第5話
始業式翌日からいよいよ本格的に授業が始まった。新しい環境での授業ということで多少そわそわした感じも見受けられるが那由たちの通う高校は一応進学校ということもあり多くの生徒は真面目に授業を受けていた。
それぞれが新たな環境での学校生活に適応しようとしている中、誰もが共通して興味の対象としているのが新入生の存在だろう。新入生が学校の生活の一部に入ってくるということは、上級生たちにとっては少なからず影響のあることである。行事や委員会などでもその影響はあるが、おそらくその代表例となるのが部活動だろう。
この高校ではゴールデンウィーク明けに正式に新入生は入部する手はずとなっているが、実際どの部活でも大半の新入生は4月のうちに本格的に部活動に参加するようになる。さらに運動部を中心として、中学時代から活躍している人であれば入学以前から部活動に参加することも間々ある。
那由と優香はともにバスケ部に所属しており、優香がそのキャプテンを務めている。実力、信頼ともに部員内でもあるほうであり、また優香は小学校のころから委員長や生徒会などを務めることが多く、そういったイメージがすでに定着していたということも大きく作用していた。
「1年、早く準備して!もう練習時間始まってるよ」
普段の優しいイメージではなく、厳しいキャプテン像にふさわしい大きい声できつく当たるような物言いの優香。
その言葉にたどたどしく準備していた1年生は緊張した声で返事をし急ごうとするも、慣れていない準備に帰って手間取っていた。
優香のピリピリした空気が移ったのか、他の上級生たちもわずかに苛立ち始めた。しかし、その中で一人だけ新入生の手伝いをするものが現れた。
「一つ持つよ」
那由がボールの入った袋を3つ持っていた1年生から半ば奪うようにして1つの袋に手をかける。
しかし、1年生はそれが那由が苛ついた結果の行動だと思ったのか、
「い、いえ!自分で持てます!」
と強がるも、袋を持つ両腕は震えており、身長と力が足りないため袋の底が地面にときどき擦れていたりしていた。
那由は、怖がる1年生に笑いながら
「あはは、そんなかしこまらなくてもいいよ。こういうのは助け合ったほうがいいと思うし、何より私も優香に怒られるのは嫌だからね」
決して嫌みにならないよう優しい声色で言う。
「あ、ありがとうございます」
那由がさっとボールの準備をしている後ろ姿を見て1年生もそれに続く形となった。
その後、練習が始まる。ランニングやストレッチといったアップを終え、いよいよ本格的な練習に入るといったところで、顧問の教師が体育館に入ってきた。部員は誰かの声を皮切りにして一斉に挨拶をする。
顧問は、落ち着いた返事をし、所定の位置に座り集合をかける。
「えー、約2か月後に3年最後の大会があるわけだが、この時期はどうしても学校サイドの事情で体育館の使用に制限がかかることも多いし、私もちょくちょく会議が入っている。だからしばらくの間は今一度基本に立ち返るという目的で、基礎練をメインにやっていく。一か月前くらいからはゲーム練中心になるのでここで自身のスキルをもう一段階高めるつもりで練習に励むように」
顧問の言葉に優香を中心として大きな返事が出るが、一部の部員の表情は明らかに不機嫌なそれだった。
その後の練習は特筆すべきこともなく過ぎていった。
外はすでに暗くなっており、部室の曇りガラスはすでに黒く染まっていた。
練習後の片付けも1年生の仕事であり、そのために上級生が先に部室に入ってくるのだが、その部室の空気は非常に重かった。その理由は、この部のエースである
「あー、もうなんでこの時期に基礎練なんかすんのよ!もう2か月しかないってのに」
花蓮は苛ついていることを隠そうともせず文句を言う。それに対してそれまで我慢していた優香が
「それは先生が言ってたじゃん」
とこちらもまたいらだちを隠そうともせずに冷ややかに言う。
「は?いやいや、あんなので納得できるわけないでしょ。ていうか、優香はなんであんな指示に平然と従ってんの?岡部の言いなりになっていい子ぶってんじゃねえよ」
「んなっ」
花蓮の物言いに思わず優香が立ち上がる。そしてこのまま取っ組み合いのけんかになりそうになったところで、扉が開いた。全員がそちらに視線を移したが、そこにいたのは那由だった。
「えっと、どうしたの?」
何も事情を知らない那由は険悪な雰囲気を感じ取り、うろたえつつも状況を把握しようとした。那由の後ろには1年生がおり、興味を持ちつつも上級生の厄介ごとに巻き込まれたくないという思いで那由を盾に部室をちらちらとうかがっている。
「ふんっ、優香がキャプテンのくせに岡部の言いなりになってるって話」
「はぁ?花蓮が基礎練が嫌だって駄々こねてたんでしょ」
「ちょっ、ストーップ」
また喧嘩になりそうだった二人の間に那由が割って入る。
「まあまあ、二人とも落ち着いて、ね。えっと確認だけど花蓮は基礎練をするのに納得できてないんだよね?」
「ああ、そうだよ」
「確かに、時間がそんなにないこの時期だから私も少しはゲーム練したい気がする」
「でしょ?なのにキャプテンが顧問の言いなりになるから」
「でも、花蓮この前自分で言ってたよね。ドライブで中に切り込んだ時に判断に悩むって」
