10.なんだ、ただの失恋じゃないか
NYの空港はNYってだけでなんだか広い気がして、長旅の後私が背伸びするには十分すぎる広さだとおもった。世界でも有数の都会の空気はきっとキレイではないのだろうけど、小さい箱に何時間も乗ってきた私にとってはとてもすがすがしく感じられた。
出国審査をして扉を出ると、あたりまえだけど色々な人種の人がたくさんいて、あたりまえのようにハグをしている姿を見て、私は真っ先にアメリカを感じた。
ここがジョージの育った国か。
「Welcome, 美衣。待ってたよ。」
私が伸びをしているうちにとっくにジョージは私を見つけていたようで、大きな手を広げてこちらに向かってきた。私は空気に飲まれて思わずハグしそうになったけど、そんな邪念を振り払ってジョージを静止させた。
「ねぇ、美衣。When in Rome, do as the Romans.
When in NY, do as the New Yorkerだよ!」
「私は日本人なので。」
日本で見るととても大きく見えるジョージは、アメリカでみるととても小さく見えた。ジョージが小さく見えるんだから、私なんて小人に見えていないだろうか。私の頭の悪そうな心配を振り払うようにして、ジョージはなぜか楽しそうに笑って、私の手からキャリーバックを取った。
「さ、行こうか。」
NYに来てはみたものの、何をしたいとか、何をするとか、何も決まっていなかった。一応旅人として旅行本を読んで行きたいカフェは数件あったけど、それ以外何も決まらなかった。
でも行きたいところも考えずさまようのが、いかにも”自分探しの旅”って感じがして今回の旅のテーマに合っているような気がした。ジョージもそれを察してか、あえて「行きたいところある?」なんて質問をしてこなかった。
「どこいくの?」
「うち。」
旅が急に決まってホテルを探したけどなかなかいい場所が見つからなかったとき、ジョージは軽く「うちに来ればいい」と言った。さすがにそれはよくないと断ったけど、よく聞いてみたらジョージの家には寝室が2つ部屋があるらしく、説得されるうちにジョージの提案通り、家に泊まらせてもらうことにした。
旅費も節約できるしいいかと自分自身に言い訳をして、なんで言い訳なんてするんだろうと返って罪悪感が増した。
「美衣?ついたよ。」
ジョージは海外にうとい私でもよくテレビで見たことのあるような道路のわきでタクシーを止めた。今までなんとなくふわっとしていたけど、やっとNYに来た実感がわいた。
「ありが…じゃなくてThank you.」
全然NYに慣れない私は、日本語でお礼を言ってお辞儀をしそうになった。そんな私に大きなおじさんは笑顔で軽く片手をあげて答えてくれた。
たどたどしく行動する私をよそに、ジョージはいつの間にかタクシーから私のキャリーケースを出していた。
「美衣、こっち。」
そして大きな通りの中にある小さい路地みたいなところに吸い込まれるように歩いて行くのに、私は必死についていった。
「大丈夫、僕のところはとっても静かだよ。」
歩きながらも、とても賑やかな街並みに思わずキョロキョロしてしまう私を見かねて、ジョージは優しく笑って言った。心を読まれて少し恥ずかしくなったから強がってみようかなと思ったけど、ここは素直に「ありがとう」と言った。
「ここ。」
ジョージの言った通りにぎやかな通りから少し入ったところにあるジョージの家の周りは、NYと思えないほどとても静かに思えた。白と薄いピンクを基調としたマンションは、日本のマンションの作りとは少し違って、NYにあるというだけでおしゃれに見えた。恭祐さんと一緒に住んでいたデザイナーズマンションがとても味気なく思えて、でも思い出すとまだ傷が痛むからそれ以上考えるのをやめた。
「Come on in.」
「おじゃましまーす。」
男の子の一人暮らしと思えないほどジョージの部屋はキレイだった。むしろ私が一人で暮らしていた頃の方がよっぽど部屋がごちゃごちゃしていたと思う。
「キレイにしてるね。」
「美衣がくるからキレイにしたの。」
トリリンガルで頭もよくて、人柄もいいから人気者。かつ掃除も上手なんて、非がなさすぎて自分が腐って見えそうだったけど、それを聞いて少し安心している自分がいた。
「こっちの部屋を使っていいよ。」
