エ女子な私。二股恋の方が身も心も落ち着くんさ!するのが女子だわ

いく たいが

恋の目的は、悦女子なの!たくさん楽しんだ方の勝ちなのさ

 「春眠暁を覚えず」というと「眠暁を覚えず」にって。

しずかに横たえ眠る姿に。

微睡まどろむ陽の光が、樹蔭こかげを通して、隠現ちらちらと肌に射すとき

かおはいまだ少女。

邪気無あどけなさを浮かべてベッドの毛布に身をくるむ姿に……。

二階の窓辺と同じ高さまで昇ってきた陽光。

「朝よ」と肌をくすぐる。

背筋をグイーっと伸ばした佳菜かな


 すると、急いでベッドから急いで跳び降り、床の上に脱ぎ捨ててあった服を拾い身に着けると「昨日ありがとう……後で電話するから」と彼氏の岶田さこた千万富チマトが彼女の寝ていた枕を抱き締めていう。

「うん。じゃーねー!」と軽くハグするとラブホーの階段を跳び下り、何か大切な事を目の前にしてるマジ表情で右も左もラブホが林立する円山町を小走りに道玄坂まで驀地まっしぐら

後は下り坂に身を任せると渋谷駅へ体が自然と降りて行く。

円山町のラブホー街で、ちょっとは雑誌や映画でモデル兼俳優として名が売れ始めていたこともあって、世間ひとに自分を見られることを避けるために小走りしていた。


 下り坂の途中、一人の地元のイケメンやくざ野郎に「姉さ―ん、おはようございます」とペッコと頭を下げ、声を掛けられるが、軽く会釈するだけで東横線プラットフォームに辿たどり着く。

駅舎から見下ろす渋谷街を一往に目にするとフッと大きく息を吐きサングラスを掛け直す顔にやっと安堵の表情を浮かべる。

あずま興業所属のモデル兼女優業をしていたことから親分安藤昇の事務所の身内の一人と、その若い衆が一応敬意を払ったつもりで「姉さ―ん」と呼んだのです。

確かにサンドイッチマンや芸能を取り扱う興業事務所であったが実態は暴力団の事務所を兼ねていた、が、ここに所属乃至ないし関係していた芸能人は当時数知れずだったのです。



 昭和初期は、平時と比べては行かん。

なぬぅ?古い古い!!時代劇もどきやん。

俺も最初そう思った。

だろ!

やっぱ違うぞ。

そうかな? …………。

昭和を知らないやつに未来が見える筈はね。今日こんにちだって、脈々と昭和を受け継いでいるではないか!

本当かよ!?そんな古い混乱期を引き継いでるのかいな!?


――屁理屈ねぇ!?

いやいや。

正論す!

何か理屈を以て世の中を知ったかぶりをする者にはなりたくないというやつ程、実は自分の頭はお馬鹿さんといっているのである。

「早起きは二度寝する」 「早起きは夜の四倍得」と云ったて。

険のある顔(冷たくきつい感じ)のやつ程ひねくれてると云っても。

そう一往は言葉を以て云えない怠け者よりは考えているのだから、むしろそういう人の方が好感を得るだ。

云おうとぜず逃げるのは、弱虫、と映るからだ。

但し、格好付けだけは行かんのだよ。偽善者と映るからね。

頭ワル、頭イイ、どっちの人とデートしたいですか?そう考えりゃ分かつこった。――



 常識も倫理もへったくりもない時代。それが昭和。

子はたくさん生め、国家の鉄砲弾になって国を守れ。

父親が帰宅するといきなり、今日からお前はあの家の子になれ。

おじさんちの子になるかい!?と云って浮浪者にメシを食わせ労働力として或いは女児なら別な目的で囲むやから

長男が戦死して跡取りがいなくなったからあの縁戚の者を後釜にしよ。

帰宅したばかりの自分の小学生の娘に、一家の貧苦を救うためもう先方から金は貰ってるから、明日からそこの家に行ってお世話をしなさい(老人の慰め者になれ)――帰ってきてはいけないよ……。

