第21話

翌朝、私はいつも通りの時刻に起き、いつも通りの朝を迎えた。

そしてこれまでの人生で一番大切な日を迎えようとしていた。

予め那由に連絡を入れるべきかどうか悩んだけど、午前中のうちに行けばおそらく家にいるだろうという希望的観測のもと常識の範囲内でできる限り早い時間であろう9時に那由の家に向かうことにした。

私が玄関で身だしなみの最終チェックをしていると、お母さんがやってきた。

「恋春ちゃんと自分の想いを伝えるのよ」

「うん」

「それからその分ちゃんと那由ちゃんの気持ちも聞くこと。恋春が悩んでいた以上に那由ちゃんは悩んでいたんだから」

「わかってる」

「そう。なら行ってらっしゃい」

「行ってきます」

笑顔で見送ってくれるお母さんの後ろにはちらちらとこちらをしきりに気にしているお父さんの姿が見えた。

その姿がおかしくて、そしてありがたかった。

何度も通った道を逸る気持ちで駆け抜けていく。

早く那由に会いたい。

会って気持ちを伝えたい。

普段運動をしないせいで足がきついし、息も荒くなる。

それでも私は自転車をこぎ続けた。

そして那由の家の前に着いたときには歩くのすらきつかった。

時間を測ったわけじゃないけれど、絶対に今まで一番短い時間でここまでこれたと思う。

扉の前で胸に手を当て、深呼吸をする。

インターホンをならす。

少しすると少し幼い声で「どちら様ですか」という声が聞こえた。

「あ、あの一色です」

思わず苗字で答えたが、声からして那穂ちゃんであることは確実なので名前で答えたほうがわかりやすかったかな。

「え、ああ恋春さんですか。えっと、那由……、姉に用ですか?」

相変わらず素の那穂ちゃんが出てきそうでで来ない。まあそれはそれでかわいらしくはあるんだけど、もうちょっとこう親密感があったほうが嬉しいなって思う。

「そうだね。那由に用があってきたんだけど、もしかしていない?」

「いやいるにはいるんですけど、未だに寝てますね」

……9時は早かったかー。

休日の朝だもんなぁ。

「あー、そっか。それは考えてなかったなぁ」

「まあでもそろそろ起きると思うんで、急用であれば那由の部屋に入ってもらっても大丈夫と思いますよ。もしかしたらもう起きてベッドの上でごろごろしてるだけかもしれませんし」

「それならお邪魔させてもらおうかな」

「了解です」

扉のからガチャっという音が聞こえ、扉が開く。

「おはようございます」

那由に似た顔立ちで、那由よりも少し大人っぽさを覚える落ち着きのある表情で挨拶をしてきた那穂ちゃん。

「おはよう、那穂ちゃん」


那由の家に入り、那穂ちゃん先導のもと那由の部屋の前に通された。

「えっと、私が起こします?それともこのまま那由の部屋に入ります?」

「んー、もう入っちゃおうかな」

「わかりました。じゃあ、あとはごゆっくり」

「ありがとうね」

那穂ちゃんは隣の部屋へと入っていった。

私は目の前の扉をノックする。

仲からは「んー」という寝起きのだるそうな声が聞こえてきた。目は覚ましているようだが、完全には起きられていないようだ。

「那由入るね」

那由からの返事を待たずに私はドアノブを回し部屋に入った。

部屋の電気はついておらず、カーテンの隙間からさす光が宙を舞う埃を照らす。

那由はのそりと体を起こし、目を擦りながら「なにー」と相手がだれかわかっていない様子でいた。

「那由」

那由に呼びかける。

「ん、……へっ?な、なんで恋春が!?」

私の存在に気付くや否や布団の端を胸元に寄せ、そのままベッド端まで後退していった。

「那由と話がしたくて来ちゃった」

「来ちゃった、じゃないよー」

那由はその後もぶつくさと準備ができていないだの、いつもの恋春らしくないだのと文句を垂らす。手櫛で髪をとかし、パジャマの胸元がわずかに開いているのを整える。

那由の身支度が終わるのを待って私は那由に近づく。そしてベッドの上に那由と顔を合わせるようにして座る。

「私ね、那由とこれからもずっと一緒にいたい。高校を卒業した後も。それこそ死ぬまでずっと。死んだ先でも」

少し重かっただろうか。

私の言葉に口を開け、ポカンとする那由をみてそう思った。

ただ、今日は伝えたいことはちゃんと伝えることが目的だから仕方ないよね。

「今日はこのことが伝えたくてここに来たの」

「そっか」

わかってくれたみたいだ。

でもその表情はおぼつかない。

「那由はきっと私に言ってない事があると思う」

肩をビクつかせる那由。だけど私はそのまま話すのを続けた。

「それは那由にとってもとてもつらい事なんだと思う。でもだからこそ私はそれを知りたい。これから那由と一緒に生きていくうえで絶対に知っておかないといけないことだと思うから」

