第11話

夏休みが終わり、今日から2学期が始まった。教室は久しぶりの再会を楽しむ会話がそこかしこで行われていて、教室はとても賑やかだった。私たち4人もその例にもれずいつも通り、いつも以上に心躍る会話を楽しんでいた。

「那由たちは夏休みどうだった?二人であったりしてたの?」

「昨日は一緒に勉強したけど、基本的には別々だよ。私は塾あったし」

「まあ、そのほうが恋春にとってはいいことだろうね」

「んんー、真依それどういうことかなぁ?」

「自分の頭に聞いてみなさいよ」

「胸に聞いてみなさいのノリで言わないでよ!なんかすごい馬鹿にされてる気がする。というか、そういう真依こそ優香の邪魔でしょ」

「実際バカにしてるんだよなぁ。そんで、私は別に優香に頼りっきりってことはないから。基本塾通いだし」

「自習室でスマホいじり倒して先生に見つかりそうになったところを何度助けてあげたことか」

「それはっ!」

「ふんっ、頼りっきりじゃないんじゃなかったのー?」

私は、那由と真依の互いに信頼し合っているからこそできるアップテンポな会話に思わず笑ってしまう。でも、やっぱりこれだけ言い合えるのは少しばかり羨ましくも思う。

それにしても先ほどから感じるこの視線は何なのだろうか。

私が教室に入ったときから感じていたが、どこからの視線なのかはわからないほどには弱いもので気にするだけ無駄なのかなとスルーしていたけど、ここまで続くとどうしても気になってしまう。

この視線を那由たちは気付いているのだろうか。

相談してみようと思い、口を開こうとしたときこれまでとは異なるざわつきがこれまでの賑やかさをかき消した。

これには那由たちも気付いたようで、「どうしたんだろう」とざわつきの発信源であろう廊下の方を見ながら疑問を呈する。

得体の知れない不安を抱えながらも、事の行く末を見守る。

ざわつきが次第に大きくなったところで一人の男子生徒が教室に入ってきた。

「結城君……」

誰かが彼の名をつぶやいた。結城怜ゆうきれい、この学校でおそらく知らないものはいないであろう人物。私は彼と接点がないので彼の人となりを知らないけれど、彼を知る人の話だといつもみんなの中心にいるような人で、周囲からの人望も厚く、それに加え整った顔立ちに細身でありながらも鍛えているその体は周囲の女子生徒を叫ばせるには十分すぎるスペックである。また、これも人からの情報ではあるけれど結城君はあの松下君と同じくらいサッカーが上手らしく、中には彼ら二人をこの学年のツートップだなんて言う人もいるくらい。

そんな彼がこの教室に姿を現しただけでは決してここまでざわつかない。もちろん女子生徒の中には黄色い声をあげる者もいるだろうけど、今回に限ってはその黄色い声も上げられないみたい。

その表情は明らかに怒気をはらんでおり、見るものに恐怖を与える。獲物でも探すようかのように教室内を見渡すその姿は自身がその標的になるまいと本能レベルで存在感を消してしまおうと思ってしまうほど恐ろしかった。

結城君の視線がこちらを向いたとき、その視線が固定された。そして、ずかずかと音を立てながらこちらに向かってくる。

那由は戸惑いの声を上げ、それは私含め3人も同じ思いである。

「おい、宮地。お前一色と付き合ってんのか?」

那由の前に着いたところで唐突に告げられた第一声がこれだった。ドスの利いた声で正直それだけで恐怖を覚えるのに、その内容が私たちにとって最悪なものだったから少しの間硬直が解けずにいた。

