新元号『令和』の時代だけど昭和と平成な女の子に居候されて困ってる

第二話 真由美のドキドキ二十一世紀体験

翌朝、七時十分頃。

「今朝はけっこう涼しいわね」

　琴音は目覚まし時計の音と共に起きると、

「おはようございます、琴音お姉さん」

　真由美も目を覚ました。寝惚け眼をこすりながらゆっくりと起き上がる。

「おはよう真由美ちゃん。ワタシ、これから大学行くから、お母さんに見つからないように大人しくお留守番しててね」

「うん」

　七時二〇分頃、琴音は身支度を整え、この部屋から出て行く前に、

「この中に今日の朝とお昼の分を用意してるから、食べ終えたらここのゴミ箱に捨ててね」

　コンビニの袋を指し示し、こう言い残した。

「美味しそうなパンとお弁当♪　お野菜や果物もいっぱい入ってて、栄養価も高そう。あたしのためにここまでしてくれるなんてとってもありがたいよ。大輝お兄さんは、まだ起きてないのかな？」

　真由美は琴音の用意してくれた私服に着替えると、大輝のお部屋へ移動した。

「大輝お兄さん、おっはよう！」

　爽やかな声で挨拶し、大輝の体を揺さぶる。

「あっ、おはよう真由美ちゃん」

　大輝はすぐに目を覚ましてくれた。

「大輝お兄さんも今日は、学校があるんだよね？」

「うん。その時はいつも七時半頃に起きてる。あの、真由美ちゃんはとりあえずお留守番しといて。母さんに絶対見つからないようにね」

「分かった。じゅうぶん気を付けるよ。琴音お姉さんからも言われたから」

　七時四五分頃、

「じゃ、行ってくるね」

大輝も身支度を整え部屋から出て行く。

「いってらっしゃーい」

　真由美は小さな声で見送りの言葉。

　父は琴音が起きる前、七時頃に、

　琴音は七時四〇分頃に家を出ていた。

まもなく八時になろうという頃、ピンポーン♪　とチャイム音が鳴り響く。

「おはよー大輝くん」

　その約一秒後、カチャリと玄関扉が開かれ女の子ののんびりとした声が聞こえて来た。

「おはよう、すぐ行くから」

　大輝は通学鞄を肩に掛け、玄関先へと向かう。

　訪れて来たのは、七海だった。

学校がある日は、いつもこの時間帯くらいに迎えに来てくれるのだ。

大輝は中学に入学した頃から現在完了進行形で登校は別々でも良いと思っているのだが、七海がそうは思ってくれていないので付き添ってあげているという感じである。とはいっても大輝もべつに嫌がってはいない。けれども通学中に同じクラスのやつ他知り合いにはあまり会いたくないなぁ、という思春期の少年らしい気持ちは持っていた。

「大輝くん、数学の宿題、全部出来た？」

「一応。全部合ってる自信はないけど」

「今回けっこう難しかったよね？」

「そうだな。千葉大の過去問も交じってたし」

移行期間中の長袖ワイシャツを身に纏った大輝と七海は、取り留めのない会話を弾ませながら市内では二番手の公立進学校、府立豊葉台（とよばだい）高校へ向かって歩き進む。所属するクラスも今は同じ一年二組だ。

「葵ちゃんおはよー」

七海が自分の席へ向かう途中、先に来ていた七海の幼稚園時代からの幼友達、西風葵（にしかぜ　あおい）に挨拶した。

「おはよう七海さん」

　葵はいつもと変わらず爽やかな表情で返してくれた。背丈は一五五センチくらい。卵顔でおでこは狭め、細めの一文字眉、縁無しのまん丸な眼鏡をかけ、濡れ羽色の髪をいつも赤いリボンで三つ編み一つ結びにしている。見た目からお淑やかな優等生っぽさが感じられ、実際彼女の学力テストの成績は常に学年トップクラスだ。

「数学の宿題、全部出来てる？」

「一応答は全部埋めたよ」

　七海は数学Ⅰの課題プリントを葵に手渡した。葵は親切にも、いつも宿題の答が合っているかどうかを確認してくれるのだ。

「今回も全問正解よ。おめでとう」

　葵はザッと確認し、こう伝える。

「やったぁ！」

　七海は小学校の頃から葵に勉強の手助けをしてもらっているおかげなのか、学業成績はけっこう良い方だ。この高校に入ってからでも校内テストの総合順位学年上位一割付近にはいる。

七海よりは少し成績の悪い大輝が自分の席に着いてから一分ほどのち、

「やぁ、大輝君、おはよう」

彼の小学一年生の頃から九年来の親友、北之坊秀央（きたのぼう　ひでお）が登校して来る。男子高校生としては小柄な身長一五八センチ、痩せ型。新体力テストの結果も全て平均以下の運動音痴ぶり。しかしながら現時点ですでに東大理Ⅰに合格出来そうな学力を有する秀才君である。坊っちゃん刈り、四角い眼鏡。丸顔。まさに絵に描いたようながり勉くんな風貌だ。　

「おはよう秀央、数学の宿題、全部分かった？」

「もちろん、楽勝でしたね。あっ、そうそう。大輝君に見せたいものがあるのだよん」

　秀央は鞄の中から一冊の文庫本を取り出した。

「これ、新刊か？」

それを見て、大輝は顔をしかめる。表表紙に下着丸見えの制服姿な可愛らしい少女のカラーイラストが描かれていたのだ。いわゆるラノベである。

「イエス。昨日ポンバシで早売りされてたのを手に入れたんだ。こっちじゃ今日発売かな？」

秀央は小学五年生の夏休み頃からラノベや萌え系の深夜アニメに嵌り出した。

じつは、琴音に影響されたのだ。

あの頃、秀央が大輝のおウチを訪れたさい、大輝は秀央から琴音のお部屋を見せてくれないかと頼まれた。大輝が快く見せてあげると、秀央はそこにあった一冊のラノベに目が留まり、表紙の女の子のかわいさに惚れてしまったというわけだ。大輝は最近になってちょっぴり罪悪感に駆られている。

「おはよう、秀央さん」

「秀ちゃん、おはよう」

「……おっ、おはよぅ、ございますぅ」　

突如、葵と七海に明るい声で挨拶された秀央は、俯き加減になり小さい声で挨拶を返す。いつものようにこの二人から話しかけられるが、いつまで経っても慣れない秀央に対し大輝は、この性格は一生治らないだろうなとちょっと心配に思っていた。

八時半の、朝のＳＨＲ開始を告げるチャイムが鳴ってほどなく、

「皆さん、おはようございます。ずいぶん涼しくなって来ましたね」

　クラス担任で社会科の増子先生がやって来る。

増子先生はまだ二〇代半ばの若々しい女性。平成生まれだ。背丈は一五〇センチをほんのちょっと超えるくらい。ぱっちり瞳に卵顔。色白のお肌。サラサラした濡れ羽色の髪はリボンなどで括らずごく自然な形に下ろしている。いわば小柄和風美人だ。性格も穏やかで心優しく、生徒からの人気も当然のように高い。そんな増子先生はいつも通り出欠を取り、諸連絡を伝えた。

そのあと八時四〇分から始まる一時限目。このクラスでは、今日は現代社会の授業が組まれてあるため引き続き彼女が受け持つ。

「皆さんの中で、ファ○コンで遊んだことあるよっていう子はどれくらいいるのかな？　手を挙げてね。復刻版のミニの方じゃなくて、最初に出た方ね」

　増子先生は授業の初めにこんな質問を投げかけた。一応、今日の学習項目（メディアの変遷）に関連していた。

クラスメートの何人かが手を挙げる。秀央と葵も挙げていた。

（秀央はレトロゲームマニアでもあるからなぁ。二〇世紀に発売された家庭用ゲーム機は全部持ってるって言ってたし）

　秀央に誘われ遊んだことはあるが、当てられたら何か発表しなきゃいけないのが面倒くさいので挙げなかった大輝は少し感心する。

「十一人か。三分の一近くね。思ったより多い。意外だ。先生は写真で見たことはあるけど、遊んだことはないよ。スー○ァミはあるけど。今挙げてる子は、どういったきっかけで遊び始めたのかな？」

「親父が持ってた」

　クラスメートの一人が答える。そのあと他の何人かも親に影響されたと答えた。

「そっか。今の高校生の親って、ファ○コン世代になってるもんね。北之坊くんは、ゲーム好きそうな感じだけど、どんなソフトで遊んだのかな？」

「高○名人の冒険島、た○しの挑戦状などですねぇ」

　秀央が俯き加減で照れくさそうに伝えると、

「あの、増子先生。わたしもそのソフトで遊んだことがあります。あの難易度はチャレンジ精神をくすぐりますよね」

　葵は笑みを浮かべ嬉しそうに伝えた。

「先生、そのソフトのことは全く知らないけど、とっても面白そうね」

　増子先生は興味を持ったような反応をする。

（葵ちゃん、秀ちゃんに対抗意識燃やしてるね）

　七海は秀央に視線を向けていた葵をちらっと見て、にこにこ微笑んだ。

（そういや真由美ちゃんは、ファ○コン世代の子だったな）

　大輝がこんなことを思っていたその頃、

（二十一世紀のマンガって、絵がきれいやね。さすがパソコンで描いてるだけはあるわ。手描きじゃこんなん無理やろ。漫画の技法も進化しとるね）

　真由美は琴音のお部屋で少女漫画雑誌を読み漁っていた。

その最中、

――ドスドスドス。と階段を上ってくる足音が真由美の耳元に飛び込んで来た。

（お母様が来るようね）

　真由美はとっさに布団の中に隠れる。

　予感的中。それから約二秒後に扉がガチャリと開かれ、母がこのお部屋に足を踏み入れて来た。

「まったく琴音ったら、全然片付けてないじゃない。ワタシに似ちゃったのね」

　母はため息交じりに呟きながら、床に散らばっていた漫画雑誌を本棚に仕舞う。

　続いて掃除機をかけ始めた。

（早く、出て行かんかな？　布団退けられたら終わりやで）

　真由美は生きた心地がしなかった。強い緊張感からかはたまた暑さからか汗も出てくる。

　それから約二分後、母は掃除機の電源を切ると、すぐに部屋から出ていってくれた。

（危ない、危ない。見つかるところだったよ。くしゃみも出そうになったし。家の中にずっといるのも危険ね。お外へ出ようかな。二十一世紀の街並みも見たいし。お母様に見つからないようにこっそり出なきゃ）

　真由美はそう思いつき、このお部屋の出入り口扉をそーっと開け、廊下に出ようとした。

　けれども、

（この時代のお昼の番組見てから行こうっと）

　気が変わって扉を閉めた。

　それからは平穏に過ごすことが出来、正午過ぎ、真由美はテレビをつけた。

「二〇一四年までやってたっていう笑っていい○も、見たかったな。タ○リさんすっかりお爺ちゃんになってしもうとったもんね。この時代はいい〇もやってたチャンネル、人相の悪いおっちゃんが司会しとる番組になってしもうとるやん」

