第12話
教室から出ていく恋春の背中を見送った私は、これからのことを思い気が重くなる。那由と恋春は去年出逢って、たった一年で親友以上の関係になったのは何も知らなかった私ですら見て取れた。だけどそれは恋心とかそういった話ではなく、あくまで気心知れた仲ということで、今朝の出来事にはいまだに整理できない戸惑いがある。それに加え、二人の間柄について一切察することのできなかったおのれの鈍感さと、できるならば那由たちの口から聞きたかったという思いが戸惑いの上にかぶさるようにして私の気を重たくさせる。
本来であれば、今の教室の雰囲気改善に努めるべきなのかもしれないが、はっきり言ってそれを私がするのは不可能だ。一応クラスのまとめ役的なポジションにはいるが、それはあくまで誰もやりたくない仕事をさせられているにすぎず、精神的面でのクラスの中心は那由や本庄、それに加え癪ではあるが今なお那由たちのことを大っぴらにたたいている生徒たちなのだ。
彼たちの言っていることは基本的には同性愛に対する批判的な言葉だった。中には中学来の知り合いもいるようでそのことをどこか大げさに吹聴している者もいた。
内容を要約すると中学の修学旅行の時に松下君が那由に告白して、それに対し那由が理由もつけずに振ったのだと。松下君はそれにひどく傷ついているのだとかなんとかっていうあたりからは本人の口から聞いたわけではなさそうだから聞き流したけど、単純に事実だけを並べると那由が松下君を振った理由は明らかに同性愛者だからだったからで、彼らからすればそこが標的となりえたようだ。
しかし、本庄に関してはこういったことに関してはあまり触れようとはしないようで、今日一日中大人しかった。そんな本庄が私のもとへやってくる。
「すまん、話があるんだけど今から時間あるか?」
「えっと、特に問題はないけど今じゃないとだめなの?」
本庄の様子から色恋沙汰ではないと思うけど、そうでなくても今は那由たちのことで頭一杯で他のことを考えたくはなかった。
「宮地たちのことだから今のほうがいい」
え、那由たちのこと?
「えっと、それならいいんだけど。どうしたの?」
「場所を変えたい」
「え?」
本庄は私の返事を待たずに一応目でついて来いと言って教室から出ていく。困惑はしたものの、那由たちに関することならその内容が何であれ聞いておきたい。もしそれが過去のことならなおさら。
私は急ぎ足で本庄を追う。
廊下を歩いていると真依が現れた。
「あれ?優香、と本庄どうしたの?」
「ああ、真依。その本庄が那由たちのことについて話があるっていうから」
「それは私も聞いていい事なの?」
「ああ、むしろ永見もいてくれた方がいい」
本庄が進んだ先は教室棟と渡り廊下でつながる理科棟だった。理科棟とは読んで字のごとく理系の授業を行うための教室が集まった棟で、その最上階である3階はこの学校では授業がないのになぜか存在する地学の教室だけがあるため、人気が少ない階層となっていた。
「それで話って何なの?こんな場所まで来て」
本庄は意を決したような表情で話し始めた。
「まずこの場所に来た理由はあの場でこの話をした場合、もしかしたら火に油を注ぐことになりかねなかったから。それで話ってのは、あの写真のことだ」
「写真って那由と恋春が、そのキス、してるやつのこと?」
私は改めてその写真のことを説明するとなると妙な気恥ずかしさを覚えた。
「ああ、そうだ。あの写真、俺のせいなんだ」
「どういうこと?」
「あの場にたまたま、本当に何の気なしに通りかかった時、二人がベンチに座ってるのを見て、何してんだろって思って立ち止まったら、……その二人がキスし始めて……それで意味が分からなくなって、俺が知らないだけなのかどうか、誰かに説明してほしかったから、サッカー部のグループチャットに画像を載せたんだ」
「つまり隠し撮りしたのはあんたってこと?」
「ああ」
「は?自分が何したのかわかってるの?盗撮なんて犯罪行為じゃない。ましてそれをばらまくって何考えてんの!」
「ちょっと真依落ち着いて!それに本庄のやったことは厳密には犯罪行為とまでは言えないよ」
「優香はこいつの見方をするわけ?」
「っ、違う!わたしだって別にこれが簡単に許されることとは思わない。でも間違った責め方をしても問題は解決できないって言ってるの」
「何が違うのよ。こいつが盗撮しなかったらこんな事にはならなかったのよ。だったら悪いのはこいつでしょ」
「だからっ!」
「待ってくれ二人とも。別に俺はお前らに言い争いをしてほしいわけじゃないんだ。ただ俺がお前たちにはこの事実を言っておかないと自分のことが許せなかったから言っただけで」
「何いい子ぶってんの。そもそも今の説明だってはっきり言って信用できないんだけど。なんでその状況で写真を撮ろうと思えるわけ?所詮冷やかしのための道具としてほしかっただけなんでしょ」