もう親孝行する時期、15歳ならキャバレーで働ける若さよ、少しは家を助けてね、と母まで勧める。

浮気、そんもんはね。最初から、男は種を散蒔ばらまけ、女は卵を生みさえすればいいの風潮。

三角関係、四角関係、不倫関係、夫が妻に暴力、そんなことは家庭内の出来事、警察は関知できませんと国家も社会も浮気奨励、暴力黙認。

そうなると。

男はパカパカと浮気し放題。

女もそうかよと他の男とホイホイとやってはポンポンと子を生みその子を今目の前にしてる旦那の子に付け替える――或いは大金を貰って養子縁組等をする。

親に似てない、云う事を聞かない、と「お前は橋の下で拾った他所の子」という。

似てないのはその所為せいではない。まさに他のはしたもと)で生まれたからなのである。

 このような時代の波に、佳菜、妹の優佳ゆか、母鈴佳すずか夫夫それぞれの人達、中には大実業家も政府政治家も有名俳優も・庶民関係なく、飲み込まれて往くのでした。


 甘く、ロマンチックで。胸が躍るラブストリーは誰でも憧れる。

「チッチッチ!」騙されちゃいけねえよ。そんなのは小説の中の話やドラマの世界の話だって。

生はそう容易たやすくはできてないのだ。

夢を潰してるんじゃない――そうならないようにしようぜ!という話ってこっちゃ。


 日本史上、唯一にして最も荒れた時代。

それは大化の改新――とは表づらのいい方で(別名「乙巳いつしの変(文字通り「変な事(乙)が午前九時から十一時までの間に起きる(巳)』とした乙巳・・の文字格好が云い現わしている」)というくらい反乱そして反乱に明け暮れた天地とも物情騒然ぶつじょうそうぜんな時期ともいって、また平安の、或いは、桃山時代の天地が引っ繰り返る程の動乱に継ぐ動乱、しかし、昭和に比べたら目じゃない。


 昭和はその典型的な象徴。

或る日、国民の全員に、いくら逃げてもダメよと、突然「赤紙」が来る。

今営んでいる生活全ても夢も捨て国家の従僕じゅうぼく(奴隷)になれ! 連日、親が、恋人が、兄弟が、友が、戦死。これが人民を真っ赤に血染める赤紙(命令書)というやつだった。

徴兵制反対! 二度とあってはなりません――特にこの島の真面目過ぎた性格の国民性では。

『真面目過ぎた』とは「柔軟性がない、性格が堅い、機転が利かない」の意だから、過ぎたことで得るものは死に等しいものだけとなる。


 過ぎ去った昭和をぐちゃぐちゃ今更云うんじゃねえよ!

御尤ごもっとも。

ドッコイ!

再軍備に躍起になってるやつがいるのさ。令和のこの時期にもアベとアソウのコンビは「いつでも戦争するぞ!」という風に憲法を変えようとしてるのさ。


 国民の振る日の丸は表の顔。

本音の顔は、大人も子供も社会全体の皆が愚愚おれおれ(愚民政策と知りつつ徒徒ただただ諦め)な愚連隊(心が不良になる)になっていた稀な時代格好。

日本国は神の国――天照大神あまてらすおおかみの末裔である天皇が現人神として君臨し永久に統治を行い神の加護が永遠に約束される国家であるぞ、と学校の先生も政治家も庶民までも豪語する(天皇の発祥はイチ暴力集団の親分だったに過ぎないのだがそう修飾語を以て飾り立てただけ)。

それを真に受け信じた国民。

死んだのは国民だけ。

国民の為に一度も天皇も時の権力者も死んだことはありません。

ゆえ、結果は、コテンパンに叩き飲まされた(三対一で勝てる筈はね! アメリカの人口は日本の三倍。タイマンしてみい! どうやって一人が三人をやっつけることができるかってんだい。こんなことも計算できなかった当時のお偉いさん頭は既にその時から負けていたわ)。

日本中の主要都市は、どこもかしこも浮浪者だらけ、親を失った孤児、家も樹木も全部焼けちまった、どの者も憔悴しょうすいしきった顔に顔。これじゃ、皆の心は愚連隊にもなるわいな。

当時、親を失った浮浪者を国は片っ端から取っ捕まえ檻のある中に収容したんだ。普通なら浮浪者にしたのは国の戦争のせいなのだから保護すべきをだぞ。


 昨日まで路地裏ではしゃいでいた童も、朝早くから湯気を立ち昇らせていた豆腐屋も、街の形はゼロに。正に廃墟ゴーストタウンとなっていた。

1467年に勃発した応仁の乱は歴史上、最悪であったとした遷都せんと(首都)・京都炎上どころではない。

当時一面が火の海になったのは京都だけであったが、この昭和初期は沖縄から日本中のあらゆる都市が火の海になった。「止めを刺し」は人類初の原爆を二つも食らい一瞬にして消えてしまった約14万人(広島)に凡そ7万4千人(長崎)のなんの罪もない老若男女達だけ(お偉いさんたちと天皇だけは無傷)、史上最悪な時代だった。

これが民に加護を与える神の国といえますか?


