第2話

生徒にとってはひたすら退屈な始業式も終わり、担任からの受験生としての心得についての話もあり、高校三年生の初日を終えた。午後からは、入学式があるため部活は全面的に禁止となている。そのため、生徒達はぞろぞろと帰路へついていた。当然恋春たち四人も例にもれず自転車置き場へと向かって歩いていた。

「ねえ、これからどこかで遊んだりする?」

真依が何気ない様子で三人に尋ねた。那由はそれに対しブンブンと首が取れそうなほど激しく相槌を打つが、他二人は否定的な意見だった。

「三年の初日に遊ぶことが真っ先に思い浮かぶのはどうなのよ。家に帰って勉強しなさいよ。何なら私が見てあげるから」

「それに、今日はどこも高校生でいっぱいなんじゃない?ほかの高校も同じような日程だろうし」

優花は受験生という意味で、恋春はそもそも遊ぶ場所がないという意味で。

山口という辺鄙な田舎でも、同地区にいくらか高校がある。それに対し、遊ぶ場所に関しては放課後でに行ける範囲で遊べる場所となるとかなり限られてくる。まして、電車で移動するという発想があまりなく、行動範囲自体が狭められる。

そんな二人の意見に、特に遊びたくて提案したわけではなかった真依は「確かに」の一言で終わったが、遊ぶ気満々でいた那由はげんなりした表情で不満を垂らす。

「えー、遊ぼうよー。受験生って言ってもまだ始まったばっかりだし、遊ぶ場所なんて探せばどこかにはあるよ!何なら恋春の家でもいいじゃん」

「どうしてそこで私の家が出てくるのよ」

「だって一番近いし」

那由は後ろから抱き着くようにして恋春の肩に体重を乗せ甘えるように言う。いつも通りの二人のスキンシップに優香は笑っている。しかし、恋春はどういうわけかいつもより強めに那由を引きはがした。

「もう、いちいちくっつかないでよ」

声の大きさこそそこまで大きくなかったが、発言内容が恋春にしてはぶっきらぼうな感じがする。

「あら、今日はご機嫌斜めなのかしら」

真依は、そんな恋春の様子を見てそういった。

すると、恋春はしどろもどろに「えっと、別に」と返事をする。真依としては、特に深い意味を持たずにただ思ったことを言っただけに過ぎなかったが、恋春が予想外の反応を示したために、かえってそこに疑問を抱く結果となった。

「で、結局どうするのよ。私としては明日からまた部活で忙しくなるだろうから今日は少しでも勉強しておきたいところなんだけど」

しかし、そこに対しあまり興味を抱かなかった優香の発言でうやむやになった。そして、勉強というフレーズにそれまで他人事のようにしていた那由が苦い顔をする。


「じゃーね」

四人は校門を出たところで、二手に分かれた。一方は、隣に住んでいる優香と真依である。優花と真依は、家が隣であるため時間が合うときは自然と一緒に帰ることになる。小学生以来ずっとそうであり、二人が異なるクラスになっても変わらないことである。

もう一方は恋春と那由だ。恋春は学校近くにあるマンションに住んでおり、徒歩通学だ。そして那由は恋春の家まで自転車を押して一緒に歩いて帰っている。

「もう、那由が秘密にするっていうから私は頑張ってばれないようにしているのに、なんで那由が堂々としてるのよ」

頬を膨らませ、先ほどの光景について文句を垂らす恋春。

二年の終わりに付き合うことになった二人だが、告白した側である那由の希望で二人の関係は誰にも言わないことになっていたのだ。

那由は今そのことに気が付いたと言わんばかりの驚きの表情を浮かべ、申し訳なさそうに謝罪する。

恋春としては、正直に言うと周囲、とりわけすでに気心知れた優花と真依には話しても良いと思っているため、那由に謝ってほしいわけではく、ただ那由の希望を那由自身が無視してよいのかという疑問を投げつけただけだった。

「べ、別に謝る必要はないよ。ただ那由はいいのかなって思っただけだから」

「うん、そうだよね。恋春と同じクラスになったことがうれしくて、これからのことが楽しみだったから浮かれちゃった」

しみじみとそんなことを那由が言うので、恋春としては恥ずかしい気持ちになると同時に申し訳なく思うのであった。

それからは恋春が努めて明るく振る舞おうとし、それをおかしく思った那由が元気を取り戻したので、恋春の家に着いたときには那由は元に戻っていた。

「それで、本当に私の家に来るの?」

「うん!」

恋春としては、勉強するつもりでいたことと、那由の成績を心配しての二つの意味で今日は那由を家に上げるつもりはなかった。しかし、先の件でどうしても那由のおねがいを拒否することにためらいを覚えてしまい決めかねていた。

そんな時、マンションの入り口から一人の女性が出てきた。

「あら、恋春、に那由ちゃん」

女性は恋春たちに声をかけると笑顔で近づいてくる。

恋春たちはその声に振りむき、

「あっ、お母さん」

「こんにちは、おばさん」

と、それぞれが答えた。

つまりその女性というのは恋春の母親である。見た目はかなり若々しく見えるので、一見するとまだ二十代のようにも見えるが、これでも高校生の娘を持つ中年女性である。

「こんにちは、那由ちゃん。それで、二人はこんなところで何話しているの?」

「いや、那由が家に来たいっていうからどうしようかと思って」

「あら、それなら上がってもらえばいいじゃない。ちょうど私は買い物行くところだったから、私が帰ってくるまで那由ちゃん恋春のことよろしくね」

恋春の母は、そういうや否や手を振り去っていった。

那由は「了解であります」などとおどけながら手を振り返すが、恋春のほうは展開について行けず、気付いたときには母が見えなくなっていた。

「それじゃ行こっか」

那由は我が家にでも入るかのような気楽さで恋春に声をかける。

恋春はどうにも納得できていない様子だが、母にも言われてしまえばもはや那由をあげるしかない。とはいえ、それは少しばかりほおが緩むものでもあった。

マンションの一室で、さっそく那由が恋春のベッドでくつろごうとすると、恋春はすかさず那由に、

「とりあえず、手洗いうがい!それから、家には上げたけど遊ぶとは言ってないからね!」

とたたみかける。

「ぶー、恋春お母さんみたいだよ」

「那由が子供っぽいだけ。家に帰って手を洗うのは一般常識であって、そこに大人も子供もない」

恋春の部屋には、二人で勉強することのできる机がなく、それが可能なのがリビングにある食卓のみであったので、恋春と那由はその食卓で向かい合うようにして教科書を開いた。恋春は、春休みも毎日勉強していたので今日という一日に対してそれ程価値はないのだが、那由に関しては春休みの間もバスケ部が忙しく、それは明日以降にも言えることなので那由にとって今日という一日の価値は計り知れない物となっている。しかし、それに那由自身が気付いていない、もしくは単に勉強のやる気が出ないのか、教科書に顎を乗せてうなっている。

恋春は、那由がこうなることをあらかた予想しており、無意識のうちに口角が上がる。

「ねえ、那由」

「ん?なーに恋春ー」

「今から一問一答式で問題出すから答えてね」

「んー、まあそれくらいなら」

那由が姿勢を正したところで恋春による一問一答が始まった。その内容は恋春が春休みの間に厳選しておいた超基礎問題だった。そのおかげである程度那由にも答えることができたのだが、それが基礎問題であることを考えるととてもではないが、この時期の正答率としては心配になるものであった。

用意していた各教科の問題を出し終えたところで、終了となった。那由は半分ほど答えられたことに満足げであるのに対し、恋春はわずかに顔をしかめ、「予想以上に出来が悪い」と思わず声が漏れた。

「えっ、嘘っ」

「嘘じゃない。というか、むしろこっちが嘘って言いたくなるんだけど」

恋春は驚いた那由に苦言を呈した。もともとの予定では、基礎の中でも穴のある部分から埋めていき、その後徐々にレベルアップしていこうとしていたのだが、この様子では当分の間基礎を徹底的に勉強するほかないだろう。

それから、恋春の母が帰ってくるまでひたすら恋春が那由に教えることとなった。

それから二時間ほど経過したところで恋春の母が帰ってきて、休憩がてらにでもとケーキが出てきた。恋春としてもそろそろ休憩しようと思っていたころだったので否はなかったし、那由にいたっては神の救いとでも思っているように目を輝かせて恋春の母、もといその手にあるケーキを見つめていた。

休憩の後、勉強を再開しそれは夕方まで続いた。

「那由ちゃん、夕飯食べていかない?」

那由がそろそろ帰ろうかなと思っていたところで、恋春の母から提案があった。すでに空腹を刺激する臭いが立ち込める中、久しぶりに頭を使いかなり疲れている状態だったので、那由としてはこの誘いに乗りたい気持ちも大いにあったのだが断りを入れた。

「すいません、せっかくのお誘いですが、今日妹の入学式だったので今晩お祝いしようって家族で決めていて」

「あら、そうなの。それなら今日は帰ったほうがいいわね。じゃあ、また今度いらっしゃい」

「はい!ありがとうございます」

そんなやり取りがあって、那由は恋春家から出ていった。

那由がマンションから出ていこうとしたとき、向かいから見知った顔がやってきた。それは恋春の父であったが、その仏頂面と几帳面な性格がにじみ出るほどしっかりとした格好から、那由は正直あまり近づきたくない人物であった。

とはいえ、このまま無視してすれ違うのも気が引けるので軽く挨拶をすることにした。

「こんばんは」

恋春の父は一瞬どうして声をかけられたのか理解できないようで訝しげな目つきで那由を見やったが、少し考えるそぶりをして、

「ああ、恋春の友達か。気を付けて帰りなさい」

と、表情を変えず答える。

言葉通りの心情ではないだろうなと思いつつも、そんなことおくびにも出さず、那由は明るく返事をしてすぐさま帰路に着いた。


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