第二の男


 家紋の旗に包まれ密やかに、男の遺骸は城に送られた。


敵に発見されれば、遺骸と言えども、首を取られてしまう。またその死が漏れれば、陣に残っている兵の命が危ない。


今や男の城は、山上の巨城である。そこを長持ちに主君の亡骸をのせて、商人に身をやつした小姓が運び上げた。


 主郭しゅかくの常御殿、主人の居室に長持ちを安置すると、涙ながらにその蓋を開けた。尊顔を最後に一目と、小姓たちは長持ちを覗き込む。


そこへ


「うっぷ……悪心おしん、起こししゃうらう。」


長持ちから這い出た男は、昏倒こんとうして倒れた。


「と、殿ぉ〜?」


昏倒から目覚めると、男はまた記憶を失っていた。



しかしこの度は、すぐに怪我が回復し、事情を聞くと

「何と!」

といきり立った。


「何と、何と、しゃにあらめ。にっきゅきは藤氏とうしなり。

いざ!馬ぅお曳け!法螺ほらぅお吹け!」


男は即座に家臣達に命を下した。


出陣である。


直ちに出陣式が執り行われる。

「いや、待て待て、は何としゃうぞ、品卑しゅうも、げにもかろき具足かな!」

男は驚愕の声をあげた。


小姓たちは背中を嫌な汗が流れるのを感じた。


そう言えば以前、先代の小姓頭から殿が生還すると記憶もなくなり、言葉もおかしく、人柄も何か変わっていたと聞いた事がある。その時は面白おかしく聞いていたが……


(これがあの?)

そばに侍る小姓たちは、顔をこわばらせて頷きあった。


 「こは何ぞ!なんたることぞ!あが旗ぅお持ちゃれ!」


家紋旗に混じり、急遽用意させられた逆日の丸の旗と揚羽あげはの旗もゆく。

家臣達もその旗を振り返りつつ、首をひねり、戦さ場へ向かう。


「紅の色ぞ、でたき」

主君は赤色好きになり、更に

「あは、平氏なり!」

藤原氏から平氏になった。


「何!なんと、なんと。此の男、あが乳母子うばこにありぬるか?」


戦さ場で戦況の報告に本陣にやって来た家臣の事を小姓に確認をし、焦った声で囁いた。

「あ、はい。」

「そはいかにとやせぬ。なれ、あが乳兄弟にあらば、あと同じゅうなり。あれらの紐帯ちゅうたいこそ三世を越えての仏縁なり。いざ、この家紋を押したて、共に参れ!」

むんずと掴んだ揚羽の紋旗を、その家臣の目前に突き出した。

突きつけられた武将も、突然の事に困惑をしている。

「勝三郎様、お受け取り下さいませ!」

小姓が武将に囁いた。

男は慈悲に満ちた目で、武将を見返している。

武将は困惑しつつも推し戴いた。


うやうやしく受け取られ、満足した男は、すっくと勇ましく仁王立ちになり。


「さても、さても、にっくきは藤氏なり。

古からの縁に驕りてなんという恥じずべき振舞い。

者共、彼奴きやつららめに一泡食わせん!」

雄々しい声が、戦さ場に響いた。


この度の生還から、主君の性格は豪放磊落にして、外交も緻密に悪どく、何とも言えず男臭い魅力が醸し出されるようになった。


また下人に対しても、人として扱う細やかさは変わらない。

経済通で下々の事にも精通しているは、化粧をして女装に打ち興じたり、遊ぶ方もなかなかのものである。


家中における主君の人気は相変わらずだが、町衆にも人気が鰻登うなぎのぼりである。


 「何と、また延暦寺めが左様なことを!」

ある日、報告を受けた男はいきりたった。

「あが恩を踏みつけにし、またもや邪魔立てし申すのか!」


(恩?)

(何か、し申されたか?)


「あれと子の配流はいる強訴ごうそし申し、一時は帝より死を給わるところであった。そを許し、縁者に申し付け土地を寄進させしもうた。それをまた!」

「え?」

「殿?」


「焼けぃ!伽藍がらんもろとも焼き払うのじゃ!この世に延暦寺なぞいらぬわ!」


王者は咆哮ほうこうした。


(いや、山の上はもう不便だとかで、使うてのう御座るが……)

小姓たちは思うが、主君の怒りの前にとりあえず平伏した。


冬の寒い朝、側に侍って寝過ごしても、起こさないばかりか、「ように眠れたか。もそっと寝ておけば良いものを」などと労ってくれる。

失礼なことを言う人が居ても「たわぶれれを言うておると思えば良い」と笑う。


とてつもなく包容力のある主君に、彼らは心酔して居る。

多少の事は、生還の際の後遺症と我慢できる。


そして、家臣たちは、取り敢えず言われるままに、人気のない比叡山、山頂に近い延暦寺を焼き払った。


そして男と家臣達の努力は実り、今や天下は定まりかけ、帝から叙位じょいの話が出た。

「あは構わぬ。家来どもにこそ、叙位したもれ。」

男は家臣達に名誉を授けてくれるよう、朝廷に交渉した。


(何とお優しい……)

家臣達は、男の家臣思いに落涙した。


しかし、そんな幸せな時も長くは続かない。

ある戦いの日、敵兵の放った鉄砲が男に当たった。


「うう!!」

唇を噛んで男は痛みに耐える。

「殿!」

小姓たち涙ながらに主君を護り、後方へさがる。


「此度は戦さ場で果てるぞ、武門のほまれなりける!」

男はそう言って笑い

「今生の望、一事ものこる処なし!」

それからガクッと馬に突っ伏した。

「殿ぉ!」


小姓たちの絶叫が、戦さ場に響いた。



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