 こうなると人々の中にも最悪な者も現れ、昨日まで居た犬が今朝になって見ると居なくなっている、家事労働として飼っていた牛が或いは馬が居なくなる、盗んだ者が解体して闇市場で肉を売りに出していた。金に余裕のある者が買って食べていた。もしかしたら自分の家で昨日まで家族だった犬を牛を馬を、おいしい、と云って。


 戦後そこへ、立ち上げた安藤組、若干二十六歳のハンサム野郎。つい昨日まで特攻隊隊員として命を散らす者であった、成績優秀なエリートしか受からない海軍飛行予科練習生であった。少年院を脱するために猛勉強をして掴んだ地位だったのです。

当時としては画期的、従来の暴力団とは異なってファッショナブルなスタイルをモットーとして売り出す元特攻隊スピリッツ。

背広の着用を推奨し紳士らしく、刺青・指詰めはダサ、厳禁とした。

これが当時の若者の絶大な支持を集める。

どの階層の若者にもトレンディ―となって最盛期には500人以上とも1000人程の構成員が在籍するようになり、中には大学生や高校生の姿も珍しくなかったという。いわば若者間には「憧れのファッション」のようになっていた。


 ヤクザがヒロー、憧れの職業、こんなのは昭和初期だけの現象――が、似たような現象は今日こんにちでも生き――嘘八百を並び立て自分の縄張りを無理ごり押し、広げ、権力の座に居座る者、いくら偉そうなこと云ってもやってる事はヤクザと五十歩百歩。


 このような状況からその組(東興業)に積極的に関わった芸能人関係者らは、佳菜を始め数知れず。

芸能関係者だけで(政治家を含めると大変な数に)主な人を挙げるとこんなにも多くの人達。

(松竹・東宝・大映・新東宝・東映等の)映画五社、岩下志麻、佐藤純彌、降旗康男、中島貞夫、梅宮辰夫、村上弘明、吉田達、三田佳子、岩城滉一、中条きよし、山口洋子、堀田眞三、梶間俊一、北島三郎、五社英雄、安部譲二(組幹部にまでなる)、唐十郎、中には脅して従わせた力道山や、酒乱癖のある三船敏郎を叩きのめし反省させたり、石原裕次郎に詫びを入れさせたり、それは殆んどの関係業界が安藤昇と縁を持って、また持った方がトクが多いと何らかの関係をむしろ寧ろ望んで、安藤昇をヤクザとしてではなく、ビジネス価値の大きい人物として関係を維持していたかったのです。


 警察公認ってことね。当時の渋谷警察署管内による警護は緩やかであった。恐喝、喝上かつあげを厳禁とした安藤組に任せてれば渋谷の治安は安泰と警察も認める程、安藤組の紳士的な牛耳り方であった。

不良はみんな、庶民までが、そのバッジを欲しがった。

警察官まで欲しがった。渋谷署のhという巡査部長がいて、そいつがある日組幹部の一人に「そのバッジが欲しい」って云って来る。馬鹿ぁ! と一喝。かといって「はい、どうぞ」ってあげるわけにはいかない「じゃ、俺がいったんこれを落とすからな。拾うのはあんたの勝手だからさ」と言って地面に落としたら、喜んで拾って持って行った。

バッジのデザインは「安藤」と「東」双方の頭文字Aが黒字に金で浮き立たせたものであった。

警察署員のなかには賭場手入れの際にサインを強請ねだった者まで。


 このようにこの時期は、破格な人生が堂々と|罷り通ったのです。また人びともそう生きていかざるを得なかったのである。渋谷署員の中には月々お小遣いを貰って暮らして居た者まで。

