第9話

体育祭当日。梅雨真っただ中ではあるが、晴天に恵まれ体育祭は無事開催される運びとなった。しかし、生徒からしてみればただでさえ湿度の高いうえに気温まで普段よりも高くなるとあっては、とてもではないが耐えられないといった気持ちである。

この高校では体育祭を学校ではなく市内にある競技施設を利用して行われる。そのため、競技はどれも本格的な会場で行われ、普段の体育では少しばかり間隔の狭い体育館コートであったり、サッカーと野球の間に仕切りのないグラウンドであったりと不便をしていたのが、今日に限っては存分に競技を楽しめるのである。もっとも運動が苦手な人からすればいい迷惑かもしれないが。

トラックに囲まれた芝生の上で行われている開会式での校長からの長い演説中。那由は手で日差しを遮りながら空を見上げる。背筋に流れる無数の汗が不快であり、一刻も早く誰も聞いていないであろう校長の話が終わることを願っていた。しかし、それと同時にこの暑さがどうしようもなくこれからの体育祭に向けて気持ちを昂らせてくる。

(あー、早くバスケしたいなー)

今日はすでに6月も終わろとしている時期である。高校生最後の部活の大会を終えてすでに半月経っており、今は多くの生徒が徐々に受験モードに気持ちを変えている。しかし、それでもやはり勉強を苦とする那由にとっては多少憂鬱に思える日々であった。受験生としてはあまり褒められる感情ではないだろうが、誰もが誰も受験に対して前向きに勉強できるほど人間は完成された生き物ではない。そんな益体もない言い訳を考えては目の前の現実に向き合うということを繰り返している。

長かった校長の話も終わり、いよいよ競技開始となる。そこで一度クラスでエンジンを組もうという話になり那由たちのクラスは空いているスペースにあつまった。

「えー、今日という日が晴天に恵まれたのも皆様の日ごろの善行の表れであり、これまでの練習の成果を存分に発揮できること私ひじょーにうれしく思います」

竜也が先の校長の話をまるパクリし、クラスメイトを笑わせる。

「という冗談は置いておくとして、高校最後の、っていう言葉がつく最初の行事なんで、普段の受験勉強という名の苦行を忘れて今日は思いっきり楽しみましょう」

「あんたは未だにサッカー漬けでしょ」

優香がとっさに突っ込んだ。竜也はサッカー部なので人にもよるが冬の大会まで残るため、部活にまだ参加している。

そして周囲からも若干の冷やかしが入り、竜也がおどけて見せたところで、優香の「それじゃいっちょやりますか」という一言でエンジンを組む。

「えいえいおー!」という代り映えのない、それでもクラス一丸となって出した大きな掛け声が晴れ空へと溶け込んでいく。

「それじゃ私たちはバスケのほうに行くねー」

「おっけー。花蓮に負けんなよー。2試合目からは応援行けるんだから」

「うん、頑張る。私たちも後でテニスのほう応援行くね」

那由と恋春は体育館へと向かうため、優香と一度別れた。


那由たちが体育館につくとそこにはすでにゴールが出され、ボールも各コートに配分されている状態であった。これはバスケ部が準備したものであり、那由も去年まではこういった準備をしていた。

梅雨時期の窓の開いていない体育館は不快感をもたらすじめじめした空気が漂っていた。まだ練習すら始めていない段階で背中にはじわりと汗がにじみ出ており、じっとしているよりもむしろ動いて汗を流したくなる。

那由たちはシューズを履きながら、雑談をしていた。その雰囲気は緊張が垣間見えるものの和気藹々とした様子である。

皆がシューズを履き終えたところで那由の「よしっ、じゃあ最終調整しよっか」という声でみんなが立ち上がる。

那由は2,3度つま先で床を蹴るとキュッキュッというシューズがフロアにこすれる音が響く。ボールを持ち上げ、手のひらでボールを回転させる。回転するボールを見ながらふいに先日の最後の試合を思いだした。