玄関から続く廊下の途中には向かい合わせに2つ部屋があって、その一つの部屋のドアを開けてジョージは部屋の中に私の荷物を入れてくれた。
「ありがとう。ほんとに助かった。」
「ううん、いつも物置に使ってるからほこりっぽかったらゆってね。」
物置に使っているとは思えないほど物が少ない部屋には、マットレスと布団が用意してあった。いかにも女子が使ってそうなピンクのシーツの布団をみて、私は恐る恐るジョージの顔をみた。
「美衣、今変なこと考えてるでしょ。」
「うん、まあ…。」
男の一人暮らし。ベッドにはピンクのシーツ。そんな条件がそろっていて他の人の部屋だって想像しない方がおかしいと思う。
”その人”の留守中に私が部屋を使ってしまって大丈夫なのか、と頭の中でいっぱい考えているうちに、ジョージは不服そうに私の顔を覗き込んだ。
「ほんとに一人暮らしだよ!この布団だって美衣のために…」
「わ、わたしのため?!」
「もう、美衣はいっつもそうやって…」
ジョージはそう言って完全にすねて、ぶつぶつ言いながらリビングに向かった。
私はまだ少し消せない疑いの火を晴らすためにもベッドに少し近寄ってみた。確かに毎日誰かが使っているものだとしたらキレイすぎるベッドと布団だった。においをかいでみるとアメリカっぽい柔軟剤のにおいが鼻いっぱいに広がって、近づくとより毛玉一つもないシーツがジョージの話が本当だと物語っていた。
「ジョージ。」
「ちょっと待ってね。」
まだすねていたはずのジョージは台所でお茶を入れてくれていた。
リビング一杯に広がるアールグレイの香りが心地よくて深呼吸をすると、ジョージはいつも通り優しく笑った。
「ありがとね。」
「やっと信じてくれた?」
「うん、そこまでしてくれなくてよかったのに。」
「美衣が喜んでくれるならなんだってするよ。」
ジョージのそういうセリフを聞くのはとても久しぶりな気がした。久しぶりで懐かしくて心があたたかくなって、そしてちょっと悲しくもなった。
そんな私の変化を知ってか知らずか、ジョージは淹れたてのアールグレイのカップをテーブルに置いて、「座って」と手で合図をした。
「あったかい。」
いつからか冷えてしまっていつまた暖かくなるかもわからない私の心の中に、じんわりと紅茶が広がった。
―――私はいつかこの気持ちを整理することができるのだろうか。
自分探しをしに来たはいいものの、全く自分の傷をいやすことが出来なさそうな私の心にはいつもどこかにあの人がいた。消せそうにないというより、消そうとしていない自分にもっと嫌気がさした。
「よし、飲んだら行こうか。」
「うん。」
そんな私のどんよりした空気をかき消すようにジョージが立ち上がった。
私もいつかジョージみたいにすっぱりあっさりあの人を忘れられるように、同じように潔く立ち上がった。
ジョージは私をとりあえず有名な観光地に色々と連れて行ってくれた。外国に来たと実感できる日本にはないつくりの美術館や自由の女神、ブルックリンブリッジやタイムズスクエア…。
すべてが私にとってはもちろん非日常的もので、わたしは純粋に楽しんで観光した。今まで何となく抵抗があって避けていた海外旅行だけど、こんなに特別な気持ちを味わえるのならもっと行こうかなという気持ちにすらさせてくれた。
「美衣、楽しそう。」
「うん、とっても。」
そんな私の空気はジョージにも簡単に伝わってしまっているらしく、楽しそうな私を見てジョージは満足そうな顔をした。こうやって心から笑ったのは久しぶりかもしれないと思った。
それからも私たちは有名な観光地を回ったり、私が行きたかったカフェに行ったりして、いわゆる「観光客」を絵にかいたような一日を送った。
でも普通の観光客と違ったのは、完璧なガイド兼通訳のジョージがいたことだった。きっと自分だけできたら半分も行けなかった観光地をたくさんまわれて、初日からもう帰ってもいいんじゃないかというくらい私は満足していた。
「それじゃDinnerに行こっか。」
「うん。」
一日中楽しく遊んでお腹はペコペコだった。いろいろな場所で気になるものをつまみ食いしながら歩いたはずなのに、普通にお腹が減ってしまっている私は、適応能力がすごいのかそれともただ食いしん坊なだけなのか、よくわからなかった。
ジョージは観光地を回るのと変わらず慣れた様子でスイスイ大都会の街を進んだ。同じペースで歩いているはずなのに、ジョージの足元だけ動く歩道があるんではないかと思うほどスムーズな足取りだった。
