5.暖かさを感じられること

楽しかったグランピングが終わってまた何気ない日々を過ごしているうちに、知らない間に季節が少し回った気がする。あれだけ厳しく私たちを照らしていた日差しは、少しだけ優しく語りかけてくるようになって、うっとおしいと思っていた頃の自分を少し恨みたくなる。


「美衣ちゃん、そろそろ起きて。」


本当は起きているのをわかっているのが、わかっていないのか、私にはわからない。


でも少し肌寒くなった朝は、こうやってあたりまえのように隣のぬくもりが感じられることが、毎日更新されるように特別に感じられた。


「ニャー。」


「ほら、お前のママ、まだ起きないぞ。」


恭祐さんと付き合い始めてもう半年以上がたった。


そんな私たちにとって、グランピングの夜の小さな暴露大会は、今考えてみるととても大きなイベントだった。あれから私はなんとなく恭祐さんに遠慮することがなくなったし、恭祐さんから感じていた“壁”みたいなものも、完全に感じなくなった。


それを証拠に、わたしはもうほぼほぼ恭祐さんの家に住み込んでいた。それは相棒の猫も例外ではなくて、私の部屋より窓の多い恭祐さんの部屋で日向ぼっこすることが今の彼の日課だ。


「ほら、美衣ちゃん。」


「ん~。」


こうやってぐずぐずしている時こそ、ほんとに幸せだな、と感じる瞬間だった。


「おいてくよ?美衣ちゃん。」


今日は久しぶりに二人で旅行に行くことになっている。


恭祐さんのお客さんのコネで、軽井沢にいいホテルが取れたらしく、恭祐さんはとっても嬉しそうに私を軽井沢に誘った。そんなお誘いを私が断る理由もなく、私自身も2人で久々に行く旅行にずっと前からウキウキしていた。


いつも通りだらだらと寝ていた私だったけど、恭祐さんの言葉に、「そうだった、今日はうかうか寝てられない」と思い出した。今まで寝ていた私が急に立ちあがって急いで準備を始めるもんだから、近くにいた猫も恭祐さんもとっても驚いていた。いつも2人はなんだかとってもリズムが合っている。


「いこっか。」


「うん。」


私たちの何気ない会話の語尾にはきっと文字にするなら音符がついていたと思う。そんな空気がゆったり恭祐さんから伝わってきて、そのメロディが私の気持ちをさらに浮かれさせた。


「ニャー。」


「お前にもいいとこ、取ったからな。」


そんな私たちの空気でどこかに出かけることを察した猫が私と恭祐さんの足元にやってきた。恭祐さんは彼をなだめるように、優しくそう言った。


東京を出発してからお互いにとっての懐メロを流したり、他愛ない話をしたりしている間に、景色はどんどん緑一色になっていった。田舎で生まれ育ったわたしにとっては、どこか懐かしくもあり、なんとなく思い出したくない景色でもあったけど、東京生まれ東京育ちの恭祐さんにとっては、テンションのあがる季節らしい。


「なんか見てるだけで癒されるね。」


「そうかなぁ。」


「美衣ちゃんは贅沢だなぁ。」


わたしにとったら都会で生まれ育ったのに自然に憧れている恭祐さんの方が贅沢だって思ったけど、同じ景色を見ていても、それは見る人によって全く違ったものになる。


わたしは恭祐さんと私の間にあるその違いを発見するのがちょっと好きだったりする。


そんな違いを発見するたびに、あたりまえって本当はあたりまえじゃないんだって実感できる。自分にとっても「普通」の概念を、いつも簡単に崩してくれる恭祐さんを、私はとっても尊敬している。


「あ、美衣ちゃん、あそこだよ。」


わたしとは少し違う、でもとっても空気の心地いい恭祐さんに見とれているうちに、軽井沢のホテルに到着した。森の中にぽつりと立っているそのホテルは、なんだか他の世界に来てしまったように幻想的で、ゆっくりとした時間が流れていた。旅行をすると言ったら、どちらかというとアクティブに動き回るから、ホテルにはそこまでこだわらない私は、背伸びしたみたいにキレイなホテルに思わず言葉を失った。


「気に入らなかった?」


「ううん、とってもいい。」


自然を見てもそんなに癒されないと思っていた私の概念を覆すように、その景色は私の心の中にあるもやもやを取り除いていった。自分が日々頑張ってきた分の貯金口座に、ある日突然融資をしてもらったかのように、自分が何もしていないのに還元してもらえている幸せが少し怖くなった。


