其の十三

 数日後、犬神が対策課を訪れると、楓夏が難しい顔をしてパソコンをにらんでいた。

「どうした、なにか奴についての情報を調べているのか?」

 気になった犬神が尋ねると、楓夏は少し恥ずかしそうな顔をして答えた。

「あ、いえ、実はこの近くの水族館と博物館について調べていたんですが……」

「水族館と博物館、か。水族館は少し遠いが、小さくてもよければこの辺りの縁のものを集めているところがあった気がするな」

「……この辺りのものを集めている博物館ですか、分かりました。教えてくださりありがとうございます」

「いや、霧崎の助けになったならいいんだが」

 犬神はそう言いながら、霧崎がどうしてそのような所について調べていたのか気になったが、彼女がまだ年若いことを思い出し、やはりまだ遊びたいこともあるのだろうと思い、それからそんなことを考えた自分に苦笑してそれ以上考えるのをやめた。

「まあ、調べ物もほどほどにしとけよ」

 犬神のその言葉に、霧崎は少しだけ微笑んで

「ええ、分かってます」

と答えたが、すぐにまた難しい顔に戻ってしまった。


 対策官は基本的にシフト制である。平時はシフトに入っている者によって突発的に起きた《影》案件に対処している。しかし、もちろん長期的な事件が発生した場合にはそのシフトを崩して対処している。今回の案件は短期で終わらないことが確定していたため最初からそのためのシフトが組まれている。つまり、霧崎や犬神は普段の活動に参加しない代わりに鬼を追っているわけである。

 しかしそのため現在彼らは休みを非常に取りにくくなっている。本部から人材が派遣されているにも関わらず、この対策課の対策官のうち三人しかこの案件に参加していないのは、純粋に対策官の恒久的な人材不足が原因である。つまり、いつどこでどのように鬼が動くのか分からない以上、休暇を取れないわけではないが、取っていると後手に回りかねない、という危機意識が、彼らに必要以上の休みを取ることをためらわせる要因となっている。

 そしてその危機意識は楓夏が最も大きい。犬神も危機意識を持っているが、対策本部の長官に命令されるのと、支部の一課長に命令されるのとでは、感じる重さが全く違う。

 しかし楓夏にとってミサキの願いは、初めての友人の願いであり、出来るならば叶えてあげたいものである。

 それが彼女の難しい顔につながっていたのである。


 犬神が自分のデスクで集めた資料に見落としがないかにらめっこしていると、藤原が奥の部屋から出てきて犬神に声をかけた。

「犬神クーン?」

「どうかしましたか、課長?」

「ちょっと話したいことがあるけど、時間はあるかな」

「ええ、大丈夫ですよ」

 犬神が藤原の手招きに応じて部屋に入ると、彼のデスクの上には何かの資料が山積みになっていて、応接用のテーブルにはお茶の用意がされていた。恐らく、作業が一段落したか、気分転換をしようとして、ちょうど暇そうにしていた犬神を話し相手に選んだのだろう。犬神も同じ資料を見続けて疲れていたので、この申し出はありがたかった。


「ねえ、犬神クン。君は今、霧崎クンのことをどう思っているのかな?」

 二人でしばらく最近のことを話し合っていると、藤原がそう尋ねてきた。

 犬神はその質問の真意を測りかねて眉を寄せたが、その様子を見て藤原は笑うと、

「そんなに難しい顔をしなくていいよ。君が思っていることをそのまま言ってくれればいいからさ」

と言った。

 それを聞いて犬神は、霧崎がこちらに来てからの数ヵ月間のことを思い出しつつゆっくりと口を開いた。

「そうですね……。最初より遠慮がなくなってきていますね。……ああいや、悪い意味ではなく。我々との議論の中で、我々とは違う視点を持っていることによる意見を出してくれる量が増えたな、と思いまして。ただまあ、今は少し行き詰まっていますが」

「ああ、やっぱりそうかい」

「やはり課長にもそう見えますか」

 ため息をつきながら納得した藤原を見て、犬神がそう聞くと、藤原は椅子の背に体重をかけて呆れたように答えた。

「霧崎ちゃんはさ、自分がやらなきゃいけない、っていう強迫観念に囚われてるんだよ」

「強迫観念、ですか」

「うん、例えば、君は《影》について対策官になろうと思うぐらいには奴等に対する大きな感情があるだろ?それは霧崎ちゃんも同じなんだけど、彼女には。本部には入れるような人は僕も含めて何かを捨ててでも《影》を殺したいと思う人種だ。でも彼女はそうじゃない。そうすることしかできないからそこにいる。彼女は天然物の異形だよ」

「……っ。課長、それは」

 あまりの言いぐさに思わず腰を浮かせかけた犬神に対し、藤原はいつになく真面目な顔をして返す。

「怒るなよ犬神。それはどうしようもない事実で、僕らがどうこうできる話じゃない」

 その言葉に苦い顔をする犬神を見て、藤原は穏やかに続けた。

「霧崎ちゃんのことを可哀想だと思うのは間違いだけど、彼女に別の視点を与えるのは、程度を間違えなければいいんじゃないかな」

 彼女が君らにそうしてくれたようにね、と藤原はニヤリと笑って話を締め括った。

 最初からこの結論を言うためだけに犬神を呼び寄せたのだ、と気づかされた犬神は苦い顔をしながらも、霧崎とどう接するのか考えを巡らせていた。

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