　真由美はちょっぴり落胆する。

　まもなく午後一時になろうという頃、一階廊下をドスドス歩く足音が聞こえて来たのち、玄関扉を閉める音が聞こえてくる。

「お母様、お買い物に出かけたようね」

　真由美はこの隙を狙って部屋から出て階段を下り、キッチンへ向かった。

「これが二十一世紀の冷蔵庫か。形は進化してるけど、中身の食材はそうでもないね。未来的なパッケージでもないし」

　冷蔵庫の中をガサゴソ物色。

　そののち、

「面白いこと思いついちゃった」

　キッチン横のリビングへ。

「テレビでかっ！　大輝お兄さんや琴音お姉さんのお部屋のテレビの倍くらいありそう」

　最初に液晶テレビが目に留まり、

「電話機もけっこう進化してるじゃん。テレビ電話じゃないみたいだけど。指でジーコジーコ回す黒電話はこの時代じゃほとんど姿を消してるらしいね」

　次に隅に置かれた固定電話機が目に留まった。

「かい人二十一面相ごっこ」

　どくいりきけん、たべたらしぬで。

　真由美は電話機横にあったメモ用紙に黒ボールペンでこう記し、冷蔵庫内のヨーグルトの横に書置きしようとした。

けれども、

（さすがにやばいよね、これやったら。あたしのクラスの男の子が調理実習室でふざけてやって、先生から往復ビンタくらわされてたし）

　引き留まった。メモ用紙をくしゃっと丸め、ゴミ箱に捨てる。

（炊飯器も電子レンジも、オーブントースターもポットも未来的なデザインで格好良くなってるね。パンがポンッて飛び出るトースターはやっぱないか。あたしの時代でもすでに前時代的なものになってたし）

　他の家電もざっと観察したのち、

（あっ、段ボールの中にみかんがある。腐ったみかんはないかな？　一つでもあると全て腐っちゃうみたいなこと、金○先生も言ってたもんね）

　キッチン隅に置かれた段ボール箱も調べてみた。

　その最中に、

　カチャッ。

　と玄関扉の鍵が開かれる音が。

「！！」

　真由美はびくーっと反応する。

　玄関扉が開かれ、

　ドッ、ドッ、ドッ、ドッ、ドッ。

　廊下を早足で駆け抜ける音。

　リビングへやって来たのは、母だった。

「お財布忘れるところだったわ」

　こんな独り言を呟いて、財布を手に取り再び外へ出て行く。

（危なかったぁー。まさか戻ってくるとは思わなかったよ）

　真由美の心拍数は急上昇。先ほどはカーテン裏に隠れてやり過ごしていた。

　さらに五分ほどのち、

（もうしばらく戻って来ないよね？）

真由美はノートから取り出した自分の肩掛け鞄を持って、恐る恐る玄関先に向かい、下駄箱から普段は使ってなさそうな革靴を拝借して外出する。

（二十一世紀の街って、どんな風になってるのかな？　あたし達の時代の科学雑誌とかに載ってた未来予想図ほどじゃないみたいだけど、未知との遭遇の連続なんだろうな）

　そんな期待を抱きながら門から外へ出た。

（本当に空飛ぶ車が一台も走ってないね。家やビルの形もあたしの時代とほとんど同じだし、街の様子は未来って感じがしないよ。全身タイツの服着てる人もいないね。この時代って、ド○えもんの漫画に載ってたの○太の二五年後の、ノビ○ケの少年時代もとっくに過ぎてるよね。あの子が作中で乗ってた空飛ぶスクーターみたいなのに乗ってる人も全然見かけないよ）

　数百メートル歩き進み、ややがっかりした気分になってしまった。

　ほどなく踏切に差し掛かった。ちょうど今閉まっているところだ。

（そういや、一九八七年に国鉄からＪＲに変わったらしいね。二十一世紀の電車はどんな感じなんやろう？　写真に収めなきゃ）

　肩掛け鞄から使い捨てカメラ、写ルンですを取り出して構え、わくわくしながら電車が来るのを待つ。

　数十秒後、いよいよ電車が通りかかった。

　銀白色に塗られた六両くらいの車体だった。

（ピュイーンッて超高速で駆け抜けるのかと思ったら、あたしの時代と変わらずガタンゴトンか。まあデザインは格好良くなってたし、一度乗ってみたいな）

撮影し、楽しげな気分に戻った真由美は踏切を通り抜け、さらに歩き進む。

（二十一世紀の犬や猫って、あたしが小学生の頃にやってた『ふしぎ犬トントン』に出てた犬みたいな、実は宇宙人でぬいぐるみに変身出来るってのもおるんかな？　タロー君演じてた坂上忍も可愛らしかったね、あのドラマ）　

　トイプードルを連れて歩いていたお姉さんを眺めながら、こんなことも思った。

　そのあと、

「平気　涙が乾いた跡には　夢への扉があるの　悩んでちゃ行けない♪」

　意気揚々とこんな歌を口ずさんでいたら、

「きみ、今日学校休み？　昼までで終わったの？」

「きゃっ！」

　いきなり背後から誰かに肩を触られ、真由美はびくーっとなって思わず悲鳴をあげる。

「驚かせてごめんね。ちょっと訊きたいことが……」

　振り返ってそこにいたのは、がっちりとした体型の四〇代半ばくらいの男性警察官だった。

「あたし、三〇年以上前からタイムスリップして来た子でして。この時代なら四五歳くらいのおばちゃんかな？」

　真由美はてへっと笑う。

「身分証明書はあるの？」

　警察官は呆れ顔だ。

「一応、あるけど」

「それじゃ、見せなさい」

「しょうがないなぁ」

　真由美はしぶしぶ財布から取り出し、見せてあげた。

「えらい懐かしいもの持ってるみたいやけど。ご両親が持ってたやつ？」

　警察官はさらに呆れる。

「あたしが小学生の頃に買ったんよ」

「おいおい。これ、発売されたん三〇年以上前やろ。ぼくも当時嵌ってたからよう分かるんやで」　

　鉢巻を巻いて学ランを着た猫の写真が貼られ、死ぬまで有効と書かれた運転免許証もどきだった。

「だからあたし、三〇年以上前から来た子や言うてるやん」

　真由美はむすっとなる。

「いや、だからね」

　警察官の方もだんだんイラついて来たようだ。表情が険しくなっていく。

「ほんじゃ、まったね。二十一世紀のお巡りさん。なめんなよ」

　真由美はそれを財布に仕舞うと、にこにこ顔で捨て台詞を吐いて全速力でここから逃げていった。

「あ、こら、きみ。待ちなさーい！」

　あれから五分ほどのち、

「よく考えたら平日の今の時間帯、学生さんは学校におるもんね……と思ってたら学校らしき建物が見えて来たよ。ちょっと見に行ってみよう」

　何とか警官を振りまいた真由美はゼェゼェ息を切らしながら呟く。

さらに百メートルほど歩き進んで、正門前に辿り着いた。

（府立豊葉台高校か。ここって、大輝お兄さんの通ってる高校やん。琴音お姉さんもここの卒業生って言うてはったな。二十一世紀の学校はどうなってるか見たいし、入って見学してみようっと。あたしの時代は竹刀を持った恐ろしい先生が多かったけど、この時代でもそうなんかな？　あと校内でバイクが暴走してたり）

　ちょっぴり不安に駆られつつも正門を通り抜けようとしたら、

「誰やおまえはっ？　うちの学校に何の用や？」

　大柄な男の先生に呼び止められた。

「きゃぁっ！　恐ろしいお顔」

　真由美は思わず本音を漏らす。

「わしの顔は確かに恐ろしいってよう言われるわ。特に女子から」

そこにいたのは、鬼海という名の体育教師だった。今ちょうど授業中で、サッカー試合中の生徒達の監視をしていたさい彼女の姿に気付いて近寄って来たのだ。角刈り、苗字の通り鬼を思わせるような厳つい顔つき、上背一九〇センチを越え筋骨隆々、日焼けした褐色の肌が特徴的で、まさに体育教師らしい風貌だった。

「おじさんは悪魔ですか？」

「誰が悪魔やねん！　ごく普通の体育教師やっ！」

「体育教師なのに、どうして竹刀を手に持ってないの？」

「おまえ、くだらんマンガやドラマの見過ぎじゃっ！　それよりおまえ、茶髪なんかに染めて」

「おじさん、これ、地毛なんですよ」

「おまえと同じような色に染めとる奴は、みんなそう言うねん」

「もう！　あたしをその辺のスケバンと一緒にせんといてよ。あたし、めっちゃいい子やねんよ。不良の溜まり場のゲーセンにもディスコにも一切行ったことないし」

「なんやおまえ、昔の人みたいなこと言うて」

　鬼海先生はますます険しい表情へ。

「だってあたし、昭和からタイムスリップして来た子やもん」

「アホかぁ、おまえは」

「アホなのはおじさんの方でしょう」

　真由美はアハハッと笑って、忠告など無視して通り抜けようとすると、

「こら待てぇ。この門は通さん！」

後ろ首襟をガシッと掴まれてしまった。

「きゃぁっ、おっとＣＨＩＫＡＮ！　誰か助けてぇーっ！」

　真由美はとっさに悲鳴をあげる。

「誰が痴漢や、バカタレッ」

鬼海先生は焦り気味に真由美を片手で軽々とつまみ上げ、正門前の歩道上へぽいっと放り出す。

「帰れっ！」　

「あーん、およしになってＴＥＡＣＨＥＲ～」

　真由美の主張通じず、リアルに門前払いされてしまった。

（あのおじさん、怖過ぎるよ。日本刀で百人以上は斬りつけてそうな顔だよ。正攻法での突入はダメか）

　体育座りで嘆く真由美。すぐに立ち上がってとぼとぼ歩きながら、対策を練る。

「こら利川、北之坊、ぼけーっと突っ立っとらんとボール奪いにもっと積極的に動けぇっ！」

　そんな彼女をよそに体育の授業は何事もなかったかのように進行する。

（この時代では女子と男子、同じ体操服なんか。女子はブルマじゃないの？）

　真由美は女子生徒達が夏用体操服姿でハンドボールをしている場面を、不思議そうにフェンス越しに眺める。

　それから約五分後、

（ようやく入り込めたよ。二十一世紀の高校生達の学校生活の様子を、廊下からこっそり垣間見ねば）

　真由美は誰もが思いつくだろう裏門から入る方法で見事校舎内へ侵入成功。

（ラブレターはないかなぁ……ないなぁ。この時代はスマートフォン、略してスマホのメールやＬＩＮＥっていうやつが主流らしいから、もう消滅したんかな？）

　下駄箱をサーッと見渡しながら生徒用玄関口を通り過ぎ、

（お手洗いを済ませとこうっと。おしっこもれそう。昨日というか時刻的に今日の明け方四時頃に行かせてもらってから行ってないもんね）

最寄りの女子トイレへ駆け込む。

まだ授業中のようで、彼女以外には誰もいなかった。

「んっしょっと」

五つ並んであるうち真ん中の個室に入ると、昨日から穿きっ放しのいちご柄ショーツを膝の辺りまで脱ぎ下ろしスカートを捲り上げ、便座にちょこんと腰掛ける。

「ふー、すっきりしたぁ。二十一世紀は学校のトイレも無駄に高性能なんやね。あたしの時代の学校じゃ女子トイレ全部和式だよ。古い校舎だとぼっとんだよ。現代っ子達、洋式に座ってばかりだと足腰弱っちゃうぞ。まああたしも洋式派なんやけどね。くつろぎやすいし、和式は手がにゅって出て来そうで怖いもん」

