第14話
昨日も見た那由の家。閑静な住宅街にある普通の一軒家。
その家の前でかれこれ5分くらい足踏みしている私の姿は周囲の人から見たらどう見えていたんだろう。
とにかく私はこの期に及んでも未だ那由に会うだけの勇気が持てないでいたのだ。
そんな時に救いの手が現れた。
「あら、恋春ちゃん」
玄関扉が開き、那由のお母さんが家から出てきた。少し大きめの袋を持ってるからきっと買い物にでも出かけるのだろう。
「その、こんにちは」
「那由のこと見に来てくれたの?ありがとね」
「あ、はい」
未だに踏み出せていない私が感謝されるのはおかしいと思いながらもそれを否定してしまうことができなかった。
「あの子が朝いきなり帰ってきてびっくりしちゃったわよ」
頬に手を当て困り顔になる。
「私が理由を聞こうにも部屋に閉じこもったままだからねー。何が何だかわからなくて」
「それは、その」
私が那由がこうなった理由を言おうとすると那由のお母さんがそれを制する。
「あっ、無理して言う必要はないからね。私は那由が心配で理由を知ったら何か手伝えることがあるんじゃないかって思っただけで、もし恋春ちゃんと那由の間の問題なら私はむやみに立ち入るつもりはないから」
「え?」
「ああ、別に恋春ちゃんのことを軽んじてるとかそんなんじゃないわよ」
「いや、それは」
「私はね、子育てに関して基本的に子供に対しては深くかかわらないほうがいいと思ってるの。もちろん何も知らない子供だからある程度教える必要はあるだろうけど、今はもう高校生だし、那由は表面上あんなだけどなんだかんだいろいろ抱えて、悩んで、考えて生きてるから、もし助けを求められたら手を差し伸べるつもりだけど、それ以上のことは本人が解決したほうがいいのかなって。まあ、おばさんの勝手な考えだけどね」
しんみりとした表情から一転最後は少しばかり自虐的に朗らかな笑みを浮かべてみせた。
私は次の言葉が出てこなかった。
私は今の那由のお母さんを自分の親と比べてしまい、その姿がとても眩しく見えた。もちろん、那由のお母さんが言ってることが正解かどうかはわからない。だけど、その背景にある那由への想いが伝わってくるからそれだけで羨ましくなってしまう。
「ああ、私はこれから買い物に行くけど鍵はかかってないから自由に入っちゃっていいからね」
そう言い残し車に乗って去っていった。
その姿を私は車が見えなくなるまで見つめていた。
その後、私は自然と那由の家へと足を一歩踏み出すことができた。
那由の部屋には昨日も来たので家の中を迷うことなくこれた。
扉の前で一呼吸置き、ノックする。
「那由?私、恋春だけど」
しばらく待っても返事は来なかった。
寝てるのかな?そう思ってこの後どうしようか悩みながらも、この扉一枚挟んだ向こうに那由がいるのであればとりあえず様子を見るだけでもと思い、勝手ながら扉を開けることにした。
扉を開くと基本的には整った、されど脱ぎっぱなしのパジャマと放り出されたバッグが散らかっており、反って普段よりも雑然とした部屋の雰囲気を作り出している、そんな光景が目に入った。そんな中に制服のままの那由がベッドに頭だけを乗せる形でうつぶせていた。
しかし、私が扉を開いてすぐ那由はうつぶせていた頭を起こし、ゆっくりと私のほうに顔を向ける。
そこに現れた恐怖がにじみ出ている顔を見た瞬間、言葉を失った。
でも、心配な気持ちは確かにあり、本能的に一歩那由のほうに足を踏み出そうとしたその瞬間、「来ないで」とかすれた声で那由が叫ぶ。
思わず「えっ」という声が出た。
那由に拒絶されたことに私は動揺した。
どうして。
そのまま「ごめん」と一言言って訳も分からないまま那由の部屋を後にした。
結局あの時那由の手を離してしまった私には那由のもとに行く資格はないのだろうか。
考えが何もまとまることなく那由の家を出ていくこととなった。
恋春が自転車で少しふらつきながら帰っていく姿を見ていた少女、那穂は入れ替わりに那由の部屋に入っていった。
「那由、入るね」
那由の返事も待たずにずかずかと部屋に入り、そして那由が頭を置いているベッドの上に腰かける。
那由は那穂の態度が気に食わなかったのか那穂を睨む。
だが那穂はそんな那由に対しどこ吹く風といった様子で話し始める。
「さっき恋春さんがふらつきながら自転車こいで帰っていってたけど、大丈夫なのかな」
那由は恋春の名が挙がったとき肩をビクつかせた。那穂は言葉を続ける。
「まあ、恋春さんのことだから事故を起こしたりはしないだろうけど。……それより、那由。一年のところまで噂が来てたんだけど」
驚きと恐怖が入り混じった顔を上げる。
「詳しい話というよりも三年の先輩に同性愛者がいたんだって感じで広まってる。ほとんどの人は興味本位で話を聞いているだけだったけど、たまに悪感情を隠さずにいる人もいたよ」
苦痛をにじませたような表情をしながら再びうつむく。
「で、那由はなんで逃げるようにして帰ってきてベッドの上にうつぶせてるの?」
「えっ」
予想外の那穂の言葉だった。
「いや、わかるよ。周囲からの視線が怖いとか私も知らなかったことが周囲にばれたとかいろいろあるのは」
「うぅ、ごめん」
「まあそれはいいよ。そうじゃなくてそれで逃げてこれからどうするの?」
那穂は那由の反応を伺う。那由がうつむいたまま答えなかったためそのまま話をつづけた。
