第一章・発明家

プニッツと「教会への意見書」

 窓の日差しが、顔を照り付け、起きる時間を知らせてくれる。


 「滅茶苦茶眩しいな……」


 僕は少し背伸びをすると、ベルクの様子を見にいった。彼は一瞬ガラクタと見間違うかのように、うずくまっていた。


「悪い、ちょっと二日酔いに効く何かをくれ……」


 この世界のアルコールが、元の世界と一緒ならば、塩分のある水や、健康的な朝食が一番だろう。あとは、体内からアルコールが抜けるまで安静にしていることだ。

 仕方ない。僕は市場に出て、ベルクの二日酔いに効きそうなものを探すことにした。


 教会の前を通ると、プニッツが怒りながら、教会から出て来た。

 プニッツは僕のところへ駆け寄って、聞いてもいないのに事情を説明する。どうやら、贖罪符しょくざいふを売っていた老年の司祭と喧嘩をしてきたらしい。


「全く許せない、あんなので罪が許されるなら、神なんていらないのに。それをわかっちゃいない」


 プニッツは、ちょっと気性が荒いところがあるけれど、根っからの信仰者なんだな、と思う。元の世界には近くにいなかったタイプのような気がする。


「こうやって、反論も書いてきたのに、そんなもん読むのも面倒くさい、なんて払いのけて来た。

 うちの聖書は何百倍も厚いんだよーだ。あいつ、聖職を金で買ったタイプなのかな」


 僕はただうなずいていた。

 神学なんて、詳しいことは分からないし。それに、こう熱くなっている人間に対して、余計な刺激を与えると、ややこしいことになりかねないということは、元の世界の国民的気質みたいな部分で感じとっていた。


「あーあ、贖罪符しょくざいふはいいよね。用紙にさらさらって書けば、何枚でも作れるんだもん。私なんか、こんな意見書なんて、一日何回も書かないと作れないんだもん」


 その話を聞いて、僕はこの世界には印刷術というものは無いか、聞いてみた。


「インサツ?ああ、なんか版を作って、インクを付けて、ペタってやる奴のことかな?うーん、ああいうのは職人さんが木の板を一つ一つ丁寧に掘るものだから、お金がかかるんだよねえ……」


 なるほど、元の世界における活版印刷みたいなものは無いわけか。


「しかし、そんな活動をしていると、いつか異端扱いされて、指名手配されるんじゃないかな」


 元の世界では、ちょくちょくと、そのようなことが歴史上起きていたからだ。有名な科学者だって、教義と違うことを言うだけで、社会的に抹殺されたのだから。


「異端という意味では、あっちのほうが異端なのよ。聖書を見ればわかるんだけど、一般庶民には手を出せないのよねえ。買っても字は読めないし」

「うーん、例えば、その聖書というのが、一般庶民にわたるくらいに、印刷できるようになったら?」


 僕は何気ない一言を呟いた。


「そりゃもう、あいつらのやってることが間違っていると言えるようになるかな。だって、手元にある本で、それは神の御心に反している、って言えるんだもの」


 すると、後ろからささやかな声が聞こえてきた。


「その話、あとで詳しく聞かせてもらえませんか」


 声の主はメアリだった。全く気配を感じさせない。本当に怖い。

 詳しい話は、工房で、と言って街中に姿を消した。神出鬼没で、つかみどころがない。もしかしたら、怪盗か盗賊か何かなのかもしれない。この世界はファンタジーだし、そういうのがいてもおかしくはない。


 僕たちは、食堂に向かった。

 女将に事情を説明すると、二日酔いに効くというトマトとオニオンのスープをこしらえ、革袋に入れて渡してくれた。女将が言うに、ベルクがあれほど酔っぱらったのは、ここ最近のことらしい。

 女将にお礼を言うと、自宅に帰ることにした。


 工房に向う途中、プニッツが近所の子供に声をかけられた。どうも、お礼ということで珍しい石を二つ渡された。どうやら、逃げ出したペットの猫を一緒に探したお礼だということ。