　用を足し終えると、足をパタパタさせながらほっこりした表情で呟く。

　ちょうどその時、チャイムが鳴り響いた。

（授業終わっちゃったかぁ。部外者のあたしが生徒さんや先生に見つかると面倒なことになりそうだし、このまま次の授業が始まるまで篭っておこうっと。でも、ずっと入ったままだとかえって怪しまれるかもしれないし、あーん、どっちがいいんだろう？　まさに今、葛藤状態やねあたし）

　こう悩んでいると、

「鬼海先生、また連帯責任で負けたチームの子全員に腕立て伏せさせてたね」

「本当、同情するわ。鬼海先生は昭和脳の人間ね」

　女子生徒が二人入って来た。

葵と七海だった。

（連れションってこの時代でもやってるんやね。尿意便意を感じるリズムなんて人それぞれ違うんだから、合わせる必要なんてないのに。排便っていうのは孤独な活動なのだよ、二十一世紀の女子学生さん。ていうかこのおっとりとした話し方、大輝お兄さんの大事な人とちゃうん？）

真由美は勘付く。

七海と葵は真由美のいる両隣の個室に入った。二人とも同じようなタイミングでハーフパンツとショーツを一緒に脱ぎ下ろし、

「ふぅ」

葵は洋式便座にちょこんと腰掛け、

「んっしょ」

七海は和式便器にしゃがみ込んだ。

（滝の流れる音が聞こえて来たよ。この時代の子は恵まれとるね。あたしの時代だと水流して誤魔化してたのに）

　真由美は耳をそばだてつつ、羨ましがる。

　そんな時、

「あっ、ここ紙ないや。困ったな。お尻までびちゃびちゃになっちゃったし」

　七海のこんな声が聞こえて来た。

（大輝お兄さんの大事な人らしき子が困ってる。助けてあげなきゃ）

　真由美はトイレットペーパーをカラカラ引いて、五〇センチほどの長さに千切り取った。そして、

「どうぞ！　お使い下さい」

大きな声でこう伝えて仕切り下僅かな隙間に手を通し、差し出した。

「あっ、どうも。ご親切に、ありがとうございます」

　七海は振り返って礼を言うと、お尻丸出ししゃがみ姿勢のまま四歩下がって、ほんの少しだけ背を反らし、右手を後ろに伸ばして受け取る。

「これだけで足りますか？」

「はい、小の方なので大丈夫です」

　もう一つされた質問に、七海は機嫌良さそうに答えた。お小水で濡れた恥部からお尻にかけて拭き拭きし、ショーツとハーフパンツを同時に穿くと、水を流して個室をあとにする。ほぼ同じタイミングで葵も個室から出て来た。

「葵ちゃん、私、さっき紙無くてちょっと焦ったよ」

「それは災難だったね。たまにあるよね、そんなこと」

「うん、でも今回は後のお方が譲ってくれたおかげで助かったよ。あのう、本当にありがとうございました」

　七海は真由美のいる個室扉の前でもう一度お礼を言っておく。

（二十一世紀の女子高生はとってもいい子やねぇ）

　真由美は便座に腰掛けたまま大いに感激していた。

「トイレットペーパー、補充しとかなきゃ。確か掃除用具置き場にあったね」

　七海は取り出した新品のトイレットペーパーを、きちんとホルダーにかけておく。

（次に使う子のことも考えてるなんて。ますますいい子や。トイレでタバコ吸っとるあたしの学校のスケバン共も見習って欲しいわ～）

　真由美はさらに感激する。

「鬼海先生って、一学期に男子がバスケの試合やってた時、負けたチームは腕立て伏せ五〇回とかやらせてたね。この間の体育祭の時も負けたクラスの男の子に罰ゲームさせてたし、かわいそうだよ」

「そういうことさせたがるの、まさに体育会系の思考ね。鬼海先生の終業式の諸注意と始業式の後の頭髪爪服装検査もすごく鬱陶しかったわ」

「私は何もしてないけど、睨まれてるようですっごく怖かったよ。増子先生は得意不得意は人それぞれ、人の能力に高いも低いもない平等主義的な考え方だから大好き♪」

「わたしもー。鬼海先生も増子先生をちょっとは見習って欲しいな。鬼海先生って、絶対女子更衣室こっそり覗いてるよね」

「葵ちゃん、私も鬼海先生悪魔のように怖いから嫌いだけど、そういう根も葉もないことは、言わない方がいいと思うな」

「七海さん、心優しいです」

（陰で嫌いな先生の悪口、これもあたしの時代と変わらんね。あたしの時代だと直接攻撃する子も多かったけど）

　真由美は親近感が沸いてにっこり微笑む。

「次は化学かぁ。おねんねの時間だね」

「七海さん、どんな授業でも先生のお話しっかり聞かなきゃダメダメ」

「分かってるけど、どうしても眠くなっちゃうの」

「気持ちは分かるけど」

「そういえば、中の子まだ出て来ないけど大丈夫かな？」

七海は手を洗い終えると、

「あのう、失礼かもしれませんが長いですよね？　お腹の調子悪いんですか？　それだと紙たくさん使いますよね？」

もう一度真由美に個室扉前から話しかけた。

「あっ、気を悪くしてしまったら申し訳ございません」　

余計なことを言ってしまったかな？　と、罪悪感に駆られる。

（心配してくれてありがとう。あたしがしたのは小だけやから大丈夫よ。めっちゃいい子や）

　真由美はむしろ歓喜していた。

二人ともトイレから出て行くと、

（さてと、やっぱり出ることにしようっと。この場所、アンモニア臭いし。長時間いたら服ににおいが染み付いちゃう。よぉし、今がチャンスね）

　真由美はカチャリと鍵を開け、扉をそっと二センチくらい引いた。

　するとほどなく、女の子同士でおしゃべりしている声が聞こえてくる。その子達は案の定、このトイレに入って来た。真由美は見つからないように扉をそっと閉める。

（またお友達同士か。二十一世紀でも連帯感は健在やなぁ。またさらに何人か一緒に入って来たよ。ひっきりなしに入ってくるわね。仕方ない。休み時間終わるまで待つか）

　真由美は苦笑いする。

　ようやく次の六時限目開始のチャイムが鳴り、さらに数分待ってから真由美は個室から出て手を洗い、女子トイレをあとにした。廊下をてくてく歩いていく。

（このクラスは、数学の授業やってるね。未だ黒板にチョーク書きかよ。あたしの時代と全然変わってないじゃん）

　三年一組の授業を廊下からこっそり眺めたあと、

（なんかクッキー焼いてるっぽいいい香りがしてきた。調理実習かな？）

　調理実習室前の廊下へと移動し、中の様子をこっそり観察する。

（ほよよ？　二十一世紀では男の子も家庭科を習うんだ）

　学習指導要領の違いにまたも驚かされたようだ。

（大輝お兄さんは確か一年二組やったね。そこ見に行こうっと）

　引き続き廊下を歩いている途中、

「うわっ！」

「あらっ？」　

　一人の先生に出くわしてしまった。

「あっ、どっ、どうも。失礼しましたーっ」

　真由美はぺこんとお辞儀して、そそくさここから走り去っていく。

「さっきの子、うちの生徒じゃないよね？　見間違いかな？」

　大輝達の担任の増子先生だった。手には世界史の課題プリントの束が抱えられていた。

（女子大生っぽさも漂ってて、若くてきれいな先生やね。おっぱいも柔らかそう。ボインタッチしてみたーい。スカート捲ったら、まいっちんぐって言ったりして。パンツは白かな？）

　真由美はそのまま外へ移動し、不審者としてつかまらず無事、学校敷地内から脱出成功。

　このあと近くの本屋さんを訪れた。

（店内にイスが付いてはる。この時代は手軽に立ち読みが出来るようになってるんやね。ド○えもんの漫画みたいにハタキでパタパタしてる店員さん、いないね）

　真由美は店内を興味深そうにきょろきょろ見渡す。

「未来の漫画がいっぱいや。こ○亀は、巻数めっちゃ増えてる。二〇〇巻まで出てはるし。あっ、キャ○テン翼もある。翼くん大人や……なんか、頭身おかしくない？」

　真由美はこの本屋さんで三〇分ほど過ごし、

（確かに、公衆電話が街中から消えとるね。あっ、小学生や。今帰りよるんやね。二十一世紀の小学生はキョ○シーごっことか北○の拳ごっことかせえへんのかな？　あたしの時代で今ブームやねんけど。そういやこの間、社会科の湯浅先生の前でユアッサー♪　って北○の拳のＯＰの替え歌歌って、わしのことバカにしとんかぁーっ！！　って怒鳴られてボコボコにされとった男の子がおったなぁ）

新しい発見をしながら帰り道を歩き進む。

利川宅へ辿り着いた時には三時過ぎになっていた。

（お母様は、パーマ屋さん寄ってたとしてもさすがにもう帰ってるよね。見つからないように気をつけなきゃ）

　真由美は玄関扉をそーっと引きそーっと閉め、履いた靴を下駄箱にそーっと仕舞い、足音を立てないように階段をそーっと上っていく。

　無事、誰にも見つからず大輝のお部屋に侵入成功。

　母は今、一階リビングにいるようであった。

「志○けんさん、この時代でもレギュラー番組持って大活躍してるみたいやね。すっかりハゲちゃったけど。加○ちゃんはどうなってはるんやろ？　調べてみよっと」

真由美は大輝のマイパソコンの電源を入れ、インターネットを楽しむ。

「ただいま」

　大輝が夕方四時半頃に帰宅すると、

「おかえり大輝」

　リビングに母と、

「大輝ちゃん、お邪魔してるわね」

　お客さんがいた。

　七海の母だ。

　じつは、母親同士もお互い小学校時代からの幼馴染同士で、共にアラフィフを迎えた今でもマンガや絵本などの創作活動仲間なのだ。ちなみに七海の母の方が二学年下である。お互いの家にしょっちゅう集っていて、今日のようなことは週に一回以上はある。

「あっ、こんばんは」

　大輝はごく自然に軽く会釈し、リビング横の廊下を通り過ぎていく。

（真由美ちゃん、母さんに見つかってないみたいだな）

　普段と変わりない母の様子に大輝はホッと一安心し、洗面所で手洗いを済ませるとそのまま自室へ向かう。

「おかえり大輝お兄さん」

「真由美ちゃん、ちゃんとお留守番してた？」

　満足そうな笑顔で迎えてくれ、大輝はさらに安心した。

「いやぁ、危うくお母様にバレそうになったから、お散歩しに行ったよ」

「そっか。まあ、ずっと家にいるのもまた危険だよな」

「あたし、二十一世紀の世界がすごく気に入っちゃった」

「でも、真由美ちゃんにとってはこっちの世界の方が居辛いんじゃないか？」

「そうでもないよ。あっちの世界にはあんまり友達いないし、学校はめちゃくちゃ荒れてるし、先生はすぐに暴言吐いて殴ってくるし。こっちの世界じゃそういう先生はすぐにクビになるんでしょ？　ネットの記事で見たよ。体罰を振るう先生は時代遅れって」

「そうだな。昔は体罰があまり問題にならなかったみたいだね」

　大輝が少し困っていたその時、

「大輝くん、こんばんはー。私のお母さん来てるでしょ。数学の宿題いっしょにやろう」

　七海の声が聞えて来た。

「うわっ、ちょっ、ちょっと」

　大輝は驚いて仰け反る。

　向かいの七海のお部屋から叫ばれたのではなく、七海自身がこのお部屋に入り込んで来てしまったのだ。こういうことは今までにもしょっちゅうあったことだが、今回は状況が状況だけに大輝の驚き様は過去最高レベルだ。

