第17話

翌朝、私はいつも通り優香と一緒に登校した。

昨日と打って変わりいつも通りの私を見た優香はいぶかし気に私を見ていたが、あえて触れようとは思わなかった。ただ、おとといの喧嘩別れに関してはその是非はともかくとして何もなかったことにはしたくなかったので、謝るだけはしておいた。

その後も、いつも通り自分の席に荷物を置いたら那由たちのクラスにすぐ向かい、すでに来ていた恋春と優香の三人で雑談を始めた。

後から来た那由は私の存在を認識するや否や硬直したけど、私が「おはよう」と言ったら、その硬直が解けていつも通りになった。

周囲からの視線はやはり厳しいものがあったけど、それ以上絡まれることがなかったし、こちらに対して聞こえる声で嫌味を言うような人もいなかったから、私が必要以上に気にする必要もなかった。

昼休み。

「そういえば那由たちのクラスは文化祭の準備って進んでるの?」

私は自分のクラスのことしか知らず、他クラスの文化祭準備がどうなっているのかふと気になった。

「あー、まあうちは今日軽く当日の段取りを確認するくらいで、基本的に前準備は委員の人がやるくらいかな」

「そうなんだ」

若干地雷を踏んだ気もしたけど、まあいいか。

「そういう真依はどうなの?」

向かいにいる那由が聞いてきた。

「ん?私のクラスは多分今日中に準備は終わるかな。当日も教室使うから明日が前日準備で授業ないし、今日のうちに全部終わらせようってなってる」

「へー。確か縁日やるんだよね?」

「そうね」

「なら当日みんなで遊びにいこっかな」

「安心して、みんなと担当時間合わせるから」

「なんで!?」

那由は立ち上がりながら目を見開いている。

ただ、なんではむしろ私の発言じゃないだろうか。

「いや、私がみんなと担当時間違ったら一緒に回れないじゃん」

「あっ、そっか」

やはり那由はアホだと思う。少し考えればわかることなのに。

「なるほど、真依は寂しがり屋さんだから私たちと回りたいのか」

「ちがっ。いや、普通に一緒に回るのは普通でしょ」

「真依、動揺しすぎ。言葉使いがおかしくなってるよ」

「優香が変なこと言うから!」

「はいはい」

相変わらず優香は私を茶化すことしか頭にないのかな。

他二人も、那由はげらげら笑って、恋春は笑いを抑えようとして反って肩を震わせ笑っているのがまるわかりだから、ここに私の見方はいないみたい。

向かいで相も変わらず笑いが収まっていない那由はどう見ても自然体だ。つまり、噂通り那由はいつも通りの那由であるということだ。私がいつも通りに過ごすのと訳が違う。何を思って那由はいつも通りを装っているんだろうか。

確かに那由にはいつも通り笑っていてほしいとは言ったけど、これじゃない。

何もしてあげられないのはつらいけど、下手に藪蛇つつくと反ってことを面倒にしそうだから、赤崎洋介の言う通り私は私がするべきこと、したいと思うことをしよう。


放課後は思った以上に準備が早く終わり、昨日から考えていたことを実行するために美術室を訪れた。

美術室の扉を開くと一人の女子生徒がそこにはいた。

「ん?あっ、先輩!こんにちは」

この後輩は私が来た時いつも元気に挨拶してくれる。この圧は私には若干強いからいつもしり込みしてしまうけれど、今日はなぜか平気だった。

「こんにちは。……れんれん?」

本来部活の後輩の名前は覚えておくべきなんだろうけれど、この子に関してはみんなれんれんとしか呼ばない上に、私は基本的に部員を名前で呼ぶ機会がないから、名前がわからない。

