第4話
「ごちそうさまでした。おばさん今日もおいしかったです」
手を合わせ、ぎこちない笑顔で真依は優香の母に伝える。
「ふふっ、お粗末様」
優香の母は真依が頑張って笑おうとしているのを知っているので、愛らしさとそれでもやはりうまく笑えていない不器用さにおかしくなり思わず笑ってしまった。
「真依姉はほんと笑うの下手だよな」
優香の隣に座って、すでに食べ終えたからか携帯用ゲームで遊んでいた少年が目線をちらりと真依の方へ向けてそういった。
「こらっ、恭太。真依が頑張って笑ってるのにそんなこと言っちゃいけないでしょ!」
弟の恭太に対し優香が叱るも、
「いや、優香それ擁護になってない」
優香のむしろ追い打ちになっている擁護に真依が冷静に突っ込む。
ここは優香の家であり、現在ちょうど夕食が終わったところだ。真依は、両親が仕事で家を空けることが多く、また兄は東京の大学に通っているので、家族ぐるみで付き合いのある優香の家にお世話になることがたびたびあった。しかし、真依としてはどうしても申し訳なさがあり、さらに言えば正直な話一人で食べていたいと思うことも多い。それでもなお優香の家にお世話になっているのは、自分にとっての数少ないリアルでのつながりのある人たちだからだ。真依は人の感情の機微に疎く、そのせいで小学校の頃は優香以外まともな友人を作ることもできずにいた。中学にあがってからは黙るということを覚えたおかげで人間関係がこじれることは少なくなったが、それは単に人が寄ってこなくなっただけに過ぎないので根本的な問題解決には至っていない。それでもなおこうして普通に生活できているのは優香の存在が大きいだろう。
今こうしてよき隣人づきあいができ、さらには普段から一緒にいたいと思える友人たちもできた。周囲から見れば現在の真依は本人にとってはそれなりに良い環境だと思っており、真依自身手放したくないと思えるほどに今の生活に満足していた。
しかし、それは必ずしも不満がないということではない。
帰宅した真依はひっそりとした玄関で一度立ち止まり、ほっと溜息をつく。その後明かりもつけず一直線に自室へと向かいデスクトップパソコンのある机を前に体育座りで座る。モニターにかけてあったヘッドホンを取り、ペンタブとキーボードの位置を変え、パソコンの画面を付ける。トップ画面には二人の少女が手をつなぎ互いに目を合わせわずかに頬を紅潮させているイラストが描かれてあった。その雰囲気はどこか那由と恋春を思わせるものがある。二人がこういった様子を見せたことは今まで一度もなかったしこれからもあるとは思えないものではあるが。
そこからは生活のルーティンワークにすらなっているSNSや各サイトの徘徊にいそしんだ。その画面に映るのは例外なく可憐であったり、秀麗であったり、逆にぱっと見、見劣りしてしまうのにどこか目が目が惹かれる、そんな様々なイラストであった。つまるところ真依の見ているサイトはオタク界隈の情報を更新しているものであり、真依自身オタクであるということだ。ここでのオタクというのは改めて言う必要もないだろうがアニメオタク、漫画オタクといったものをさす。
真依がオタクになったのは中学の頃であった。当時それまでよりも他人に対し距離を置くことが多くなり、それゆえに時間を持て余すことが多くなった。その余った時間に手を出したのがネットの世界であった。最初こそ掲示板を徘徊したりRPGを渡り歩いたりとしていたが、所詮そこで行われる会話は現実がネットに代わっただけのリアルと何ら変わらないものであり、そもそもそこにある文化に馴染めず、真依にとってそこは居場所とはならなかった。
それでもなお、暇をつぶしきることのできないネットの世界をさまよっていると、とある動画に出会った。その動画は大手動画配信サイトに違法にアップロードされたアニメであったが、当時の真依はそういった知識がなく、ただ目新しいものだからという理由で再生ボタンをクリックした。
それからの30分弱はこれまで感じていた時の流れとは比較にならないほどはやいものだった。
はじまるや否や、四月の穏やかな気候のもと、一人の少女が天真爛漫に町をめぐる様子に目を奪われる。一切のナレーションや会話なしにただイラストとほんのわずかな生活音などのサウンドにより描かれる世界。たったそれだけの世界に真依は一気に心を奪われた。そして、その少女が桜舞う公園で黒猫に餌を当たる様子が描かれ、オープニングの曲が流れ始める。
真依のアニメを見る視線は一般的なそれとは少し違っていた。その視線とは本来であればアニメ制作、もっと言えばその中でもイラストを手掛けるアニメーターであったりイラストレーターとしてのものだった。
1話当たりの物語の構成もそれぞれのキャラを演じる声優も、当然この物語そのものもどれもがきっと素晴らしい物だろう。それでも真依にとってはそのどれよりも映像、イラストに興味を持ったのだ。
単に綺麗だとか可愛いとか、そういった多くの人が魅了されるイラストの魅力にではなく、映像抜きではこのアニメが成立しえない部分に真依は注目していた。それは難しい話ではなく、例えば時期設定なんかは登場人物の誰もが語るわけでもないのに視聴者はアニメの中の時期がいつなのか、もっと言えばどういった世界線での出来事なのかを瞬時に理解できるといったものだ。桜が舞っていれば当然その季節は春だろうし、制服を着た少女がいれば学園ものだろうし、逆にぱっと見よくわからない世界観であれば少なからずファンタジー要素の入った物語なのだろうことがうかがえる。もちろんその場合には何かしらの形で説明は入るだろうが。
つまり、真依が映像にそして後にイラストに見出したのは、情報とは言葉によって伝えられるもの、というそれまでの真依の常識を覆すことになった、たった数秒の映像のみで伝えられた情報が言葉で語られるよりもより鮮明であり直感的であり、真依の心によどみなく入ってくる、といったものだ。
