第25話 ハングドマン
着替えにとりかかる前に、部屋の中をざっとみてまわる。特に注意を向けるのは、棚ちかくの天井と床だ。
特段おかしなところはない。しかし、それで私の警戒心がとけるワケではない。
「ずいぶんと慎重なんだな」
「まあな。だが、それは君も同じだろう」
ノラスコは部屋の入り口付近で、こちらの様子をうかがっている。
どうも彼からは、私と一定の距離を保とうとする意思が感じられる。
それでよい。こんな場所だ、簡単に人を信用するようでは長生きできないだろう。コイツにはすぐに死んでもらいたくない。ジョシュアを次の体にするのはいいとして、スペアを確保しておくに越したことはないからな。
ボロ布を脱ぎ捨て、清潔な衣類に袖をとおす。
着替え中は無防備だ。部屋のすみにいるノラスコを視界の端にとらえつつ、手早くすます。
棚に乗せた銃は、すぐ掴めるようグリップをこちらに向けておく。そして、ショックバトンは前腕(肘から先)に重ねるようにして、隠し持つ。
強い視線を感じるものの、ノラスコに動きはない。ショックバトンに気付く様子もみられない。
ふん、可もなく不可もなくか。これ以上の警戒は相手によけいな重圧をかけるだけだろう。会話を繋げるのみに留めておくか。
「君は教師をやっていたそうだが」
「ああ」
「何を教えていたんだ?」
「……数学だ」
「趣味はあるかい?」
「格闘技を少しやっていた。それと、銃もだ」
こうして心底どうでもよい問答をしつつ着替えをすますと、ノラスコと共に来た道をもどる。
周囲に特段変化はない。左右に並ぶ扉も閉じたままだ。
「この扉は開かないのか?」
「あ、ああ。完全にロックされている」
ロックされている、か。自らしたのか、勝手に閉まったのか。
意図的か否かで、ずいぶん違うが、さて。
「中には何が?」
「あいつら……いや、このことはジョシュアから聞いてくれ」
この話は終わりだ、とばかりにノラスコは手を振った。
なるほど、言いづらい内容か。なんとなく予想はつくが。
それにしても、ノラスコの口数は少ない。
こちらが質問すれば答えるのだが、それ以上話をひろげることも、なにかを聞きだそうともしてこない。
ふ~む、少しひっかかるな。ささいなことだが、なにかが胸にモヤを生む。
このノラスコという男、初めて目にしたときは、ただオロオロするだけの頼りない印象であった。
だが、時間とともに実像が、その印象から少しずつ
人の第一印象などアテにならない。
真理ではあるが、それとはまた違う違和感を覚えるのだ。
原因は何だ? 思いのほか落ち着いていることか?
しかし、彼がこちらに恐れを抱いているのは間違いない。平静をよそおい虚勢をはっているのも事実だろう。何も変わってはいない。どこにひっかかりを覚えるというのだ。
……口数か?
そうだ、口数の少なさがひっかかりの原因だ。
虚勢をはるのは、自分を大きく見せたいからだ。弱みを隠し、おのれを守る。
では、誰から守る?
敵、そして、自分の地位を脅かす者だ。
これまで三人でやってきた、そこに今回私が加わった。さらに人が増えると知れば、地位を守るため情報を引き出そうとするのではないか?
だが、ノラスコは何かを尋ねてくることもなければ、実績を語り
……コイツは何かを隠している。聞かれることを恐れている。
私、あるいはジョシュアに対して――
ガン!
なにやら音がした。発生源はおそらく前方。
思考を中断して耳に意識をかたむける。
ガン! ガンガンガン!
ふたたびの音。そこまで大きくはないが、確かになにかを打つ音がする。
「まさか」
ノラスコが小さく呟いた。彼は焦りの表情を浮かべると、駆けだした。
十字路を左に曲がっていく。私も彼の背を追い、左に曲がる。
「チクショウ、開いてやがる!」
いくつも並ぶ扉のひとつが大きく開放され、どうやら打撲音はそこから漏れているようだった。
「マズイ、手伝ってくれ」
ノラスコは腰が引けながらも、中へと飛び込んでいく。私も「いいぞ」と呟き、あとに続いた。
ヒヤリとした空気に包まれた。これまでとは違い、あきらかに室温が低い。まるで冷蔵庫に入ったかのようだ。
中をみわたす。
十メートル四方ほどの空間に、ベッドが数十台、奥に固まるように並べられていた。
しかも
コイツは……
それだけではない。天井からは比較的新しいと思える死体が、食肉解体施設のブタのように逆さにロープで吊られて並んでいるのだ。
ガン! ガガン!
吊られた死体のひとつが、ビクン、ビクンと体を震わせた。そのたび、頭部はベッドを打ち、鈍い音を奏でていく。
「やっぱり入り込んでやがった! すぐに殺さないと」
ノラスコは鉄の棒を構えた。
「頼む、右に回ってくれ。俺が合図したら頭部を打ち抜いてくれ」
「ああ、分かった」
拳銃を取り出すと、跳ねる死体の右へと向かう。
死体は舌をデロリと伸ばしたまま、飛び出た眼球で私の動きを追ってくる。
なるほど、やはり保育施設でみたものとよく似ている。
だが、動いたから何だというのだ。生きているものこそ、四六時中動いてこちらを襲ってくるではないか。
「他のやつに移らないよう注意してくれ。確実にいる、と判断したとき引き金を……」
ノラスコの言葉が左後方から聞こえる。その声は、少し遠い。
――遠い!?
はっと背後を振り返る。
扉の前に立つノラスコが見えた。彼の体は完全に部屋の外にある。
しまった!!
「悪いな。先生」
その言葉を残して、扉は音も立てず閉じていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます