純潔の愛
るね
第1話
寒さが薄れ、ほのかに春を感じることができるようになった今日この頃。三月も終わりが見えてきた修了式の放課後である。
電気のついていない教室は、窓から差し込む日差しだけが明るさと温かさを感じさせるものとなっていた。窓から見える景色は、向かいの人の姿のない管理棟と自転車置き場にまばらに残っている自転車くらいだ。グラウンドや体育館には部活をしている人たちもいるだろうが、この場所からでは存在を感じることができない。
そんな物静かな教室には、二人の少女が向かい合って佇んでいた。
ひとりは、下を向き両の拳を握りしめ微かに震えている。そしてもう一人はそんな少女をじっと見つめている。
私は、目の前にいる私よりも頭一つ背の高い女の子を見て、内心その子の名前をつぶやく。これから彼女が言おうとしていることは大体予想はついている。でも、それを口にするのは、彼女にとってとても決心のいることで、それは私がまだ知らない彼女の心の闇に触れてしまう部分で。本当は、今すぐにでも那由を安心させてあげたい。でも、それではきっと那由を傷つけてしまう。いくらこの後の関係を考えたとしても決して容易に踏み込んではいけない彼女の領域。そんな予感がするから、臆病にも私は那由が口にしていくれるのをじっと待っている。
那由は震えていた唇を微かに開き、何かを言おうとするも、再び口を閉じて唇を一文字に結ぶ。そして、ようやく決心したのかこわばった顔をあげ、こちらをちらりと見て口を開こうとする。
「あ」
震え、上ずった声が漏れる。
「あの、あのね
「うん」
たどたどしいその声からは、こちらも緊張してしまいそうになるほどの激しい緊張がうかがえる。私は、そんな那由が必死に何かを伝えようとしているのを見て、心が痛くなる。普段は誰よりも明るい笑顔を振り撒いてくれる太陽みたいな存在。誰の心にも自然に入り込める、私にとってかけがえのない存在。だからこそ、すぐにでもいつもの笑顔を見せてほしいと思う。
「私」
一呼吸置き、唾をのみ込む音がひどく大きく聞こえる。
「恋春のことが、す、好き、です。そのっ、ただ好きっていうのじゃなくて、恋愛的な意味で。好き、です。一年前初めて見た時から、ずっと。この一年間でもっと好きになって。……。お、女の子同士なんて変だよね。あは、あははっ。ごめんね、変なこと言って。気持ち悪いよね。冗談だから忘れて」
私が黙って聞いていたからなのか、何か勘違いをしてそして卑屈に自分の想いを自ら否定する。そんなことつゆにも思っていないことが表情を見るだけでわかる。うつろな目に影のある苦笑い。無理に自分の発言を否定することで、自分の想いまで否定しようとしている表情。
私が見たいのはそんな顔じゃない。
那由の想いを聞いた瞬間から詰まっていた声が、涙が決壊したダムのようにあふれ出す。
「那由!」
「ひゃいっ」
今の私はどんな表情をしているだろうか。
怒り?悲しみ?それとも嬉しそうな表情?
自分でもわからないほどにいろんな感情が入り混じっている。
「私も那由のこと好きだよ。もちろん、恋愛感情としての好き」
「……へっ?」
それでも確かに言えるのは私の那由への想いがまぎれもなく彼女と同質のものであるということであり、それを伝えなければならないという、いやどうしても伝えたいという感情が私を突き動かしていることだ。
「だから、ね。那由が苦しくなるような言葉を吐かないでほしい」
好きな人が自分のことを好きでいてくれた。それだけであふれだす涙なのに、その思いを否定されたら余計にも、我慢できないほどにあふれ出る。
那由は、私の言っている言葉をまだ受け入れられていないようで、放心状態にいる。私は、自分の言葉が本気であることを伝えるために、じっと那由の目を見つめる。那由が私の気持ちを理解してくれるまでずっと。
どれほどの時間が経過しただろうか。もしかしたらそれほどまでには経っていないのかもしれないが、静寂な時間はどこかゆっくり流れるような気がする。
那由の瞳から一粒の涙が流れる。本人も気付かないうちに流れたのだろう。表情は一切変わらない中で、目だけが充血していき、水滴がひとりでに流れ落ちる。次第にあふれるように涙を流すようになって初めて那由は表情を歪め、鼻をすすり、涙をぬぐいながら声にならない声で子供のように泣きじゃくっていた。
私は、そっと那由を抱きしめる。普段は見上げる位置にある頭が今は私の胸に収まっている。微かに甘く香る髪の毛は少し乱れている。その髪を優しくなでる。
やっと言ってくれたね、那由。
二人の少女は、夕日の指し込む教室でしばらくの間抱き合っていた。誰も知らない二人だけの世界。
***
肌寒い曇り空の下、新学年のクラス発表が教室棟の入り口で行われている。足元のアスファルトにはしなびれた桜の花びらが散らばっており、気候と相まってうすら寒さを覚える。しかし、その一方でクラス分けの表が貼られている掲示板の周りは活気づいていた。一人で見るもの、複数人で見るもの。人によって表情は様々で、それでも皆共通してこれからの一年間に対する思いを表していた。
