其の三

 ミサキはその近辺ではそれなりの価格であるマンションの一室に暮らしている。

 しかし、ここの部屋主である犬神が自宅に帰ってくることは少ない。それだけ彼がこなさなければならない仕事が多いことをミサキは知っていた。

 大方、今回も各方面に色々な書類を出さなければならないのを放置したままだったんだろうな、と考えながらドアを開けると玄関先でフーカが倒れこんだ。

 フーカは元人間の現幽霊である。といっても恨みや未練を残したわけではなく、ちょっとした裏技でこの世に留まっているだけ、らしい。そのための楔の一つがミサキの肉体である。

 詳しいことはよく分からないのでなんとも言えないが、そういうことらしいとだけ犬神から聞いていた。

「フーカ、寝転がるならリビングにしよう?」

 ミサキはそう声をかけつつ洗面所に行き手を洗って着替えて料理の準備をする。

「うー、うーん」

「フーカ?」

「ミサキー、疲れたから抱っこして運んでー」

 幽霊であるフーカに厳密な「疲れた」という感覚はない。ただ、フーカを今のような中途半端な幽霊にしているもう一つの要因が、彼女の魂にくくりつけられたの力である。

 鬼といってもお伽噺に出てくるようなそれではなく、人の悪意、妬み、嫉みなどのマイナスの感情が高ぶったときに生まれる存在である。今日祓った《影》は鬼になる前の段階である。

 彼女は鬼の力をエネルギー源にしているため、定期的に《影》を食べる必要があり、食べていない期間が長すぎると今日のように鬼の意識が理性の制御を越えて活動する。それでも今日は軽い方で、酷いときには姿そのものが変化する。

(でも、段々飢える間隔が短くなってきているのも確かだよな……)

 前回はおよそ一ヶ月前。その前は恐らく一ヶ月半から二ヶ月は食べていなかったはずであるが、今日のような暴走は見せなかった。

(なにか、今日の《影》にいつもと違いがあったのか……?)

 ミサキはそう考えたが、力を消費したフーカはしばらくは呆けてしまうため聞くのは後回しにして、料理を作ることに集中することにした。


「ただいま」

「ずいぶん早かったな犬神」

 ミサキが食事を終えてフーカと一緒にテレビのバラエティを見ていると犬神が帰ってきた。いつもは日付が変わる頃か、朝に帰ってくるか、そもそも帰ってこないかの三択なのでこの時間に帰ってくるのは珍しかった。

「いや、まあ御影みかげが粗方片付けてくれたからな。あとはお前と霧崎の報告書をまとめて終わりだ」

「なんか、悪いな。僕たちのせいで御影みかげさんに迷惑をかけるのは」

「それ遠回しに俺には迷惑かけてもいいやって思ってんだろ」

「悪いのかよ不良保護者」

「構わねぇけど言葉にすんなっつってんだよバカ息子」

「俺はあんたの息子じゃねぇよ……。はぁ、麻婆豆腐は冷蔵庫の中だからさっさと着替えて食べろよ」

「あいよ」


 犬神健吾は遠山岬の横顔を見ながら、(こいつの顔を見ながら飯を食うのはいつ以来だっけか)と思いながら、引き取ったときのことを思い出す。

 遠山岬の母親は、彼を生んですぐに亡くなったらしい。父親はしばらく男手一つで育てていたようだが、その無理が祟ったのか岬が小学校の時に病気になってそのまま帰らぬ人となったらしい。その後、岬は母方の叔父に引き取られて暮らしていたが、数年前、何者かによって惨殺され、岬は再び孤独になる。

 その事件を担当していたのがそのときはまだ主任と呼ばれる前の犬神であった。

 岬には他にも親族がいたようだが、誰一人として岬を引き取るという人物がおらず、彼の持っていたのため、犬神が引き取ることとなった。

 引き取られてしばらくは無口であったが、一年ほどたつとそれなりに喋ってくれるようになった。

 しかし二年前、犬神と岬の関係に大きく罅を入れる事件が起きたのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます