第19話

私は大勢の生徒が体育館へと足を運ぶ中逆走して人気ひとけのない体育館階下へとやってきた。

本当はもうちょっと離れたところにでも行けばよかったのだろうが、もうすぐで文化祭が終わりその時は体育館にいなければならないので、すぐに戻れる場所でなければならない。

暑い日差しが照り付けるアスファルトを日陰で眺めながらぼーっとする。

私はどうしたいんだろう。

那由のあの瞳を見て、私が感じた不安は那由と離れるのが怖いことによるものだったと思う。でも、今の私はその不安を助長させるような行動をとっている。

自己矛盾を抱えたおのれの浅はかさにいら立ち、自嘲し、そして気落ちする。

本当は那由の悩みを一緒に共有出来たらそれが一番。例え私がそれを解決できなくてもいい。

ただ今は、那由が気丈に振る舞って、一人で問題を抱え込んで、そして私が一人宙を彷徨うようにして取り残されているこの状態から抜け出したかった。


「あれ?一色さんじゃん」

その声に振り替えるとそこには、花蓮さんがいた。

「ああ、えっと、花蓮、さん」

「花蓮って呼び捨てでいいよ。さん付けされるような人間じゃないし」

「そんな」

「それでこんなとこで何してんの?」

花蓮さんはそばにあった自販機にお金を入れながらそう聞いてきた。

「それは、……」

「うーん、どれにしよっかなー」

私の答えなんかどうでもよいかのように、人差し指をボタンの列に沿って動かす花蓮さん。

那由とはすごく仲がいいのは知ってるけれど、私にとっては正直恐い印象しかない。あたりが強く、口調は鋭く、私がこの学校に来る前までの記憶が蘇る、そんな性格をしているのが花蓮さんだったから。完全に自分が勝手に壁を作ってるだけだというのはわかっているけれども、あの頃の私は完全に人と距離を取っていたから、その感覚が未だに抜けきれないでいた。

「これにしよう」

ようやく飲み物を決めたようでガコンという音を立てて缶ジュースが自販機の取り出し口に落ちた。

「そんでー、一色さんは何を悩んでいるのかなー?」

「えっ」

花蓮さんの口から自然に出た一言に思わず驚いた。

「ん?悩み事じゃないの?」

「いや、そうだけど」

「煮え切らないなー。まあ、私には関係ないけど」

その場でプルタブを開け、一口ジュースを口に含ませた。

「でも、その悩みの対象は恐らく私の親友だからちょっとだけ口を挟ませてもらおうかな。というか、いい加減口を挟ませてもらうよ」

「えっ」

先ほどまでののんびりとした口調から、急にいつも以上に強い口調へと変化した。

「一色さんって那由の何?」

「何って」

「付き合ってるだよね?」

「うん、一応」

「一応って何」

私の答えが気に食わないのか、口調がさらに強くなる。その圧迫感に私は今にも倒れてしまいそう。

私が何も言えないでいると、一転して花蓮さんは溜息を吐きあきれたような、というか本当に呆れてるんだろうとわかる口調で話し始める。

「あのね、一色さん。同性愛だとか、那由の過去だとかいろいろ問題は山積みかもしれないけどさ、一色さんはそんなことで那由と別れるような冷淡な人なわけ?」

「違うっ!」

「ならなんで未だに逃げてんの?那由から」

「逃げてない」

「じゃあ、何してんの?」

「それは……」

「まただんまりか。ほんと一色さんって自分の言葉でしゃべることが苦手だよね」

「え?」

「あれ、自分の短所に気付かない天然ちゃんだったりした?」

「いや、別に天然じゃないし、自分の短所くらいわかってるつもりだけど、今のは考えたことなかったというか」

「普段はいろいろ我慢する癖に、我慢しきれなくなった途端自分で制御できてない言葉で叫ぶ」

「……」

花蓮さんにとって私なんか眼中にないものだと思っていたから、ここまで私が思っているのと同じ私の短所をスラスラと言っているのを見てあいた口がふさがらなくなった。

「これって、なんでかわかる?」

「人とのコミュニケーションが下手だから」

「うーん、まあそれもあるのかな。でも私から言わせてもらうと単に自分の言葉でものを伝えることができないだけなんだよね」

自分の言葉で。

「でも、別に普段は喋れてる」

「それも結局は自分の言葉じゃないってこと。どこかで聞いた言葉をそのまま使ってるだけで、一色さん自身の言葉は何処にもない」

「そんなこと」

「じゃあ、なんで今の状況を自分の言葉で説明できないのかな?これまで体験したことのない、これまで聞いたこともない、そんな状況になってどうしたいのかはわかっても、それを伝える手段がないから。そうじゃない?」