「大輝くん、なんでそんなにびっくりして……あれ？　誰、この女の子？」

　七海はぽかんとなる。

「こっ、この子は、親戚の子というか」

　かなり焦り気味の大輝をよそに、

「こんばんは、はじめまして。あたし昨日、このノートの中から飛び出して来てん」

　真由美は例のノートを手に取って、堂々と言い張った。

「えっ！　ノート？」

「うん」

「ノートの中から、人は出て来ないよね。飛び出す絵本はあるけど、あれだって折り畳まれた厚紙に描かれた絵だし」

　七海は当然のように疑っていた。絵本好きでメルヘンチックな彼女だが、やはり現実に起こり得ること起こり得ないことの区別はしっかりついているようだ。

「あたしも信じられへんかってん」

　真由美はえへっと笑う。

「七海ちゃん、この子、三〇年以上前からタイムスリップして来たような子なんだ。だから今の時代のことをよく知らないみたいで」

「あたしの絵が描かれたのがそのくらいやからね」

「えっ！　えっ！？」

　七海は面食らった様子だった。

「まあ簡潔に言えば、母さんが小学生の頃に書いたイラストの、真由美ちゃんっていう女の子が、現実世界に飛び出して来たってわけなんだ」

　大輝は慌て気味になりながらも冷静な口調で説明する。

「そうなの？」

　七海はまだ信じ切っていないが、とりあえず納得してあげた。

「ちなみに父さんと母さんには真由美ちゃんのことまだバレてない」

「そっか。おば様とおじ様きっとびっくり仰天しちゃうだろうから、今はバレない方がいいかもね」

「これからよろしくね、七海お姉さん」

　真由美はぺこんとお辞儀すると、

「かわいい！　妹に欲しいよ」

　七海はにっこり微笑んで、嬉しそうに真由美を抱きしめた。

「なんか照れくさいわ～」

　真由美は嬉恥ずかしがる。

「真由美ちゃんと大輝くんの言うこと、百パーセント信じたいから、こういう現象が起こる所を、この目で確かめてみたいよ。真由美ちゃんはどうやって飛び出させたの？　呪文？」

　七海は興奮気味に問いかける。

「特別なことは何もしてないよ。母さんのノートをパラパラ捲ってたら、勝手に飛び出してきたんだ。俺の予想では、昔の絵だから魂を持ったんだと思う。人形は百年経つと魂が宿るって言われてるのと、似たような原理かな。全然科学的じゃないけど」

　大輝は苦笑顔で伝える。

「昔の絵かぁ……そうだ！」　

こう呟いて、七海はここをあとにして自分のおウチへ。

　それから約五分後、

「大輝くん、これ持って来たよ。お母さんが大学生くらいの頃に使ってたやつ」

　一冊のノートを持って戻って来た。

　キャンパスノートだった。大輝の母が持っていたものほどではなかったが、けっこう日に焼けて黄ばんでいた。

　七海が開いたページには十歳くらいに見える女の子のカラーイラストが。黒のおかっぱ頭にメロンのチャーム付きダブルリボンを飾り、丸っこいお顔でくりくりした目。服装は山吹色のワンピースに、白と黄色の縞々の靴下。

　隣のページには、この子を主人公にしたであろうマンガの扉絵も載っていた。

「お母さんが昔描いた香織ちゃんって名前の女の子なんだけど、私の一番のお気に入りなの。この子を、飛び出させてみて」

「そう言われてもなぁ、真由美ちゃんが飛び出て来たのは、奇跡としか考えられないし」

「七海お姉さんのお母様のこのイラストは、何年くらい前に描かれたん？」

「二十何年か前かな？　たぶん」

「それじゃ、まだ比較的新しいから魂が宿ってないかもな」

　大輝が呟くと、

「やっぱり無理っぽいかぁ」

　七海は少し残念そうな表情を浮かべた。

「七海お姉さん、あたし、自分が描かれてたノートには手を突っ込んで中のアイテム取り出せるんだ。こっちのノートにも手を突っ込んで引っ張り出せるかも」

　真由美が自信ありげに伝えると、

「本当！？　やってみて！」

　七海は強い期待を抱いた。

「よぉし！」

　真由美は女の子のイラストの、髪の毛の部分に手を添えてみる。

　そしてぐっと押さえつけた。

「おう、入った。いけるかも」

　見事成功！

「えーいっ！」

　真由美は手ごたえを感じると思いっ切り引っ張り上げた。

　すると見事、中から一人の女の子を飛び出させることが出来た。

イラスト通りの容姿だった。

「もう、痛いじゃあ～りませんか」

　床に足から着地するや、こんな第一声。

　背丈は一三〇センチあるかないかくらいだった。

「本当に出るとは……」

　大輝はけっこう驚いていた。

「わぁ、出て来たよ」

　七海は大喜びする。

「あたし、正直出せるとは思わんかったけど、勝利のポーズ、大成功♪」

　真由美はぴょんぴょん飛び跳ねたのち、片足をピッと上げてポーズを決めた。

「あれ？　ここは一体どこなの？　お兄ちゃん達誰？」

　飛び出て来た子は当然のように戸惑う。お部屋をきょろきょろ見渡していた。

「ここは二十一世紀の世界なんだ」

　大輝が伝えると、

「えっ！　未来なの？」

　その子は目を大きく見開く。

「そうなんだ」

　大輝は念を押して伝える。

「それじゃアタシ、未来の世界へ来たんだ。二十一世紀は無事に迎えられたんだ。九九年七の月の恐怖の大王は降りて来なかったんだね」

　香織はやや興奮気味になった。

「世紀末頃って、そういう非科学的な噂が流行ってたみたいだな」

　大輝は微笑む。

「うん、Ｍ○Ｒの漫画でやってたよ。アタシはあれ大げさに誇張したデタラメだって分かってたけどね、クラスのお友達の中には本気で信じてる子がいたよ」

「私ももしあの時代にそんな恐ろしい予言知ったら、ちょっとだけ信じちゃいそう。あなたのお名前は、香織ちゃんだよね？」

　七海が尋ねると、

「うん！　アタシ、香織。十歳、小学五年生だよ」

　香織はにっこり笑顔で答えた。

「イラストの横に書いてた名前の通りだね。五年生かぁ」

「めっちゃかわいいね。あたしの妹にしたい」

　真由美は頭をそっとなでた。

「なんか照れくさいなぁ」

　香織はちょっぴり恥ずかしがる。

　そんな時、

「ただいまー」

　琴音が帰って来た。

「姉ちゃんに見つかると少し厄介かも。香織ちゃん、ちょっとお布団の中に隠れててくれないかな？」

「どうして？」

「どうしても」

「答になってないよ」

「俺が姉ちゃんに事情を説明するから、それから現れて」

「どうしてそうしなきゃいけないの？」

「姉ちゃんがびっくりするだろうから」

「それじゃ、びっくりさせようよ」

　大輝と香織、押し問答し、その様子を七海と真由美が微笑ましく眺めていたその時、

「大輝、真由美ちゃん、シュークリーム買って来たよ」

　琴音が入り込んで来てしまった。

「うわっ！」

　大輝は動揺する。

「こんばんは琴音ちゃん、お邪魔してまーす」

　七海は爽やかな表情で挨拶した。

「こんんばんは七海ちゃん。ところで、そこにいる子は、誰？」

　琴音は香織の姿を目にするや、きょとんとなる。

「ひょっとして、この子も、イラストから」

　しかしすぐに勘付いた。

「この子は香織ちゃん。私のお母さんが二〇年以上前に描いたイラストの女の子なの」

　七海はにこにこ顔で伝える。

「そっか。またあんな非現実的な現象が起こるなんて、思わなかったわ。香織ちゃんは、好きなマンガやアニメある？」

　琴音はやや驚きつつも、こんな質問をしてみた。

「ら○ま２分の１と、ド○えもんと、マ○レードボーイと、花より○子と、クレヨンし○ちゃんと、ド○ゴンボールと、あず○ちゃんと、ぬ～○～と、稲○卓球部と、ス○イヤーズと、タル○ートくんと、みどりのマ○バオーと、水○時代と、お○っちゃまくんと、キ○レツ大百科と、幽○白書と、魔法陣グ〇グルと、セー○ームーンが特に好き♪」

　香織は生き生きした表情で、楽しそうにたくさん答えてくれた。

「確かに二〇年以上前の子っぽいな」

　大輝は確信する。

「セー○ームーンは二〇一四年に二〇周年記念で新作アニメが作られたのよ。主題歌はも○クロっていう紅白にも出たこの時代の大人気アイドルが歌ってたの。魔法陣グ〇グルも二〇一七年に新作アニメが作られたわ」