そんな私の気持ちなんて知っているわけもなく、恭祐さんもちょっとウキウキとしたテンションで車を降りた。私はまだそのなんとも言えない不思議な景色に見入っていて、恭祐さんについていくのがやっとだった。


ホテルの中も、昔見た絵本の中に出てくるおとぎの空間みたいに非日常が広がっていた。木を基調として作られた静寂に包まれた空間は、ホテルの中というより「森の中」を連想させて、私たちを静かに優しく包み込んでくれた。忙しく働いていたり、友達とわいわい話したり、にぎやかに充実した日々を過ごすのも大好きなわたしだけど、いつの間にかたまっている心の疲れみたいなものを、自然に取り除いてくれるような感覚になった。


「お部屋はこちらです。」


そんなホテルに勤めている人たちは、「ホテルマン」というより「森の妖精」みたいに見えた。

もちろん、中にはおじさんもいるから、そんなこと口に出して言ったら笑われそうだ、とおもって心の中にしまったけど、想像したらなんだかちょっとおかしくなって、おもわず「フッ」を声がもれた。


「美衣ちゃん、楽しそうだね。」


「うん。とってもたのしい。」


「よかった。」


隠していたつもりだったけど、自然とあふれてしまっている私の幸せは、隣の恭祐さんにはばっちり伝わってしまっていた。そんなわたしの幸せなメロディを聞いて、恭祐さんも同じように幸せそうな笑顔を見せてくれた。


はたから見るとニヤニヤしあっていた私たちが案内されたお部屋も、想像通り癒しの森が広がっているようなお部屋だった。森に面した壁は、一面ガラスでできていて、もちろんそこを開けてバルコニーにでることもできる。そんな開放的な窓の側にお風呂もあって、文字通り森の中でお風呂に入れるような、そんな素敵な部屋だった。


「わぁ、ほんとにすごい…。」


お風呂が大好きな私は、見たこともないバスタブにまた心を躍らせた。踊った心のまま思わずもれた声に恭祐さんは森に似合う穏やかな声で笑った。


「美衣ちゃんって、ほんとにわかりやすいよね。かわいい。」


森の空気をいっぱいに吸い込みながら、恭祐さんが言った。

少し照れながらもそんな素直な言葉がうれしくて、私も思わずニコニコしてしまった。


夜、お風呂に入るのがとっても楽しみだなぁ、と思ったけど、開放的すぎるお風呂に入ることを想像したらすこし怖くなった。


―――ダイエット、してきたらよかったな。


多分、しようと思ってもできなかったことを浮かれた頭の中考えた。


軽井沢での私たちは、ゆっくり散歩したり、ゆっくりお茶をしたり、とにかくゆっくりだった。


東京では自然と早く歩く癖がついた私も、ここではなんだかゆっくりと歩いて、そんなわたしのペースに恭祐さんはしっかり合わせてくれた。

歩くペースが同じだということは、とても幸せなことだと思った。


忙しい毎日が嘘みたいに、私たちは特に何もしなかった。


でも退屈だとかそういうのではなくて、それはとても充実した「退屈」だった。散歩したあとホテルに帰って部屋でゆっくり2人を読書をしたりテレビを見たりして、いつもと変わらない日常みたいなことをしたけど、全然もったいないとも思わなかった。むしろ信じられないほど素敵な部屋は、それをとても贅沢に感じさせてくれる空間で、私たちはどこまでも森と一体化していた。


私たちが贅沢に退屈を楽しんでいる間に、外はあっという間に暗くなった。ここは私の地元と同じ「眠る街」で、昼間よりもっと暗く静かになった森の中で、このホテルだけが暖かい光で包まれていた。


私たちはそんな優しい空間に酔いながら”森のホテル”で夕飯を食べた。軽井沢の新鮮な野菜をたくさん使った料理は、驚くくらいおいしいのにとてもヘルシーだったから、どれだけ食べても太らない感じがした。


――――そんなわけないことはわかりきっているけど。


「美衣ちゃん、おいしかった?」


「うん、すごく。」


おいしい料理と一緒に、お酒もとても進んだ。それは私だけじゃなくて、恭祐さんも同じだった。お酒が進むにつれて私はとっても気分がよくなって、小さい時のことをたくさん恭祐さんに話した。