「イタリアンでいい?」
「もちろん。」
ジョージが連れて行ってくれたお店はアンティークな雰囲気がとてもおちついている厳かなお店だった。
「こんないい店…だいじょぶ?」
「美衣、僕を誰だと思ってんの。」
ジョージのことはジョージとしてしか思ってないけど、確かにこの人は大出世コースの海外出向をしている人だ、と思い出した。同じ会社にいて同じように昼ご飯をたべて、今こうやって顔を合わせていたとしても、私と彼は全然違う。その違いが時々とてもむなしくなって、でも面白くなることもある。
長い入口の先には厳かなお店にピッタリなウェイターさんがいて、すんなり私たちを席に案内してくれた。ちゃんと聞けば何と言っているかくらいは理解できなこともなかったけど、ジョージがいるからと会話を聞こうともしていない私にとって、2人の会話はBGMと完全に同化していた。
ただただ私は初めての街で当然始めてくるレストランに胸を躍らせていた。
「美衣、ここまで来てくれてありがとう。」
別にジョージのために来たわけじゃないのに、しかも色々と迷惑をかけているのに、ジョージは明るくそういった。そういえばジョージはいつも明るくて、いつも暖かい。それを
思い出しただけで、私は恭祐さんに出会う前の自分を少しだけ取り戻した気がした。
「じゃ、乾杯。」
ジョージは続けてそう言って、ワイングラスを軽く持ち上げた。私もぎこちなくジョージのマネをしてグラスをあげてみたけど、それはあまりにもぎこちなさすぎて、たぶん真似はできていなかったと思う。
それでもアメリカで飲む赤ワインはなんだかとてもコクがあっておいしい気がした。アメリカに来ているんだから、気持ちを大きく持って飲んだり食べたりしよう。私は厳かなお店ににつかわずそう思って、出てくるおいしい料理をぺろりと食べた。ジョージはそんな私の様子を見て楽しそうにわらって、自分もぺろりと料理を平らげた。
「美衣はやっぱり食べてるところが一番かわいいね。」
「なにそれ、デブってこと?」
「なんでそういう解釈になるのかなあ。」
ジョージがそう思っていないことなんてわかっていたから、私は食べることをやめなかった。ジョージはそんな私をみて満足そうな顔をしていた。
「ふぅ、ほんと美味しかった!」
「そう?よかった。」
美味しい料理はお腹だけでなく心までいっぱいにする。
その証拠に私はもうなんでNYに来たのかなんて忘れて、満足した気持ちだけでいっぱいになっていた。こうやって食べてすべて忘れられるなら毎日こうするけど、そんなことしたら本当に豚になってしまう。
現実はとても簡単で、とても厳しいものなのだ。
「明日から仕事だけど…。」
「気にしないで、一人でも大丈夫。」
私はお休みを取ってきているけどジョージは当然平日は仕事があるから明日からしばらく夕方までは一人になる。
不安な気持ちがないわけではなかったけど、このままジョージに案内役を頼み続けていたら"自分探し"の意味もない気がしていた。特にこれといってプランがあったわけではないけど、私は一人の時間もなんとなく楽しみだった。
「美衣、先シャワー浴びていいよ。」
「ううん、ジョージ朝早いんだから先入って。」
カップルみたいな会話を終えると、ジョージは素直にシャワーを浴びる準備をはじめた。そういえばNYに着いた後荷物を開けてすらないことに気づいた私も、明日の準備をするために部屋に向かった。
「美衣。」
部屋に入ろうとするとシャワールームからジョージが顔だけのぞかせて私を呼んだ。声も出さず「ん?」と首をかしげると、ジョージはなんだかとっても幸せそうな顔をした。
「おやすみ。」
それだけのセリフだった。
それは人生で何百回も何千回も、もしかしたら1万回以上聞いているかもしれない”挨拶”だった。
でも私の胸はとてもうるさかった。
ドキドキと音を立てたまま止まる気配がなかった。
この特別なシチュエーションと特別な場所がそうさせたのだろうか。
原因を突き止めるのが何となく怖くて、何よりこの音を早く鳴りやませたくて、私は原因を突き止めるのをやめてやっとの想いで「おやすみ」と本当に小さな声で言った。
相変わらず朝は弱かった。
それは時差ボケのせいとかではないことくらいは20代後半の私にはわかっていて、寝すぎたことを反省してリビングに行ってみると、当然ジョージはいなかった。
―――昨日のあれはなんだったのだろうか。
考えるのをやめたのに無意識にその考えが浮かんで来たから急いでかき消した。かき消すように顔を洗って、今日は何をしようかスマホで調べてみた。
ジョージがいなくてもスマホがあればなんだってできる。
私たち世代にはスマホさえあればできないことなんてないんだ。
私は浮かんでくる気持ちと一人で海外を回ることへの不安をかき消すように、心の中でそう唱えた。
一通りのメイクと着替えを終えて、私はとりあえず行きたかったカフェに向かった。とても方向音痴で昔から家族に馬鹿にされ続けたわたしだけど、それもすべてスマホが解決してくれた。どちらの方向に進めばいいのか私が考えないでも考えてくれる。一人のようで一人ではない旅だな、と思った。
やっぱりスマホは最強だった。
少し戸惑いはしたものの、私はほぼ予定通りにカフェに到着した。時間が中途半端だったこともあり比較的店内はすいていて、座りたかった窓際の席にも座れそうだった。昨日は一言も英語を話さなかったから注文が少し不安だったけど、見よう見まねでカフェオレと食べたかったベーグルを頼んだ。
接客はとても不愛想だった。店員さんたちは普通にスマホを触っていたり雑談をしていたりして、日本でしたらめちゃくちゃ怒られるのにと思った。でもどこに行ってもだいたいこんな感じだから、これが”アメリカンスタイル”なんだなと、いっちょ前に考えを巡らせた。
不愛想な店員さんだったけど、私のたどたどしい英語はしっかり聞き取ってくれていたらしい。スモークサーモンとクリームチーズのベーグルとカフェオレは私の手に届いて、私はちょっとニューヨーカーっぽくスマートに「Thanks」と言った。
でもそれもすべてジョージの真似で、”Thanks!”ではなく「Thanks。」みたいになってしまっていただろうけど。
とりあえずお腹がすいた私は、SNSで見ていた窓際の席に座ってベーグルにかじりついた。日本で食べるベーグルより何倍も大きいそのベーグルは、なんだか何倍もおいしい気がした。おいしくて思わず夢中で何口か食べたあと、我に返ってボーっと外を眺めてみると、NYの街は相変わらずとても忙しそうだった。
誰も私がここから外を眺めていることなんて気にしていなかった。もちろんそれは日本でも同じことなんだろうけど、でももっと気にされていないきがした。それは私にとってこの場所がなじみのない場所であるからという理由ももちろんあるだろうけど、それにしてもこの街はとても”自由”に思えた。
食べかけの大きなベーグルと、一番小さいサイズを選んだはずなのに大きいサイズのカフェオレをみて、私はなんてちっぽけな存在なんだろうと思った。
でもこんなちっぽけな存在の私にとっても心を大きく傷つける出来事があって、でもそれをここにいる誰も知らない。こんなにたくさんの人がいるのに、私の傷のことをしっているのは私だけだった。
「な~んだ。」
そう思ったら自分の悩みがとっても小さいことに感じられた。
なんだ、こんなのよくある話じゃないか。
一人の女が一人の男に振られた話じゃないか。
ちっぽけで、ありふれている、
――――――ただの、失恋の話じゃないか。
そう思ってはじめてまるで世界中の悲劇を背負ったヒロインみたいになっていた自分に気づいた。悲しいことを全部一人で背負って一人で歩いている、そんな感覚になっていた。
悲しいことがあったのも本当だし、自分の傷だって確かにここにある。
これからもきっとこの傷を思い出して悲しくなることも苦しくなることだってあると思う。
でも、それもきっとちっぽけな私の一部。
大人になってしまった私たちの傷はそう簡単には消えてくれない。結婚までしようとした相手も、簡単に頭から消せるわけはなかった。
でもいいじゃないか、それで。無理に消すことなんてなにもない。
そうやってわたしはきっとそれなりに生きることだってできて、きっといつか恋だって見つけられる。これからだって幸せの貯金をちょっとずつ貯めればいい。傷が早くいえるようにと見ないようにしていた今までの出来事を呑み込むようにして、甘いカフェオレを呑み込んでみた。するとジョージと屋上で昼ご飯を食べていたことを思い出した。
あの時、ジョージは私に何かあると甘いカフェオレをくれたっけ。