伝える手段がない……。

「私はどうしたら」

「悩んでるってことはそれなりに伝えたいことはあるんでしょ。だったら、下手でもいいからそれを口にするしかないよ。那由だってこのままがいいなんて絶対に思ってない。誰かが動かないと何も解決しない。……まああんたが解決しなくてもいいのであれば、それはそれでいいのかもしれないけどね。那由と松下ってもともと仲良かったみたいだしこのままあんたが何もせず二人が結ばれるという結末になったらそれはそれで悪くはない思うから」

花蓮さんはそう言い、缶を捨て体育館へと向かっていった。

取り残された私は立ち尽くすほかなかった。



***



文化祭の閉会式がもうすぐ行われるということもあり、体育館には多くの人が集まっていた。

私は那由のとなりに座った。

「恋春遅かったね。大丈夫?」

「うん、大丈夫だよ」

大丈夫じゃないけど、これは私の問題だから。

閉会式の間中、ずっとこれからどうするかについて考えていた。

私は那由が一番幸せになってくれるのが一番いいと思ってた。でも、松下君を見る那由の姿を見たとき、花蓮さんに那由と松下君が結ばれる結末を言われた時、嫌だと思った。

これが正しい感情なのかはわからないけれど、でも那由と離れるのだけは絶対に嫌なんだということに気付いた。

じゃあ、何をしたらいいの?

この気持ちを那由に伝える?

私がそれをしていいのだろうか。

私にそれができるのだろうか。

答えが見つからないまま高校最後の文化祭は終わった。

帰り、この後クラスの打ち上げがあるみたいだが、その輪の中に入ることはせず、私と那由は帰宅した。

「ただいま」

玄関扉を開いたところで、ふと今日は両親が来ていたことを思い出した。結局学校で両親と会うことはなかったから完全に忘れていた。

今晩の会話は、父が文化祭に対する文句を言うだけになだろう。

億劫な気持ちになりながらも一度リビングに顔をだす。

「ただいま」

もう一度両親に向けて言うと、そこに見えたのはいつにもまして怖い顔をしている父といつも通りすました顔をしている母が扉とは逆に位置する食卓の席に座っている光景だった。

「おかえり、那由」

先に声を上げたのは母だった。

いつも通りの声音だ。

しかし次に上がった声はいつもよりも相手を怯えさすものだった。

「そこに座りなさい」

私は何が起こっているのかわからないまま、その命令に従った。

本当は嫌だったが、父と向かい合わせになる席に座った。

「単刀直入に聞く。あの子と付き合っているという話は本当か」

その言葉を聞いた瞬間、全身が、それこそ心臓までもが硬直した。そう感じるほど、その言葉に私は恐怖した。

「あっ、えっと」

うまく言葉がでない。

「本当かどうかを答えろ」

本当だと答えたらどうなるのだろうか。

那由とこれからどう接すればいいか悩んでいるっていうのに、なんでこのタイミングで。

私は口を固く結ぶほかできなかった。

「沈黙は肯定とみなされるぞ。それでもいいな」

目にうっすらと涙がたまり始めた。

泣いたところでどうにもならない。それはわかっていてもどうすることもできない、この恐怖の前には。

「別れなさい」

「……嫌」

「こればかりは感情任せに出来る問題ではない。将来を幸せに生きたいのであればあの子にかかわらず同性での恋愛など言語道断」

何も言葉を返せなかった。

「恋春、もし那由ちゃんが好きなら引くというのも一つの正しい答えよ」

母は優しくそういった。

でもそれは決して私の味方になるということではない。

「これは恋春のためなんだ。わかってくれ」

内容こそ子供を想うものだが、その声音からはそう感じることはできなかった。

いつもそうだ。この人は、私のためという免罪符を基に何もかもを諦めさせてきた。

友人関係、将来の夢、今を生きること。

きっと将来になったらまたその将来のために、その時を生きることを諦めさせられるのだろう。

それが人生だと言われても、その言葉が父から出たのであれば納得してしまいそうだ。

……だけど、たとえそうだとしても、たとえ地獄に突き落とされるとわかっていても、那由と離れるのは嫌だ。

「私のためなら、……私のためっていうなら目の前にあっても手に入れられないものを手に入れられるための方法を教えてよ!」

目に浮かんだ大量の涙があふれ出る。声が自分でも驚くくらいに大きく出て、今の私はみっともない姿をしているかもしれない。

でも、ここはどうしても引けない。引けなかった。

「私は那由と一緒にいたい。ずっとこの先も。だから私を想うならその方法を教えてよ」

私の言葉が両親にどう届いたかわからないけど、父は目を見開き口が開いていて、母は少しいつもよりも顔が固い気がする。

でも、たぶん届かない気がする。

そう思っていると、硬直の解けた父が言った。

「別に友人関係でもいいだろう。なぜ恋愛関係にこだわる」

今度は私が固まってしまった。何を言っているんだろうこの人は。

「別に私はあの子と一緒にいるなとは言っていない。この前のことで多少は学んだ。だから、それはもういい。だが、同性同士の恋愛、ひいては結婚となると、話しは全く異なる。それは恋春も理解しているだろ。人間は元来異性同士の交配で繁栄してきた生き物。これから同性愛が多少受け入れられるようになったとて、それを推奨するような文化には絶対にならない。人間は社会の歯車となってようやく生きられる生き物だ。私は恋春に自分勝手な生き方をしてほしくないし、それが一番幸せになれる生き方であることを知っている。だから、頼むからわかってくれ」