佳菜と優佳の父昭一しょういち、その母鈴佳すずかとの年齢差はなんと32歳もの親子年齢差。

そのような50近くの老齢期に入ろうとしていた二人の父を政府は軍医として出征させ、前戦の大将は医師どころか一兵卒にしてまで送った軍の事情。

産んだ次女はその夫昭一の子ではなく他の若い男の種をはらんで産んだ妻鈴佳。

昨日まで敵国と云って恐れていたアメリカ兵を好んで恋人にしたがった大和撫子。

つい数時間前までは神として敬われていた者が死刑を恐れ、豹変、人間宣言を発布し、自らがモーニング姿に正装してGHQに命乞いに参上、死刑は免れ国の象徴として難を逃れた。

こんな事象を破格という。


――破格も通れば、常識事になるのよ。何もこの時代だけじゃないわ。いつの時代だって。――


 

 佳菜の住まいは目黒区柿の木坂。環七通り(後の名称)と目黒通り、そしてこの柿の木坂通りの三本の道で区切られた奥まった閑静な住宅地の一軒家。

ガラッラッと玄関を開ける。

「『遅くなるけど』と云ってたのに『只今!』って朝帰りかよ!」と怒鳴る妹の優佳ゆか

「ごめんごめん!! あんた急がないと遅刻でしょ」と云ってお昼の弁当替わりにと買っておいたカツサンドイッチを妹に手渡す。

長女佳菜十八歳、次女優佳十六歳、の二人暮らし、とニャん子が三人、時に何所からかやって来て何カ月も居つ続けるもう一人のニャンことの四人暮らし。


 母鈴佳は、生前、夫の昭一が医科大学教授であったことから家に学生らが多く出入りしていた。その中の1人赤柄あかつか親弘チカヒロという若者が猛烈に好意を寄せて来るうち、ついに体を許してしまう。それで終わりかと思いきやその後も何度も何度も体の関係がつづいてく内、その時に妊娠した子を何食わぬ顔をして夫との間の子として産み家族として育ててきたのです――子殺し(堕ろす)の者にだけはなりたくなったのです。

どういう因縁か、後にこのチカヒロの子である親雄チカオという青年と佳菜は運命的な出逢いし、彼との間にたしか絆を築くことになるのだが、無論この時点で二人は知る由もなかった。


 やはり来ましたか――覚悟はできていた。

戦地に赴いた夫昭一の死亡告知書「本籍ナンタレ右は昭和ン年何所其処に於て戦死せられましたから御通知致します」これを見た母は改めて、私がこの子たちを立派に育ってて見せるわ、と自らに誓う。

その通りに立派に育て上げた。

が、その後まなくして今度も激しい恋に落ちていったのです。

駆け落ち(母自身は十歳もさば読んで。綺麗な美人は歳も誤魔化し易い)をしたのです。

目の前で今迄見たこともない現金を右から左から懐に入れる。優雅な振る舞いに全てが見えて来たのは紳士と映る。「あなたのような美人と居るだけで私は幸せ」云われると本気になる。当時流行り出したゴルフ場の経営者であった。薔薇の花を何十本も贈られる。もうすっかり彼の虜になってしまう。母でいるより女を選ぶ。正直な生き方だ。

女ゆえのさがか!? 母になりきれなかった性質だったのか!? どちらも本当だ。これがいとも簡単に罷り通ったのは昭和という特殊な時代背景。いや、いとも簡単程程ではないが罷り通ってる今時もであって永遠に変わらないのであろうか!?

 その際「この家は任せるわ、生活はできるでしょ。佳菜ちゃんはもう十分にギャラ持ちの有名人だし。後はあなたちだけの家だから自由自在よ。もしも足りなくなったら云ってね。仕送るから」と云ってその男の許に奔って行ったのです。


 もはや母ではなく女となっていた。なんとドライな、なんと素直な振る舞い。というか、そんな恋に落ちた母を女として目の前に見てると致し方ないとも思うようになっていく子二人。

「金持ちな彼氏だから。あなたたちのことも考えてあるからね。ここに通帳、これはこの家の登記名簿と実印」と云い渡し姿を見せる事が稀になって往った。

やはり結婚となる動機の第一は財力だ。恋愛は少しくらい貧乏でも見栄えさえよければおけなのだが、結婚となるとそうはいかない、生活中心となる、中心とは愛より生活費なのだ。