甘いものは時に女の子の心まで満たしてくれる。それを知っていてジョージは私にカフェオレをくれたんだろうな、と今になって思った。
「ほんとに、ありがたいわ。」
今だって、一人で自分探しをしに来たはずだけど、でもジョージがそばにいてくれている。捨て猫みたいになったとき拾ってくれた菜月もいた。そういうとき一人でいなくてもいいことには感謝するべきだと心から思った。
そう感じた時、私は前よりも自分がちょっと成長したような気がした。でも成長したのではなく、前の自分を少し取り戻しただけなのかなと思ったけど、少なくとも"悲劇のヒロイン"から卒業できたのは確かで、そしてNYに来る前よりずっと傷はいえたのは確かだった。
NYはとても不思議な街で、ジョージもとても不思議な人だ。それからの数日も、私はぶらぶら街を散歩してみたり目についたカフェに行ってみたりするだけで、あえて”自分探し”をしようとはしなかった。でも毎日見るとても新鮮な景色や、いつもでは味わえない非日常は確実に私をいやしてくれて、すがすがしい気持ちにすらなっていた。
ジョージは毎日忙しそうに働いていたけど、毎日夕飯は色々なところに連れて行ってくれた。行きつけのバーにいってみたり高すぎるラーメン屋さんに行ってみたり、色々な体験をさせてくれたおかげで、もう一度NYに来たら軽く案内ができるようになっているのではないか、という錯覚にすら陥った。
そうやって過ごしているうちに、長いと思っていた長期休暇の終わりはあと少しのところまできて、いよいよ帰国前日になった。相変わらず早くでていくジョージを今日はちゃんと起きて見送って、私はいそいそと準備を始めた。
今日は感謝の気持ちも込めて、ジョージに日本料理を作ってあげようと思う。花嫁修業をしている頃たくさん料理を作っていたおかげもあって、私は結構自負できるくらい料理上手になることができていたと思う。ジョージの日常を数日一緒に過ごしてみたけど、日本料理らしいものにも自炊らしいものにもたどり着かなかったから、ジョージに食べさせてあげたい反面、私自身が日本食が恋しくなっていたというのもあった。私はアメリカに来ているというのにわざわざ日本食レストランをスマホに聞いて大量の買い物をした。
「よし。」
重い荷物を持って帰ってくるだけでも結構一苦労だった。タクシーを使えばいいのだけど、どこか田舎の貧乏性が抜けない私は、東京でもなかなかタクシーを使えない。重い荷物を持った疲れで一休みしたくなってきたけど、でもごちそうを作るためには時間が必要だと自分に喝を入れた。
軽快で楽しい音楽をかけながら食材を切った。
包丁を使っている時間ってなんとなく無心になれるから私にとっては料理の中でもすごく楽しい時間のひとつだった。手際を考えながらどんどん目の前の料理を食材をさばいて、考えるのはやっぱり恭祐さんのことだった。
自分探しをしにNYに来て、傷を無理に癒す必要なんてないと悟ったとしても、傷がいえたわけではなかった。でもこうやって無駄な考えを巡らせられるようになったのも、進歩だと思った。前は恭祐さんのことを考えることすら拒否していたから、考えられるようになったということは進歩だと思った。
「好き、、、だったな。」
色々考えたし色々悩んだ。
たくさん傷ついたけど、答えはすべて私が恭祐さんをとても好きだったということろに落ち着いた。私はたくさん恋をして、そして失恋をしたのだ。
それなりに幸せになりたかったけど、本当はそうではなかったのかもしれない。
「ダメだな。」
ダメな自分が嫌になる。何がダメだったのかわからない自分のことも嫌になる。
でも自分は自分をやめられないし、これからも折り合いをつけながら付き合っていくしかない。
「しょうがない、か。」
なんだか自分を探せた、というより吹っ切れたという感じだった。でもそれでもどんよりした気持ちが少し晴れて体が軽くなったような感覚も感じていた。
―――もう、大丈夫。
色々と考えを巡らせている間に料理がどんどん出来上がってきた。スーパーにアジが売っていたから、アジのフライとお味噌汁、サラダに煮つけ…。いい奥さんが作ってくれそうなメニューに自分で自分に感動すらした。
「I’m home~~!」
ちょうど料理の仕上げを終えたタイミングで、ジョージがとても元気に帰ってきた。今までは毎日どこかに待ち合わせをしていたから、こうやって家に帰ってくるのを迎え入れるのは初めてだった。
