第16話

赤崎洋介との出会いは私にとってイレギュラーも甚だしいものだった。

私が『マイ』としてネット上でアマチュアイラストレーターの活動をして4年くらいたったころ、つまりは私が高校2年生の秋だった。

いつも通りSNSを眺めていたところ、当時よく耳にするようになった新進気鋭の高校生ラノベ作家のアカウントに行き当たった。この界隈の話は一応チェックリストに入れていたのでその作家『新庄みやげ』の名は知っていたし、その作品も一応チェック済みだった。

新庄みやげの描くストーリーはどこまでも悲観的な現実リアルを描写したものでありながら、そこから見出す幸福の在り方、人によっては逃げ方という表現をしている人もいる、を突き詰めるものだった。ラノベは傾向としてはやはりヒーローものであり、主人公がかっこよくあるのが鉄板である。中高生を読者層としてターゲットしているのでそれは当たり前で、そうでない主人公を描きたいなら他所でやればいい話。その中で新庄みやげの描く主人公は何処までも平凡であったり、どこまでも許しがたいひねくれものであったり、その上そこから成長するではなく、その性格を受けれて現実を生きていくというものだった。つまりは新庄みやげは主人公ヒーローになりえないどこにでもいそうな人物にスポットライトを当て、ラノベの作風に溶かし込んでいたのだ。何故そう言った主人公を描いていたのかは知らないが、当然のごとくその作品は2巻打ち切りとなった。

それでもその作品が少しでも注目を浴びた要因がその作家が高校生であるということが周知であったこと、要は高校生でありながらこの作品を描けるということに対する評価が一定数あったから。

そして、もう一つの要因としては彼がSNS上で活発に活動をしていたというのも理由だろう。別に炎上商法を狙ったとかそういうわけではなく、ただ他の人とは少し異なる価値観の上で語られる言葉をひたすら紡いでおり、それが一部には受けているようでコアなファン層を築いていた。

そしてそんな彼の発言のうち、私がたまたま見たのが彼の高校生活の一部を切り取った発言だった。はたから見ればなんてことのない高校生活の日常風景。だけど、その内容は明確に新庄みやげの学校で起こった出来事であり、当然そこに通う人が見れば同じ高校であることが判明するものだった。さらに彼が同学年の理数科特有の出来事を語っていたために私の興味が向いた。

理数科にこんなことをする人がいたのか。

私はすぐさま新庄みやげにDMダイレクトメッセージを送った。

その後はいろいろあったが互いに了承のうえでリアルで会うことになった。

実際にあって新庄みやげが赤崎洋介という人物であったことを知り、私は驚き、落胆し、そしてさらなる興味がわいた。

赤崎洋介とは有り体に言ってリア充だ。本人曰く、誰とも付き合ったことのない俺をリア充と呼ぶのは世の中のリア充に失礼だとか言っていたが、周囲のことに疎い私ですらその名を聞いたことがあるくらいには赤崎洋介という人間は周囲からの注目を集めている。つまりはリア充だ。そういった意味で、私の求めていた新庄みやげはそこにはいなかったわけだが、それが反って興味の対象となった。リアルで生きていれば何不自由なく生きていける人間がネットであんな活動をする理由とは何か。

それから私たちはネット上では頻繁に、リアルではたまに話すようになった。

もともと興味の対象でしかなかった新庄みやげとこれだけ深くかかわるつもりはなかったのだけど、ネット文化に精通して且つ私のイラストにも興味持ってくれたから何かと話がかみ合い、これまで関係を絶やすことなくこれた。また、イラストに関する相談を持ち掛けると結構な割合で的確なアドバイスをくれたというのも大きな理由になっているだろう。

ただ、彼の時折見せる達観した言動には一向に理解がなかなか及ばない。頭の良さからくるものなのか、ただの中二病だからなのかの判断がつかないからそのあたりをどう扱ったらいいのかわからない。また、彼のリアルとネットでの行動の違いを知っているだけに余計に気持ち悪さを覚える。一度そういったことをなんで考えるようになったのか本人に聞いてみたけど、ただの偶然だとはぐらかされた。

赤崎洋介の置かれている状況に偶然なったのだとしたらそれは神のいたずらでしかない気がするのだが。



理数科の教室に着くと、そこには一人の少年が入り口すぐの席に座っていた。少年は中肉中背で、特別目立つ容姿をしているわけではないが、一見して好青年の印象を受ける。それは彼が身だしなみたいして一切の妥協をしていないところからくるものだった。かしこまりすぎず、かといってだらしなさを感じさせない程よい制服の着こなし、そして伸びた背筋と絶えない爽やかな表情。どこをとっても文句のつけようがないのが赤崎洋介の評価が高い所以だ。

