天使の魔導師は「石が落ちる」ことを考えて川に落ちる
高く太陽が昇っている昼に、僕は都市の周囲に行き、橋の石を運んでいた。近くには畑が広がっている。今回作る橋は、農場と魔術大学のちょうど中間に位置している。
この世界には魔法やらなんやらがあるのに、僕といえば大層な冒険や、あるいは姫とのロマンスに出かけることなく、地味に橋を作っている。
「勇者なんつー華やかな世界は、我々には全く関係ないからな」
考えていることが見透かされた気持ちになって、声のほうを振り返ると、鉤鼻で肌の緑色の、筋肉隆々の、背の高い男が、足を引きずりながら石を運んでいる。
元の世界の知識が正しければ、彼はオークという種族だ。
しかし、オークといえば、本来ならば退治される側の存在の筈で、こうやって人間種族と共存しているのが不思議だ。
「どうしたんですか、急に……」
オークらしき男は、指をさす。
「ほら、あそこを見ろよ」
彼が指したほうを見ると、よく磨かれ、輝く鎧に身を包んだ男と、煌びやかな宝石の宝飾が成された杖を掲げた女性が立っていた。
「ああ……あれが冒険者ってやつですか。にしても綺麗だなあ」
「冒険者にも色々あるからな。あれは貴族クラスだな」
「なんかランクとかあるんですか。ほら、凄いと星三つとか」
その男は石を置くと、呆れたような顔をしてこちらを見た。
「お前はどこから来たか知らねえが、相当モノを知らねえ奴だな。星三つって。レストランじゃないんだ。あるのは、貴族か、一般市民か、賤民か。そのどれかよ」
男は蔑んだ目でこちらを見た。その視線を見て、僕は恥ずかしくなってきた。というか、この世界にもミシュランみたいなのがあるのか?
「そして、もう魔族も脅威ではなく、未開地もなくなってきた世界では、冒険者なんていうのは求められていないんだ、あるのは冒険という名の雑用だけだ」
オークは悲しそうな顔をして作業に戻った。そういえば、この世界において、異種族とは何だろうか。
色々と考えることはあったけど、僕はその考えを振り払い、石を積み上げることにした。とはいえ、石はそれなりに重量がある。腰がやられる。
さすがに能力よりは腕力の問題だな、これ。
ただ黙々と石を積み上げていると、急に川から何か水しぶきのような音がする。僕は急いで川へ向かう。他の作業員も、川べりに近づいてくる。誰か溺れているみたいだ。
僕は衣服を脱ぎ、川へ飛び込んだ。
上手く救助すると、作業員達は、僕の健闘を讃えてくれた。男の衣服はびしょ濡れで震えていたので、何か暖かいものが必要だろう、ということで、魔法を使い、焚き木を作ることにした。
魔法によって廃材に火が付く様子を見た、他の作業員は驚いていた。
そして、何やらヒソヒソと話しながら、作業担当のところへと戻っていった。
オークの男は、僕のそばに来て、険しい顔して、僕を睨みつけた。
「おい、お前みたいな魔法が使えるエリートが、なんでこんな橋を建てる作業をしているんだ」
その声には、何か得も知れぬ重い雰囲気が漂っている。溺れいていた男は濡れた服を脱ぎながらなだめた。その服は大学で良く見た、魔術服だった。
「まあまあ。人には様々な事情というものがあるわけですから、それほど怒る必要はないでしょう」
川に飛び込むわけだから、自殺者みたいなものかと思って、ちょっと心配したが、本人はあっけらかんとしていたし、表情もニコニコとしていた。
明らかに自殺しようとしていた人間の顔ではない。
そして驚いたことに、彼が上半身を晒したときに、背中に羽があることに気が付いたのだ。そして、片方の羽は黒く染まっている。
「ああ、これですか。無理もないですね。はじめて見る人は驚くんですよ」
溺れていた男は相変わらずニコニコしていた。オークは面白くなさそうに言った。
「ケッ、俺は作業に戻る。こういうところでは、いろんな事情があるからな。お前も一応雇われてんだ。あまりさぼらず、雇われているなりの仕事をしろよ」
そういうと、オークは作業場に戻った。溺れた男は、上半身を露わにしたまま、川に石を投げていた。
溺れていた男の羽が珍しいのもあるが、驚くのはその美貌だった。
短く整った、ほどよいくせ毛。またスラリとしていて、痩せてもおらず、太ってもいない、ちょうどよい肉付き。そして、穏やかで優しそうな顔つき。芸術家ならば、彼を題材にして彫刻を作っていただろう。
太陽が傾き、本格的に暗くなる前に、作業が終わる。
日当を貰うために、作業員が並ぶ列へ向かった。日当は若干の小銭とパン。
