皐月*時を超えた藤棚鑑賞(ラブコメ風)
時は平安に遡って
まだ
ただ暖かく幸せに暮らしていたときのお話だ。
葵は藤臣が新しく新調してくれた着物を着て、彼の前に立った
「どう、かの。」
季節は5月。新緑が青々と芽吹き、一層強くなってきた日差しに照らされて葉はきらめく。生暖かい風に揺れるまだ柔らかそうな若緑色の新芽たちが空へと向かって伸びていた
葵は少し恥ずかしそうしながらも、夏用にと購入してくれた薄い水色の着物に袖を通して広げてみせる
足元には涼し気な白い筋がいくつか入って水が揺れるときにできる不文律な模様のように見える
「うん、とても良く似合ってる。綺麗だよ。」
藤臣が直接的な言葉で褒めるものだから、葵は照れくさくなってへへっと笑った
「じゃあ、お出かけしようか。」
「おでかけ?どこに行くのだ。」
「少し見ごろを過ぎてしまったから、散ってしまったかもしれないけど、藤棚を見に。」
藤臣がにっこり笑って手を差し出す
葵は満面の笑みでうなずいてその手を取った
一度、小さな姿になって藤臣の着物の袖に潜み、都を離れたところの道中で
小さなぽんっという音と共に消炎があがったかと思うと、年頃の娘と変わらない大きさの葵の姿が現れる
道の傍に田んぼのみが広がったあぜ道で、まわりに人の姿はない
藤臣がひとりで徒歩で移動するのを主とする理由は葵と歩きたい、ただそれだけである
藤臣は葵の姿を見て
「いやぁ、大きくなれるなんてね。もっと早くお願いしておけばよかった。」
「わらわも知らなかったのだ。藤臣が頼んでくれたからこそ気が付いた事実である。」
ふたりの草履が土を固めた道を蹴る音が響く
「藤臣が”おっきくなれたりしないの?”って言ってくれたから、わらわはやる気になったのだ。やる気があればなんでもできる、だな。」
葵は得意げに胸を張った
どうして大きくなれたのか
なんで大きくなれるのか
葵にもよくわかっていない
ただ頭の中で「おおきくなあれ、おおきくなあれ」と祈ってみたところ、この姿になれたというわけである
「でもこうして手を握って歩けるようになった。わらわはとても嬉しいぞ。」
「あ、それ、わたしが今言おうとしてたのに。」
藤臣はいっぱい食わされたと悔し気に目じりを下げ、葵はそれを見ておかしくなって笑ってしまう
藤臣といると、心があたたかい
ふわふわして、気持ちがいい
ずっと一緒にいたいなって、思うんだ
藤臣は続けて言った
「しかも、大きくなると他の人にも見えるなんてね、驚いたよ。屋敷の中では気を付けないといけないね。」
葵はそれにこくりとうなずいた
葵が大きくなれるのを知った、すぐ後のことである。
葵は普段他人には見えないことを良いことに、会話こそ謹んでいたが、藤臣と共に部屋を出ることが多かった
何の気なしに大きくなった姿で藤臣に手をひかれて廊下を渡っていたら
向こうからきた女中が驚いた顔をして、藤臣とそして葵にも頭を下げたのだ
むろん、藤臣に対して
どこの女だとか、いつ連れてきたとか、変な詮索はされなかったが
誰も招いた様子はないのに、中からふたりが仲睦まじく手をつないで出てきたのであるからそれはもう瞬く間に女中どもの噂話の種となってしまった
それをまだ、「気を付けないといけないね。」くらいの軽いものと考えていて、
小さなほころびがいつか大きなヒビとなって
ふたりを1000年もの長きに渡って離れ離れにさせるなどとは
考えもしなかった。
時折、藤臣が葵に
「足痛くない?大丈夫?」
と声をかけながら藤棚への道をふたりで手をつないで歩いた
その少し先で、ふたりの目の前に
薄紫色の花弁を垂らせた満開の藤が通り道を作ってふたりが通るのを待ち構えている
葵は
「わぁっ」
と声をあげて花のほうへ走った
葵の頭上に幾重にもなった薄紫色の花弁が咲き乱れ風が吹くたびに同じ方向へ、しなりと垂れた花が揺れる
