第6話

「お疲れ様です」

ガラガラと音を立てる扉を開けながら、真依は美術室に入る。

今日は美術部の活動に出ることになっていた真依はホームルーム終了後すぐに美術室へとやってきた。

真依が美術部に入ったきっかけははっきり言ってしまえば周囲のごり押しだ。もともと中学より続けていた帰宅部に高校でもなろうと考えていた真依だったが、さすがに何も部活動見学をしないのはもったいないというよくわからない理由で優香に連れられ美術部に見学に行った。この優香の勢いに負けた時点で真依の帰宅部人生は終わっていたのだ。

美術室を覗き込むと、そこには数人の先輩と思しき人たちが和気あいあいと団らんしていた。この時点で真依の心境は「ないな」であった。もとより2次元イラストを描いている身である真依と美術部の活動では合わないはずだ。そのうえこの部の雰囲気は非常にフレンドリーで、本来であれば人受けの良い環境であろうが、真依にとってはその輪に入ることがためらわれるために美術部に理由の追加要素でしかなかった。

一目見ただけで真依は回れ右をしようとしたのだが、優香に引っ張られ美術室へと足を踏み入れた。

談笑していた先輩たちはいっせいに真依たちの方へと視線を向ける。そして、何を言うより早く真依たちのもとへとやってきて、

「新入生だよね?入部希望者だね?よしっ、今から入部届準備するから!」

といい真依と優香を椅子に座らせその前に机を設置する。

戸惑う二人を他所に着々と準備が進められるが、そこで優香がそろっと手を挙げ、

「あの、私はバスケ部に入るつもりなので、この子一人分でお願いします」

と申し訳なさそうに言う。

そんな優香に対し美術部の先輩たちは少しばかり寂しそうな表情を見せるも、真依としてはそんなことお構いなしに優香に乗じて逃げ出そうと思っていた。

しかし、そこにさらなる追い打ちがかかった。

「それとこの子絵はうまいんですけどおそらく先輩方の描くものとは分野が違うというか、いわゆるアニメ調の絵なんですけど大丈夫ですか?」

という優香の質問に対し、真依の予想とは異なる答えが美術部員の高地から出てきた。

「ん?ああ、それは問題ないよ。うち大したノルマ無いし。むしろ君みたいな子であれば大歓迎だしね」

美術部員の含みのある笑みとともに出されたこの答えに真依の用意していた最大の武器いいわけが無効化されてしまった。

その後、真依は流されるままに入部する運びとなるのであった。

それからというもの、定期的に部に顔を出してはいるが本当に自由にやらせてもらっているため、やめようにもやめられない状態が続き、こうして美術部員生活3年目を迎えるのであった。

「あっ、お疲れ様です、先輩!」

美術室にはまだ後輩一人しか来てないようで、待ちぼうけを喰わされていた後輩が尻尾を振る犬のように真依に近寄ってくる。

「久しぶりですね先輩。今日は何か描いていくんですか?」

後輩の期待する目にうろたえる真依だが、次に出た言葉は関係のないものであった。

「えっと、新入生は入った?」

後輩は首を傾げた後、特に気にしない様子で、むしろ聞かれたことがうれしかったかのような面持ちで答える。

「はいっ、すでに二人も入ってくれることになりました!」

「そう」

自分で聞いておきながらあまり興味のない表情でそっけなく答える。そのまま真依の特等席となっている(が、それを本人は知らない)席に座る。後輩はそんな真依を少し悲し気に、しかし恨むようなものではなく惜しむような目で見る。

真依としては正直何故他の部員からそれなりに良い印象でいられるのかわからないでいるのだ。だからこそ真依は容易に部員と関わろうとしない。関われば昔のようになるかもしれず、それが怖いから。


今日真依が美術部に来た理由は新作を練る段階であったからである。真依は普段ペンタブを用いて描いているが、それは実際に作品を仕上げるためであり、その前段階のラフ画は紙に描いたほうが個人的にしっくりくる。さらにこのタイミングでは集中力よりもリラックスできる環境のほうがネタが思い浮かびやすく、それは暗く静かな自分の部屋ではなく、明るく少しばかりの賑やかさのある美術室のような場所である。

