其の九

 結局その日、霧崎と犬神の二人がかりで調べた案件の中には、標的である鬼が関わっていると思われるものはなかった。

「やはり、難しいのかもしれませんね」

「そうだな。仕方ない、今日はこの辺りにしておこう」

 霧崎の残念そうな声に犬神は答えると、今日の結果を課長に報告するため歩いていった。

 一人残された霧崎は、自宅に帰るために犬神が歩いていった方とは逆の方へ歩いていった。


 霧崎が特に目的もなく歩いていると、家の近所にある公園が見えてきた。どうやら、何人かの子どもたちが遊んでいるらしく、高い声が聞こえてくる。

 思わず頬を緩めて見ていた霧崎は、公園内に《影》の気配を感じて目を凝らした。

「っ!あそこか!」

 どうやら一人でベンチに座っている少年を襲おうとしているらしい。当然、普通の人間には《影》の存在は見えないが、あちら側からはこちらに干渉できる。もしも襲うつもりがなかったとしても、側にいるだけでかなり危ない状態になることは避けられない。

(本来なら私たちの仕事は表に出るのはいけないけれど、仕方ないですよね、彼を眠らせて《影》を斬ってしまいましょう)

 そう考えた霧崎は公園と歩道を仕切る植え込みを飛び越えながら懐から札を取りだし、少年の方へ投げた。

 その札が少年の額に当たった瞬間、少年の頭がかくりと落ちる。それを確認した霧崎は、肩にかけていた包みから日本刀を取り出すと、鞘から引き抜いて構えた。

 するとそれに反応したように《影》が滑るようにしてこちらへと近づいてきた。

「ハアッ!」

 気合いと共に振り下ろした刀は《影》の体を二つに裂き、《影》は霧散した。

「ふう、こういうときは私の肩書きは便利ですね」

 どうやらそれほど強くない《影》であり、人型を保っていることからも生まれたてのようではあったが、放置しているのは問題であったので、個人の判断で《影》を斬れる自分の肩書きに、霧崎は感謝していた。

 そのようなことを考えながら霧崎が一息ついていると、少年がかすかな呻き声をあげて目を覚ました。

「ねえ、君、大丈夫?」

「え?ええ、はい、問題ありません……?」

 少年は少しぼんやりした様子で受け答えをしていたが、声ははっきりとしていた。霧崎はそれを見て大丈夫そうだと判断して立ち去ることにした。

「ならよかった。じゃあまたね」

 そう言って霧崎が少年から離れようとすると、少年が声をかけてきた。

「あの、すいません。さっきまでそこにいた黒い人はどこに行ったんですか?」

「え?」

「お姉さんには見えてたんですよね、あの黒い人影。でなければあのタイミングでわざわざ植え込みを飛び越えてまで来ませんよね」

 少年の思いがけない発言に、霧崎の体は動きを止めていた。

「じゃあ、君にも見えていたというの……?」

「はい、でもあれがなんなのかは僕は知りません。別に知りたいとも思いませんが」

「なら、知らない方がいいわ。あんなものと関わるとろくなことにならないから」

「ふうん。じゃあ、バイバイお姉さん」

「うん、さようなら」

 少年はそう言うとまだ札の効果が抜けていないせいだろう、どことなく危うい足取りで公園を出ていった。

 霧崎はその後ろ姿が見えなくなるまでその場に立ち続けていた。


 自宅に帰ってきた霧崎は、公園で出会った少年のことを思い出していた。少年は見た目は自分より少し年下に見えたが、雰囲気や話し方にはどこかアンバランスさがあった。

 それは恐らく、『見えることによる周囲との関係性の失敗』から生まれるものだろうと霧崎は想像していた。

 霧崎や先程の少年のように、先天的に見える人間はそもそも少ないため、周りとの関係性の構築に失敗することがある。つまり、見たものをそのまま伝えたとしても、虚言癖のあるような人間だというレッテルを張られやすい。

 それに対して犬神のように『見る』ためのコンタクトレンズやメガネを使用したり、後天的に手術などによって『見える』ようになった人間は、その感覚がない。

 霧崎は、名前も知らない少年のこれまでの人生を思い、初めて出会った同年代の、同じ境遇を持つ仲間を見つけた気分を感じていた。

 例えそれが偽善だとわかっていても。

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