 戦後の混乱期。全てが規格外。

これで終わり、後は正常に戻る。終戦はこの時だけと思ってたら、この影響は後の平成・令和へと更に拡大していったとは……この規格外はこの時より始まったのである。

 夫を失った、男を失ってどうやって? 子を育てることに自らを犠牲にする? 女としてもこの身のこのモヤモヤ感のままにやってけるか? 生きてけない。れかを選択しなければならなかった。

自らの幸せのためなら何でもしてしまう。正に今である。

当時こんな事情から結構似たような事例はこの家庭に留まらず少なからずあった特異な時代模様――いっちゃなんだけど、ブス又はシワシワ顔は別です、モテないと悟って女になることを諦めるからです。いや、殿方もご同様、女性に縁が無いと諦める、諦めるとますます疎遠となってゆく。解決策は美容整形に行けばいい。お値段が高額なのと失敗して皮膚が垂れる事例もあるとのこと、ご注意を。


 一般庶民の若い子まで。

流行りのナイロンストッキングやニュース―ツは貰えるしお小遣いだってデートさえしてやれば貰えるし、沢山貰うには沢山体をあげれば小遣いの額も比例して、食べ物もより高級品をゲットするし、となると多くか少なくは知らないが、若い女性はアメリカ兵を彼氏にしたがり、もう半奴隷女性(「パン助」つまり街頭の「私娼」と呼んだ)へとなっていった者も少なからず。

パン助の多くは。

今では実在の伝説女性としてよく知られた象徴が可愛い顔をした「ヨコハマメリー」です。

横浜の街角で、素顔を隠すために顔を真っ白に塗り、純白のドレス姿で立っていた。戦後、神戸に出て米兵相手に働き、恋人となった進駐軍の将校と上京したが将校は母国へ帰国。メリーは横浜の街角に立つ娼婦となり、老いてからは雑居ビルのエレベーターホールや廊下で寝泊まりし、ついに95年に横浜から忽然と姿を消し、2005年、故郷の中国地方の施設でひっそり亡くなった。

例外もあるにはあるが。

貯めた金を元手に美容院やトルコ風呂(今で言う「風俗店」)やキャバレーを興し大出世した女性もいたそうだが極極一部なんさ。

そうさせた元凶は何だ?戦争だ! 今でも似たり寄ったりな生き方をしてる女性はいるぞ。これは運が無いのだ。だから二股をしてでもチャンスを広げようということなんだ。


 全てが常識外なイチ時代。

アメリカ人数名が綺麗な女に目を付け犯そうとしたが抵抗されグで殴って交互にやりまくって逃げた。さっそく警察がどのような人相か? 等々の手掛かりを得て逮捕に向かうとMP(軍警察)らが阻止。「ここ日本はアメリカ軍の統治下で日本にその権限は無い」と一笑の下に追い返される。

 かと思うと。先祖代々続いて来た由緒ある建物を「アメリカ政府の統治下にある日本を治める必要から1か月をめどに出て行くようにと命令」とそこの家族全員を追い出してしまう。アメリカ政府が弁償金は一切払わず、日本政府が僅かな金額を肩代わりするだけ。


 もう一方の最たる規格外は。

日本の戦争の悪事を解明するとして開かれた極東国際軍事裁判。裁け裁け!!と云い張った者は誰か?

1943年10月20日に17カ国が共同で設立した連合国戦争犯罪委員会(UNWCC)は戦争犯罪の証拠調査を担当する機関であったが、委員長には中華民国の顧維鈞グー ウェイジュンが就任し、8月29日に対日勧告が採択された。つまり中華民国の言い分を丸呑みしたに過ぎないのである……これは表向きの理屈で最初からアメリカが仕組んだシナリオだったのだ。日本ほど残忍で無知で野蛮な国は無いと。

 しかし、反対意見もあった。

記録に依ればこうなっています。

イギリス領インド帝国の法学者・裁判官ラダ・ビノード・パール判事は判決に際して判決文よりも長い1235ページの「意見書(通称「パール判決書」)」を発表す。

「軍事衝突による戦争裁判を戦勝国のみで裁くことはできない」とし全員無罪と主張した。

この意見は「日本を裁くなら連合国も同等に裁かれるべし」というものであって。パール判事がその意見書でも述べている通り「被告の行為は政府の機構の運用としてなしたもので、各起訴全て無罪と決定されなければならない」としたものであった。