真依が一人でキャンバスに向かっている間に、他の部員もやってきたが真依は特に誰かと話すことなくひたすらイラストを描いていた。

しかし、行き詰まりふと顔をあげる。そこにはおそらく普段の美術部と何も変わらない光景なのだろう。

多くの人がキャンバスに向かい、その手には筆や鉛筆が握られている。そして、うち何人かのそばには一人から三人程度の人が集まって何やら話し合いをしている。何を話しているのか真依にはわからないがそれでも真依にとってその光景はどうしてか美しいものとして映った。

自然に手が動き出す。

それこそ前回作り上げたあの二人の少女のイラストのように。


ピロンッ。

真依はスマホから出た通知音にそれまでよどむことなく走っていた手を止め、スカートのポケットからスマホを取り出す。

『赤崎洋介:今から相談乗れるけど、どうする?』

ロック画面には差出人と内容が表示されていた。

真依は『いつものとこ』という一文で返信を済ませ、それまで描いていたイラストを教室の端に寄せ、カバーをかける。そして、バッグを肩にかけ「お疲れ様です」と一言美術室全体に向かっていい、誰かからの返事を待つことなく部屋を出ていった。


その様子に慌てて「お疲れ様です!」と返事をした後輩。

しかし、その他の部員たちは慌てた様子なく、「あー、帰っちゃったかー」といった声が上がる。

「それにしてもいつも以上に熱心に書いてた割にどこかの誰かさんからの連絡一つで帰っちゃうんだね」

「彼氏さんかな?」

「優香ちゃんじゃない?」

「さすがにこの時間はバスケ部まだやってるでしょ」

「そっか。じゃあ、……彼氏?」

「あの真依先輩に彼氏ですか?」

「いや、むしろいたほうが自然じゃない?」

「難しいところね。いてもおかしい容姿でないけど、普段の様子じゃあ確かに彼氏と一緒にいる真依さんは想像できないわね」

「皆さん!真依先輩のいないところでそんな話しないでくださいよ!」

「えー、れんれんも気になるでしょー?素直に会話に交じりなよ」

「いやです!わたしは真依先輩に対して誠実に居たいんです!」

「はぁ、報われない恋心ほど見ていてむなしいものはないわね」

「むなしいと思うならその笑みを引っ込めてください!というか恋心ではないです。ただ真依先輩と少しでもお近づきになりたいんです!」

「まあ、彼氏かどうかは置いておいて、今日は何描いたんだろうね」

「無視ですか!?というかそれこそダメですよ!他人の作品を見るのに許可を取るのは誰であれ必要なことですよね!?」

「れんれんは見たくないんだね。じゃあ私たちだけで見よっか」

れんれんと呼ばれる後輩部員そっちのけでその場にいた部員はこぞって真依の描いていたイラストのもとへ集まり、カバーに手をかける。後輩部員もなんだかんだ気になるようで遠目に、しかし確実にその目線は真依のイラストへと向いている。

カバーを外したそこには、一枚のモノクロ絵があった。

そのイラストは先ほどまで自分たちが過ごしていた時間を一枚の画用紙に溶かし込んだようなイラストだった。しかし、先ほどまでの光景とは明らかに異なり、とはいえ確実に先ほどまでの自分たちを描いていることがわかる。そして、この作者、つまりは真依には自分たちの姿がこれほどまでに美しく映っていたのか、そんなふうに思えるほど美麗なイラストとなっていた。

外から差し込む日の光はほんのわずかな濃淡の差で描かれており、それが素人目にもどれだけ繊細な技術を要するかがなんとなくわかるほどに細やかに描かれている。

しかし、一転してそこにある風景は現実の雑多な感じを受ける美術室ではなく人とキャンバス以外何もない空間であった。人の配置は見事なまでに一致しているがその間にあるまばらに置かれた机や道具、さらには絵の対象となっている石膏像なども描かれていない。