 僕みたいな不審者を助けるくらいだから、本当に皆に親しまれているのだろう。

 事実、プニッツはいろんな人に声をかけられていた。

 ときどき、僕のことを恋人なの?という人もいて、プニッツが困ったりしていた。


 そういうわけで、僕たちは自宅につくと、ベルクはあいかわずうずくまっていた。そばにスープを用意してあげると、いつの間にか、メアリが、僕の自室に静かに座って、僕たちを待っていた。

 メアリがこの話に興味を持ったのは、このような経緯らしい。


 この世界において、いわゆる権力を持っている存在は三つ存在している。

 王族、商人、教会、大学である。

 そして、最近は教会の中でもアルブレヒトという男が台頭しており、この贖罪符しょくざいふの販売を足掛かりとして、一定の財力を得るようになり、権力を持ちはじめているようだ。

 当然ながら、出る杭というのは打たれるものだ。最近では、この勢いを削げないか、という話がちらほらと出ているらしい。それは単純な嫉妬から、政治的理由、またはプニッツみたいな宗教的理由まで様々だが、さすがに教会を相手にするのはどうか、ということで、現状は表立った動きは見受けられないらしい。


 メアリは、プニッツがベルクの様子を見に行ったことを確認すると、口を開いた。


「プニッツを、そのような批判者として矢面に出させることによって、抵抗勢力にしようという話、でいいのかな」

「その通りです。ノイ。貴方は兄様と違って、機転が利きますね」


 ベルクがくしゃみをした音がする。


「プニッツさんは、私が見るところによると、確かに宗教的情熱を持ち、正義感があり、そして愛嬌があります。

 また、プニッツさんは、そのような政治的な利害関係を考慮しない、良くも悪くも、人が良い方です。

 彼女が動けば、ある程度、教会の動きというのは混乱する筈です」


 メアリは淡々と、そして整然と話す。


「よくわからないけど、メアリはその話に何か一つ噛んでいるの?」

「私のことに関しては、組織の都合上、お答えできません」


 このメアリ、本当に掴みどころがない。

 

 そんな話をしていると、慌てた様子でプニッツが飛び込んできた。


「なんか、ベルクがノイを呼んで来て欲しい、って言ってるんだけど。なんか面白いから見て欲しいって」


 僕はベルクがうなだれている場所へ向かうと、プニッツが貰った石をいじっていた。


「ほら、この石を見てみなよ。こうやって離しても引っ付くんだ」


 ああ、なるほど。これは磁石という奴か。


「あれ、ベルクは磁石というものを知らないのか」

「あ、これが噂に聞いていた磁石というやつなんだ。なるほどね。なんだっけ、噂によると、お互いの魔力によって引き付け合う石がある、みたいなのを聞いていたけど、なるほどね」


 そうか、磁石という存在は見つかっていても、磁力の発見には至っていないのか。

 僕はベルクを驚かせるために、近くにあった板を取り出し、板の上に磁石を一つ置き、裏側にもう一つの磁石を置いて、それを動かしてみた。


「えっ、何が起きているんだ。間に板があっても、お互いの引きあう力は続くってことか」

「簡単に言えばそういうことだね」


 ベルクはちょっと考えたあとに、二日酔いが飛んだかのように、机に何かを書き始めた。大きな人形の前に、一つのテーブル。そして、そこにはチェスのようなゲームが置かれてある。

 その設計図のようなものをじっと見ていると、プニッツが帰ってきた。

 プニッツは、自分の教会に対する意見の支持者が出来た、といってちょっと喜んでいるようだ。

 なぜ、メアリがそのようなことを行うのは不明。

 少なくとも、メアリが敬虔な信仰者であるとはとても思えない。


 プニッツは、昨日から見慣れている呆れた顔をして、ベルクの様子を見ていた。


「何を作っているのよ」


 そして、こちらも見慣れた顔。人懐っこい顔をして喋った。


「自動チェスマシンさ」

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