「やあ、永見さん」

「ん」

いつも通りの軽い挨拶を済ませ、私は彼の隣に座る。

「そんじゃ、単刀直入でいこっか」

「お願い」

「まず確認だけど悩みは同性愛について、それから宮地さんとの接し方についての二つでいいね?」

「そうね」

「ならまずは同性愛についてからだけど、さっきも言ったように同性愛は善くも悪くもないというのが結論」

「それじゃあ何も解決しないんだけど」

赤崎洋介の回りくどさはすでに慣れているし、本人曰く「会話とはキャッチボールなんだよ」とのことだから私はこうして忍耐強く聞き返すのが常だ。

「そうだね。でも同性愛についてはそもそも解決する問題がないんだよ」

「……え?でも」

私が否定しようと言葉を続けるも、赤崎洋介の言葉がそれをかき消す。

「そもそも善悪なんてものは絶対的指標に基づいたものではなく、個人の価値観にゆだねられて形成されるもので、その集合体が現代社会を構成する善悪の基準になっているだけに過ぎない。時代、場所が変わればその基準はいくらでも変わりうる。もちろんその基準に乗っかって善悪を判断するのも人間らしくて良いと思うが、その判断に流されて生きづらくなるのは本末転倒だろ」

おそらく彼の中で今語っているのが事の本質なんだろうけど、頭の悪い私にはいきなりこんなこと言われても理解が追い付かない。

それでも、適当に相槌を返しながら私はどうにか私の求める答えに行きつく過程を理解しようと彼の言葉に耳を傾ける。

「一昔前までの閉鎖空間でしか生きることが許されない社会ならともかく、今は異なる価値観で形成される社会に移り住むことが許されている世の中なんだ。だったら今考えるべきは同性愛という概念の善悪というよりも現代日本社会で同性愛が受け入れられるのかどうかを議論すべきだ。そして、その答えは同性愛を認めるのは思想的に難しいだろうというものだと俺は思っている」

「思想的に?」

「そう。まさに永見さんの悩みの種にあたる部分なんだけどね。今の日本って身体的な制限についてはかなり寛容になってきてはいるよね。もちろんそうでない人もいるけど。ただ、これが精神的な制限の話になると正直全くと言っていいほど非寛容的なわけ」

「身体的制限っていうのは、例えば足の欠損による車いす使用とかって話だよね?」

「そうだね」

「つまり、同性愛が受け入れられないのはそれと同列の話ってこと?」

「俺はそう思ってる。まあ、かみ砕いて言うなら、精神的な部分で本人としてはどうしてもできない事なんだけど、周囲からしたらなんでできないのか理解できないってことかな。同性愛で言うと、そうでない人からすれば異性を愛するのが普通で同性を愛するのは気の迷いにしか思えないってこと。まあ、それが転じて同性愛者に対して『異常者』なんて言うレッテルを貼りたがる人も出るわけ」

「それって同性愛を否定する人が悪いってことだよね」

「いや、そうじゃないよ」

「え?」

「もちろん言葉は選ぶべきだけよ。だけど、両足ともある人が足のない人のことを正しく理解することができないように、いやそれ以上に精神的な部分の差ってのは理解しえないことなんだよ。同性愛を否定する風潮であることは悪ではなく、ただその事実があるだけだ。それを悪と断ずるのはその風潮が廃れるときに過ぎない。それと、人間が動物をやっている以上異性を愛するのが普通じゃない?同性愛を受け入れることは良いことだと俺も思うけど、それはイコールで“同性愛が普通になる”ことを許容するのとは違うと思うんだ。個人的な意見で申し訳ないけど、マイノリティはマイノリティとして社会に許容されるべきだと思ってる」

「マイノリティのまま……」

「まあこれに関してはいろいろと補足説明が必要になってかなり話がそれるから一旦話を戻すけど、とりあえず同性愛の善悪は考えずに現状日本社会で同性愛が受け入れられるかの議論をしようよって話だったわけだね。で、永見さんの悩みの本質であろう宮地さんと一色さんが助かる道はあるのか、端的に言えば二人の恋愛は成就するのかどうかという議論につながるわけだけど、これは二人の本気度にもよるけど、可能であるということだけははっきりと言える」

「そうなの?」

「うん。まず第一に海外にはすでに同性愛に限らずありとあらゆるジェンダーマイノリティに寛容的なところが存在するから、そこに移住するというのがひとつ。今すぐには難しいけど二人が本気ならいずれはって話。それからさっき日本では同性愛を受け入れる土壌がないといったけど、ネットを見れば確実に土壌づくりの兆候は存在するというのは永見さんもわかっていると思う。そして、この先十年くらいしたらおそらくその結論が出るだろう。その結論は個人的には悲観的になる必要のないものだと思っている。問題は残るだろうけどとりあえず世界全体の風潮から取り残されないためにその場しのぎ的に同性愛は受け入れられるんじゃないかな」

「そう」

含みのある言い方は気になるけど、とりあえず彼の言う通り私が気になっていたのは那由たちのことで、それがクリアされる見通しが立っただけでもかなり気が楽になった。

「で、二つ目の悩みに関しては、今の永見さんを見る限りそこまで深く考える必要はないと思ってるよ」

「なんで?」

「だってすでに永見さんの中にその答えがあると思うから。宮地さんたちの問題っていうのは正直言って同性愛とかそういうのじゃないと思うんだ。聞きかじりの情報でしかないから本質的な問題についての解決は俺にはできないし永見さんにもできないと思う。だけど逆に言えばそれは永見さんがその問題に突っ込む必要はないってこと。今は同性愛について考えすぎているからどうしたらよいのかわからなくなっているみたいだけど、落ち着いて考えてみて。永見さんは宮地さんたちにどうあってほしいの?永見さんはどうしたいの?その答えは永見さんにしかわからないんだよ」