　琴音は最近の状況を教えてあげた。

「へぇ。二十一世紀のセー○ームーンと魔法陣グ〇グル、見てみたいな」

「あたしもそれがどんなアニメなのか気になるよ」

「香織ちゃんの好きな食べ物は？」

　今度は七海が質問すると、

「かぼちゃ、チャーシューメン、明太子、コンビーフ、ビーフステーキ、鱚フライ、フライドチキン、キンピラ、らっきょう」

　香織はまたも楽しそうにたくさん答えてくれた。

「意外なものが好きなのね」

「バラエティだな」

　琴音と大輝は微笑んだ。

「微妙にしりとりになってない？」

　真由美は指摘する。

「本当だ。私が大好きなのは、その中ではビーフステーキとフライドチキンくらいだな」

　七海が呟くと、

「今のはほとんど嘘ぉ。本当はりんご飴が一番大好きなんだ」

　香織はにっこり笑って言う。

「あらあら」

「さっきのは、クッキン○パパのアニメの歌に出て来たメニューだよ」

「それ、今も連載続いてるぞ。単行本が一五〇巻くらい出てるかな？」

「あたしも知ってるぅ。単行本も持ってるよ。まだやってたとは」

「ちなみに作者のうえやまとちさんは、紅殻のパン○ラっていう二〇一六年に放送されたアニメの四話でエンドカードを描いてたわ」

「そうなんや。どんなんか気になるぅ。ところで琴音お姉さん、あたし、今日こそはお風呂入りたいんだけど」　

「さすがにワタシんちのお風呂だとバレちゃう可能性大だから、近くの銭湯行こっか」

「えー、あたし、銭湯は嫌やなぁー。みんなの前で裸になるの、恥ずかしいし」

「この時代の銭湯は真由美ちゃんのいた時代とは違って、いろんな設備が整っててとっても楽しいわよ」

「銭湯へ行くの！　アタシ、銭湯大好き♪　二十一世紀の銭湯はどんな感じなのかな？　気になるぅ」

「私も行くよ。最近行ってないから」

　香織と七海も行く気満々のようだ。

「大輝も一緒に行く？」

「行くわけないって」

「大輝ったら、恥ずかしがっちゃって。同じお風呂に入るわけじゃないのに。待てよ、女装させたら入れるかも」

「姉ちゃん、顔殴るぞ」

全く行く気のない様子の大輝を残し、琴音、七海、真由美、香織の四人で近所のスーパー銭湯へ向かっていく。

「あまり二十一世紀って感じがしないね。ソラエモン号みたいな太陽電池で走ってる車、全然見かけないよ」

　香織は外の様子にこんな第一印象を抱いたようだ。

「あたしももっと変わってるかと思ったら、拍子抜けしたよ」

「まだまだ昭和の雰囲気の街並みを残してる地区もいっぱいあるからね」

　琴音はこう教えておく。

　さらに歩き進んでいき、とある書店の前を通り過ぎてほどなく、

「あら、七海さん達ではありませんか」

　四人の背後からこんな声が。

「あっ、葵ちゃん、私達今からスパ銭へ行くんだ」

　七海はくるっと振り返ってこう伝える。

「そうなんですか。それじゃ、わたしも行きます。あの、こちらのお二人は、琴音さんの親戚ですか？」

　葵は興味深そうに尋ねてくる。

「うん、そうよ。従姉妹。大きい方が真由美ちゃんで、ちっちゃい方が香織ちゃん。中二と小五よ。今ワタシんちに遊びに来てるの。学校が秋休みで」

　琴音は冷静に説明した。

「そうでしたか。とってもかわいい子達ですね」

　葵はにこっと微笑みかける。

「はじめまして、葵お姉ちゃん」

　香織はぺこんとお辞儀しご挨拶。

「ア○レちゃんみたいな子やね」

　真由美はそんな第一印象を持った。

「例えが昔の人みたい」

　葵が笑顔でこんな反応をするとすかさず、

「真由美ちゃんは、昔のアニメやマンガが好きなんよ。香織ちゃんもね」

　琴音は冷静に説明した。

「そうでしたか。わたしもレトロなアニメ、大好きですよ。お母さんが幼稚園から小中学生の頃に見ていたアニメを、お母さんに勧められてＣＳとかの再放送やレンタルＤＶＤで見てみたら、けっこう嵌っちゃいました。け○おんとか魔法少女ま○か☆マ○カとかラ○ライブとかけ〇のフレンズとかも、この先数十年に渡って語り継がれるアニメになるかな？」

　葵は嬉しそうに呟く。

「葵ちゃん、一旦家に帰ってから来る？」

　琴音が尋ねると、

「いえ、面倒なので直接行きます。お母さんに連絡しとかないと」

　葵はこう答え、鞄からスマホを取り出した。

「葵お姉ちゃんのポケベル、格好いいね」

　香織は興味深そうに覗いてくる。

「香織さん、わたしより年下なのに、ポケベルって言葉も知ってるんですね」

　葵は感心しているようだった。

「これは学校の先生から教わったそうよ」

　琴音が説明する。彼女は内心、葵ちゃん賢いし、タイムスリップして来た子だってばれるのも時間の問題、いやもうばれてるかも。と心配していた。

「そうでしたか。今の学校の先生はポケベル世代が多いもんね」

納得してくれているような反応の葵は、母にこれから友達と一緒に銭湯に行くから、家に帰るのはお母さんより後になるかもしれないとの旨のメールを送っておいた。

結局計五人で訪れた近くのスーパー銭湯『鶴の湯』。

琴音が入湯料金を全員分支払ってあげ、いよいよ入館。

バスタオルをレンタルし、当然のようにみんな女湯へ。

　脱衣場で服を脱いでいる最中、

「七海お姉さん、葵お姉さん、今日、学校で一緒にトイレ行ってたやろ？」

「はい」

「行ってたよ。大体いつも葵ちゃんと行ってる。よく知ってるね」

　唐突に訊かれたからか、葵と七海はきょとんとなる。

「じつは、あの時七海お姉さんに紙渡したんあたしなんよ」

「そうだったんだ！　あの時はありがとう。すごく助かったよ」

「どういたしまして」

　手をぎゅっと握り締められ、真由美は少し照れくさがった。

「あの時中にいたのは真由美さんだったのですね」

　葵はけっこう驚く。

「真由美ちゃん、大輝の高校に忍び込んだのね」

　琴音は苦笑いした。

「うん、家にずっとおるんも退屈やったしお母様にばれちゃう可能性もあったから」

「そっか。そうする時はじゅうぶん気をつけてね。この時代の学校はセキュリティーが厳しいからね」

「はい。ところで七海お姉さん、大輝お兄さんは、あなたの彼氏ですか？」

　真由美は脱いだ上着を籠に移しながら、唐突にこんなことを尋ねてくる。

「何回か訊かれたことがあるけど、大輝くんは彼氏じゃなくて、幼馴染のお友達だよ」

　七海はプリーツスカートを脱ぎ下ろしつつ、照れ笑いしながら答えた。

「やっぱり。思った通りの答えや」

　真由美はにこっと微笑む。

「でも、将来的に……十年後くらいに、私の旦那さんにしたいなって思ってる。結婚相手は昔から知ってる人の方が安心出来るし」

　七海の頬はカァーッと赤くなった。

「そっか。もし結婚したら、大輝お兄さんのことはダーリンって呼ぶのかな？」

「大輝お兄ちゃんと七海お姉ちゃんの間に男の子の赤ちゃんが生まれたら、悪魔って名付けるのかな？」

「その名前、あかんやろ」

「きらきらネームとしてもさすがにまずいと思うわ」

　香織の想像に、真由美と琴音は笑ってしまう。

「七海さん、今もそう思ってるってことは、幼稚園の頃の発言は冗談ではなかったということね。大輝さんは心優しいし真面目な男の子だから、七海さん恋人風に振舞ってないと他の女の子に取られちゃうかもよ」