「恋春は、もし私が恋春の思うような人じゃなかったらどうする?」

「……私が好きになった那由は私が見てきた那由で」

「つまり一緒にいてくれないってこと?」

私が話している途中で那由が語気の強い言い方で問いかけてくる。

でもそれは私が言いかけていたこととは違うから真正面からそれを否定する。

「違う。ちゃんと話を最後まで聞いて。私はこれまでの那由を見てその那由を好きになったの。そしてその那由はたとえ私の知らない那由がいたとしてもいなくなりはしない存在だと確信している。だから私の知らない那由についてはこれから好きになっていく。絶対に」

その言葉が真剣であることを伝えるために私は那由の目をじっと見つめる。

絶対に那由を手放したりなんかしないって言うことを伝えるために。

那由は一度目を伏せ、そして覚悟の決まった顔で私を見返した。

「わかった。じゃあ私のこれまでを今何を思っているのかを恋春にちゃんと伝えるね」

それから那由はぽつぽつと自身の過去について、それを経て今の那由が何に苦しんでいるのかについて話してくれた。

私は那由と出会って、自身が同性愛者であるとかそういったことは何も考えずにただ一人の人間として那由を愛したから那由が今言っている苦しみについては想像できていなかった。それは、松下君の存在を私が正しく理解できていなかったというのも大きかった。恋愛感情とは全く異なるベクトルの愛情。その存在は知っていたし、私が昨日ようやく得ることのできた家族に向ける親愛だってその一部だろう。だけど、これほどまでに異なる愛情の間で苦しむものなのか、それを理解できていなかった。

そして、那由が自分のことをここまで醜く思っていたなんて知らなかった。いつも天真爛漫に笑う那由の姿からは一切想像できないその姿は、その姿こそが私の知らない那由の存在だった。那由からしたらその醜い部分のことを私の知らない那由と言いたかったのだろうけど、私にはその姿は那由ではないと思った。ただ私の知らなかった那由の自分を傷つける姿が生み出した幻想だと思った。

だから、私はそんな那由も大切にしたいと思う。

もしかしたら、自分を傷つけるのをやめさせた方が良いのかもしれない。でも、私にはそれが正しいのかどうかわからない。無理にその那由の存在を否定して那由が傷つくくらいなら、自分を傷つける那由を受け入れて、その分私もその傷を一緒に受けたほうがよほどましだと思った。

ただ、これに関してはこれから那由と向き合って話し合えばもしかしたら別の答えが見つかるかもしれないから、その時はその答えに沿って進めばいい。

那由がたどたどしくも自分の気持ちを伝え終わり、私を不安そうな表情で見つめる。

こう言うときはどう言葉をかけたらいいのだろうか。

ありがとう?ごめんね?

人によって正しい答えは変わるかもしれない。

だから、私は今の気持ちを正直に伝えることにした。

文脈はおかしいかもしれない。

でも、そんなものは関係ない。私の答えはこれしかないんだ。

私は那由の頭を胸元に抱えるようにして抱きしめ、そして

「那由、好きだよ」

そう囁いた。



***



それから那由がひとしきり泣き終わり、とりあえず着替えさせてくれとのことだったから、私は一旦那由の部屋を出た。

するとすぐに隣の部屋の扉があいた。

那穂ちゃんがこちらに向かってくる。

「ありがとうございます」

そう私の目を見て言ってきた。

その瞳を見て、ああ那穂ちゃんもずっと心配だったんだなって言うことが分かった。

涙ぐみながらもその言葉が本心からくるものだとわかる、いつもの仮面をかぶったものとは異なる那穂ちゃんが目の前にはいた。

思わずもらい泣きして、そして私もその思いに答えた。

「こちらこそありがとうね。これまで那由を支えてくれて」

那穂ちゃんは少しぽかんと口を開いて固まったけど、それから少し照れくさそうに「そんなことないです」といった。


それから私はその日一日を那由の家で過ごした。

改めて那由の両親に想いを伝え、それを受け入れてもらえた。

これからいろいろあるかもしれないけれど、たとえどんなことがあっても那由と一緒に生きていきたい。

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