「違うっ!……それは違うし、そうでないことを説明しに来たつもりだ。もちろん納得しに来てもらったわけではないし、別に許してほしいとかじゃないんだ。俺が謝るべきは宮地や一色さんであってお前たちじゃない。だけど、当人たちに言うだけの度胸とタイミングがなかったからその前にお前たちに今回の原因を教えているだけだ。このことに関しては正直どう解決したらいいか俺にはわからないしどうしようもないけど、それができるだけの人間に原因を伝えることには意味があると思っての行動だと思ってくれ。もう一度言うが俺は決してあいつらをと貶めるためにやったわけではないし、この行動について許してほしいわけではないんだ。あくまで自分の勝手な行動に対する自己満足の責任の取り方だ」
「結局逃げてるだけじゃん」
「ちょっと真依!わたしたちが今こいつに感情的にぶつかったところで意味ないでしょ!」
「あるよ。こいつがみんなの前で謝ればいい。そうすれば少なくともこいつにヘイトが向く」
「それが何の解決になるの?それこそ立場が逆なるだけじゃない。それに今の状況じゃあたぶん無理よ」
「優香、私は那由が苦しんでいるのをどうにかしてあげたいの。それ以外がどうなろうがはっきり言ってどうでもいい」
「なにそれ。真依こそ自分が何言ってるのかわかってるの?」
「わかってるわよ。でもこんな問題で円満解決なんて不可能でしょ。誰かが被害を被るなら他の誰かであればって思うことがそんなに変?」
「そりゃすべてが丸く収まるとは思えないけど無駄に禍根を残す方法はやめたほうがいいと思う。だからこそできる限りの努力はすべきよ」
「努力って何よ。そもそもの発端が本庄のせいじゃない。なんでこんな奴のために優香はその努力をするの?訳が分からない。もう勝手にしたら」
真依は去り際にその言葉を吐き捨て教室棟のほうへ向かった。
訳が分からないのは私もだよ。
内心文句を言うが本庄に聞かせても仕方ないから声には出さなかった。
私としては本庄の今回の行動に関しては多少なりとも誠意を感じることができたけど、真依にはそう感じられなかったのかな。それとも、私の判断が間違いだったんだろうか。
那由ならどうしただろう。
ここにはいない、当事者の那由に頼ってしまう自分が情けない。
「なあ、高遠」
「何?」
「俺は正直もっと責められると思ってた。俺はそこまで頭良くないし、そもそも考えなしで動くことも多くていつも周りの人に迷惑かけてるけど、それでもこれまではなんだかんだ誰かを泣かすようなことはなかった。でも、今回怜が教室に来て宮地が泣いて。話を聞く限り今回のことがなくてももしかしたらいつかはあいつらの中で衝突することがあったかもしれないけど、少なくともこの大事な時期にみんなの前で事が起きてしまったのは俺のせいで。だから俺は宮地の親友のお前らからならどれだけ文句言われても自分の考えは伝えても許してもらおうとは思ってなかった。そう言った意味で高遠はもっと俺のことを感情的にでも責めてよかったんだぞ。というか、自己満足で悪いがそうしてもらったほうがなんだかんだ救われた気もする」
「でも、お前のその考え方はすごいと思った。俺にはできない発想だなって。だからもし永見とのやり取りで気に病んでるなら、その、気にするなとまでは言えないけど、俺はいいと思った。……それだけだ」
そう言って本庄は足早に去っていった。
私は本庄がなんでこんなことを言い出したのかわからなかったけど、なぜか胸の奥底が熱くなるのを感じた。
***
すでに夜のとばりが下りたころ。未だいくつかの教室の窓から明かりが漏れている。
一人の男子生徒が廊下を歩いているところに、後ろから声がかかる。
「おい、怜」
怜は後ろを振り返り、「啓太か。どうした?」と返す。
「朝のはどういうつもりだ?」
啓太の言葉はただの疑問というよりも少しばかりの苛つきを表していた。
「どういうつもり、か。そうだな。啓太は、さ。宮地達の写真見てどう思った?」
啓太はしばしの間少しうつむき口を開いた。
「あれが那由の答えなんだろ」
「まあ、そうだろうな。で、満足した?」
「満足?」
「そう。同性愛者だからお前とは付き合えません。その理由は言うつもりなかったけど、ばれちゃった。……こんなの俺だったら許せねえよ。啓太は?」
「俺は、別に許すとか許さないとかはない」
「いい子ちゃんだな」
「そういう言い方はやめろ。……ただ、どうして言ってくれなかったのかだけは知りたい」
「そりゃ言いづらいだろ。私は同性愛者ですって」
「不特定の人間にはそうでも」
「ああ、当時の信頼関係だったら言ってもいいんじゃないかってことか」
「ああ」
「そこまで行ったら俺が宮地のところに行った理由はわかるんじゃないか?俺だって人の恋愛事情にわざわざ首突っ込まねえよ。でもな、俺は当時のお前らの仲の良さは知っていたんだ。だからこそあいつの態度が気に食わねえ。啓太、お前はこのままでいいのか?」
啓太は怜の問に答えられなかった。
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