　葵はにやけた表情で会話に割り込んだ。

「でもそれは、恥ずかしいな。キスはもちろん、腕を組んで歩くのもまだ出来ないよ」

　七海はますます俯く。

「焦らず少しずつ、大人な関係になっていけばいいと思うわ」

　琴音は微笑み顔で、優しく助言する。

「七海お姉さん、大輝お兄さんとの幼馴染婚が実現出来るよう、頑張って下さいね」

　真由美はきらきらした眼差しでエールを送った。

「うん。あの、さっきのことは、大輝くんには絶対に言っちゃダメだよ」

　七海は俯いたままお願いする。

「分かってるわ、七海ちゃん」

「わたしももちろん言いませんよ」

「アタシも絶対言わなーい。女同士のお約束だよね」

「あたしも言わんよ。大輝お兄さんも絶対戸惑っちゃうやろうからね」

　他の四人は事情を理解し、にっこり微笑む。

「ありがとう」

　七海の頬はまだ、ちょっぴり赤らんでいた。

「そういえば葵お姉ちゃんは、メガネを取っても目が３の形にならないね」

「それはなるわけないよ。なったら怖いよ」

　香織に裸眼をじーっと見つめられ、葵は照れ笑いする。

「アタシのお友達にはなる子がいるんだけどなぁ。二十一世紀のお風呂ってどうなってるのかな？」

　香織はすっぽんぽんになると休まず浴室へ駆けて行く。　

「こらこら香織ちゃん、走ったら危ないで」

　はしゃぐ香織を真由美は優しく注意しつつ、いちご柄ショーツを脱いだ。

「真由美ちゃん、全身お肌つやつやだね」

「乳首の色もきれいね」

「むだ毛も無くて羨ましいです」

　七海と琴音と葵は、すっぽんぽんになった真由美の姿をじーっと眺める。

「そんなにじっくり見られると、恥ずかしいな」

　真由美は頬をぽっと赤らめ、ふくらみかけの胸を手で、うっすら生えかけの恥部を手ぬぐいで覆い隠し、照れ笑いしながら浴室へ。

「真由美さん、思春期真っ只中みたいね」

「そうみたいだね。お体のことについては深く触れないようにしてあげなくちゃ。さっきは私も悪いことしちゃったよ」

「ワタシも中学生の頃は人前で裸になりにくかったな。大輝の前では別だけど」

　葵達三人も、最後にショーツを脱いで後に続く。

　浴室には他にもお客さんが何名かいた。

「香織ちゃん、シャンプーハットは使わんでも大丈夫なん？」

「真由美お姉ちゃぁん、アタシそんなのとっくの昔に卒業したよ。幼稚園の頃は、に○にこぷんのシャンプーハット使ってたけど」

真由美と香織はすでに洗い場シャワー手前の風呂イスに隣り合って腰掛け、シャンプーで髪の毛をゴシゴシ擦っているところだった。

「に○にこぷんって、わたしや琴音さんもまだ生まれてない時代のテレビ番組ですよね？」

　葵は真由美の隣の風呂イスに腰掛けたのち、隣に座った琴音に耳打ちする。

「この子達のお母さんが子どもの頃に使ってたのを、懐かしいからって子どもにも使わせてるのよ」

　琴音が冷静に説明すると、

「そうでしたか」

　葵は納得してくれたようだ。

「んっしょ」

　七海も風呂イスに腰掛け、シャンプーを出して髪の毛を擦り始める。

「二十一世紀の湯船、思う存分楽しむぞーっ！」

　一足先に体を流し終えた香織は風呂イスから立ち上がるとこう呟いて一目散に湯船の方へ駆け寄り、

「それーっ！」　

　はしゃぎ声を上げながら湯船に足から勢いよく飛び込んだ。ザブーッンと飛沫が高く上がる。

「お湯被っても、やっぱら○まみたいに男の子やパンダになれないや」

少し残念そうにそう呟いて、さらに犬掻きのような泳ぎをし始めた。

「香織ちゃん、とっても楽しそう」　

「香織さんったら、五年生にもなってそんなことして。小学校低学年の子みたいです」

「でも、可愛らしいわ」

「香織ちゃんの気持ちは良く分かるよ。あたしも香織ちゃんくらいの年の頃はしょっちゅうやってたから」

　他の四人は湯船の方を振り向き、微笑ましく眺める。

　それから数分のち、

「わたし、銭湯って久し振り」

「私もだよ」

「ワタシは、サークルの夏合宿以来ね」

「広いお風呂は最高やね。いい湯だな♪」

　体を洗い流し終えた四人は湯船に静かに浸かった。足を伸ばしてゆったりくつろぎ、ほっこりした表情を浮かべる。その時、

「それぇーっ！」

　この四人の背後からバシャーッと湯飛沫が――。

「香織さん、ダメですよ、公共の浴場でそんなことしたら。他のお客様にも迷惑になりますからね」

　葵は思いっきり被せられたが、叱らず優しく注意。

「はーい」

　香織はちょっぴり反省したようだ。

「それにしても、いろんな形の湯船があるね」

　真由美は興味深そうに周囲をきょろきょろ見渡す。

「岩風呂の滝に打たれるのもお勧めですよ。あっちのは波や泡が発生するわ」

　葵が教えると、

「おう、すごい仕掛けやね。さすが二十一世紀の銭湯」

「とっても豪華で未来的だね。恵美お姉ちゃん、全部入ってみよう！」

「うん！」

　香織と真由美はさっそくこの湯船から上がり、別の湯船に移動していく。

「真由美さんと香織さん、珍しそうにしてるわね」

「近所に昔ながらの銭湯しかない田舎育ちだから、こういうタイプの銭湯は初体験なのよ」

「そうでしたか」　

「真由美ちゃんも香織ちゃんもすごく楽しんでるね」

　琴音達三人は同じ湯船に浸かったまま過ごすことに。

　数分のち、

「くらえ香織ちゃん、北○百裂拳。あたたたたたたたたたぁっ！　をあったぁ！」

「やったなぁ真由美お姉ちゃん。仕返しぃーっ！　マーキュリー・アクア・ミラージュッ！」

　波が発生する湯船で、楽しそうにバシャバシャお湯を掛け合う真由美と香織。

　琴音達三人は遠目に見ながらこんな会話を弾ませる。

「真由美さんも小学生の男の子のように楽しんでるわね。ところで琴音さん、大学生活は今も楽しめていますか？」

「うん、とっても楽しめてるわ。レポート課題は相変わらず大変だけど」

「そうですか。わたしも二年半後に楽しい東大生活が送れるよう、勉強頑張らなくては」

「葵ちゃん、やっぱり今も東大志望なのね」

「はい！」

「東大なんて私には何浪しても絶対無理だよ。葵ちゃん現役合格頑張って」

「ありがとう、応援してくれて」

　葵が照れくさそうに礼を言ったその直後、

「あの、葵お姉さんは、好きな男の人はいますか？」

　いつの間にか戻って来た真由美に唐突に尋ねられた。

「……いや、べつに」

　葵は俯き加減で慌て気味に答える。

「あれ？　葵ちゃん、秀ちゃんのこと好きなんでしょう？」

　七海はにこにこ顔ですかさず問いかけた。

「やっぱおるん？」

「葵お姉ちゃんの好きな人って、浦飯○助くんみたいなタイプ？」

　真由美と香織は興味津々だ。葵のお顔をじーっと見つめる。

「もう、七海さん。前にも言ったけど、あの子はわたしの勉強のライバルなの」

　葵は淡々とした口調で否定する。

「秀ちゃん、昔からすごくいい子で真面目で賢いし、ちっちゃくてかわいいもんね。葵ちゃんが好きになっちゃう気持ちは私にもよく分かるよ」

　七海はほんわかとした表情で言った。

「だから違うって」

　葵は困惑顔だ。

「葵ちゃん、もういい加減、秀央くんって男の子と付き合っちゃったら。見た目と運動能力はの○太くん、頭脳は出○杉くんなところが気に入ってるんでしょ？　両親のお仕事もお互い大学教授なんだから」

　琴音はにやにや笑いながら、葵の肩をペチッと叩く。

「いいって」

　葵は俯き加減だ。

「葵ちゃん、お顔が赤いよ」

　七海はにこにこ顔で指摘した。

「これは、体が火照って来たからなの。わたし、もう出るね。あつい、あつい」

　葵はそう告げて焦るように湯船からバシャーッと飛び出し、脱衣場へと早足で向かっていく。

「私ももう限界。これ以上浸かったらのぼせそう」

「ワタシもー」

　七海と琴音もすぐに後に続く。

「二十一世紀の現代っ子は弱いね」

　真由美はにこっと笑いながら三人の後ろ姿を見送った。

「真由美お姉ちゃん、いつまで浸かれるか勝負しよう！」

「もちろんいいよ」

　真由美と香織が我慢比べをしている中、脱衣場では、

（今何キロあるかなぁ？）

　葵がすっぽんぽんのまんま、体重計にぴょこんと飛び乗ってみた。

「……えええええっ！？　一ヶ月前より二キロも増えてるぅ。なっ、なんでぇ！？　適度に有酸素運動もしたのに？」

　目盛を眺めた途端、葵は目を大きく見開き仰天する。

「葵ちゃん、まだそんなに太ってないから気にしちゃダメだよ」

「ワタシより痩せてるから、葵ちゃんはまだダイエットの必要ないって。無理なダイエットは体に毒よ」

　七海と琴音は横から優しく慰めてあげる。

「そうでしょうか？」

　葵は納得いかない様子だ。

「葵ちゃん、体重で悩んでるのは、秀央くんの視線が気になるからなんでしょ？」

　琴音はほっぺたをつんつん押して問い詰める。

「もう、琴音さん。そんなことないです」

　葵は困惑顔で言い、琴音の背中をペチーッンと叩いた。

「あいったぁ！　ごめんね葵ちゃん」

　琴音はけっこう効いたようだ。

「今のは琴音ちゃんが悪いね」

　七海はにっこり微笑む。

さらに三分ほどのち、三人とも着替え終えても、

「香織ちゃんと真由美ちゃん、まだ出てこないわね」

「まだ湯船を楽しんでるみたいですね」

　あの二人は出てくる気配なし。

「のぼせたら大変だよ」

　七海は心配になり、浴室へ戻っていこうとしたら、

「アタシ、真由美お姉ちゃんに勝ったよぅ！」

「悔しい。あと十秒粘ってれば」

　ガラガラッと引き戸が開かれ香織と真由美がようやく上がって来る。二人とも体が真っ赤になっていた。

「真由美さんも香織さんも茹蛸さんみたいです」

「どれだけ長く浸かれるかで真剣勝負になれるって、子どもっぽいわ」

　葵と琴音はくすっと微笑む。

「香織ちゃん、真由美ちゃん、無理しちゃダメだよ」

　七海は笑顔で優しく気遣った。

「そうやね、もう少しでのぼせそうになったし、お肌もふやけちゃったし」

「きんさんぎんさんみたいに手がふにゃふにゃになっちゃったね。でも熱湯コマーシャル気分が味わえて楽しかった♪」

　真由美も香織も着替え終え、みんな脱衣場から出て行こうとしたその時、

「あらっ！」

　出入り口付近からこんな声が――。

「あっ、増子先生だ。こんばんはー」

「こんばんは増子先生、ここで会うなんて思いませんでした」

　七海と葵は少し驚く。

「先生、この銭湯けっこう頻繁に利用してるのよ。お肌にいいみたいだし」

「増子ちゃん、久し振り。いつも弟がお世話になってまーす」

　琴音は嬉しそうにご挨拶した。

「利川くんのお姉さん、卒業式の時に会って以来だから七ヶ月振りくらいね」

　じつは増子先生は、琴音の三年次の部活顧問だったのだ。ちなみに文芸部である。

（この増子ってマ○コ先生みたいな苗字のお姉さん、ひょっとして、学校で会ったお方？）

　真由美は勘付いたがそれで正解である。

「こちらの子達は？」

「ちっちゃい方が香織ちゃんで、おっきい方が真由美ちゃん、小五と中二。ワタシの親戚の子で今、秋休みだからウチに遊びに来てるんよ。それで、銭湯に連れて行くことになったの」

「そっか、とっても可愛らしい子達ね。なんか昭和のアイドルっぽいわ」

　増子先生は優しく微笑みかける。

「増子のおばちゃん、はじめまして」

　香織はぺこんと頭を下げて初対面の挨拶をするや、大胆な行動をとった。

「えいっ！」

　いきなり増子先生のロングスカートを捲ったのだ。

彼女の真っ白なショーツがあらわになると、

「きゃっ！　まいっちんぐ！」

　こんなリアクション。増子先生は照れ笑い顔だった。

「こら香織ちゃん、失礼なことしちゃダメでしょ」

　すかさず琴音は優しく注意。

「ごめんなさーい」

　香織は素直に謝る。

「香織ちゃんって子、なんか、男の子みたいね」

　増子先生はにっこり微笑んだ。

「このお姉さん、まいっちんぐって、言ってくれた」

　真由美は目をキラキラ輝かせ、感激する。

「まいっちんぐマ○コ先生、増子先生も平成生まれなのに知ってたんですね」

　葵も嬉しそうにする。

「ええ、再放送で見たことがあるから」

「ごめんね増子ちゃん、この子が失礼なことして」

「いえいえ、どうせ全部脱いじゃうから」

　増子先生は楽しげな気分で服を脱いでいく。

「増子先生、さようなら」

「さようならです」　

「じゃぁね、増子ちゃん。また会えて嬉しかったわ」

「あんころ餅肌の増子のおばちゃん、バイバイありがとうさようならーっ！」

「まいっちんぐ増子先生、さようなら」

　五人は別れの挨拶をして、脱衣場をあとにした。

「さようなら、光久さんと西風さんはまた明日ね」

　増子先生はとても機嫌良さそうに挨拶を返す。

（真由美ちゃんっていう子、今日学校で見た子にそっくりなような……気のせいよね）

　ふと気になったが、特に深くは考えず増子先生は全裸になり浴室へ。

あの五人は休憩所へ。

「私、ストロベリーソーダにしよう」

「わたしは、ジンジャーエール飲もうっと」

「ワタシは、アイスコーヒーにするわ」

「あたしは、えっと……迷うなぁ。どれも美味しそう。でも銭湯上がりに甘いジュースは抵抗あるな。やっぱ銭湯といえばコーヒー牛乳だよね……ありゃ？　ないのか。じゃ、普通の牛乳でいいや」

「アタシ、コーヒー牛乳は好きだけど、普通の牛乳はあまり好きじゃないよ。ベジータベータもおみくじソーダも、売ってないなぁ。アップルソーダにしよう」

　自販機でドリンクを買い、長イスに腰掛け風呂上りの一杯を楽しむ。

「これからここのファミレスでこの子達に晩ご飯食べさせるけど、葵ちゃんも一緒にどう？」

　その時に琴音は誘ってみたが、

「悪いのですが、わたしはおウチで食べるので、これでお暇しますね」

　葵は申し訳無さそうに断り、自宅へ帰っていった。

　他のみんなは施設内のファミレスへ入ると、四人掛けテーブル席へ。

　真由美と七海、香織と琴音が向かい合う形で座ると、真由美がメニュー表を手に取りテーブル上に広げる。

「あたし、タンドリーチキンカレー」

「真由美お姉ちゃん、カレー食べたらラモスに変身したりして」

　香織はにこっと笑う。

「ラモスって、香織ちゃんの時代でも有名みたいやね。あたし、ラモスって聞くとどうしてもモスラを思い浮かべちゃうな」

「アタシもー。学校の先生も同じこと言ってたよ。ところで琴音お姉ちゃんと七海お姉ちゃんは食べないの？」

「ワタシは、家で食べるから」

「私もおウチに帰ってから食べるよ」　

「そっか。アタシ、りんご飴食べたいんだけど、このお店のメニューには無いね」

　ちょっぴり残念そうにしていた香織を見て、

「りんご飴は、縁日の屋台とかで食べるようなものだから、ファミレスには普通無いと思うわ」

　琴音はにっこり微笑んだ。　

「じゃ、お子様ランチにする♪」

「香織ちゃん、十歳なんでしょ。そろそろお子様ランチは卒業しなきゃ。あたしは小二の時には卒業したよ」

　真由美はくすくす笑う。

「べつにいいじゃん」

　香織はにっこり笑って主張した。

「真由美ちゃん、お子様ランチは、この時代じゃ大人が食べても全然おかしくないんだよ」

「大人のお子様ランチっていうのもあるのよ」

「そうなんか。時代は変わったね」

「真由美お姉ちゃんもお子様ランチにしたら？」

「いや、いくら大人が普通に食べとる時代になってる言われても、中学生のあたしが食べるのはなんか恥ずかしいわ～。注文する時はこのボタン押すんだよね」

　真由美はコードレスボタンに視線を向けた。

「アタシが押すぅ。これ、ジャイアント馬場が押したら壊れそうだね」

　香織はそのボタンを押し、ウェイトレスを呼ぶ。

琴音が香織と真由美の分を注文してあげた。

それから五分ほどして、

「お待たせしました。お子様ランチでございます。はいお嬢ちゃん。ごゆっくりどうぞ」

　香織の分が先にご到着。新幹線の形をしたお皿に、旗の立ったチャーハン、プリン、タルタルソースのたっぷりかかったエビフライなど定番のものがたくさん盛られている。さらにはおまけのシャボン玉セットも付いて来た。