それらを受け取ると、焚き木のところへ向かった。焚き木は既に焼け落ちていたが、男は以前としてそこにいた。
「やあ、今日の仕事は終わりなのかい」
半渇きの魔術服を着て、彼は最初と変わらず、ニコニコとしていた。
「なんで、まだいるんですか。着替えに戻ったほうがいいんじゃないですか」
「いやいや、命の恩人に礼を言わずに立ち去ることは出来ないよ。ありがとう」
そういうと、僕の手を掴み、大げさに手を振った。ちょっと激しすぎて、手がしびれてしまった。
「それはいいんですよ。そんなことより、なんで川に飛び込んだりしたんですか」
男はちょっとバツが悪そうな顔した。
「ああ、あれね。自分は何か考えていると、ついそればっかり考えちゃってね。それで、たぶん川に落ちちゃったんだろうな」
空を眺めていたら川に落ちた、昔の哲学者みたいな感じだなと思う。
「考え事って何ですか。何か悩みでもあったんですか」
男はちょっとアゴを撫でた。
「悩みといえば悩みなんだけど、ちょっと特殊というか……」
と言って、男は川に石を投げる。
石は川に落ち、水しぶきをたてる。チャポン。
「そういえば、さっきから川に石を投げてますね。何か気になることでもあるんですか」
また石を投げる。チャポン。
「どう思う?」
何も変わったことがない。石はただ弧を描き、川に着水するだけだ。
「どうと言われても……何も変わらないと思うんですが」
男は笑顔のままうなづいた。
「石はどうして弧を描きながら川に落ちると思う?」
難しい問いだ。
もし、この世界において、重力という概念が発見されているか疑わしい。あまりにも凝った答えをしてしまうと、何かと疑われてしまうかもしれない。
「そうですね、石を投げると、投げたときの速度のまま前に飛ぶ。あとは重いモノは落ちるので、そのまま落ちる、といったところでしょうか」
男の顔が驚いた顔をする。何か不味いことを言ったのかもしれない。
「驚いた、その考え方をした人間が僕以外にいたとは」
そう言いながら、手を掴んで振った。もしかして、この世界では「力学」という考え方すらおぼつかないのかもしれない。だとすると、相当厄介だ。
「そうなんだよ。そうそう」
男は満足そうに、さっきの言葉をかみしめるかのように、うなづいていた。もしかすると、この世界の「科学水準」はかなり低く、少しでも元の世界の常識的な、あるいは小学生でも理解しているような知識を披露してしまうと、だいぶややこしいことになるかもしれない。
これは慎重にいかないと。
「一般的に、石を投げたさい、なぜ前に進むのかと言われたら、石を投げたときに空気が、石を前に押し出しているからだとされている。何か動かそうとしているものが無ければ、そのモノは動かない、というわけだ。
この考え方は、確かに《魔法》の説明としては整合性があっているんだが、そもそも、空気が石を押し出すほどの抵抗を持っているとは思えないんだ。じゃなければ、僕がこうやって自由に動けるはずがない」
と言いながら、男は焚き木の周りをくるくると歩きはじめた。僕は、その話を興味深く聞いた。
もちろん、この世界の自然への理解がどの程度なのか、というのもある。しかし、それと同時に《魔法》の説明としてはあっている、という言葉が気になっていた。
確かに、僕は物理的法則については、ある程度の説明が出来るけれど、じゃあ魔法的法則については説明できるだろうか。恐らく無理だろう。もし、ラスの弟子になれば、その辺りは理解出来たのだろうけど。
そんな熱く語っている話を聞いていると、遠くからプニッツがやってきた。僕が手を振ると、男も手を振る。
「あれ、君はプニッツさんの友達だったのか」
「まあ、色々とお世話になってます」
「そうか、いやあ、驚いた。今じゃないと話できないかと思っていたけど、また話ができるじゃないか」
男は手を握ってまた振った。本当に手を握るのが好きな人だ。そして、僕もだんだんとこのノリに慣れてきた。
「あれ、リダンさん、なんでこんなところにいるんですか」
プニッツはいつもとはうってかわって、ぎこちなく挨拶する。口調も何時もとは全然違う。
「いやあ、君の友達が、自分の命を助けてくれたんだよ。今日はもう帰るところだけど、また話をしようと思うよ。プニッツも、一緒にいこう」
そういうと、プニッツは恥ずかしそうに並んで、教会のほうへ歩いていった。その様子は、プニッツがリダンに何か思いを隠しているような様子だった。
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