第37話 触手の正体

 バクン、そんな音が聞こえた気がした。

 首から上がなくなったダンは数歩はしると、そのまま前に倒れていった。


 心臓はまだ動いている。鼓動にあわせ、ビュッ、ビュッと首から血が噴きだす。

 バタバタとあわただしい手足はやがて動かなくなり、開いた手のひらは何かを掴み取るかのごとく固く閉じていく。


 そうか、シュタイナーたちはコイツから逃げていたのか。

 ダンの首をもぎとった物体を見る。

 くねった棒は人の胴より太く、やけに光沢がある。

 ツボミのような先端は、咀嚼そしゃくしているのだろうか収縮をくりかえしている。

 そして、ゴクリ。

 のみこみやがった! ダンの頭部と思わしき膨らみが、奥へ奥へと送られていくのが分かる。


 さらにもう一本、くねった棒が吹き抜けの下から伸びてきた。それはシュルリと手すりに巻き付くと、短くきしむ音をたてた。


「くそう、きやがった」


 前方に降りたったのは巨大なケモノ。階下から弧をえがき、飛び移ってきたのだ。

 その姿はわたしと同じ。黒い毛並みの先端はうすい緑の光を帯び、二本の剣歯が異様に発達する。

 だが、大きく違うのは、背中から生えた四本の触手だ。そいつは、うねうねとくねりながら蛇のように鎌首をもたげた。


 なんてこった。正真正銘のバケモノだ。

 鎌首はパカリと五つに割れると、ノコギリもようの鋭い歯をみせた。ネバついた粘液が汚らしくたれる。



 バケモノがウウウとうなり、こちらを威嚇した。

 触手のほうではない、本体と思わしきケモノの方だ。

 その声には聞き覚えがあった。獣になったこの身でわかる、個体差。

 そうか、保育施設で雄たけびをあげていたのはコイツだったか!!

 勘違いしていた。テーマパークで出会った、あの獣なのかと思っていた。


「ゴウ!」


 バケモノは短く吠えるとこちら目がけて低く跳躍した。

 しゃらくせぇ。向かい打つべく爪をふるう。


 メキリ。バケモノの顔面をとらえた。そのまま床へと押しつぶす。

 喉ぶえを噛み切ってやる!

 

 だが、横から触手が伸びてくる。

 うしろに飛びのき間一髪、ガチリ、ガチリと歯がぶつかり合う音がひびく。


 こいつは厳しいぞ。

 手数も射程も負けている。飛び道具でも使えりゃ、ちっとはマシになるんだが。


 それからは襲いくる四本の触手に防戦いっぽうになった。

 それでも触手のひとつに爪で一撃をくらわせることに成功した。


 クシャリと触手が丸まった。

 フン、あんなナリでも痛覚ぐらいはあるらしい。

 バケモノは動きを止めると、横を見た。吹き抜け側だ。逃げる気か?


 四つの触手が一斉に伸びた。

 だが、吹き抜けではない、ましてやわたしにでもない。

 ショッピングモールのひとつの店の中にだ。


 メリッ、メリッ、メリッ。

 なにかを引きちぎる音が聞こえる。

 まさか……

 すぐに触手が姿をみせた。

 折れたパイプにダクトの破片、はずしたドアにスチールデスクと、それぞれ咥えて。


 マズイ!


 触手は体をしならせると、咥えたものを投擲した。

 わたしはすぐさま横の店舗に飛び込む。

 すさまじい勢いで今いた場所をドアやデスクがさらう。


 やるじゃねえか。まさか逆に飛び道具を使われるとは。

 シュタイナーは死んだか?

 まあ、どちらでもよい。それよりベン・カフスマンの体が心配だ。

 まきぞい喰ってバラバラになってなけりゃいいが。


 すぐにバケモノが姿をあらわした。

 ヤツそのまま出入口に陣どると、店内に触手を伸ばし、ふたたび投擲物を見繕い始める。

 逃げ道はふさがれた。

 こうなったら被弾覚悟でヤルしかない。

 

 猛然と駆ける。

 狙いはケモノの首。

 触手たちは慌てて投擲物を手放すものの、もう遅い。

 ケモノの爪の一撃をかいくぐって、その喉笛に食らいついた。


 勝負あった。このまま息の根を止めてやる。

 カヒュー、カヒューとすり切れた呼吸音が聞こえる。

 あとすこし。

 だが、背中に鋭い痛みが走った。

 触手どもが噛みついたのだ。

 しかし、かまうものか。渾身のちからでかみしめる。


 ボキリ。鈍い音がした。

 ケモノの足が力をなくし崩れ落ちる。触手もやがて床へと落ちる。


 わたしの勝ちだ!!

 そのまま首を振ってバケモノを吹き抜けから放り投げると、大きく遠吠え、かちどきをあげた。

 





――――――





 引きずられる。

 倒したと思ったのも束の間、うしろ足に何かが食らいついたのだ。

 見れば触手だ。吹き抜けの下から伸びており、引きずり込まんとしている。


 すごい力だ。すでにわたしの体は転落防止柵へとはりつき、ミシリ、ミシリと柵のボルトを床から浮かす。

 クソ、これじゃあ素直に落ちた方がマシだ。このままじゃあ足が折れちまう。


 ガァン! と響く発砲音。

 ショットガンだ。シュタイナーが触手めがけて、ぶっ放したのだ。


「もう一発」


 シュタイナーは歩み寄ると、至近距離からふたたび弾丸をぶちこんだ。

 触手は噛むのをやめ、階下へと引っ込んでいく。


 逃がすか!

 すぐさま食らいつき、引っぱりだす。

 撃たれた場所がミチミチと音を立てる。


 ガァン! みたび発砲音。

 おなじ場所に弾丸をくらい、とうとう触手はちぎれた。


 危なかった。下等生物の分際ぶんざいでしつこい野郎だ。

 しかし、シュタイナーに助けられるとはな。てっきり死ぬか逃げるかしてると思っていたが。

 吹き抜けの下を覗き込むシュタイナー。やがて彼は銃を下すと、こちらへ近づいてきた。


「アンタだな。分かるよ、ノラスコから乗り換えたんだろう? その様子だと中枢部には入れなかったらしいな」


 そう切りだすシュタイナー。話しながらも、わたしの挙動を注意深く観察している。

 確信してはいるようだが、不安の色も強い。こちらがどう動くか分からないからな。

 いささか大胆すぎる行動ではあるが、コイツはコイツで後がないのだろう。


 さて、どうしたもんか。

 生かすか殺すか、すべてはわたし次第――


「どうやら目的は同じみたいだ。アンタのことは詮索しない、よかったら手を組まないか?」


 フン、全部お見通しか。

 話は早いが気に食わないな。

 たしかにコイツがいれば助かりはする。この体はボタンをはずすのも、家探やさがしにも向いていない。

 しかし……サイコダイバーは危険だ。それにコイツは勘がよすぎる。


「ああそうだ、ワクチン……見つけたよ。レシピだけだけどな。頭の中に叩きこんである。時間はかかるが設備があれば作れないことはない」


 ハハッ! やるじゃねえか。決まりだ。

 ゆっくりとうなずいた。


「商談成立だな。じゃあ、さっさと逃げるか。宿主を失った寄生生物は長く生きられない。あいつは死んではいないが、みすみす乗り換え先を与えることもない」


 ああ、同感だ。

 通路のすみに転がっているベン・カフスマンの死体を咥えると歩きだした。

 もうすぐ、ここから出られる。そんな予感とともに。



 

 ――噛まれた背中がジクジクと痛んだ。


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