最後は声がかすれていた。涙こそ流れていないが目が充血している。

初めてみた、こんな父の姿。

母は父の背をさすりながら優しい目で父を見つめる。

言っていることに対してすべてに納得したわけではない。

それでもこの姿を見てなお父の言葉を疑うことはできなかった。

ここで私が自分の思いを突き通すことはダメなことなんだろうか。

急に那由への想いに迷いが生じた。

那由と離れたくないという思いがわがままというなら、恋とは何なのだろうか。

この思いは否定されるべきものなのだろうか。

考えがまとまらない。

ここで、母のため息が聞こえた。

顔を上げその姿を見る。

「ごめんなさい、あなた。少しだけ恋春にアドバイスさせていただきます」

父の了承を得ず、そのまま母は話し続ける。

「恋春、この世に正解なんてものはない。これは社会に蔓延する方便ではなく、正しくそうなの」

絡まった思考に突如関係のない話をされた私はただその言葉を素直に受け入れるしかなかった。

「お父さんの言うことは正しいの。でも、それがすべてではないわ。あなたの今の気持ち、あなたの心のうちにある想いはたとえ社会が否定しても、それは間違いではなくて、ただ社会が受け入れられないと言っているだけに過ぎないの」

「私としても、恋春には社会の一員として生きてほしいという想いはあるわ。だけどね、恋春。あなたの幸せはあなたしかわからないし、あなたの正解はあなたが決めること。それが社会に受け入れられず、一般的に不幸な生き方と言われても、あなたが幸せでいられるなら、……それが私たちにとっては一番の幸せよ」

父にも向けていたあの優しい目。

その目を向けられ、涙がこぼれた。

絡まった思考は溶けてなくなり、空っぽの頭で子供のように声を上げて泣いた。

母が私をそっと抱きしめてくれた。

父は最初は戸惑っていたが、母に手をひかれ、私の頭に手を置いた。


それから少しして、すまし顔の母と頬が赤くなった私と父は再び食卓を囲んでいた。

「わたしやっぱり那由とはこれからもずっと一緒にいたい。恋人として」

両親を前に私はそう宣言した。

母はにこりと笑い、父は小難しそうな顔になる。

「これからどうなるか私にはわからない。でも今この想いを否定して生きても、私は自分の人生を否定し続けることになると思う。だから、今だけは私のわがままを許してください。お願いします」

父に対して初めて自分から頭を下げた気がする。

父とわかり合える日が来るかはわからないけど、それでも一歩近づけたと思う。

「わかった。今回は認めよう。ただ、つらくなったら私に言いなさい。その時は私が恋春を守ってあげるから」

恥ずかしそうにそういった父の姿はこれからの人生において何度も思い出すことになるだろう。

その後、私が部屋にいるところに、母がやってきた。

「恋春は私に似ているわね」

「え?」

「私もね、お父さんと結婚するっていったとき両親に反対されたの。お父さんって昔からああだから、誰も味方をしてくれる人がいなくってそれはそれは大変だったわ」

笑いながらそう話す母に困った様子は見受けられない。

「どうしてそんな人と結婚しようって思ったの?」

「それはお父さんが不器用ながらにも、自分の信じた『正しさ』を一生懸命貫き通してる姿がかっこよく見えたから。たまに賛同できない正しさもあったけど、それも含めてお父さんで、たとえ周りがお父さんを否定しても私だけはお父さんの味方でいようって思えた人だったの」

「それは、なんというか」

「ふふっ、まあ普通ではないかもしれないわね。でもそれだけ好きになった人と今いられるのはとても幸せなことだと思っているわ。だからね、恋春。もし那由ちゃんと幸せになりたいなら、その気持ちは那由ちゃんだけにはちゃんと伝えておきなさい。それが一番二人が幸せになれる方法よ」

それだけを言って、母は私の部屋から出ていった。

私はもしかしたら難しい事ばかり考えていたのかもしれない。

父の言う社会にとらわれるのを嫌っていた私が自らその社会のしがらみにとらわれていたのかもしれない。

そのほうが父の言う通り幸せなのかもしれないけれど、でも私は決めた。

今から、は無理だけど明日那由のところに行こう。

そしてちゃんと私の言葉を伝えよう。

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