「はいっ!れんれんです!」

「あぅ。いや、その」

やはり、この子の圧はすごい。それにしても私は名前を聞いたつもりだったんだけど。

「あっ、相沢廉乃ゆきのです!」

「ゆきの?」

「そうです。まだれのれんの字に乃至のの字ですね」

「ああ、それでれんれん」

言葉の選び方に少し癖を感じたけど、実際乃の字は形で説明するのは難しいし、日常的な言葉ではあまり使わないから仕方ないのか。それにしても廉の字でゆきって読めるんだ。

「はい!なので先輩もれんれんとお呼びください!」

「あ、はい」

これでもかというほど詰め寄って自己紹介してくる後輩はどこかヤンデレ味を感じる。ちょっと距離を置きたいタイプの子だ。

「それで先輩は文化祭の準備はいいんですか?私はちょっと休憩でここに来ただけなんですけど」

休憩で来るような場所だったんだ、美術室って。

「私はちょっと描きたい絵があるから」

「新作ですか!?」

「えっと、そうなる、かな」

「なら私は早々に退出するのでごゆるりとお描きください!楽しみにしていますね」

言い終わるや否や後輩は確かに早々に退出していった。

「別にいても良かったんだけど」

誰もいなくなった美術室に私の声が響いた。

まあ、いなくなったものは仕方が無い。せっかく場を作ってもらったのだからさっさと取り掛かろう。

昨日から考えていたこととは、新作のことだった。四月以来まともに納得のいくイラストが描けていない中、昨日赤崎洋介と話した後ふと脳裏に浮かんだ光景が今度こそは納得のいくものになるという確信させるものだったのだ。

久々にキャンバスに向かったが、ここまで早く描きたいと興奮するのは初めてかもしれない。それこそ二人の少女のイラストを描いた時よりもただただ純粋に絵を描くへのモチベーションが高まっている気がする。

文化祭まであと二日だが、これを後二日足らずで完成させるのは無理かもしれない。

でも描きたいというモチベーションとは関係ない部分で、今描かないとだめだという感覚もあるからこの感覚に従って描き進めるほかない。




***



「はぁ、明日から文化祭か」

文化祭を明日に控えたいま、こんな状況で文化祭を迎えることになったことを後悔している。

いくら人前でだましだましいつも通りを貫き通しても、いざこうして何も変わっていない状況を思うとどうしようもなく不安になる。那穂はああ言ったけど、本当にこれでいいのかな。このままずるずる高校を卒業して、社会に出て。私はその時恋春と一緒にいられるだろうか。一緒にいて心から楽しめるのだろうか。

夕暮れの中一人自転車をこいで家に帰る。夏はまだまだ遠のく気配はなく、6時を回ってなお汗が出るほどに暑い。

なんだかんだ文化祭の準備に時間がかかり、先ほど何とか終わったところだ。今日になってあれもしないと、これもしないとと次から次へと出てくる作業にクラス中から不満が出ていた。準備のほとんどを委員に任せっきりだった私が言うのもなんだが、もう少し計画的にできたんじゃないだろうか。

県道から細道に入り、例の公園が視界に入る。

あの日の情景が思い浮かび、そしてそれが原因となって今の状況になっていることを思い出した。

「少し涼んで行こうかな」

気を休めるために、公園内の木陰にあるベンチに座る。

しばらくの間、一切の思考をやめて上にある木の葉を見上げながらぼーっとしていた。

すると一つの足音がこちらに向かってきた。

誰かなと思って前を向く。

「久しぶり、那由」

「……啓太」

家の近い啓太とは当然のことながらすれ違うことはこの3年間何度でもあった。けれどもあれ以来一度として話すことのなかった啓太が突如話しかけてきた。

「ごめん」

啓太が頭を下げ謝る。

唐突の謝罪に困惑していると、少し頭を上げて説明しだす。

「今回のことは完全に俺の想定外のことで、これで那由が傷ついたこと、傷ついていることは正直俺も嫌だった。竜也が画像を送ってきた段階で何か俺から行っていればよかったのかもしれないが、その時はかなり、その動揺して」

「ごめ」

「いや、那由に謝ってほしいわけじゃない」

私の謝罪を遮る。

「俺がここに来たのは、ただ明後日の劇を見に来てほしいからなんだ。俺には正直那由の気持ちがわからない」

「っ」

「ただ、それは多分那由も同じだと思う。だから、劇を見に来てほしい。劇自体はクラスのものだから那由に向けた何かができるわけじゃないけど、それでも今の俺がいるのは、今の俺でいられているのは確実に那由のおかげで、俺にとってはそれがすごく大切なことなんだ。だから、この三年間見てもらえなかった分明後日だけでもいいから見てほしい。それだけ。時間を取らせて悪かったな」

私の答えを聞く前に啓太は颯爽と去っていった。

追いつこうと思えばいくらでも追いつけるその距離を私はただ呆然として見送っていた。

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