第26話 ノラスコという男

 悪いな。先生、か……


 動く死体に目を向けすぎていた。ノラスコの不自然さには気がついていたのに。

 おそらく、この扉は中から開きはすまい。あらたな脱出ルートを見つけぬ限り、私もベッドに縛り付けられたミイラのようになるだろう。

 だがまあ、そんなシチ面倒くさい真似をするつもりはないが。


「いいや、悪くはないさノラスコ君。キミの罪などすぐに消える」


 紡いだ会話とともに脳細胞が活性化する。シナプスが結合し、ノラスコへの回路が開かれたと感じる。

 サイコダイブだ。私の精神は古いカラを脱ぎ捨て、ノラスコという新しい器へとおさまっていくのだ。


 ……


 目の前には扉がある。さきほどまで見ていた病室の扉だ。

 しかし、向きは異なる。表面には部屋番号『1135』が印字されており、左右に首を振ると先へと続く通路が見渡せる。部屋の外にいるノラスコの目線に違いなかった。


 すこし視点が高くなったか?

 シュタイナーであったときより周りの景色が沈んでみえる。床は遠く天井は低くだ。

 ふと、己の右手に目を向ける。袖から覗く浅黒い手には、古めかしいデザインの四角い金属箱が握られていた。


 金属箱の大きさは、手におさまる程度。古い金庫のようなダイヤル式つまみとボタンがあり、上部にはバックライトに照らされた表示盤もある。

 表示盤に示されているのは緑色の数字、角ばったフォルムで『1135』と浮かび上がる。


 コイツはリモコンだな。扉の開閉のための。

 ボタンに指を伸ばすと、ぐっと押し込んだ。扉は音もなく開いていく。


 ながれこむ冷たい空気に逆らって、部屋のなかへと足を踏み入れる。

 出迎えてくれたのは、多数のベッドと逆さに吊られた死体たち。その中のひとつはビクリビクリと身を震わせている。また地面に横たわるのは、B.J・シュタイナーの体だ。


 警戒しつつ、シュタイナーに触れる。

 ノラスコがサイコダイバーである可能性もゼロではない。反撃に備えて鉄パイプを振り上げておく。

 脈と呼吸、心臓の鼓動も感じられた。しかし、動く気配はない。目の焦点もあっていない。

 やはりノラスコは普通の人間だった。

 サイコダイブのおり、これまで二度あった奇妙なすれ違いがなかったことから分かってはいたが。


 持っていた道具を全て回収する。コルト・シングルアクション・アーミー(拳銃)にショックバトン、シュタイナーの日記に会話用ブザー、いくかのキャップに小麦粉だ。


 これで元通り。残すはこのゾンビもどきだが……


 銃口を動く死体の頭部に向ける。すると死体は動きを止め、別の死体が動き始めた。

 なるほど、知能はあるが決して高くはない。そしておそらく、生きている物には移れない。

 私に乗り移ることもなければ、シュタイナーの体に移ることもないのだ。

 わざわざ拘束された死体を選ぶ理由はそれ以外にないだろう。

 ついでにもひとつ――小麦粉の入った袋の封を切ると中身を一掴み、それを動く死体に向かって大きく撒いた。


 小麦粉の粒子が部屋を舞う。

 かすみがかったそのなかで、ふたたび銃口を動く死体の頭部に向ける。

 ――みえた!

 透明な何かが舞い飛ぶ粒子を押し流し、移動するような姿を。


 ガウン!


 私のもつ拳銃から放たれた弾丸が、死体の頭部をとらえた。それは透明な何かと死体が重なった瞬間。

 銃弾を受けた死体は頭部を大きく後ろにそらすと、吊られた体をゆらりゆらりと前後に揺らす。


 やがて揺れは徐々におさまっていき、その後、何かが動くことはなかった。


 あっけない。ゾンビの正体は透明な何かか。

 そいつは知能が低く、質量がある。死体をわたり歩き、人を襲う。


 これまでの出来事を思い出す。

 保育施設で出会った、ひとりでに動くボール。同じく、動く三輪車に保育士の死体。

 ……子供か。

 透明な何かは子供の成れの果て。サイコダイブのその先を求めた結果だ。

 脳がなければ成長しない。だから知能が低いのだ。

 やがて彼らも感染。発病した者は区画を出てここを襲った。

 正気を保った者たちは留まり、エマージェンシーボタンを押して、私をここに導いた。

 正直、肉体をなくした者がウィルスが感染するのか疑問はのこる。

 だが、つじつまは合うだろう。

 


「さて、そろそろ行くとしますか」


 ぶるり、と体が震わせると、最後に部屋をみまわした。

 ミイラ化した死体とベッド、逆さに吊られた死体に、低い室温。

 ここは備蓄庫だ。食材を保管する冷蔵庫。


 ベッドに拘束された者は入院患者だ。当時生きていたか死んでいたか定かではないが、狂人化か動く死体に対処した結果だろう。

 だが、逆さに吊った死体は違う。なぜなら内臓を抜かれ、血抜き処理されていたからだ。


 カニバリズムか。

 ジョシュア、ノラスコ、ダン、彼ら三人も狂っていた?

 いや、違うな。生きるためだ。

 電力が保たれていたとて、食料の自動配給までも同じとは限らない。

 あったとしてもいつまでもつか分からない。備えておくに越したことはない。



 まあ、人を食おうが私にとってはどうでも良いことだ。

 気がかりなのはノラスコという男。

 彼に抱いた違和感の正体、そして、私を亡き者にしようとしたのは、彼一人の判断だったかどうかを確かめる必要がある。


 部屋をでて扉を閉めると、ジョシュアとダンのいる場所へと歩き始めた。

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