第3話

「もう、お母さん。お父さんが帰ってくるのにどうして那由を夕飯に誘ったの?」

問い詰めるようにして恋春は母親をじっと見る。

恋春の父は、よく言えば厳格な、悪く言えば時代遅れな父親であった。学生時代は学業が何よりも大事とし、また友人関係も実際に関与することはないが、事あるごとにどういった人間と交友関係があるのかを詰問してくる。それが恋春にとって非常にストレスとなっており、また彼にとって那由は典型的なダメ人間であるためあまり接触させたくないというのが恋春の本音だ。

これに関しては母も理解しているのだが、母はたいてい父の味方をするのであまり具体的にどうこう言うことは母の前であってもできないでいた。

「あら、別にいいじゃない。那由ちゃんがいると恋春も良く笑うから私は一緒に食べたいと思ったのだもの」

おそらく恋春の言わんとすることを理解していながら、論点をずらして素知らぬふりをする。

恋春もこれ以上の問答が無意味であることを理解し口を閉じた。

そのわずかな沈黙のタイミングで扉の開く音が聞こえた。噂をすればなんとやら。父の帰宅である。

母は、夕飯の支度をしていた手を置き、玄関へ向かう。恋春家の両親は仲の良い夫婦であり、これといった問題はない。熟年夫婦のように手際よく母が父から手荷物とスーツを受け取り、夕飯の準備がすぐできる旨を伝える。

夕食までは父はダイニングと隔たりのないひとつながりのリビングでソファーに腰かけて新聞を読んでいた。そして、恋春と母が最期の準備を終え父を呼ぶ。

父が夕食の席に着こうと椅子を引く。そして、引いた椅子を数秒見据える。そこは先ほどまで那由が座っていた場所であり、同時に那由がケーキをほおばっていた席でもある。父の行動にいやな予感がした恋春だが、もはやどうすることもできない。うかつに那由を父の席に座らせた自分の愚かさと、その原因となった那由を恨むばかりだ。

「ああ、あの子の名前は何だったか」

明らかに機嫌の悪い声で独り言のようにつぶやく。

すかさず母が「那由ちゃん?」と、答えると父は「ああ、そうだったな」と答え続けざまに

「恋春、彼女との交友関係はやめておきなさい」

そう一言もらした。

父は台所から台拭きを取り出し椅子の上にあったスポンジのかすをふき取る。恋春は父の有無を言わさない態度に押し黙るしかなかった。もちろんこの発言を受け入れるわけではないが、恋春にとって父は恐怖の対象であり下手な反抗をすることができない。それから、二人の間に流れる重い空気の中、母の場違いな明るい声で夕食が始まった。父の意向で食事の時はテレビを付けず、また当然のことながらスマホをいじったりするなどは禁止だ。つまり夕食時の行動としては、黙々と食べ続けるか、恋春にとってはありえないことだが家族で談笑しながら食べるかの二択だ。

基本的に恋春は両親の会話を聞き流しながらさっさと席を離れられるよう、黙々と食事をする。しかし、今回は先の会話の流れが続いていたようで、父との不快な会話を強いられることとなった。

「ああいった子は、他人に悪影響しか与えない」

会話というよりもただひたすら父が自身のうちにある絶対的指標を基にして那由を評価した結果を一方的に述べるだけである。しかし、父が自身に話しかけているという事実が恋春の箸を進めることを妨げている。おかげで食事が一向に進まない。

「今年は受験生だろう。あんな子とつるんでいたら今まで積み上げてきたものが台無しになるぞ」

「……ん……いもん」

「いい職に就くにしろ、いい家庭を築くにしろ必ず学歴はいるんだ。あれとの付き合いが一生を台無しにするんだぞ。わかっているのか」

「そんなことないもん!」

恋春は立ち上がりざまに机をたたきつけ叫ぶ。食器が音を立て、グラスは倒れ、そして一瞬の沈黙を勝ち取る。

「那由は!あんな子とかあれなんて呼ばれるような子じゃない!何も知らないくせに人を見下すことがいい職に就くことでいい家庭を築くことなら、私はそんなものいらない!」

今にも家から飛び出しそうな勢いでダイニングから出ていくが、その向かう先は恋春の部屋だった。追おうと思えばすぐにでも追いつくその距離だったが、父は恋春の初めての反抗にたじろぎ困惑していたため動けないでいた。母はというと、静かに立ち上がりこぼれたワインやとびった食事の後処理をしていた。

これまでも父からこういった内容の発言を受けたことは多々あった。しかしそれは特定の誰かをさしてはいなかったし、今通っている学校に来てからは比較的小言は減っていたように思える。その中には当然当時恋春が比較的親しくしていた子もいたが、甘んじて聞き流すことで留飲を下げていた。しかし、受験生という時期に加え、先の那由の失態、またただの父の気まぐれが重なり恋春にとってはもっとも触れてほしくなかった人を否定することとなり、初めて恋春は父に向って抵抗を示した。