玄関先から一歩建物の中に入ると、そこは外のざわめきが遠く聞こえる静かな場所であった。すでにクラスを確認した生徒たちが数人外靴からスリッパに履き替えていた。その中に、ひときわ小さな少女が目いっぱい背伸びをして靴の出し入れをしている。その姿は幼き子供の様相であるが、制服であるブレザーに身を包んいるのをみるに立派な女子高校生であるのだろう。肩の先まで伸びた黒髪はしなやかに揺れ、手足は折れてしまいそうなほど細く、それでいて不健康さはなく、振り向けばそこには端正な顔立ち、そして可憐な少女と称するにふさわしい容姿が期待できそうなうしろ姿である。
小さな少女がスリッパを手にしたところで、後ろから大きな声がかかった。
「恋春ー!」
恋春と呼ばれた少女は肩をびくりと震わせ、ため息交じりに後ろを振り向こうとする。しかし、それが叶う前に後ろから予想以上に強い衝撃が襲った。
「きゃっ」
「恋春ー。今年も一緒のクラスだね」
恋春に後ろから抱き着いた少女は、癖っ気の茶髪で、女性としては平均的な身長なのだが、一緒にいる恋春のせいで実際よりも大きく見えてしまう。
何とか顔を下駄箱にぶつけずに済んだ恋春は、先ほどとは異なり肩をわなわなと震わせる。そして、振り向きざまに抱き着いてきた少女を押しのけるようにして、それでも力が足りなかったのか振りほどけず、向きだけを変えて後ろに多少女を睨む。
しかし、そこにあるのは小動物のような愛らしさを感じさせる様子であり、また期待通りの整った顔立ちが一層本人の意図しない印象を与える。
「那由、いきなり驚かせないでよ!っていうか、痛いんだけど!」
恋春に叱られた那由は、それをものともしていないのか、それともそれ以上にうれしさが勝っていてたのか、「ごめんごめん」と言いつつも、相変わらず笑顔、もといにやけ顔でいた。
同じ学年の二人の少女というには少し背の離れた二人だが、その関係性は逆転しているようだった。
恋春は、何を言っても意味がないと悟り、再びため息をつく。
そんな二人のもとへ二人の少女がやってきた。
ひとりはぱっと見男子と見間違うほど背が高く、容姿は平均的だがその身長のせいでぱっと見で無駄に人目を惹く。しかし、その表情は高校生のそれらしく、少しばかりの幼さを残しつつもしっかりと大人の女性に向かって成長している様子がうかがえる。
もう一人の少女は鋭い目つきが睨んでいるかのように見え、近づきがたい雰囲気が出ている。全体的に整った顔立ちからは笑えば周囲の目を独占してしまうであろうことが予想できるため、多少のもったいなさを覚えるがそれもまた彼女の持ち合わす特徴の一つなのだろう。そんな彼女が恋春と那由に言う。
「はぁ、あんたたち朝から何やってるのよ。もう三年生なんだから慎みを持ちなさよね」
「そういう真依は朝から掲示板の前で数分動けずにいたけどね」
「ちょっとそれは謂わない約束でしょ、優香!」
先ほどまでの落ち着いた雰囲気は突如として失われ、情けない姿を見せる真依。この普段の様子からは想像しがたいポンコツぶりが友人たちが彼女と一緒にいる理由の一つでもある。そんな真依の姿に優香は少し口角をあげ、勝ち誇った顔をする。
「ん?ああ、真依だけ違うクラスだったのかな?」
二人の様子を見てなんとなくいつも通りの感覚で察する恋春。
「恋春正解。いやー、あれは面白かったよ」
「ええ、そんな面白かったなら見たかったなー」
「私は見世物じゃない!」
「わかったわかった。ごめんってばー」
真依がキッとにらむので那由は咄嗟に謝る。
「それで、お二人さんは朝からいちゃついてるけど、一緒に来たの?」
「んー、私は那由にいきなり抱き着かれただけでいちゃついてないよ」
「まあそうだろうね」
「わかってたのなら言わないでよ!優香のいじわる」
「私はいちゃついてるつもりだったんだけどなー」
「一方通行乙」
「ひどっ!」
「はいはい、人が多くなってきたからそろそろ教室いくよ!」
「真依だけは違うクラスだけどね」
「「那由!」」
真依と、それから恋春の声が重なる。那由は真依のあおりに対抗しての一言のつもりだったが、恋春にも注意されてしまい、さすがにからかいすぎたと思って素直に謝る。
「うっ、ごめんなさい。はぁ、私なんで朝から謝ってばっかりなんだろう」
その声に答えるものはおらず、四人は三階にある各自の教室へと歩いて行った。
この四人の関係性は、もともと優香が幼馴染の真依と、高校一年の時に同じバスケ部ということで仲良くなった那由の二人をつないでできた関係性のところに、去年この学校に転校してきた恋春がいろいろを経て出来上がったものであり、はたから見た関係性よりは意外と薄いものである。その分これから関係を深めていくのだろうが、多感な時期の少女たちにとってはほんの少し歯車が外れるだけでいともたやすく崩れてしまうものでもある。
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