田舎で生まれ育ったから、昔の遊び場所は川だったこと。

川でよくサワガニをとって、家で飼ってたのにいつの間にかいなくなってたこと。

近所のおうちで飼っていた柴犬は、私の一番の相談相手だったこと。

冬に雪がくると、たまに友達と雪を味見していたこと。


とてもどうでもいい話を、恭祐さんはとてもおもしろい話みたいに聞いてくれた。そんな恭祐さんにもっと気分をよくして、私はとまらないおしゃべりをずっと続けた。つまらない話をずっと聞かせていることにちょっとだけ罪悪感がなかったこともないけど、女の子のおしゃべりスイッチは押してしまうとなかなか収拾がつかないものだ。


恭祐さんはおもしろく話を聞きながら、適度に質問もしてくれるから、余計おしゃべりが止まらなくなった私は、どのくらい話したのかわからないほど饒舌に話を進めた。


「ごちそうさまでした。」


私は満足できるくらいご飯をたべて、たくさん話をした後、丁寧に手を合わせた。

そんな私をみて恭祐さんはとっても満足そうに笑った。心も体も満腹だなぁ、と本気で思った。


とっても楽しみにしていたご飯が終わってしまったけど、私はあの森の中のお風呂が待っていることを思い出して、引き続きウキウキした。そんなウキウキした気分のまま恭祐さんを見上げると、隣に大好きな人がいてくれる幸せを思い出して、そんな幸せをかみしめるように恭祐さんにぴったりくっついた。


「ね、美衣ちゃん。部屋帰る前にちょっと散歩しない?」


そんな私をみて、いつもより少し堅苦しく恭祐さんはそう言った。

恭祐さんの表情をみてさすがにおしゃべりしすぎたかな、と思ったけど、酔いをさますためにも散歩もいいかもな、とたいして気にもせず笑顔でうなずいた。


わたしの満足げな顔を見て、恭祐さんはやっといつもの笑顔を見せてくれた。


ホテルの施設はとても広かった。


ヴィラがいくつもあって、その間隔もとても広いから、一つの街みたいな空間がまた特別感を引き立てていて、暗い中にポツポツと光るオレンジの明かりもとても幻想的だった。そんな明かりにどこまでも引き込まれていくように、私たちはどんどん前に進んだ。


「あそこ、入ってみよ。」


そんなヴィラの中に、少しだけ高い建物があった。

ぽつりとそこだけ暖かく明るい明かりを放っているその建物は、わたしたちに「こっちにおいで」と言っているように見えた。


恭祐さんに引っ張られるまま、吸い込まれるようにして私はその建物に入った。ドアを開けるとそこは小さな教会だった。外の世界とはまるで別の空気を放っているような幻想的な空間が私の目に飛び込んできた。


「わぁ。」


キリスト教にはあまりなじみのない私にとって、教会はとても特別な空間だった。

女の子ならだれでも一度は夢見るバージンロードに規則的におかれたロウソクの光は、とても暖かく私たちを包み込んでくれていた。その暖かな光の先にあるステンドグラスは、その光で浮かび上がるようにぼんやり輝いていた。


「行こ。」


驚く私にロウソクの光みたいに優しく笑った恭祐さんは、私の左手をとってどんどん先に進んでいった。つないだ手がとても暖かくて、胸がいっぱいになった。胸もお腹もいっぱいの私の頭は、私の幸せ貯金はまだ残っているだろうか、と考えるほど冷静だった。


私の腕をつかんだままどんどん進んだ恭祐さんは、教会の一番前までいって足を止めた。友達の挙式に参加した時、新郎新婦はここら辺に立っていたっけ。


人生で初めてそこに立って、小さいころから憧れ続けた「結婚式」を迎えた2人の気持ちを想像してみたけど、まだその日を迎えていない私に想像できるはずもなかった。でも神聖な雰囲気の中立っているだけで、なんだか心洗われるような気持になって、私は目を閉じて大きくその空気を体に入れた。


ここにいると幸せ貯金を使っているのか、それとも知らないうちに誰かが私の貯金を殖やして言ってくれているのか、その境界線がとてもあいまいになるな、と思った。


「美衣ちゃん。」


よくわからない頭のまま、私が心洗われる空気をたくさん取り込もうと深呼吸をしていると、恭祐さんが私を呼んだ。


「なに?」と首をかしげて恭祐さんを見つめ返すと、そんな私をみてフッと笑った恭祐さんが私の両手を取った。自然と私は恭祐さんと向き合う形になって、とまどいながら恭祐さんを見つめ続けた。