また「司法裁判所は政治的目的を達成するものであってはならない」とし、多数判決を理由に同意を強引に押し付けた判決であってはならないとも反対意見を添えた。

パールは1952年に再び来日した際「東京裁判の影響は原子爆弾の被害よりも甚大だ」とのコメントを残す――何故、大量無差別兵器を使用した国が裁かれないのかを示唆するものであった――残念ながらこの真の意図を日本のマスコミが取り上げることがなかったのは「国民性の低さを実感する」と痛烈に批判した学者が居たがこの学者さえ軽んじていた国民でもあったのです。


――主因は何だろう! 

「井の中のナンタレ」に訓練されてしまっていたン千年に及んだ環境であったのだろう。「離婚はみっともない。外で生活費を稼いでいるのだから家の中心となる夫を『主人』と呼びなさい。従わない場場合は『女は口で言っても解らない動物だからしつけとして『殴ればいい』とした風潮が当時あったこと(いくら警察に相談しても『夫婦事に警察は口を出せません』と異口同音な対応。今なら即ドメスティック・バイオレンスとして人権侵害に抵触したとして即立件)からも容易に察し余りあるものである。

では、主人に対して妻とは何なんでしょうか? 『家内』と呼んでなにも違和感を感じなかった人々……『奥方』と呼んだ江戸時代からの伝統好きな民のさがゆえなのです。――


 しかし。

流れは被害者側であった主要国の一つの中華民国国民政府にあった。

この国はカイロ会談直前の1943年10月、孫文の長男孫科が重慶の英字紙ナショナル・ヘラルドに於いて「天皇および天皇崇拝を一掃せよ」と論じた。

その後重慶に設置された連合国戦争犯罪委員会極東小委員会はアメリカ、イギリス、中華民国、オランダで構成され、日本人戦犯リストを急遽きゅきょ選定し終わる。

欧米マスコミはこれを一斉に支持する。

 1945年6月に作成された「侵戦以来敵国主要罪犯調査票」では「天皇裕仁」をはじめとする「陸軍罪犯」173人、「海軍罪犯」13人、「政治罪犯」41人、「特殊罪犯」20人が選定され、7月17日には国民参政会は天皇を戦争犯罪人として指名し天皇制度廃止を主張した。

が、国民政府は米国の戦後援助も必要としていたことから同調して訴追までには至らなかったが同年1945年9月の「日本主要戦争罪犯名」ではほぼ中華民国国民政府の要求に沿った178人が選定される。

 又又1946年から1948年の文書「日本天皇世系問題」では天皇は日本の侵略的軍国主義の精神的支柱であったため死刑が望ましいとの意見を添付し兎にも角にも「排除」を求めることに躍起となる。

被害者救済という美名に隠れた報復裁判で在ったのです。

 軍事的報復。これを形を変えて報復裁判となったのです。

報復攻撃は他者への損害を及ぼすために道徳的には違背行為ともされるが、これは机上の理論、現実は、戦争などで攻撃を受けた側が報復する場合などは肯定的に評価されるのが世界の一般的常識のようである。

と仮定すると、原爆投下への日本による米国に対する報復は正当化されるのだろうか?――何故いまだに賠償責任及び道義的責任を日本はアメリカに対し請求しないのだろうか?――弱いからである、新しい考え方に対する日本人マインドが!

要は、やれば! やり返す! これは際限なく続く悪の連鎖である。

 戦争に正義はないのだよ。起せば伴に犯罪者なのだ。被害者は伴になのだ。こんな簡単ことも分からないやつは肥溜めに落ちちまえ。臭い自分に気付くだろう。


 この令和の時代にもこの昭和を色濃く引きずっている部分多々あり。

経済学者植草一秀の『知られざる真実』に依れば「安倍首相の家系は『アヘン戦争に積極的に加担した明治維新の武器商人』で吉田茂の養父健三氏でもあった。この健三から引き継いだ吉田の財産は莫大なものとなった。満州国で安倍の祖父・岸信介もアヘンで大儲けし、巨大な富を築き、生体人体実験の731部隊の指揮も岸信介であった。昭和天皇が嫌っていた松岡洋右と安倍晋三は親戚だった」という。本当かしらと調べてみると事実であったことに愕然とした。