「こういったことは時間が解決してくれるケースもあるけど、那由受験生でしょ。そんな暇あるの?」
「わかってるけど、わかってるけどそうじゃないの!」
「恋春さんのこと?」
「……それもある」
「はぁ、那由はこれまでの関係が壊れるのが嫌なんだよね?恋春さんと離れ離れになるのが怖いんだよね?」
そこで那穂は一呼吸置き、那由の表情を確認する。否定はしそうになかった。
「ならさ、本心で恋春さんと向き合う必要はないんじゃない?それでこれまでお互い信頼しあえたんでしょ?それが二人にとっての一番いい関係だったんだよ。だからさ、これまで通りの関係でいたいのならこれまで通りの那由でいなきゃ。那由が変わったらそりゃ関係も変わるよ。それこそこのまま学校に行かなかったら恋春さんとは一生会えないかもしれないんだし。まあ、それ以前にこのままじゃ那由がニートになりかねないわけだけど」
最後の一言は那由の耳に届かないほど小さな声だった。
那由はハッとした表情で那穂を見つめていた。そして、
「そっか。そう、だよね」
と声を漏らし、それまでの緊張がほぐれていくのが見て取れる。
私は那由の表情がいつも通りに近いものに戻ったのを確認して部屋を出た。
そして那由の部屋の扉を閉め、そこにもたれかかる。
これは決して問題解決のためのものではない。あくまで那由を行動に移すための方便でしかなかった。那由がバカだから通じた論点のすり替えに他ならない。でも、こうでもしないと那由は恋春さんと会おうともしないわけだし、こうするしかなかった。本心をひた隠し、自分の心だけを削っていく生き方なんて馬鹿げてる。そんな那由を観たいわけじゃない。
だから、恋春さん。お願いだから那由を助けてあげて。
わたしには那由を救うことはできない。
こんな時、昔だったら啓太君を頼ることができたのに……。いつの間にか二人が疎遠になってたから私も自然とそういうものだと思ってたけど、思っていた以上に那由は苦しんでいたし、それは恐らく啓太君も同じことなんだと思う。啓太君のことは少し頼りないと思ってしまうけど、二人の間に何が起こったのかわからない以上啓太君を責めるわけにもいかない。
お母さんが帰ってきたみたいで外から車を駐車する音が聞こえる。
そっと扉から離れて私は、階下へと降りていった。
***
帰ってきてすぐ着替えてから、ベッドに横たわりながら暗くて朧げにしか見えない灰色の天井を見つめていた。
那由に二度も拒絶され、私は八方ふさがりになっている現状を再確認していたところだった。
ふと那由のお母さんとの会話を思い出した。那由を心の底から心配している瞳がとても印象的だった。これがお母さんなのか、これが親というものなのか、そんなふうに思わざるを得なかった。
私の初めての親への反抗以来、母含め両親から一切あの件について話がない。下手に話をほじくり返されると困るけど、何もないのはかえって気味が悪い。
もしこのまま那由が私と話してくれなかったら、会ってくれさえしてくれなかったら、それはあの父の言った通りになるということで、那由に対する思いとは別に嫌な気持ちになる。過程は違えど結果が同じであればあの父の言いなりになっているような気がしてきて自分を許せなくなってしまう。
同じことに別の理由で悩みの種があるから正直キャパシティオーバー。これ以上何も考えたくない。
でも、そろそろ父が帰ってくるだろうからベッドから起き上がり、最低限の身なりを整えリビングに向かう。
あいも変わらず食事中は両親の会話だけが延々と続いていた。
しかし、唐突に父の口からこぼれた一言に私は時が止まったような感覚に襲われた。
「ああ、週末は出勤がなくなったから恋春の文化祭には行けそうだ」
私にではなく、母に向かって放たれた言葉ではあるが、私のいる場でのその言葉は私にも聞かせるための言葉だろう。
私の気持ちなどつゆ知らず両親の会話が続く。
「あら、それは良かったじゃない。恋春も3年ですからこれが最後の行事ですし」
良くない。
「ああ。まあ高校の行事などたかが知れているが上司との会話でどうしても娘の話をするのに学校の話題は避けられんのでな」
なら来なければいいのに。話なんて適当にでっち上げたところでばれはしないだろうに。
「まあまあ、そんなこと言わないで。久しぶりに高校生の若さを肌で感じ取るのもいいリフレッシュになりますよ」
お母さんは私が父に来てほしくないことくらいわかっているだろうけど、そのうえで父を文化祭に連れていこうとする、その神経が理解できない。父が絡まないことに関しては良い母親であるのに、どうして娘よりも夫を優先するのだろうか。それが普通なのだろうか。
私は、親が自分の晴れ姿を見に来るのが恥ずかしいとかそういった感情で来てほしくないわけではない。もともと父は行事に来ることが少ないし、来ても私に絡んでくることはないので気付かず後できたことを知ることすらある。まあ、来ないに越したことはないけど。
ただ、これまでとはわけが違う。私には家では存在しえない空間が学校に存在する。今はそれもどうなるかわからないけど、それでも父が来ることでその空間がけがれてしまう気がして、壊れてしまう気がして。だから来てほしくないと今回ばかりは思ってしまう。
……このままだと文化祭は那由と一緒に回れないかもしれないが。
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