ただ、そこには確かに日の指し込む窓はあるし人と人の間を埋めるものが存在している、そんな気がしてくる。そう思わせるほどの何かがこのイラストにはあった。

とはいえ、人物像はやはりデフォルメされたアニメ調のものとなっていた。その容姿はさすがに1対1対応できるほどには似ているが、人物像として描かれるようなリアリティはない。


部員たちはそっとカバーをかけなおし、そして静かに再び真依がいた時と同じ光景へと戻っていった。



***



この学校は、3つの棟からなっておりそのうちの一つに3学年すべての教室がある教室棟というものが存在する。そして、一階から1年と回数と学年が一致するようにして三階建てとなっている。

現在三階に緊張した面持ちで目の前に続く廊下を見つめる少女がいる。

「はぁ、那由のバカ。なんで私が3年の教室に行かなきゃいけないのよ」

那穂が弁当箱片手に独り言つ。那由は朝練のため那穂よりも先に家を出たのだが、弁当箱を持っていくのを忘れており、それに気づいた那穂がこうして三年の教室まで持ってきたという次第であった。

那由の教室は中央の階段を上って最も遠い場所にある。教室の手前にも一つ階段があるのだが、一階の時点で那由の教室がどこにあるのかに思考が行っていなかった那穂は、こうして3年の教室がある廊下を通る緊張にさいなまれていたのである。

意を決して進み、といっても実際何かあるわけもなく、無事に那由の教室へと辿り着いた。まだ始業時間には少しあるので那由がいる可能性は低いのだが、昼休みまでに届けなければならず、その間に安全(?)に弁当箱を届けられるのが登校している上級生の少ない朝しかないと思った那穂は恋春がいることにかけていた。

教室の扉は開いており、中の様子をうかがうことができた。予想通りまだ来ている生徒は少なく半分も埋まっていなかったが、その中に恋春の姿を確認でき、那穂は少し安心した。

ただ、教室に入って恋春のもとに行くのか、入らずにこの場で恋春を呼ぶべきなのかというどちらもあまり気の進まない選択に迫られる。那穂はどうしようかと悩んでいると、恋春が那穂のほうを偶然向いた。そして、恋春は立ち上がり那穂の元へとやってくる。

「那穂ちゃんどうしたの?」

「あ、恋春さん。ありがとうございます」

理由を答えるよりも先に自らやってきてくれた恋春に感謝する那穂。そして続けて、

「その、な……、姉が弁当を忘れて行ってしまって」

そういい、弁当箱を掲げて恋春に見せる。

「あー、そういうことか。災難だったね」

「そうなんですよ!1年が3年の教室に行くのがどれだけ緊張することなのか、那由にはしっかり理解してもらいたいところです」

恋春が同情してくれたことで敬語は忘れずとも思わず那由と呼び捨てにする那穂だった。

「確かに上級生の教室に行くのは悪いことじゃないとわかってても緊張しちゃうよね」

二人はもとより面識があったので、少し那由のずぼらさなどについて語り合った。そうしてそろそろ那穂が自身の教室に戻ろうと思っていたころ、那由が教室にやってきた。

「あれ?那穂どうしたの?」

「那穂ちゃんが那由の弁当持ってきてくれたんだよ」

那穂の代わりに恋春が答えた。

「えっ」

恋春の答えに思わずバッグの中を確認する。目の前に弁当箱があるにもかかわらず。

「本当だ」

「いや、本当だ、じゃないよ。ここにあるんだからバッグを確認する必要なかったでしょ。どれだけアホなの那由」

「あー、あはは。ありがと、那穂!」

お礼でごまかす那由。那穂はジト目を向ける。

そんな姉妹の光景に自然と頬が緩む恋春。

しかし、那穂はすでに戻らないといけない時間であったので、恋春に向き直り、

「それじゃあ、恋春さん私戻りますね」

とよそ行きの笑顔を恋春に向ける。

明らかに那由に向けるものとは異なるその笑顔に恋春は少し影を落とすも、一瞬で優し気な笑みへと変え「うん、また今度一緒に遊ぼうね」と返し手を振る。

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