「っ!それは、試合をもっとやって感覚つかんだほうが」
「試合の中でその練習ができる回数はどれくらいあるの?今日の練習の中には今のにちょうどいい練習メニューがあるよ」
問い詰めるではなく、諭すようにして花蓮に問いかける那由。花蓮が言葉に詰まっているのを確認しているのを確認して、今度は優香のほうに振り返る。
「で、優香」
「何」
「私も少しは試合形式の練習したいって思ってるから、ここは決を採ろうよ。それでゲーム練がしたいっていうほうが多かったら、それを岡部先生に一緒に伝えに行こう」
「わかった」
こうして那由が仲裁したことによりどうにか大きな亀裂を作ることなく事なきを得た。
こういった部内での衝突は多かれ少なかれどの部活にも存在するだろう。その衝突を乗り越えて友情が芽生えたり、逆にその間に亀裂が入ったりと結果は様々である。多くの人にとってこういった事態は避けたいものであり、そのせいで微妙な空気が漂ったとしてもそちらを選ぶ人も多いのではないだろうか。
そんな中、那由たちの部活は比較的雰囲気の良い部活動として活動できていたのだが、やはりまだ精神的に大人になり切れいていない女子高生が集えば一切衝突なしですべてを終えられることはまずないだろう。そういったたまに起こる衝突の中で一番多いのが、今回のような優香と花蓮の間で起こるものだ。もともと二人の相性が良くないというのが一番の理由であり、それを悪化させているのが、優香が部長、花蓮がエースという肩書を得ていることだ。花蓮は別に部長になりたかったというわけではないが、エースとして試合では最も貢献しており、それゆえに多少のわがままを通したい気持ちがあるため、顧問の言いなりとして部を統率するタイプの優香とはあまりいい間柄を築けないでいる。
では、この二人が頻繁に衝突しないでいられるのはなぜか。それが今回の立役者である那由の存在だ。誰に対しても分け隔てなく明るく振る舞う那由の存在は優香と花蓮の緩衝材としてうまく作用しており、そのおかげで平生は二人は険悪な仲とは思えないほど親し気に話すことも多い。逆に那由がいなければ互いに必要以上に接することもないが。
帰り道、同じ方向に帰る那由と優香は途中まで一緒に帰っていた。
「さっきはありがとね、那由」
「ん?あー、まあ、うん」
それまで静かだった優香の唐突な言葉に、那由はとっさに答えが思いつかず曖昧な返事をした。
那由はそんな優香を横目に少し間をおいて口を開いた。
「あんま気にしないほうがいいと思うよ。あれは、花蓮が勝手に暴走しただけなんだから」
那由としては、あの段階で優香がキャプテンとして顧問に試合形式の練習を入れるよう申し入れるのは、むしろあり得ないと思っていた。確かに那由もゲーム練をしたいという気持ちはあったが、それがそのままゲーム練をするべきだという発想には至らなかった。それは基礎練が重要なことだということもあるし、そのうえで顧問の発言は的外れなものではなかったからだ。無駄な諍いは起こさないほうがいい。
こういった考えから、優香に非はないと思っての発言だった。しかし、優香は違った。
「そうじゃなくて、いや、それもあるんだけど。あそこで私がもっと冷静に対応できてたらって思って」
多少要領を得ないが、優香の言いたいことは花蓮に対して自分も興奮してしまって、本来であればキャプテンとしてみんなをまとめるべきところを自分から部の雰囲気が悪くなることをしてしまったことに対するもの、という意味だろう。
「んー、どうなんだろう。私は実際に二人のやり取りを聞いてたわけじゃないけど、たぶん花蓮がひどいこと言ったんじゃない?優香があんな風に切れたんだから」
「確かに花蓮の言葉に触発されたけど、そういうんじゃなくて那由がやったような解決策もあったのに、私は……」
「ああ、そういうこと。私は、単に二人を外から見てたから気づけただけで、実際に優香の位置に立っていたらあんな風に解決できてなかったと思うよ」
優香が思いつめた表情でいたが、那由は実にあっけらかんとして答えた。
優香はそんな那由を不満な目つきで見つめる。
それは、那由ならばたとえ渦中にいたとしてもうまく対応していたであろうことを優香は経験上容易に想像できたからである。
那由の美点として常に明るく誰に対しても平等に接することがあげられるが、それが裏目に出ることもこうして普段から那由と接することの多い優香の前では起こりえる。那由は確かにみんなに対し明るく接しているがその反面、彼女のその表面だけを見てしまうことになり、自分が彼女の本心にありつけないでことに気付かないのだ。
別に彼女の普段の全てが演技であるとは言わない。というより、もしそうなのであれば優香は人を信じることをやめてしまうだろう。そうではなく、那由が時折見せるあたりさわりのない反応で場をうやむやにしてしまう行動が優香に那由の本心にありつけないでいると思わせているのだ。
とはいえ、深追いしてまで触れるべきところなのかわからない現状優香にはこれ以上言うべき言葉が見つからない。
すでに二人がわかられる交差点まで近づいており、二人は最後に別れを告げてそれぞれの道へと進んで行った。
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