「これが二十一世紀のお子様ランチかぁ。そんなには変わってないけど、すごく美味しそう」

　香織は嬉しそうにお子様ランチを見つめる。

「香織ちゃん、目が比喩じゃなくて本当に星型になってキラキラ輝いてる」

「あら本当、さすが元漫画絵ね」

七海と琴音はにっこり微笑んだ。

「あたしもあの表情、出来るかな？」

　真由美がこう呟いてから三〇秒ほど後、彼女の分も運ばれて来た。

「おう、けっこう量多いなぁ。お腹いっぱい食べれそうや」

「真由美ちゃんも目がお星様だ」

「真由美ちゃんもやっぱり出来たね」

　七海と琴音は軽く拍手する。

「なんか照れくさいわ～。それじゃ、いただきまーす」

　真由美はスプーンを手に取り、ルーとご飯を一緒に掬ってお口に運んだ。

　途端、

「べぇっ、ちょっと辛いな」

　舌をぺろっと出し、両目をリアルに×にする。さらにはボォッと炎まで噴き出した。

「真由美ちゃん、すごい！」

「こんな能力まで備わってたのね」

　七海と琴音は感心気味に観察した。

「アタシも辛いもの食べたらああなっちゃう。お口の中がすごく痛くなるからアタシは辛いものは苦手なの。エビフライは、アタシのりんご飴の次に大好物だよ」

　香織はしっぽの部分を手でつかんで持ち、大きく口を開けて豪快にパクリと齧りつく。

「美味しいっ♪」

　その瞬間、とっても幸せそうな表情へと変わった。

「モグモグ食べてる香織ちゃんって、なんかクルミを齧ってるリスさんみたいですごくかわいいね」

「香織ちゃん、ほっぺがマンガみたいにぷっくりふくれてるわね」

七海と琴音はその様子を微笑ましく眺める。

「香織ちゃん、あたしが食べさせてあげる。はい、あーん」

　真由美はお子様ランチにもう一匹あったエビフライをフォークで突き刺し、香織の口元へ近づけた。

「ありがとう、真由美お姉ちゃん。でも、食べさせてもらうのはちょっと恥ずかしいな」

　香織はそう言いつつも、結局食べさせてもらった。

「帰りに真由美ちゃんと香織ちゃんのお洋服も買っておくね」

「なんか悪いなぁ。琴音お姉さんのお下がりでじゅうぶんだけど」

「アタシも自分の服持ってるよ」

「遠慮せずに、もう家族同然じゃない。好きなのを買ってあげるよ」

「じゃ、お言葉に甘えて。二十一世紀の服も着たいし」

「ありがとう琴音お姉ちゃん、アタシ、なるべく安いのを選ぶね」

　四人はファミレスから出て、家へ帰る途中にカジュアル衣料品店へ立ち寄った。

　子ども服コーナーにて、

「どれにしようかなぁ？」

「選択肢がいっぱいあって迷っちゃうね」

「このおサルさんのパンツ、すっごくかわいい！　アタシ、これ買おう！」

「動物さん柄のパンツは、あたしはさすがにもう穿けんわ。あたし、ブラも買わなきゃ」

「アタシはまだまだいらないけど、アタシと同じクラスの子にもう着けてる子いたよ」

「発育早過ぎ。あたしは初ブラ中学入ってからだし。琴音お姉さんと七海お姉さんは初ブラいつでしたか？」

「ワタシは小六の始め頃だったかな？」

「私もそれくらい」

「その辺が普通だよね。あっ、これ、香織ちゃんに似合いそう」

「真由美お姉ちゃん、そのセーターは幼児向けだよ。いくらアタシでもサイズ合わないよ。でもこの妖怪○ォッチっていうやつのＴシャツは着たいな。絵がすっごくかっこいい！　二十一世紀のアニメかな？」

　葵と香織は楽しそうにおしゃべりしながら、お気に入りの私服やパジャマ、下着類を籠に詰めていく。

　琴音はついでに真由美と香織の靴も一足ずつ買ってあげた。

計二万円をちょっと越えてしまった支払い金額、七海も少し出してあげた。

このお店を出たら、琴音達四人はまっすぐおウチへ。

「ただいまー」

　琴音は玄関扉をそっと引き、近くに誰もいないことを確認する。

　都合の良いことに、ちょうど夕食時だった。

　琴音はそのままキッチンへ。

真由美と香織は階段をすり足でそーっと上っていく。無事、琴音のお部屋に侵入成功。

「あたし、出て来たノートに手を突っ込んで中のアイテム取り出せるんだけど、香織ちゃんも出来る？」

「どうかな？　やってみないと分からないよ」

　香織は自分のイラストが載った例のノートに手を置いてみた。

「あっ、突っ込めるよ」

　香織は嬉しそうに微笑む。この中から文房具や筆記用具類を取り出した。

「香織ちゃんも象が踏んでも壊れない筆箱使ってるんだね」

「真由美お姉ちゃんも使ってるんだ。お揃いだね」

「香織ちゃん、なんか変なキーホルダーも持ってるね。何これ、なんかバ○ボンのパパ風のサ○エさんやな」

　真由美は大笑いする。

「これはサ○エボンだよ。今学校で流行ってるの」

　香織は自慢げに伝えた。

「そのまんまのネーミングやね」

「最近発売されたばかりなんだ。もうすぐ八時かぁ。月曜のこの時間って、アタシの時代だと世界ま○見えやってるけど、この時代でもそうなのかな？」

「やってるみたい」

　真由美はテレビ画面に表示された番組表で確認した。

「本当だ！　二十一世紀のテレビって、こんな便利なことも出来るんだね」

「あたしこのテレビの使い方、もうマスターしちゃった」

「アタシも二十一世紀の地球っ子に原始人ってバカにされないように二十一世紀のものをどんどん使いこなさなきゃいけないね」

　香織はリモコンを真由美から受け取る。

「香織ちゃん、左上のｄボタン押してみぃ」

「これかな？」

　言われたように押すと、

「わぁ、なんかいろんな表示が出た。お天気に、ニュースに、スポーツ。他にもいっぱいあるぅ。さすが二十一世紀のテレビだね」

　香織は興奮気味に画面を見つめる。

「あたしも最初見た時めっちゃ感激したよ。クイズ番組とかに一緒に参加出来たり視聴者プレゼントにも応募出来るみたいやで」

「これは本当にすごい発明品だね」

「テレビ番組の録画もめっちゃ進化してて、この時代ではＨＤＤっていうのに何百時間も録画出来るようになってるんやって。さらに番組の急な時間変更も自動対応してくれるみたい」

「本当！？　さすが二十一世紀のテレビだね。あっ、もうすぐ始まっちゃう」

いろいろボタンを押して遊んでいるうちふと気付いて、見たい番組のチャンネルに合わせる。

　八時頃にお目当ての番組が始まった。

「た○しさんもすっかりお爺ちゃんやな。天才・た○しの元気が出るテレビと風雲！　た○し城はこの時代でもまだやってるんかな？」

「アタシの時代だとた○しの元気が出るテレビはついこの間最終回やってたし、風雲！　た○し城はだいぶん前に終わったみたいだよ」

「香織ちゃんの時代でもすでに終わってたんか。ちょっと寂しい気分や」

「アタシた○し城は放送してた頃のこと知らないよ。ファ○コンのやつしか知らなーい」

「そうなん？　それじゃ、あたしの時代からそんなに経ってないうちに終わったみたいやね。ファ○コン版が出るんか。気になるぅ」

「ビートた○しはアタシの時代の二年前にバイク事故に遭って、その時は半年くらい休んでたよ。た○しの席に変な書置きがあった」

「た○しさん、そんな災難に遭ってたんか。あたしが小学生の頃に『赤信号、みんなで渡れば怖くない』って言ってはったけどバチが当たったんやね。所ジ○ージさんも立派なおっさんやな」