那由たちは県内ではそれなりに強豪校と呼ばれるほどには安定した実力のあるチームだった。そのため目標として全国大会出場を掲げ、その実ベスト4を現実的な目標として据えていた。

練習期間多少のいざこざはあったものの大会が近づくにつれて部内の雰囲気は良くなっていたので那由としては本気で全国大会に行けるかもしれない、そう思っていた。

当日を最高のコンディションで迎えることができた那由は気持ちが空回りすることだけはしないよう一つ一つのプレイに神経を注いだ。それは他のメンバーも同じで誰もが勝つ気で試合に挑みながらも冷静に試合をこなしていく。

ベスト4を決める準々決勝までは順調に勝利を積み重ねてきた。だが、その次の相手が全国常連校であり、今年も例にもれずその実力は確かなものと評されていた。相手にとって不足はなく、また相手側もそれまでの選手を温存するスタイルからベストメンバーを最初から出してくるスタイルに変えるという那由たちを完全に意識していることがうかがえ、さらなる緊張が那由たちの心を支配する。

試合は一進一退の攻防が続く展開となった。大きなミスなく最終クォーターを迎え、互いに鎬を削る試合運び。何度も20メートルを超えるエンドライン間を往復するのはその見た目通り過酷なものであり、喘ぐようにして息をし、零れ落ちた汗で足が滑ってもその次の一歩を力づくで踏み出す。めまいがしそうなほど苦しいはずなのに目の前のボールを追ってしまう。

最後まで劇的な展開などなくまさに実力が拮抗した戦いとなった。それでも結果は片方にしか勝利をもたらさない。

試合終了後、那由たちはベンチにうなだれ、勝利を祝う歓声や両チームの健闘を称える声が聞こえる中そこだけが静寂に包まれていた。

結果としてはベスト4という、元来の目標を達成した。顧問の先生や保護者達はそれを称え、準決勝の試合内容を賞賛する声も上がった。那由を含めた選手たちもそれは重々理解しているし、そこに対する多少の喜びがないというと嘘になる。ただ、準決勝における試合内容を考えるとどうしても悔しさが芽生えてくる。

あれから半月経っているものの、未だに頭の中にこびりつく悔しさを振り払おうと那由は前を向く。

「よしっ、頑張りますか!」

ボールを両手で音が鳴るほど強くたたき、気合を入れる。

その後ストレッチや短い練習時間を経て試合開始となった。

センターラインを挟み二クラスが向かい合うようにして挨拶を交わし、各々前もって決められた配置につく。

那由が自陣側のセンターサークル外で待機していると、花蓮がにこやかな表情でやってきた。

「やっほー、那由。今日はお互い頑張ろうね」

「うん!負けないからね」

両者ともに良い表情で向かい合う。

審判がセンターサークル内に入り、それを確認した那由と花蓮が互いに先手を取らせまいとけん制し合う。

そして、ホイッスルが鳴りボールが宙へ放り出される。



「あー、悔しいっ!」

体育館から出た那由は人通りの少ない木陰の道に入ったところでそう叫んだ。

試合終了後、負けた那由たちはそれでも互いの頑張りを褒め合い、決して悲観的な空気にはならずにいた。これは別にはなから試合を放棄していたということではなく、体育祭という競技における試合でしかないため負けたことに本気で悔しがるほどの熱量はなかったというだけであった。

しかし、それは那由には当てはまらなかった。

別に因縁の対決だとか、クラスメイトの頑張りがうんたらかんたらとかどうでもよかった。試合に負けたことがただただ純粋に悔しいのだ。みんな頑張ったからそれでいいとはならないのが那由であった。みんなの前では抑えていたが、恋春と二人になった今、その感情が爆発した。