アニメを見た真依は初めて心が躍ったような気がした。これまで見ていた景色が初めて色あせたものだったことに気付き、単に視覚的なものではなく主観的にとらえた世界としてカラフルに色づいた景色は真依の知っている言葉では言い表せなかった。そして直感的にこの世界が自分の居場所なのだろうと感じた。
その後、真依の生活の一部に絵を描くという行為が加わった。それと同時に完成したイラストを披露する場として、同志が多く存在するSNSを選んだ。
「んっ!」
SNSを見ていると、ある数字が視界に入ったところで真依が声をあげる。現在真依が開いている画面には『マイ』という名義のSNSアカウントのページであり、そこには昨夜SNSにあげた一枚のイラストとその下部にある高評価を示す数字の欄に1000を超える数字があった。
それは、パソコンのトップ画面にもある二人の少女のイラストを掲載したものに対する反応を示すものだった。これまでもイラストを完成させてはアップしており、それに対して多少の反応はあった。しかし、今回はその数倍、下手したら今後一桁上がる可能性もあるほどの伸びであった。有名なイラストレーターともなればそれよりも多くの反応を日常的に得られるだろうが、真依は生業としてイラストレーターをしているわけでもなく、あくまで趣味として、その多くはファンアートとしてのものであり、そういった目で見ればこの数字はバズったともいえるレベルだ。
またリプライも多く、真依はそういった誰とも知らない人からのリプライにも変身するように心がけている。まあ、現状それが可能なレベルしかリプライが来ないからではあるが。真依がリプライに返事をしていると、個人チャット機能の欄に通知が来た。この個人チャット機能は真依が許可した人しか送ってくることのできないメッセージ機能で、その内容が外部に漏れることは原則ない。
そして、この機能を用いてやり取り可能な相手は現状一人しかおらず、すぐさま真依はメッセージを確認しに行く。
「昨日上げたイラスト、反響すごいな。昨日見た時点で伸びるとは思ったけどこの調子ならもっと伸びそうだな」
『
『新庄みやげ』はライトノベル作家であり、ネット上における唯一のリアルの知人である。真依は時折この『新庄みやげ』にイラストに対する評価をしてもらったり、それとは関係のない部分でも相談を持ち掛けたりしている。
真依はメッセージを返す。
「うん、そうだね。私もここまでは予想してなかった」
その後、やり取りは続く。
一通りの会話が終わり、真依は改めてイラストを見る。
真依にとってこのイラストはある意味で特別なものであった。これまで上げたものの多くは先に言ったようなファンアートが多く真依のオリジナルのキャラクターでイラストを完成させることはほとんどなかった。それは真依が一人のキャラクターを創造することを苦手としていることも多分に理由としてはいるが、真依がイラストを描き始めた理由がアニメであり今もなおオタクであることから描きたいという衝動の根源の多くが既存のキャラクターとなってしまうのだ。
その中で真依にとってこのイラストが出来上がったのは、実際に那由と恋春をモデルとしているためである。真依自身何故那由と恋春の二人を描いたのか、もっと言えば実際よりも親密な間柄として描いたのか、その点に関してはわかっていない。ただ当時本能の赴くままに描いていたら自然と思い浮かびあがるのが那由と恋春の二人の姿であったために、このイラストが出来あがった。そういった意味で、特別であり今後またこのイラストと同等のもが描けるかと言われれば、真依はノーと答えるだろう。
恋春と那由。高校に入ってからの友人であり、那由にいたっては下手したら優香よりも素の自分を出せる相手となった。優香に対して遠慮をしているわけではないが、那由の何でも受け入れてくれそうなあの笑顔を前にすると普段かけているストッパーが外れるのだ。
「はぁ」
脳裏に先ほどの夕食の席の光景が浮かび、思わずため気がこぼれた。
そう、優香に対して遠慮をしているわけではない。優香の家族は皆優しいし嫌いではない。あの場で食事ができるのは本来幸せなことだ。ただ、やはり一人で食べたいと思うことも多くそれを彼女たちに伝えられていないことが真依にとって多少心を痛めるものとなっていた。
ではなぜ伝えられていないかというと、真依自身がそれを伝えることが一般的に”冷淡”であるということを知っているためである。この一般というのが果たしてどの程度の一般性を含んでいるかは別として、そう思う人間が一定数存在するという事実が真依にとっては重要であり、その中に優香が入っていることが問題なのだ。真依の価値観を冷淡と思うのはそれ自身は否定されるものではない。これも一つの価値観であるからだ。ただ、この世界、もとい日本においては冷淡だと思うほうが普通であるがゆえにその価値観が優先されてしまうことが問題なだけだ。
「やっぱり私ってひどい人間なのかな」
真依は、昔からいろいろな面で自分が他人とズレた価値観を持っていることに薄々気付いており、かといってそれに対し上手く対処できるほど柔軟な思考を持ち合わせていなかったため、これまでずるずると問題を先延ばしにしてきた。
人に相談するにしても一度冷淡であるというレッテルを貼られてしまえばそれ以降まともに人と付き合うことは難しくなるだろう。一人でいたいと思っても、それは人から嫌われて平気というわけではない。このあたりまで冷めた思考で物事を捉えられれば良かったのかもしれないが、世の中うまくいかない。
真依は、割り切れない思いと将来に対する不安を抱えながら生きている。
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