戦後に内閣総理大臣を一旦退任した後で再登板した例は吉田茂と安倍晋三の2人のみであった、財力を活かしたのだ。

この吉田は無類の国粋主義者(どちかといえば 右翼色の濃い初代皇學館大学総長や学校法人二松学舎学長に就いたり、おまけに調子屋丸出し口八丁手八丁(云い過ぎなら八方美人タイプ)。

そうなるとGHQも「こいつを利用して日本を黙らすか」となって重用される、つまり、内閣総理大臣となるべく後押しを受け実際に成る。

その時の内閣の一人がこれまた国粋主義の岸信介(旧姓「佐藤」)。

東條内閣の商工大臣として入閣し、無任所の国務大臣として軍需省の次官を兼任する。昭和戦前は「革新官僚」の筆頭格として陸軍からも関東軍からも嘱望された。つまり東條英機内閣の太平洋戦争開戦時の重要閣僚であった。

その孫が麻生大郎と安倍晋三なのである……目には見ないがこのようなヤカラが現在の政治をいまだに牛耳っている。

 今日こんにちの日本、即ち、戦後の日本はこのような特異な経緯から始まったのです。明治維新スピリッツとはまったく真逆であった。

「特異」という言葉に違和感を抱くなら「規格外」な事象の数々によって日本国は成っていくのであった。



 規格外とは「常識では測れない」とも云い換えられる。

この姉妹二人にその母も「常識外」な道をあゆむことになる。

しょうがない、これが昭和の、もう一つの本道なのである。大部分の皆んながそう生きていたのだから、こそこそとした裏道と卑下することはなかった。だから、本道なのである。


 佳菜と優佳が異父姉妹と知ったのは、ゴルフ場経営者の許に母が駆け落ちをする寸前の暴露発言であった。

父昭一は大学病院教授をして若い医師達が家によく出入りをしていたが、そのうちの一人と恋に落ち、後にその弟となるが、との間の子を身ごもる。

云えずにそのまま夫昭一の子として出産した。このことを初めて子の前に公にしたのです。

当時の出産とはそんな簡便なものであった。

現在では普通、妊娠週数で遺伝カウンセリング、NIPT検査、胎児超音波スクリーニング検査、母体血を利用して赤ちゃんの染色体疾患有無の可能性を調べる遺伝学的検査を行うのが一般的になっていることからほぼ浮気出産は無理である。


 ハンサムも美人も程々が善いのである。

超美系になると大変。良い事ばかりではない災難も比例して起こるものである。周りが放っておかないからです。

善く見えると。皆が善人る。本人もその気に為り易くなる。そうすると恋をしたくなる。秘密の恋も何の其のとなる。人情である。いや、不倫という、繰り返してるうち常識となる。

その子優佳は動揺、当然。

が、姉の佳菜との生活を選ぶ。

優佳は、今更その遺族らに顔を出したところで歓迎される筈がないと何度苦悶したことか。ついに実際に一度訪ねみたくなって事実を告げた。

が、そこの家長が現れ「お金で解決できるなら云々」と云って封筒を目の前に差し出した事があって以来「自分の家はここ!」と腹をくくり直したのである。また姉の佳菜もそう願ってのことであった。ところがとばっちりを食ったのが母鈴佳。が、当然「そんなのに騙されないでください。お金目当ての戯言に乗ってはこちらが馬鹿にされます」と言い退けて難を逃れる。

なお、不倫相手(医者となっている)とその実子の息子(著名な俳優となる)らは、まだ知る由もないが、後に姉の佳菜と重大な局面で関わってゆくのです、これは小説ではない、事実です。


 佳菜のナウ彼氏は美大生。将来は絵描きを夢見ていた。

バイトに化粧品会社のコスメ等のデザインを手伝っていた折り、偶偶たまたま同社のモデルをしていた佳菜と後にこの彼氏となる岶田千万富チマトとが撮影セットを組み立てるミーティングで意気投合。

芸術家っぽく長髪、オシャレなコーディ、気取った物言いよう、優しい仕草(これを「キザ」というが)。これといってビッビときたわけではない、その証拠に一緒にベッドをすることはあっても唯抱擁するだけで満足でそれ以上にはならなかった佳菜の心情、それでも、佳菜は恋人として充分に楽しめていたのです。チマトも合せしかなっかのです。不満を言えば佳菜は逃げていたからである。カンペキに恋の主導権を握っていたのは佳菜となる。