そんな那由のほうを見る恋春は、そういった感情は特に芽生えず、ただ那由の素直に感情が表現できるその才能をうらやましく思うと同時に、うれしくも思う。

「そうだね。この悔しさは優香の応援で昇華させよ」

「昇華?」

「あー、優香の応援がんばろっていうこと」

「なるほど。そうだね!」

先の表情とは一転。にこりと花を開かせたような笑顔を恋春に向ける。

道を歩いてサッカー競技場を通り過ぎようとしたところで、すごい人だかりを見つける。

「あそこすごい人だね」

「あー、ほんとだ」

「ねえ、ちょっと寄っていかない?まだ優香の試合まで時間あるし」

恋春の提案で二人は人だかりのできているサッカーの試合を見ることになった。

そこで行われていたのは、ただ一人の生徒による独壇場の試合だった。見るものすべてが彼のプレイに釘付けとなり、本来敵対チームであるはずのクラスメイトでさえ、彼を応援しているありざま。しかし、それでも彼のプレイを見ればそれも納得と言わざるを得ない見事なまでのボールさばき、試合運びであった。

「松下君だっけ?聞いてた通りすごいね。いろんな意味で」

松下啓太まつしたけいた。県内でもトップレベルの技量の持ち主といわれるサッカー部のキャプテンで、そのうえ、この学校において優秀なクラスと位置付けられる理数科の中でも安定して上位にいる成績優秀な生徒でもあった。ここまでくれば、古今東西あらゆる物語の定番である容姿端麗という付加価値の備わった完璧超人像を思いつくだろうが、彼はどちらかと言えば日本人としての平均的な顔立ちである。とはいえ、日ごろから鍛えている体は男らしさを感じるものとなっており、また彼の落ち着いた雰囲気から醸し出される大人っぽさは周囲にいるいわゆるイケメンと称されるような友人と共にいても見劣りしない要因となっていた。

恋春は、しばしその活躍ぶりおよび周囲の熱狂に見入っていたが、ふと隣にいる那由がやけに静かであることに気づいた。そっと横目に那由のほうを見ると、そこにはどこかうつろで焦点のあっていない目で試合を見つめている那由の姿があった。

その瞬間、恋春はなぜかはわからないが強烈な不安に駆られた。

これまで感じていた漠然とした那由の心の闇。その原因はほぼ確実に女性にしか恋愛感情を抱かないことだろう。しかし、それだけではない何かがあることを恋春は薄々感づいていたのが、ここにきて確実に肌で感じ取れた。

私が触れていいものなのだろうか。

恋人として、何かできるのだろうか。

修復不可能な関係になったりしないだろうか。

そんな不安を抱えながらも、どうにかして声を絞り出す。

「那由?」

一瞬肩を震わせ、驚いた様子で那由のほうを見、そして取り付くように笑顔を見せる。

「あはは、なんかぼーっとしてたみたい。ごめんごめん。恋春何か言った?」

普段と何ら変わらないようで、どこか様子のおかしい那由を心配に思う恋春だが、それでもやはり触れるのが怖くて、逃げてしまう。

「うんん。そろそろ優香の応援行こっか」

「あっ、そうだね。急がないと、遅れちゃうね」

そういった那由はすぐに体を反転させ、一歩を踏み出す。

那由の後ろ姿を見つめ、これでよかったのだろうかと心の内で問いかける。

すると後ろでどっと歓声が沸き起こる。振り返るとそこにはみんなに囲まれ笑顔を振りまく松下啓太の姿があった。

彼との間に何かがあったのだろうか。

そんな疑問を抱えつつも、那由に気づかれないうちに追いつかなければと思いなおし、前を向きなおそうとした瞬間、鋭い視線を感じた。

視線を感じたほうを見てみると、一瞬だけ一人の男と目が合った気がした。その

人物も見知った顔であり、松下啓太と並ぶくらいの有名人だった。

(まさか、ね)

しかし、恋春は気のせいだったと思い、那由の元へと急ぎ足で向かった。

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