もう、少しばかり見ごろが過ぎて、風がふくたびにぽとりぽとりと花を地へ落としていくがそれすらも雅で美しい
葵が藤棚の通り道へ駆けると、道に落ちた若紫色の花弁をつついていた鳥たちが足音に驚いて一気に飛び立った
鳥たちの去った後には花の道が幻想的な雰囲気を醸し出し、絵に描いたかのように妖艶な薄紫の花が咲き乱れる藤棚が広がっていた
「綺麗だなー。藤臣。藤臣の名前の花だろ?お前にそっくりだ。」
葵は花の房のひとつを手にとって香りをかいでみる
ほんのりと甘い香りが漂って甘美な気持ちを誘われる
「わたしに?どこが?」
「優しくて、綺麗だ。」
「そう?」
葵があまりにも迷いのない瞳で綺麗だなんていうものだから、今度は藤臣が照れくさくなる番だった
藤臣は照れ隠しに言葉を紡ぐ
「藤の花言葉もね『優しさ』なんだよ。あとね、」
垂れ下がった花の人房を少しだけ手折って、葵の黒くて艶やかな髪の上にさす
薄紫色の花が、葵の可愛らしい顔立ちに華を添えて一層際立たせた
「『君を離さない』。藤の蔓が巻き付いた木を締め付けて枯らしてしまうこともあるくらい、強い力で巻き付いていることから、そんな花言葉もあるらしいよ。」
葵は自分よりも少し背の高い藤臣を見上げて言った
「藤臣もわらわを離さずにいてくれるか?」
その深い青色の目は純粋で、奥に少しだけ不安と寂しさが見える
「もちろん。絡みついて枯らせてしまうくらいね。」
藤臣は安心させるように葵の頭をぽんぽんと撫でてくれた
「うんっ。」
嬉しさがこみ上げる
この先も、ずっと先も、ずっとずっと、藤臣と一緒。
強い力でわらわを抱いていてほしい
甘い香りでわらわを誘っていてほしい
「来年は、もう少し早く、見ごろの時に来ようね。」
藤臣が葵の手をひいて、帰路につく
その日はいつまでも来ないなど、この時は考えもしなかったのだ
また来年も藤臣とこの藤棚を見に来られると信じて、
小さなほころびを見落としたのだ
時は変わって、令和。
東京には連休とあって人がいつも以上にごった返していた
「なぁ、柊哉。とーきょーには藤棚はないのか?藤臣と見に行きたいのだが。」
5月初旬のゴールデンウイーク
年度によって多少の差はあれど、おそらく今が見ごろであろう
「えぇーと、ちょっと待ってよ。」
柊哉が器用に手のひらサイズの端末を操作して場所を調べてくれるのを静かに待った
「あー、あるね。何でいくの?バス?電車?」
「歩いていく。」
あのときのように肩を並べて、笑い合いながらゆっくり歩いていきたい
「無理。却下。」
「えええ。」
「タクシーでも30分だよ。絶対無理。日が暮れる。」
「やだ。それでも良い。歩いていきたいのだ。それが無理なら牛車でまったりと、」
「そんなものはない。」
「ぐぬぅぅぅ。」
令和の生き方を盾にされてはぐうの音しか出ない
仕方がない、いいなりになってやるとしよう
柊哉のおすすめの行き方とやらで、ばすなるものに初めて騎乗し藤棚に着いた
隣には1000年越しに出会えた人の顔
そして満開の藤の花々
「ようやく、約束が守れてよかったよ。また来年もここに来ようね。」
藤臣の手は1000年前と何も変わらず暖かい
わらわは藤臣の隣をこうして歩くことができてとても幸せなのだ
いつまでも離さずにいてくれ
さて帰ろうかと藤臣が尋ねる
「で、何番のばすに乗ってきたっけ?」
「知らん。」
藤臣は困り顔で重ねて尋ねる
「えぇっ。柊哉くんの住所は?」
「・・・・知らん。」
いよいよ藤臣の焦りがあらわになった
「ど、どうするの。帰れないよそれじゃ。」
「わらわは藤臣といられればそれで、いっそ駆け落ちでもどうだ。」
「そういう問題ではありませんっ‼」
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