しかし、周囲はその一言で騒然となる。

「えっ、付き合ってるって、那由と恋春が?」

「まさか、女の子同士だよ?」

「でも結城君が言ってることだし」

そんな声があちらこちらから、それこそ教室内外問わず出てくる。

結城君はこちらの動向を伺うように、それでいてその表情は一切の反論を許さないという意思を思わせるほど恐ろしく、口を開こうにも恐怖でうまく声が出せない。

そこに優香が一言切っ先を入れてくれた。

「ちょっと、結城。いきなり何言ってるの?確かに二人は仲がいいけど、それと付き合ってるってのは明確に意味が異なるのよ。その意味が分かって言ってるの?」

その言葉に表情を変えたのは結城君ではなく那由だった。それまでの恐怖に加え、顔をしかめ何かを悔いているかのような表情が浮かぶ。

「ああ、わかってるさ。だからこそ直接言いに来たんだ」

「そ、そう」

予想外の結城君の反応に優香も戸惑う。そして結城君の様子を窺うようにして次の一言を必死の抵抗として絞り出した。

「……それなら確たる証拠があるんでしょうね」

ふと昨日の夕暮れを思い出す。証拠といえる証拠ならばあの情景以外思い浮かばない。

でも、あの時周りに人はいなかった……

「証拠?それならあるぜ」

そう言って彼はスマホを取り出す。

「これで文句ないだろ」

優香だけじゃなくこちらにも見えるようにスマホの画面をこちらに向ける。

「っ!」

息がつまる。何も考えられなくなる。ただこの状況になってしまったことに対する後悔だけが募っていく。

優香は那由と私のほうを見て「那由、恋春……」と複雑な表情でつぶやいた。

これなら優香たちだけにでも言っておけばよかった。那由を思って黙っていたけど、この表情を見せられてしまってはそう思わずにはいられない。

真依は未だに困惑しているようで、私たちと優香と結城君を順繰りに見る。

そして那由は……。

「おい、宮地!聞いてんのか!」

だまっていた那由に結城君が問い詰める。

那由は体を震わせ、口から不明瞭な声を漏らし、視点も定まっておらず、このまま壊れてしまうんじゃないだろうか、そんな不安が頭をよぎる。

「チッ、だんまりか。まあ付き合ってるってことなんだろうな。ならそのうえで一つ言わせてもらうが、お前啓太に対してその仕打ちはさすがにないだろ。お前が中三の時に啓太を振った理由はこの際どうでもいいわ。だがな、理由も言わずにそれまでの関係を壊しやがったお前が、お前だけが平然と自分勝手な幸せに浸ってる姿は俺らからすれば極悪非道そのものだからな。自分さえよければ他はどうでもいいのか。未だにお前のことを想ってる啓太のことすら。他がどう言おうが俺はお前のことを恨み続けるぞ」

激高し、呆れ、蔑み、憎む。

負の感情が怒涛のように押し寄せてくる。

その中には私の知らない、那由の過去。おそらく私が気付いてなお見えていないふりをし続けてきた那由の昏い部分であろう事実が混じっていた。

「那由?」

別に責めるつもりはなかった。でも、やはり那由の口から聞きたかったその事実をおそらく最悪の形で聞かされ、動転してしまい那由に言葉を求めてしまった。

那由は放心状態ながらにも私のほうを向き、そして怯える。

「いいか、宮地。啓太はこのことをすでに知ってる。そのことからだけは目を背けんな」

そう言って彼は教室から立ち去って行った。

ちょうど2学期最初の予鈴が鳴り響く。

廊下にいた野次馬たちも各々の教室に戻り、教室には彼の残していった残響が鳴り響く。

その中でふいに那由が立ち上がる。

「那由?」

心配になり声が出る。

そのまま那由はカバンを無造作にとり、教室の出口へと足を運ぶ。

「那由待って!」

どうにか那由の腕をつかむ。でも、那由はその手を振りほどいた。

「ごめん、無理なの」

そう言って教室から出ていった。入れ違いに来た教師も呼び止めようとはしたが明らかに悪い雰囲気を感じ取ったのか声を上げることはなかった。


その後も教室内はとても新学期とは思えないほど異様な空気が漂っていた。先生が話し始めても私は別のことで頭がいっぱいだった。

結城君の語った那由の過去のほんの一部分。だけどその一部分は恐らく最も核心的で、過去に那由は何をしたのか、何が起こったのか、そういったことが気になってしまう。

これまで那由が自分の過去について語ったことはあった。だけどそれは多くが家族での出来事であったり高校に入ってからのことだったりで、先の話にあるような中学の話は一切なかった。

那由が私たちの関係を周囲に言いたくなかったのはもしかしてこれが理由だったりするのかな。

そういえば体育祭の時結城君から感じた視線は私じゃなくて那由に対するものだったのだろうか。

いろいろなことが考えられるが、それでもやっぱり那由の視点が欠けているからか、ピースのかけたパズルのようなもどかしさを覚える。

授業が始まってなお多くの生徒は私たちをどう扱えばいいのかわからず、一部の生徒はいつまでも私たちのことを悪しざまに言い続ける。

私は別にいい。これまでも何回かあった。その中には完全に私のせいなこともあり、そもそも私自身他人ひとと関わることがそこまで得意じゃないから、小さいころからこういうことには慣れている。

でも、那由はあなたたちにとっても親しい間柄だったはずでしょ。何故そこまで手の平を返すことができるの?

