第8話

ある日の放課後。いつもであれば多くの生徒が部活の精を出している時間であるが、テスト習慣ということもあり、普段よりも静かな放課後となっていた。グラウンドにはまばらに自主練をする生徒がいるが、普段の活気はない。

そんな中、ある教室に4人の少女たちがつくを合わせて勉強に励んでいた。ペンと紙の擦れる音だけが存在感を放つ静寂な空間。初夏と呼ぶには少し早いが、それでも晴天の今日の気温では、長そでは暑いのか腕をまくり首筋には汗がわずかににじんでいた。

彼女たちが勉強を始めかれこれ30分。そのうちの一人がペンを置き唐突に机に突っ伏した。

「づがれだー」

残りの三人も動かしていたペンを止め、彼女のほうを見て、そしてため息をつく。

那由たちは授業が終わった後に、いつも通り帰ろうとしていたのだが、そこで那由が一緒に勉強しないかという提案を持ちだした。優香と真依はもとより二人で勉強するつもりであったため、それが四人になったところで問題なく、すぐに賛同する。ただ恋春は少しためらう様子を示した。以前那由と勉強した日のことを思い出し、また父親から何かを言われるのではないかという懸念があったからだ。

しかし、あれ以来どういうわけか父親からそのことについて触れてくることはなく、何事もなかったように日常が過ぎて言っていた。

そこで、恋春は学校でやる分には構わないと言った。こういった経緯ののち、会話をしても問題ない教室で勉強をすることになったのだ。

四つの机を二つずつが向かい合うようにしてくっつけた形で配置されており、そのうちの一つが那由の体で埋まっていた。

「那由、まだ30分くらいしかたってないんだけど。もう少し、できれば1時間くらい頑張れないの?」

と優香が言うも、すでにだらけた姿の那由にはそういった気力はない。

「うー、だってわからないんだもーん」

「わからないんだもーん、じゃないでしょ。というか、わからないなら聞きなさいよ。何のために一緒に勉強してるの?」

「いやー、なんかみんなすごい集中してたから、躊躇しちゃったというか、ね?」

「の割には30分でダウンしてるのな」

三方向からの非難にいよいよ那由も口を閉じる。

「で、どこがわからないの?私は今ちょうどいいところだから教えられるけど」

「ありがとー恋春ー!」

隣に座っている恋春に抱き着こうとする那由だが、恋春が両肩を抑えてそれを阻止する。

「そういうのはいいから早くわからないとこ教えて」

「うん!」


勉強を進めることさらに数十分。恋春がつきっきりで教えていた那由だったがさすがに限界が来たようで、四人は休憩することにした。

「そういえば那由はどこ受けるか決めたの?」

優香がふと思いついたことを口にする。

改めて言うが那由たちは高校3年生であり、通う高校は進学校。つまりは将来の選択肢として基本軸が大学進学という環境に身を置く那由たちなのである。

那由をのぞく3人はすでにある程度方向性は決まっており、大学のランクを上げるかどうかといったところを今後の成績で決めるといったふうになっているのだが、那由はどの方向、つまりはどの学部を受けるかといったところをまだ決めかねている。

「いやー、それがなかなか決まらないんだよね。いろいろとネット漁ったりして情報集めてはいるんだけど、どうもピンとくるものがないというか」

「うーん、まあ今の段階でピンとくるものがある人はそう多くないと思うけど、ある程度は絞れるんじゃない?それこそ法政なのか経済なのか文学なのかーとか」

「うーん、経済は難しそうだからパス。法律とか政治とは大変そうだからパス。文学は……眠くなるからパス。ってかんじ?」

「……」

沈黙が4人の間を流れる。

「えーと、それはどうなんだろうね、那由」

「ちょっと恋春!見捨てないでよ!」

「いや、これは見捨てられても文句は言えないでしょ。難しそうだからパスって大学でやることなんだからどれもある程度は難しい物じゃない?それに眠くなりそうってもう阿呆以外言葉が見つからなくなるんだけど」

「うー、そういう真依はどうするか決めてるの?」

「ん、私はとりあえず経済かなって。将来性と現状を考えると一番無難なところだし。まあ確定ではないけど」

「ふっ、真依が小難しい計算式扱ってるところイメージできないんだけど」

「那由に言われたくない」

「経済って言ってもいろいろだからね。那由が思ってるような計算をしなきゃいけない分野もあるだろうけど、もっと実践的なところを議論する分野もあるんじゃない?それだと数式を導くというよりもすでに定められている式から数値を出すってことが求められるし、その計算だって今の時代コンピュータ任せだったりすることも多いだろうから」

「ふーん、よくわからないけどとりあえずどの道私には経済学部は無理だってことがわかったよ」

「え、ああ、いやそんなに難しことじゃないよ。それに私も聞きかじったことだから別にちゃんとわかってるわけじゃないし」

「まあ恋春は法学部希望だしね。経済学部のことをそこまで詳しく知ってる必要はないでしょ」

恋春の那由に対するフォローを聞いてそれを優香がフォローする。

「法学部かー。覚えなきゃいけないこと多いんだろうね」

「もちろん覚えることも重要だけど、その法律が具体的にどう適用されるかとか、ある事象についてどういった法律で対応しなきゃいけないかとか考えないといけないことも多いよ」

「うへー、何それ無理。なんで恋春はそんな難しそうなとこ行きたいの?ドラマみたいに裁判でイケイケしたいとか?」

「いや、ドラマの中でやってるようなことを実際にやったらダメでしょ。それに私は別に弁護士になりたいとかじゃなくて、ただ法律って知らなかったが通じないものだから私自身が知っておきたいっていうのと、もっと広く、多くの人がこの世の中の仕組みを知っておくべきだと思うから。その一助にでもなればなって」