「あれ？　楠田○里子は？」

　番組開始から五分ほど経った頃、　

「あの、真由美お姉ちゃん、アタシ、急におしっこしたくなっちゃった。どうしよう」

　香織は困惑顔を浮かべ、足をゆさゆささせながら伝えた。

「香織ちゃんその仕草かわいい。トイレ行って来たら。大輝お兄さん達今ちょうど夕食中だから、絶好のチャンスやん」

　真由美は笑顔でこう勧める。

「じゃあ、行ってくる」

　香織はすっくと立ち上がりお部屋から出て、とてとて小走りで一階のトイレへ駆け込み、

（もれちゃう、もれちゃう）

ワンピースを捲り上げショーツを膝下まで脱ぎ下ろし、便座にどかっと腰掛けた。

（危なかったぁ。あと一秒遅れてたらパンツびちょびちょになってたよ）

　ホッとした表情を浮かべ、ちょろちょろ用を足し始める。

　それから一分ほどのち、みんなまだ夕食中のキッチン。

「ん？　トイレの水が流れる音がするけど、今誰もいないよな？」

「水道の故障かしら？」

　両親が不審に思い、こんなことを呟いた途端、

（香織ちゃんか真由美ちゃん、おトイレ行ったのね。今見に行かれたらまずいわ）

（やばい）

　琴音と大輝は背中から冷や汗が流れ落ちた。

「あとで確認しに行ってみるか」

「そうね、ご飯済んでからでも」

　両親のこの反応に、

（よかったぁー）

（何とか大丈夫そうね）

　琴音と大輝はとりあえず安心する。

　その頃には香織は琴音のお部屋へ戻っていた。

　引き続き同じ番組を眺めている時、

「あっ、ペットのえさやりしとかなきゃ」

　香織はふと思い出す。

「香織ちゃん、ペット買ってたんや」

「うん、ムサボノちゃんっていうの。すごくかわいいよ」

そう伝えて例のノートからある生き物を手づかみで取り出した。

「おう、こいつか」

　真由美は凝視する。

　光沢のある黒い体、六本足。体長は四〇ミリほど。

ミヤマクワガタだったのだ。

「ムサボノちゃんはアタシの大好きなお相撲さん、武蔵丸さんと曙さんにちなんで名付けたの。触ってみる？」

　香織は嬉しそうに真由美にかざす。

「うん、こいつはメスやね」

　真由美はそっと掴んでみた。

「ムサボノちゃんはりんごが大好きだよ」

　香織は楽しそうに説明する。

　その時、

「香織ちゃんか真由美ちゃん、家族で夕食中にトイレへ行くのはいい方法だけど、その時は水は流さなくてもいいわよ」

　琴音が戻って来た。

　瞬間、

「きゃっ、きゃぁっ！　ゴキブリ！？」

　琴音は口をあんぐり開け悲鳴をあげた。

「琴音お姉さん、ゴキブリちゃうって。ミヤマクワガタや」

　真由美はにこっと微笑む。

「ワタシ、虫は苦手なんよ」

　琴音はミヤマクワガタからぷいっと目を背ける。今にも泣き出しそうな表情だった。

「姉ちゃん、どうした？」

　大輝も入って来た。

「大輝ぃ、香織ちゃんったらね、あんな気味悪い害虫、ノートから取り出したの」

　琴音は大輝の両肩を揺さぶりながら訴える。

「姉ちゃん、クワガタに失礼だろ」

　大輝はその生き物に目を向けるや、やや呆れてしまった。

「気味悪くないよね。あっ」

　真由美がにっこり笑いながらそう言った直後、突如、真由美の手のひらに乗せていたミヤマクワガタがバッと羽を広げ、飛んでしまった。

「きゃぁぁぁっ！」

　琴音はさらに大きな悲鳴をあげ、大輝に抱きついた。

　琴音の眉間にとまってしまったのだ。

「琴音お姉さん、眉毛が両津○吉みたいになってはるぅ」

「両さんだ、両さんだ！」

　真由美と香織はくすくす大笑いしてしまう。

「大輝、大輝ぃ。助けてぇぇぇーっ」

　蒼ざめた表情で今にも卒倒しそうになる琴音。

「クワガタ、怒ったんだな。角の大きいオスじゃなくて良かったな」

　大輝は微笑み顔でミヤマクワガタの背中をそっと摘み琴音の眉間から外し、香織に返してあげた。

　その直後、

「琴音、いったいどうしたのよ？」

　母が入り込んで来た。

「なっ、なんでもないわ」

　琴音は冷静に説明しようとするが、声は若干震えていた。

「さっきコオロギが外から入って来たんだ」

　大輝は素の表情で冷静に嘘の説明をした。

「琴音、コオロギは童謡にもなってる秋の風物詩じゃない。コオロギくらいで騒いじゃってちゃ、お嫁にいけないわよ」

　母はにこにこ微笑み、すみやかに部屋から出て行ってくれた。

「危なかったー」

「あと一秒遅れてたら見つかってたね」

　真由美と香織はホッとした様子で姿を現す。今回は布団の中ではなくベランダに隠れていた。七海の部屋の向きとは九〇度逆方向だ。

「見事な回避力だな」

　大輝はそう褒めて、この部屋から出て行った。

「香織ちゃん、ワタシがいる時に二度と虫を出しちゃダメよっ！」

　琴音はやや険しい表情で今回はきつめに注意する。

「はーい」

　香織は笑顔で返事し、ミヤマクワガタのムサボノちゃんをノートに戻した。

「本当に分かってるのかな？　さてと、原稿仕上げなきゃ」

　琴音は学習机備えのイスに腰掛け、引出から描きかけの原稿用紙を取り出す。

「琴音お姉ちゃん、マンガ描いてるんだ。アタシも手伝う！　アタシ、絵は得意だよ。図工いっつも３だもん」

　香織は描きかけの漫画原稿を眼にするや、興奮気味に伝える。

「ありがとう香織ちゃん、〆切間近だから助かるわ」

「どういたしまして」

　香織はＧペンを手に取ると、楽しそうに描写していく。

「あの、香織ちゃん、勝手に描いちゃダメよ。指示を出すから」

　琴音は慌て気味に注意したが、このあと悲劇が。

「えー。好きに描きたーい。あっ」

　香織の手がインク入れに当たって、インクが原稿の上にこぼれてしまった。

「あーっ、完成しかけの一ページ台無しに……」

　大部分が真っ黒に染まってしまい焦り気味に嘆く琴音を見て、

「これでインクカレーが作れそうだね」

　香織は楽しそうににこにこ笑う。

「こらっ！　香織ちゃん。ダメでしょ！」

　琴音はクワガタの件以上に怒りの感情が芽生えたようだ。香織の目を見つめ、少し厳しめな口調で叱ったら、

「ごめんなさーい」

　香織はびくっとなり、慌ててぺこんと頭を下げた。

「香織ちゃん、琴音お姉さんに迷惑かけたらあかんよ」

　真由美は眉をくいっと曲げ、やや険しい表情になる。

「はーい」

　香織はしゅんとしてしまった。

「香織ちゃん、ワタシ、べつに気にしてないからね。もっとストーリーをよく練って来月に回そうとも思ってたし」

　琴音はにこっと笑って優しく慰めてあげる。

「あの、琴音お姉さん、アニメ見ていいですか？」

「もちろんいいわよ。好きなだけ見てね」

「ありがとうございます。香織ちゃん、あたしといっしょに二十一世紀のアニメ見よう」

「うん」

（真由美ちゃん、香織ちゃんが邪魔しないように気遣ってくれてありがとう）

琴音は心の中でこう感謝。台無しにされたページを最初から描き直していく。

「琴音お姉ちゃん、アニメのビデオ、いっぱい持ってるね」

　ベッド下の収納ケースを開けてみて、香織は少し驚いた。

「ワタシが中一の頃から買い集めてるからね。気に入った話が収録されてるのだけ集めてるから巻数は揃ってないけど」

　琴音は照れ笑いする。

「香織ちゃん、この時代じゃビデオじゃなくてブルーレイって言うみたいよ。これにしようっと。でもこれめっちゃエロそう。琴音お姉さん、これ、香織ちゃんに見せても大丈夫ですか？」

　真由美はそれのパッケージをかざし、訊いてみる。

「視聴年齢制限ないから、ＯＫよ」

　琴音の許可が取れると、

「どんなアニメなんやろう？」

「アタシもすごく気になるよ」

真由美と香織はベッドに腰掛け、二〇一〇年代の美少女アニメのブルーレイをセットし視聴し始める。一人の男子高校生宅に異星人美少女が何人か居候し、その男子高校生にはかわいい妹がいて、同じクラスの何人かの女の子から好意を持たれ、さらに暗殺者にも狙われるという、現実では絶対に起こり得ないお話だ。

「本当にエロイなぁ、あたしや香織ちゃんが見ても本当にええんかな？」

「主人公の男の子、ビンタばかりされてるツ○シくんよりずっと男の子なら喜びそうなシチュエーションなのに、すごく困ってるよね」

　気まずいシーンを視聴中。ちなみにブルーレイのため、テレビ放送時には不自然に隠されていた乳首が解禁されていた。けれどもゴールデンタイムのアニメでも普通に乳首が解禁されていた時代を知っているこの二人には、それほど刺激的には映らなかったようだ。

「香織ちゃん、ら○まもけっこうエロいでしょう。これとどっちの方がエロいと思う？」

　琴音はシャーペンで漫画原稿の下描きをしながら問いかけた。

「絵柄的には、こっちかな？　あっ、さっき玄○と同じ声が聞こえたーっ。このサングラスの変なおじちゃんの声かぁ」

「緒方○一さんやね。マ○コ先生やう○星やつらにも出てたよこの声優さん。この時代でもご活躍されてるんやね。香織ちゃんは、好きな声優さんはいる？」

「一番大好きなのは林原め○みさん！　皆口○子さん、三ツ石○乃さん、久○綾さん、平松○子さん、山口○平さん、Ｔ○ＲＡＫＯさんも大好きだな」

　香織は楽しそうに答える。

「やっぱ九〇年代の子ね。二人ともアニメ声優好きって、お母さんと七海ちゃんのお母さんが作ったキャラクターなだけはあるわね」

　琴音は嬉しそうに微笑んだ。

　次の瞬間、コンコンッとノックされる音と共に。

「こんばんはー」

　七海の声が。琴音のお部屋を訪れて来たのだ。

「あっ、七海お姉ちゃんだ」

「いらっしゃい七海ちゃん」

「七海お姉さん、いらっしゃいませ」

　三人は温かく迎え入れる。

七海は幼児期から利川宅へしょっちゅう行き来していて、もはや同じ家に住んでいるのとほとんど変わらないようになっているのだ。

「あの、香織ちゃん、真由美ちゃん、こんなエッチなアニメ見たらダメだよ」

　ちょうど映ったきわどいシーンを目にするや、七海は慌ててテレビの電源を消した。

「あーん、いい所なのに」

「琴音お姉さん、そんなにエッチやったかな？」

「じゅうぶんエッチだよ。あの、琴音ちゃん、ここで三人寝るには狭いでしょう？　香織ちゃんは、私のお部屋に泊めるよ」

「その方がいいかもね。香織ちゃんは七海ちゃんのお母さんのイラストの子だし」

「香織ちゃん、今夜は私のお部屋で泊まろうね」

「うん！　七海お姉ちゃんちでもいいよ」

　香織は快く承諾。

　七海は香織の手を引いてこの部屋から出て階段を下り玄関先へ。

そして彼女の自宅へ移動。

七海も、両親に見つからず香織を自室へ連れて行くことに成功した。

「七海お姉ちゃん、金魚買ってたんだ。美味しそう」

　香織は窓際に置かれたガラス水槽に目が留まった。中にはお祭の金魚すくいでよく見かける和金が五匹泳いでいた。

「香織ちゃん、金魚さんは食べ物じゃないよ。観賞魚だよ」

　七海はにこっと微笑む。

「分かってるって。天才えりちゃんは金魚を食べるけど、アタシは凡才の香織ちゃんだもん。七海お姉ちゃんのお部屋って、すごく女の子らしいね」

「ありがとう」

ピンク地白の水玉カーテン、本棚には少女マンガや絵本、児童書などが合わせて三百冊ほど。学習机の周りには鯛焼き、お団子、羊羹、ケーキ、ドーナッツ、アイスクリーム、いちご、みかん、バナナなんかを模ったスイーツ＆フルーツアクセサリー、イルカやモモンガなどの動物やゆるキャラの可愛らしいぬいぐるみ、着せ替え人形、オルゴールなどがたくさん飾られてあり、女子高生のお部屋にしては幼い雰囲気だった。

「アタシのお部屋はド○ゴンボールのカードとかゴ○ラとかウ○トラマンのお人形さんがいっぱいあって、男の子っぽいって言われるよ」

「そうなんだ」

「アタシ、ジャ○プも大好き。クラスの男の子から女はり○んでも読んでろって言われたけどね」

「私もジャ○プけっこう好きだよ。大輝くんが毎週買うのを私も読んでる。この時代では女の子も普通にジャ○プを読むようになってるよ」

「二十一世紀はそうなってるんだね。七海お姉ちゃんのお部屋は、絵本や児童書がいっぱいあるね」

　香織は本棚に目を向けた。

「私、高校生になった今でも幼い子ども向けの絵本や児童書が大好きなの。お父さんが絵本と児童書がメインの出版社に勤めてるから、その影響もあるかな。好きなだけ見ていいよ」

「あっ、ウォー○ーをさがせがあるぅ！　アタシもこれ持ってるよ」

「元々お母さんが持ってたの。けっこう昔の絵本だよね」

「アタシが幼稚園の頃にはもうあったよ」

「そっか」

「少女マンガもいっぱいだ。未来のな○よしとかり○ん、読んでみたいな」

「自由に読んでいいよ」

「やったぁ！」

　香織は少女マンガ雑誌を本棚から取り出し、読み始める。

　七海は机に向かい、数学の宿題をし始めた。

　それから三〇分ほどのち、　

「未来の少女マンガもけっこう面白かったよ。七海お姉ちゃん、アタシ眠くなって来ちゃった。もう寝るね。おやすみなさーい」

　香織は読んでいた雑誌を元あった場所にきちんと戻してから、七海のベッドに潜り込む。

「おやすみ香織ちゃん、私ももうすぐ寝るよ」

　七海も宿題と明日の授業の用意を済ませるとお部屋の電気を消し、同じベッドに寝転んだ。

その時には香織はすやすや寝息を吐きながらぐっすり眠っていた。

「香織ちゃんの笑顔、かわいい。どんな夢を見てるのかな？」

　七海は香織の頬をそっとなで、幸せいっぱいの気分で寝る時の体勢へ。ほどなく七海もすやすや眠りにつく。

　同じ頃、西風宅。

（真由美さんと香織さん、雰囲気的に今の時代を生きてる子には思えなかったな。まあわたしも大正時代の女学生みたいってよく言われるけど）

　葵は洗面所で歯磨きをしながら、こんなことを考えていた。