態になってるとか、そんなんじゃないのか?  


 「もしかして私のこと怪しい人だ、とか。そんな事思ってる?」


 そんな俺の考えを察したように、梨々花はそう言いながら俺の手を取る。突然手を握られて、反射的に手を引っ込めそうになるが、梨々花の細い手は意外と力強く、俺の手を握っていた。


 「私の事、これなら信用してもらえるかな?  創造主さん?」


 そう微笑む梨々花は、どこか悪戯っぽい笑顔を浮かべていた。


 梨々花は笑みを浮かべながら、目を閉じるように言った。若干の疑惑を覚えつつも、俺は言われたとおりにする。

 握られた手に引かれて釣られるように一歩踏み出す。だけど踏み出したその足は床を踏みしめることなく空を切った。踏み外したのだと思ったが、不思議と態勢は崩れない。

 梨々花が俺の手を引きながら、どこかに連れて行こうとしているのはわかった。ただ、歩いている感覚はない。スケート靴を履かされて、その場を滑るように俺の体が移動しているような感じだった。彼女は果たしてどこへ行き、何を見せるつもりなんだろう?

 

 「そろそろかな? いいよ、目を開けても」


 目の前に広がっていたのは、俺が住む町の外景。

 展望台から見下ろしたときのように、遠くまでよく見える。夜の世界を照らす、星の輝きと町の明かりが混ざり合った景色は、とても幻想的な光景だった。

 その光景を目にすれば、誰もが見入ってしまうだろう。


 命綱もパラシュートも着けていない体で、夜空に放り出されてさえいなければ。


 自分が置かれた現状を認識した俺は慌てふためいた。子供のようにみっともない声をあげて、手足をばたつかせてしまう。

 あたふたする俺の視界に梨々花の姿が映る。

 いつの間に着替えたのか、白い服装に身を包んだ彼女は俺と同じように空に浮かんでいる。


 「大丈夫、大丈夫だから。ちゃんと手を握ってるから」


 どうやら空に浮かぶ俺の身体が落ちないように支えているのは、梨々花の左手だけのようだ。

 もはや疑う余地はない。何も身に着けることなく空に浮かんでいるこの現状を魔法と言わずになんと言うか。

 間違いなく目の前には、俺の考えたヒロインが存在しているのだ。


 空に浮きながらしばらく経って心の余裕が出てきたのか、それとも感覚がマヒしてきたのか。落っこちる心配はなさそうだなと思えてきた。

 俺は周囲を見回す。

 足元を支えるものは何もなく、地面ははるか遠くにしか見えない。よし、下を見るのはやめておこう。

 視線を前に向けると、俺と梨々花の周囲を吹く風に気が付いた。あの青い風だ。

魔黒マゴクと戦っていた時とはうって変わって、青い風は俺と梨々花を優しく包み込むように、穏やかに吹いていた。


 改めて、俺の隣で空に浮かぶ梨々花の姿を見る。


 初めて彼女を見たあの時と同じ、白い学生服を身にまとっていた。正確には、学生服をイメージして俺が考え、描写した『魔導服』。

 一見すると真っ白なブレザーだ。しかし、要所要所に入った金の装飾や、腰から足元まで伸びるパレオのような布が、ただの学生服でない事を主張している。梨々花によく似合う可愛らしい服装だが、生半可な魔黒マゴクの攻撃や、自身が使う魔法の反動から身を守ってくれる優れた防護服でもある。


 胸元には、青く光るペンダントがある。それは梨々花が生まれつき持っている魔力を増幅させ、『風の魔法』の顕現を可能にする。

 幼いころに母からもらったそのペンダントは、作品中でも梨々花にとっても、特に大事なアイテムだ。


 よく見ると、ペンダントと一緒にロザリオのようなものを首からかけている。

ロザリオは青く光るペンダントと対称的に、赤い色をしている。これは作中で描写した覚えがない。俺が知らないところで彼女が身に着けたお守りだろうか。


 白い手袋に包まれたその手は、俺の手をしっかりと握っている。女の子に手を握られている、と意識した俺は再びどぎまぎしてしまった。


 そして、梨々花の顔を見る。長く伸びた青い髪が、風に揺れている。翡翠色の瞳が、宙に浮く俺の姿を映していた。


 夢のような光景だった。だけど、これは夢じゃない。現実に起こっていることだ。


 目の前に広がる光景の美しさや、優しく吹く風の感触。

 何より、俺の右手を優しく握る梨々花の左手が。

 俺の隣で空を舞う、梨々花の存在感が。

 これは夢じゃないと教えてくれる。


 「ごめんなさいね。突然こんなことして。これなら信じてもらえるかなー、なんて思っちゃって」


 梨々花が優しく語り掛けてくる。


 「改めて、自己紹介するね」


 その顔には魔黒と対峙する厳しい表情も、悪戯っぽい笑みもなく。優しくて、穏やかな笑顔をたたえていた。

 梨々花は宙をすべるように移動し、俺の正面に向き合う。

 握ったその手は、そのままで。


 「私の名前は風見梨々花。聖祥院高校に通う高校3年生。そして――」


 梨々花はそこで一息つき。

 右手も前に差し出し、両手で俺の手を包み込み。真っ直ぐ俺の目を見つめながら。

 梨々花は言葉を続けた。


 「あなたが描いてくれた作品。『マジカルハートリリカ』の主人公、梨々花です」


 月明りが顔を出し、梨々花を包み込む。

 星の輝きをまとった梨々花の姿は。

 月明りに照らされた梨々花の笑顔は。

 世界中の何よりもきれいだと、そう思えた。

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