「おお、なんかすごい」

「那由とは真逆ね」

「うっ、私だって世のため人のために働きたいさ。でも難しいことはわからないだけだし」

「実際多少なりとも人のために働きたいって思いはあっても、それを行動に移すのって難しいよね。自分の人生をまず生きることを考えるとどうしても安全牌を投げてしまうというか。私の場合だと国際系の学部に興味はあってもやっぱり将来を考えるとその先まではどうしても二の足を踏んでしまうというか。結局地方公務員っていう小さな枠組みに収まりたくなってしまうんだよね」

「公務員だったら十分立派だと思うけどなぁ」

「うーん、確かに公務員という職自体はいいと思うんだけど、それを逃げ場としているあたりって感じかな。まあそう思ったところで地方公務員を目指すのは変わらないんだけどね。他のところを目指して進んだ結果の逃げ道だと私にとってはちょっとばかりハードルが高すぎるからね」

「うーん、人生って難しいねー。ずっと高校生だったらいいのに」

那由の言葉で会話が途切れる。すでに日は傾き始めているが、それぞれがそれぞれの将来像を聞いたことでいくらかやる気が出たのだろう。誰からともなく自然に四人は勉強を再開した。




***



第一回考査も無事終わり、教室には弛緩した雰囲気が流れる。中には、これからいよいよ学生生活最後の大会に向けて部活に精を出そうと張り切っている生徒もいる。

そんな中、優香が教壇に立ちみんなの注意を集める。

「はーい、みんな今から体育祭の出場種目決めるよー」

毎年6月下旬に市内のスポーツ施設で行われる体育祭についての話し合いが行われている。体育祭実行委員は3年になってすぐの委員会決めの時に決まっており、現在優香の隣に立っている本庄竜也ほんじょうたつやとともに体育祭実行委員となったため、体育祭一か月前となった今こうして教壇の上に立ちクラスの指揮を執っている。

「えーと、すでにある程度はわかってると思うけど、出場種目に関する注意点について説明していきます」

優香はファイルから一枚の紙を取り出し、そこに書かれてある文章を読む。

「まず一つ目、基本一人一種目参加。ただし、クラス対抗リレーに関してはその対象外とする。二つ目、各種競技、部活に所属しているものは一名までとする。三つ目、全種目、出場者全員が一定時間参加すること。っていう感じで、例年通りです。」

持っていた紙を置き、一呼吸置いたところで、横から声が上がる。

「えー、それでは続いて参加競技を決めていきたいと思います。」

坊主頭でまだ夏まで少しばかり時間があるこの段階で小麦色に肌が焼けている竜也が前に出る。

優香の時とは打って変わり、クラスが少しざわめく。それは単にどの種目に参加するかを話し合っているというだけでなく、普段お調子者である竜也が変にまじめ腐っている姿が面白く、茶化すためでもあった。竜也はそんなクラスの人たちに対し、求められている反応をしながらもてきぱきと話を進める。

「えーと、リレーに関しては、先のスポーツテストの時の結果をもとにすでに決めてあるので、さっそく各種競技の参加者を決めたいと思います。えー、一応最初は人数制限関係なく希望するところに名前を書いていってもらえたらと思います。」

竜也がそういうと、生徒たちはまばらに立ち上がる。その中には一人でそそくさと自分の名前を書きに行くものもいれば、数人で固まって話し合っているものもいる。

その中には、那由と恋春が話し合っている姿も見受けられた。

そこへ優香が合流した。

「那由、バスケどうする?」

「んー、私は出たいなって思ってるよ。まあ恋春と一緒だったらどこでもいいかなって思いもあるけど」

「えっと私はあんまりバスケしたくないかな」

「えー、バスケやろうよー」

「んー、私運動苦手だし、できれば楽なのがいいかな。バスケなんてこの中じゃ激しいほうでしょ」

「それは言えてるね。とはいっても所詮体育祭のバスケだから他の競技とあまり変わらないと思うよ。そういえば去年は何出てったけ?」

「うっ。去年は、その」

「あー、那由から逃げて他の子とテニスしてたんだっけ」

「うぇっ、それ初耳なんだけど!」

「いや、だって那由がすごいしつこくついてくるから、怖くなって」

「あれは仕方ないよ。周りもなんか那由キモいよねって言ってたし」

「ま、まじで?」

「まじもまじ」

「うそーん」

那由がその場に崩れる。

「那由!?えっと、えっと……。あっ、そうだ!今年は一緒にバスケしよっ、ね?」

「ほんと?」

目に涙を浮かべ、上目遣いで聞いてくるその姿は庇護欲を掻き立てる。

「うん、本当本当」

「うへへ、やったー!」

にへらと笑う那由を見て、恋春は一安心する。それを見ていた優香はやれやれといった風に溜息を吐き、話を進める。

「それじゃあ、那由がバスケに出るってことでいいのね?」

「あっ、うんいいよ」

「了解。私はどうしようかなー。どうせ真依はテニスをやるだろうし私もテニスにしようかな。対戦できるかもだし」

そういいつつ、黒板を眺めると、やはりというべきか運動を苦手とする生徒が多い女子にテニスは人気なようで、すでにほとんどその枠は埋まっていた。優香としてはここで引くことも考えたのだが、相方の竜也がすでにサッカーをするという風に断言している以上、それとは別の種目に行ったほうが、実行委員の目がより広範に届きやすいという理由もあり、そのままテニスの枠に自身の名前を書いたのだった。

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