もしかしたら那由の過去を知っている人がこの中にいるかもしれない。その人たちにとっては結城君同様の怒りを覚えているのかもしれない。でも、今私たちを悪しざまに言ってる人たちからはそんな様子は見えない。ただ、私たちを悪と評することが目的にしか見えない。

だまっている人たちもそう。周囲に同調することで安全を確保しようとしている時点で私たちを批判していることと何ら変わらないという事実になぜ気付かないの?

……じゃあ、私は那由のために何か行動をとった?

私は那由が苦しみ、立ち去っていく姿をただ見ることしかできなかった事実から目を背けている私が何を言ってるの?自分のことを棚に上げ、周囲に対して批判することで自分の過ちを塗りつぶしている私は何なの?

授業が始まってもそんな思いがひたすら頭の中を支配していて、とてもではないが授業に身が入らなかった。受験生としてこんなことではいけないんだろうけど、……こんな状況ですら受験生という立場を意識してしまう自分に再び嫌になる。立場が逆だったら真っ先に私のことを心配してくれるだろうし、必ず私の側にいてくれるはずで、そんな那由の側に今私がいないことに自身のふがいなさ、不誠実さに自己嫌悪に陥る。例え那由の過去を知らなくても、それでも那由を信じて那由の盾となることもできたはずで、そうすればもしかしたら那由の心をほんの少しでも救えたかもしれない。


今日の授業が終わり、ホームルームが始まる。今週末に控えている文化祭に向けての準備工程を実行委員の生徒が前に出て喋っているが、授業同様何を言っているのか耳に入ってこなかった。しかし、今日はそれ以外の準備をしないようで、委員の話が終わるや否や生徒たちは帰る支度をはじめだした。

私は所在なさげに周囲を見渡す。

するとそこに優香がやってきた。

「恋春大丈夫?」

顔を覗き込みながら問いかけてくれる。

「うん」

大丈夫ではないが、こう答えるしかない。

優香はそんな私の姿を見て意を決したような表情で話し始める。

「今朝のことについて私は知らないことが多すぎるから、私が二人に何をしたらいいのか正直わからない。でもね、今日の恋春を見ていて放っておくのはしたくないと思ったの。だから、できる限り二人に寄り添いたいと思ってる」

優香はそんな言葉を優しい口調でかけてくれた。

わたしは特に考えもなくただ「ごめん」という言葉しか出なかった。

しかし、優香はその言葉を無視して話の続きをする。

「そのうえで一つだけ言うとね。恋春、那由のところに行ってきな。今恋春が悩んでることってたぶん、私の知らない、そして恋春も知らなかった那由の過去についてなんでしょ?だったら、那由のところに行かないと解決できないよ」

「そう、だよね」

「それにさ、さっき那由の手を咄嗟にとれた恋春ならきっとそうしたいって思ってるでしょ」

「でも、私はあの場でその次の行動をとれなかった。那由が出ていくのを見ていることしかできなかった。そんな私が行ってもいいのかな」

「逆に恋春以外誰が行くの?恋春はまじめだからわからないだろうけど、一度の失敗はその次の行動でいくらでも挽回可能なの。ここで行かなかったらこの先ずっと行けなくなると思うけど恋春はそれでいいの?それに恋春以外、それこそ私が行ってもそれは二人の問題を解決することにはならないはずよ。さあ、行って。何なら私の自転車貸してあげるから」

そう言って優香は自転車の鍵を私の手に握らせる。

恐い。那由のもとに行くのがこんなにも恐いと思うなんて初めて。

でも、行かないと進めないなら行くしかない。

決心がつかないながらにも優香の優しさをふいにするわけにもいかず、私は重い足を無理やり動かして那由のところへ向かった。

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