そんな私をみて、恭祐さんは相変わらず暖かく笑った。


「美衣ちゃん。」


いつもの通り私を呼んだ恭祐さんがひざまずいた。

神聖な雰囲気な中で見る見慣れない光景に私は戸惑うしかできなかった。


「美衣ちゃん、美衣ちゃんといると、すごく優しくなれます。」


少し息を置いたあと、恭祐さんは息を吐くようにふんわり優しくそういった。

そんなうれしくて、ふわふわしてしまうようなセリフを聞いて、

それは私のセリフです。と心の中で言った。


本当は口に出して伝えたかったけど、状況をよく呑み込めていない私は、思ったように声は出なかった。


「美衣ちゃんに俺は本当に救われた。


そんな美衣ちゃんを、これからは俺が守ってあげたいと思ってる。」


そんな私を知ってか知らずか、恭祐さんはどんどんとうれしい言葉を発していった。


でもそれを聞いている私の頭は、とてもぼんやりしていた。薄暗いからなのか、目の前で起こっている出来事がなんなのかよくわからないからなのか、当然それを考える余裕なんてなかった。


「まだ早いかな、と思ったけど、早すぎることなんてないと思う。


きっとこれからも、こうやって仲良くやっていけると思うから。」


そういって恭祐さんは私の手から自分の手を離して、ポケットから小さい箱を取り出した。


何を言われるか大人の私には当然想像できたけど、まさかこんなことが、こんな奇跡みたいなことが自分に起こるなんて思えずに、私は私を納得させられなかった。


「私で、いいんですか?」


呑み込めない頭のまま、あふれた涙を一生懸命こらえて言った。

そんなわたしの消えそうな声に恭祐さんはいつものように笑って、「もちろん。」と言った。

そう言われてもまだ状況が呑み込めない自分がいた。


でも目の前で輝いている指輪も、両手に感じるぬくもりも全部リアルで、それが「全部嘘じゃないよ。」と私にとてもやさしく語りかけてきた。それはすべて自分で自分を信じてあげる力も十分に持っていないわたしを後押ししてくれているようだった。


「お願い、します。」


そんなたくさんの声に後押しされて、しぼりだすように、私は言った。

本当に絞り出すように言ったから、伝わったかどうか不安だったけど、そんな私の答えに小さく「よっしゃ」とガッツポーズをした恭祐さんをみて、伝わったのだな、と安心した。そして恭祐さんは、また私の方をみて今まで見たことのないほどの幸せそうな顔をした。


とっても大人でスマートな恭祐さんが、とってもかわいく見えた。

私はそんな状況でも新しい恭祐さんを発見できてうれしいな、と思った。

私は自分が思っているより、恭祐さんが思っているよりずっと、恭祐さんが大好きなんだ、初めて実感した。


「つけて、いい?」


可愛かった恭祐さんは、すぐにオトナモードに戻って、いつも通りスマートにそう言った。そしてやっとの思いでうなずいた私の左手を取って、恭祐さんは輝く指輪をはめた。


近くで見るその指輪はやっぱり輝き過ぎていて、本当にまぶしかった。まぶしすぎて私が見えなくなってしまうかもしれないと、馬鹿なことを考えた。


「よかった、ぴったり。」


恭祐さんが一人で選んだはずの指輪は、2人で一緒に選んだかのように本当に驚くほどぴったりだった。


本当に驚いたからびっくりした顔で恭祐さんをみたら、そんな私の頭にポン、と大きくて暖かい手を乗せた。恭祐さんの手はいつも暖かくて、魔法の手だと思った。


「実は美衣ちゃんが寝てる間にね、はかったんだ。」


魔法の手を持つ恭祐さんが、ちょっと照れながらそう言った。

私を起こさないように必死に指輪のサイズをはかる恭祐さんの姿を想像したら、なんだかちょっと笑えてきた。


「美衣ちゃん、笑うとこじゃないんだけど。」


そんな私をみてまた照れた恭祐さんがかわいくて、もっとおかしくなって笑った。

やっと泣き止んで笑う私を見て、私と同じように笑った恭祐さんにそっと抱きしめられた。


それは私にとって今までで一番幸せな瞬間で、今ならジョージの言う「愛」だって理解できそうな気がした。


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