其の十

 数日後、鬼の器の候補者と目されているうちの数人に話を聞きに行くこととなったが、たいした収穫もないまま一日が過ぎてしまった。

「やっぱ、そう簡単に鬼が尻尾をつかませるはずもないか」

「でも、彼らが器ではないということは分かりました。これだけでもいくらか前進できたのではありませんか?」

 思わず出てしまった犬神のぼやきに対し、霧崎は力強く答える。そんな二人に対して御影は、ほんの数日前は言い争っていたのに、今では長年のパートナーであるかのように振る舞っている様子を呆れたように見ていた。

「今日もこの辺りで終わりだな。御影、霧崎、二人は先に帰ってていいぞ。俺は対策課に戻ってやらないといけない仕事があるからな」

「分かりました。お疲れ様です、犬神主任」

「お疲れ様です」

「おう、じゃまた明日」

 犬神は御影と霧崎の挨拶を聞くと、一言だけ返して歩いていってしまった。

 思いがけず二人きりになった霧崎は、御影に聞きたいことがあったのでちょうどいい機会だと思い、聞くことにした。

「御影さん、もし間違いであれば申し訳ないのですが、あなたはわざと手を抜いていませんか?」

 霧崎は、今日の聞き込みや、それまでに起きていた《影》の案件に対して的確な判断を見て、御影はすでに二級対策官になっていてもおかしくはない実力を持っていると感じていた。

 しかし、実際には彼女はまだ三級対策官である。もちろん、その前の級になってから一定の期間が経過しないと進級試験は受けられないが、事前に渡されていた対策課の人々の基本情報によると、彼女はかなり長い間三級にとどまっている。となると、もう一つの受験条件である『所属する対策課の責任者による本部に対しての進級試験の要請』をクリアしてないということになる。普通であればその課の責任者は、自分のところから優秀な人材が輩出されていることを本部にアピールするため、当人に受験するに足る実力があると認めれば、ほぼ強制的に受験させる。もちろん、合格できれば待遇もよくなるし、本部に入ることができればエリートとしての道を歩むことも、可能性としてはかなり低いが不可能ではないので、当人も快く受験する。ちなみに、本部の対策官になるには『二級以上であること』『試験に合格すること』の二つがメインであり、さらにその中で優秀だと認められ、進級試験に合格したものが一級対策官の称号を得られる。

 つまり、よほどのことがない限り、対策官は皆、上の階級を目指している。そのため、霧崎の目には御影はあえて手を抜いて、進級試験から逃げているように映っていて、奇妙に思えたのである。

「……そうですね。手を抜いているか抜いていないかと言われれば、抜いていると答えるしかありません。もちろん、藤原課長にはバレていて、何度も進級試験を受けて二級になるよう要請されています」

「では、一体どうして?進級すればいいことずくめのような気がしているのですが」

 霧崎のその一言を聞いた御影は、ほんの少し困ったように眉根を寄せたあと、その理由を呟いた。

「そうですね。二級以上になれば、確かに生活は今より楽になるでしょう。でも、私は犬神主任ほどできた人間ではありませんから」

 その顔は何かを思い出しているかのように遠くを見ていて、霧崎は立ち入ることのできない何かを感じていた。


 そのあと、買い物をするという御影と別れた霧崎は、再びあの公園の横を通りすぎようとしていた。その時、彼女はこの前の少年をベンチに見つけ、話しかけるために近寄って、しゃがんで少年と顔を合わせた。

「こんにちは」

「……」

「ねぇ、私のこと覚えてる?」

「……」

「あのー」

「……」

 霧崎は少年の予想以上の頑なさに少し驚いていた。

「ねぇ、君は見えるんだよね?私は霧崎楓夏。楓夏って呼んでくれたら嬉しいな」

 それでも粘り強く声をかけていると、初めて少年の方から声を出した。

「僕と関わると、ろくなことにならないって皆言うよ。お姉さんも見えるなら分かるんじゃない?」

 霧崎は、その言葉に驚くと同時に納得していた。霧崎の場合、そもそも親が『見える』人であり、その繋がりで対策課にスカウトされ、才能があったのだろう、とんとん拍子で出世街道をかけ上がっていった。

 初めから周りに理解者がいた霧崎にとって、すべてを否定される気持ちが完全に分かるとは言えない。けれども、彼女は義務教育が終わるまでの九年間を仕事と勉学で両立させていた。つまり、全く見えない人々の中で一人だけ『見えてしまう』経験はしている。

 それがどんなにもどかしく、辛い気持ちになるのかを知っている。だからこそ、彼女は少年に声をかける。

 少年には仲間がいることを、否定しない人間がいることを示すために。

「ろくなことにならないとか言ってる人はみんな、君のことを知らないからそんなことを言うんだよ」

「お姉さんだって僕のことは知らないだろ」

「うん。だからこれから君のことが知りたい。そうすればもっと君と仲良くなれる気がするんだ」

 それを聞くと少年は途端に顔を曇らせた。

「みんな最初はそう言うんだ。でもすぐにみんな僕から離れていく。僕はもう、誰かから嫌いだって言われるのは嫌なんだ」

「私は言わないよ。ずっと君と一緒にいられるわけではないけれど、少なくともここにいる間はちゃんと君の仲間でいる。もちろん、離れたって私は君の仲間であることをやめたりしない。約束するから」

「本当に、お姉さんは僕の味方でいてくれるの?」

「もし君が私と約束してくれるなら」

 霧崎はそう言って右手の小指をたてて少年の前につき出した。

 少年はなおも迷っている様子で難しい顔をしていたけれど、一度ギュっと目をつむると、覚悟を決めたように目を開き、自分の右手の小指を霧崎の小指に絡ませた。

 霧崎はそれを見てにっこり笑うと、「私は約束をちゃんと守るよ」と少年に念押しした。

 二人は小指を離すと、互いに顔を見合わせて、霧崎は明るく、少年は微かに、でも確かな笑みを浮かべた。


 しばらく他愛ない話をした後、、少年は公園にある時計を見ると、立ち上がって出口の方に体を向けた。

 それを見た霧崎は、聞いていなかったことを思いだし、少年に声をかけた。

「ねえ、君の名前は何て言うの?聞くの忘れてたから教えてよ」

「僕はミサキ、遠山岬だよ」

「ミサキ、ミサキ、ね。うん、覚えた。じゃあミサキ、また今度ね」

「うん、楓夏もまたね」

 少年はそういうと、霧崎に手を振りながら公園から出ていった。

 霧崎は、手を振り返しながら、もう一度自分に誓った。

 鬼を必ず見つけ出す。そして私は彼の味方であることを証明しなければならない、と。

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