自室逃げこんだ恋春だったが、実を言うと今すぐにでも家を飛び出したい気分であった。しかし、生まれて十数年の間で脳にこびりついた理性がそれに異を唱えたためにそれを行うことが叶わないでいた。外に出れば朝まで外をぶらつくというのはそれなりの危険を伴うので行先を見つける必要がある。しかし、都会であれば多少探せばネカフェでもなんでもあるだろうが、山口にそういった施設は数えられる程度しかなく、恋春の家周辺にはそれがない。さらに言えば、友人宅もそう近い距離にあるわけでもない。そもそも他家に迷惑をかけることをするわけにはいかない。つまり、家から出たとしてもどうせすぐに戻ってくる羽目になり、それなら最初から部屋に逃げ込む方が賢明である、そういった判断だ。田舎のこういった面での閉塞感は置いておくとして、この判断を先ほどの感情が高ぶった状態でできてしまう自身の惨めさに恋春は絶望ともいえる感情を覚えていた。

「こんな時でさえ私は親の教育の成果に支配されてるんだ」

本能のままに飛び出せたらどれほど良かっただろうか。

太陽の出なかった四月の日の夜は底冷えする寒さだ。ひっそりと静まり返った部屋にすすり泣きが響いて聞こえる。



***



「たっだいまー」

那由は勢いよく玄関扉を開ける。ちょうど目の前を通り過ぎようとしていた那由によく似た少女がわずかに驚いたあと、半目で那由を睨む。

「おっ、那穂!入学おめでとー!」

「ああ、うん。ありがと。っていうか、扉開けっ放しでそんな大声出さないでよ。近所の人に私までそういう子だって思われたら嫌なんだけど」

「いやー、ごめんごめん。我が妹のお祝いとあらば、お姉ちゃん我を忘れて祝福したくなってしまうんだよ。ところで、私って近所の人にそういう子だってすでに思われてるの?」

「さあ?それと、お祝いしてくれるならもう少し早く帰ってきて準備の手伝いをしてくれた方が妹はよっぽど喜んだと思うよ。なぜか祝われる側の私が入学祝の夕飯を準備する羽目になったんだから。なんでだろうね」

「へー、それは不思議だね。今後は速く帰ってこれるよう善処します!」

「あー、うん。期待しないでおくね」

那由と妹の那穂は互いに呼び捨てで気兼ねなく話せる中である。時折那由の一方的な妹愛が常軌を逸している節はあるが。

二人がリビングへ入るとそこには那穂の入学祝の席がすでに整えられており、あとは父の帰宅を待つだけのようであった。

「あら、那由おかえり。今日は那穂の入学祝だから早く帰ってきなさいっていったでしょ。どこで油売ってたの」

那由の母がキッチンから顔を覗かして尋ねる。

「あー、ごめん。ちょっと恋春の家に行くつもりがいつの間にかこんな時間になっちゃった」

「そう、恋春ちゃんの家に迷惑かけてないでしょうね」

「そんなわけないじゃん。ちゃんと勉強もしたし、むしろ褒められるべきだね」

「いや、こんな時間に帰ってきた時点で叱られるべきでしょ。お母さんもっと那由に厳しくした方がいいんじゃない?」

「えー、今でも十分厳しいよ」

腰に手を当て自慢げにしていた那由だが、那穂の一言でその調子を落とす。

恋春家とは異なり、和気あいあいと他愛ない話が繰り広げられている那由家。そんな温かい雰囲気の中、父が帰ってきたので夕食を開始した。夕食の席は終始笑顔で包まれていた。普段家では素っ気ない言葉遣いの那穂の「ありがとう」というボソッとしたつぶやきには那由が発狂してしまうほどだった。

夕食後、那由那穂終いが那穂の部屋でくつろいでいる。

「はぁ、那穂も高校生かー。那穂は賢いから勉強で私が教えられることはないだろうけど、これでも二年間通ってる高校だから何かわからないことあったらどんどん聞いてくれていいからね」

床にクッションをひいて座っている那穂に対し、なぜか部屋の主をさしおいてベッドに横たわる那由が優しげな表情でそういう。那穂は特にその言葉に反応しなかったが、その代わりに次の言葉を小さな声で、それでいて確かに那由に伝えるつもりでつぶやく。

「那由、最近明るくなったね」

唐突に出た言葉は那穂にも正確にその意味することを理解できてはいなかった。しかし、姉妹にしかわからないほんのわずかな変化が那穂にそう言わせたのだ。

那由は一瞬固まるも、すぐに笑顔に戻り、

「うん、そうかも」

とだけ答えた。

その後は、互いにいつも通りの実のないやり取りをしていたが、どこかいつもよりも安心して相手に寄り添っているようにも見える二人の姿であった。

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