「私にしかわからないこと。……那由には、那由にはいつも通り笑っていてほしい。いつもみたいにみんなの中心でみんなを笑顔にしてほしい」

「ん。じゃあ、永見さんはそのために何をしたらいいと思う?いつも通りの日常にするために」

「私がいつも通りにいればいい、と思う」

「そう。じゃあそれが二つ目の答えだ。そして、永見さんはそれを実行することのできる優しい人だ」

「え?」

さわやかな表情から一転して優し気なものに変わり、唐突に語られた言葉に私は心の奥底に霞がかっていた靄に一筋の光がさしこんだ、そんな錯覚を覚えた。

「だからそんな暗い顔しないでいつも見たく超然としていればいいよ。その優しい心がある限り誰も永見さんを責めたりはしない。どれだけ考えることができても人を見ることをやめた俺とは違って永見さんはちゃんと人を見ている。ただその視点が違うだけで、その表現方法が違うだけで決して自分で思っているような人間ではないから安心して」

「そう言ってくれるのはありがたいけど、あなたは違うの?」

「俺の場合はいろいろ捨てないと自分の生き方を選択できなかったからね。まあ、そこまで気にするようなことではないけど」

「あなたこそ悲観するような人間ではないと思うけど」

「うーん、自分語りは趣味じゃないからあまり言いたくないけど、永見さんの好奇心に触れてしまったなら少しだけ語ろっかな」

「いや、無理して言う必要はないんだけど」

「いや、ちょうどいいタイミングだし、俺の単なる気まぐれだと思って聞いてくれ。俺の今を作っているのは俺が作家になった理由と同じで、俺が作家になった理由はたった一つ。一切の感情を捨て去ったときに見出せる正解を知りたかったからなんだ」

「感情を捨て去ったときに見出せる正解」

「感情があるってことはすなわち個人特有の価値観が生じることになる。その状態で見出した正解は果たして正解と呼べるのだろうか。俺は呼べないと思った。だから単なる興味として知りたいと思い、そしてその正解を見出すことを俺の生きた意義だと言えるようにしたいと思ってしまった。それだけの価値があると思ったから。ただ、人間である以上感情を捨て去るというのは土台無理な話で、できる限りその答えに近づく努力をする必要があった。そして俺の目に留まったのが小説だった。小説ってのはものによるけどほとんどが複数の人間が登場するもので、各人にそれぞれの生きざまがあり、それを描くにはそれぞれの価値観を理解していないと優れた小説を書くことはできない。だったら、小説家として様々な人間を描いていけば、それは俺の目指す答えに近づけるんじゃないかって思ったんだ。もちろん感情を排するのではなく、ありとあらゆる感情の上で成り立つものを考えるのだから厳密には違うけど、正解を見出すのが人間である以上ありとあらゆる人間が納得できる正解であればいいはず。そう思って作家になったわけ。でも、それは文才のない俺には途方もない努力と時間が必要で、正直一個人に構っていられるほどの暇がないの。だから、表面上いろんな人とうまくやっているよう見せてはいるけど、それは内心で常に相手を漠然と捉えて抽象化して、そして人という存在をより深く知っていくための手段に過ぎないんだよ。そういった意味で俺は永見さんとは異なり、人を見ているようでその個人を見ているというよりはその背後にある人という種を見ようとしているに過ぎないんだ」

ものすごい壮大な人生計画で、その背後にある思想は私には難しすぎた。

だけど、それを実行するだけの気持ちがあるってことと、やはり赤崎洋介は自分で悲観するのにふさわしくない人間だと思った。

そして、何より私はその生き方が面白いと思ったから、これまでにないほど心の底から湧く好奇心を隠さず言ってやった。

「正直その感覚がよくわからない。でも、赤崎洋介という人間が、新庄みやげという作家が人生をかけて何かを成し遂げようとしていることはわかった。だから、私がその生きざまを世の中に映し出してあげるよ。単なる私の興味として」



「それじゃ私は教室に戻るから」

そう言って真依は9組の教室から去っていった。

教室に取り残された洋介はそのうしろ姿を見送り、そして頭を抱える。

「あれは反則だろ」

洋介の脳裏に焼き付いた光景が彼を赤面させていた。

「永見さんは常に落ち着いていて、そのくせ仲間内に時折見せるポンコツ具合が魅力で。それなのになんで俺なんかにあんなかわいい笑顔みせるんだよ」

誰もいない教室でぼそぼそと呪詛、というには少しばかり明るい口調で文句を垂れ流す。

ぞろぞろと足音が近づいてくるのが聞こえ、洋介はどうにか平静を装うと試みるがにやける顔の制御に手間取っていた。

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