其の七

「……上は、この近辺で数人の候補を挙げています。こちらがそのリストです」

 そう言って霧崎楓夏はいくつかの顔写真付きの資料を広げてみせた。最初に出さなかったところをみると、こちらに見せるつもりがなかったのだろう。

「なるほどね、うん、僕の予想通りの人がリストにいるね」

「予想通り?」

 思わず犬神の口から出た疑問に対して藤原課長は笑って答えた。

「うん、昔の伝手でこの件について聞いてみた感じ、僕が前から追いかけてる事件との関連性が見えてたからね」

「それは、『ジャック』ですか?」

「そうそう、そいつのこと」

 『ジャック』とは以前から存在を確認されている《妖》であり、藤原課長はなぜか昔からこの《妖》を追っているらしい。それまでは対策本部にいて、エリートの道を進んでいたらしいが、どんな因縁があるのかは本人以外知る由もない。


 全ての資料を見終えた犬神は、その中に見知った名前がないことに安堵しながら、この中に危険な《妖》がいる可能性を考えて眉間にしわを寄せた。

「あ、そうそう。霧崎ちゃんは犬神クンの班に入ってもらうから」

「犬神対策官の班、ですか」

「うん、彼がここで一番優秀だからね」

「……なるほど、それならば納得です」

 藤原課長の言葉に、彼女は明らかに納得していない様子で答えた。それはそうだろう、自分が同じ立場であれば納得はしないな、と犬神は考えていたが、時計を見て藤原課長に声をかけた。

「あ、すいません。時間なので上がります」

「ん?あれ、もうそんな時間か。うん、就業時間は過ぎてるから大丈夫だよ」

「お疲れさまでした。では、また明日」


「藤原課長」

 霧崎楓夏は犬神が出て行ったドアを見つめた後、その場に立っていた藤原に近づいて声をかけた。

「どうかしたのかな、霧崎ちゃん」

「犬神対策官はなぜ私にあんなことを言ったのでしょうか」

 それを聞いた藤原は一瞬考えたのちに少しにやにやしながら答えた。

「ああ、彼が我慢できない、とか言ってたやつかな?あれだったら気にしないほうがいいよ。多分彼にも説明できないと思うし」

「ではなぜ彼はそんなことを言えるのですか」

 それを聞いた藤原は、真面目な顔をして少し考えて「こっちへおいで」と言って奥の自分の机に座って、少し声を落として答えた。

「これはあくまで僕の想像だけどね、彼は自分で思っているより正義感のある男なのさ。だから彼には何も知らない人間が何も知らないまま殺されるのは我慢できなかったのさ」

「でも、そのことは彼もわかっていましたよね?」

「うん、だけどね、彼は多分、もう一つのことを気にしたのさ」

「もう一つのこと、ですか」

「そう、それはね、君のことさ。霧崎対策官」

 そう言われた霧崎は、きょとんとした顔で不思議そうに聞いた。

「私、ですか?」

「ああ。君が鬼を殺すというのがどうにも我慢できなかったんだよ」

「それは、自分が鬼のことを恨んでるから殺したい、ということですか?」

 それを聞くと、藤原は予想外の答えを聞いたように驚いた顔をすると、すぐに笑いだした。

「あっはっは、霧崎ちゃんは考え方が物騒だね。違う違う、あいつは鬼もできるなら斬りたくないのさ」

「では、なぜそんなことを……」

 そう呟いた霧崎に対し、藤原は声のトーンを落として鋭く言い放った。

「ちなみに霧崎ちゃんさあ、さっきから『鬼』って言ってるけど、鬼の遺伝子が発現するまでは器だって人間だ。つまるところ、それを斬り殺すってのはってことだよ?」

 それを聞かされた霧崎は今初めてそのことに気が付いたように目を見開いた。

「!!」

 それを見た藤原は少し肩の力を抜くと、少し落ち着いた声で続けた。

「やっと気づいたのかい。そうだよ、彼は君に人殺しをさせたくなかったのさ。まあ、そこに本人が気づいていないあたりが甘いところなんだけどね」

「……私は人を殺すことで多くの人が救われるのならば迷わず少数を切り捨てるでしょう」

「そうだね。それが一級対策官として認められる条件の一つでもあるからね」

 でもねぇ、と藤原は続ける。

「《妖》を斬るのと人を斬るのは、行為としては似ているけれど、その本質みたいなものが違う。言い方は悪いけれど、《妖》は人とは違うモノだ。でも人は僕たちの同類だ。だから人を斬るっていうのは、なんだと僕は思うんだ」

「人を、歪ませる……」

「その一線を越えるのは簡単さ。でもね、一度でもその一線を越えてしまえばもう戻れない。そのことをあの甘ちゃんは分かっていないまでも感じてはいるのさ。だから、自分より若い霧崎ちゃんが何の疑問も持たずに器を殺すって言ったときにあんなことを口走ったんじゃないかな、若い奴が自分の人生を棒に振るんじゃねえってな感じでさ」

「……いい人みたいですね、犬神対策官は」

「ま、悪いやつじゃないね。だからさ、犬神クンのこと、よろしく頼むよ」

「いえ、こちらこそお世話になります」

 霧崎は藤原に対して頭を下げ、そう言った。

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