「おかえり。」
こうやって誰かを待つのは久しぶりだった。待つ時間というのはとてももどかしくて、でもなんだかウキウキする。私は久しぶりに感じるその感覚がとても楽しくて、ちょっと小走りでジョージを迎えに行った。
「いいにおいがする。」
私の顔をみて一番にジョージはそう言った。帰ってきて一番がそれかよと思って思わず笑ってしまった。
「今日はお礼にご飯を作ったの。」
「Really?!」
本当に驚いた様子でジョージは言った。ほんとだとうなずくとジョージはあっという間にダイニングに走っていった。
「Wow…」
机の上やダイニングにおいてある料理をみて、ジョージは言葉を失っていた。そんなに驚いてくれたことがとてもうれしくて、私は誰も見ていないところで満足げな顔をした。
「ジョージ、早く着替えてきたら?お腹すいちゃった。」
「うん!待ってて!」
おやつを目の前にした小学生みたいなキラキラした目でジョージは言った。それがとてもかわいくて、なんだかとてもなついてくれている犬みたいに思えて、少し愛おしくなった。
「それじゃあ、いただきます。」
本当にすぐ着替えを終えて帰ってきたジョージは日本人らしくそういった。それは久しぶりに”譲二”な瞬間だった。そしてそのまま譲二はあたりまえだけどとてもキレイに箸をもって、アジフライにかぶりついた。
しばらくジョージはなにも発しなかった。そんなにおいしくなかったかなと思ってしばらくジョージを見つめていたけど、それでも何も言わず黙り込んだままだった。
「おいしく、なかった?」
「美衣…。」
沈黙に耐えられなくてジョージを呼びかけると、一言私の名前を呼んでまたしばらく黙り込んだ後、次は私の目を穴が開きそうなくらいの目力で見つめた。
「うますぎるんですけど!!!!!!」
なんだか日本の若者とそう変わらない様子でジョージはそう言った。それがちょっと新鮮でおかしくて笑いが止まらなくなった。
「美衣、もしかして天才?もうほんと美味しすぎ。」
ジョージはさっきの沈黙が嘘みたいにペラペラと話しながらご飯を食べた。でもだいたいが美味しいとか、美衣は天才だとかそういうのばっかりで、うれしいけどちょっと恥ずかしかった。
「ああ~。おいしかった。」
最後までキレイに食べ切ったジョージは空になったお皿を見つめてそう言った。私はそのほほえましい光景を素直に喜びながらも、お皿を片づけて買ってきたビールを持ってきた。
「乾杯しよ。」
「うん。」
どんな時でも、”始まり”と”終わり”には乾杯が必要だった。私はこの旅の終わりに、そしてくらい自分との終わりにも乾杯したくて瓶ビールの封を切った。
「私の初NYの終わりに!」
「乾杯。」
ジョージは何かを察するようにしっとりと乾杯をした。その乾いた音が終わりの合図だ。すべてが終わり、そして終わると始まる。
―――やっぱり乾杯は何かが始まるときの合図なんだ。
「どうだった?NYは。」
しばらくビールを飲み終わった後ジョージはしっとりと聞いた。ジョージがすべてをわかった上でそう聞いているのも何となくわかって、やっぱり何も隠せないんだなと思って思わず笑みがこぼれた。
「たくさん恋したな~って思った。」
「そっか。」
「それでたくさん失恋したなって、思った。」
「そっか。」
聞いたのにその答えはなんだと思ったけど、私の答えも全然答えになってないことに気が付いてからは心の中でも文句を言うのをやめた。でも気が付けば目から涙が落ちていることに気が付いて、本当に恭祐さんが好きだったことを再確認させられた。
「よかったね、美衣。」
「うん、よかった。」
こうやってNYに来て自分の気持ちをしっかり整理できなければ、いつまでもくよくよしたままだったと思う。私は私らしく平穏な日々を取り戻すためにも冷静に戻る必要があった。
「ありがとね、ジョージ。」
「ううん。その笑顔が見れてほんとにうれしいよ、僕は。」
「はいはい。」
帰ったら新しい家を探そう。
もしかしたらいつか戻れるかもしれない、なんて思って、菜月の好意に甘え続けていたけど、すっきりした気持ちで新しい家に住みたくなった。今度住む家はたくさん陽が入る明るい家がいい。たくさん幸せを貯金できそうな、そんな家を探そうと思った。
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