佳菜が体を許さないトラウマになってることが一つあった。

母が父に内緒で浮気の末にその他所者の子まで生んでいたという二の舞にだけはなりたくなかったのです。


 一方、優佳にも恋人がいました。高卒を待って結婚する相手であった。

新谷あらや真二29歳と名乗る。13歳の歳の差カップルってやつ、もしかしたらそれ以上だったかもしれないが。

裕福な家庭のお坊ちゃんタイプで真面目な上に几帳面、それもそのはず判事補(裁判官に任官して10年未満の者)である。

知り合った機会きっかけは優佳の学校の文化祭で、やだーぁこんなオッサンというのが第一印象であったが、優佳が英会話クラブに所属してことから、流暢な英語は操るしアメリカ文化にも詳しい喋り口に感動して話が合うようになった事から始まったのである。

初回のデートで気付けば、すんなりと処女をあげてしまっていた。流石年上な彼、何とも巧妙な女の扱い方か、騙し方か。が、優佳は却って未知の大人の世界に踏み入った感覚が新鮮だったということです。女を自覚したってことです。

恋愛なんて始まってみればどれも大した理由などないのだ――流れっていうやつで決まるのさ――本人たちは「運命の出会い」としたいだけなのさ。


 カランカランと踏み切りが降りるとビューっと東横線が行き交う光景が見渡せる一角に佳菜の彼氏チマトは住んでいた。

彼の父は当時、腕のいいパン職人として店は繁盛。その財力を活かして木造のアパートをその近くに建てそこに住んでいたのが彼である。

  仕事明けの佳菜、珍しく真昼間にチマトの部屋へゆく。

誕生日に好きなビーフシチューを作ってあげようとサプライズ訪問をするのでした。

う?換気扇が回っている――居るんだな。と、期待を込めて……するとブルルルンと回る換気扇の音にまぶれて聞こえて来る女の悶え声。

表情一変す!固まる!嘘―ぉ!となる。

合鍵でドアを開ける。買い物の袋を投げ捨てる。

目の先に高揚した裸の二人。

「ざけんな!」と後も振り返らず一目散に駅へ。

真冬の風が肌を突き通していた。

学芸大学駅から隣の都立大学駅まであったいう間に着く。

改札を出て左に一目散に小走り、大通りを横切ると、もうそこは登り坂。

いつもの道から一つ外れた少し遠周りな道をゆっくりと歩く。

灯りの点いた我が家が見えて来る。

夜にサングラスを着けてたことに初めて気づく。

大きく息を吸うとフーッと深く息を吐く。「落ち着かなくちゃ!」となる。壊れた顔を妹に見せたくなかった。


 「只今ーぁ!」

「見て見て!! カレーライス作ったよぉ」

誰だってそのレシピくらいなら作れるでしょと思ったが「へーぇ、ラッキー。丁度腹ペコだったんだぁ」

一気に口に頬張る。グイッと傍らの牛乳を飲み干す。

「ねーぇ……なにかあったの?」

「いや、別に」

「変だよ。怒ってるみたいにカレーライスを睨み付けたり、いつもならゆっくりの飲む牛乳だって 一気飲みだし」

「子供は黙ってて!」

「え?」

「あ、ごめんなさい」 「ちょっとやなことがあったから……」

「ん! 毎日やな事と良い事の半々だからね」

「ね! あなたたちうまくいってるの?」

「…………。あーぁ、喧嘩した? 彼氏と」と勘づく優佳。

「喧嘩じゃない。別れた」

「えー!」どうして?とこれ以上訊くこと憚った女同士の思い遣りをした優佳。

佳菜は電話に目線を何度も送るが取ろうとはしなかった。「もう鳴るかなぁ?」 「…………」と自棄に黒電話の黒が憎くく見えてならなかった。

食事の後片付けを済ますと手帳に目を遣り何やら記すと、そのまま奥の部屋のソファーに身を沈めた佳菜。


 「今日も暑いわ」 「姉さん、相変わらず若いわね。旦那のエキスのせいかしらハハハハハハハ」

鈴佳の双子の妹の鈴由すずよであった。

「また借金に来たの? もう無いからね」

「ま―ぁ、失礼な」 

「最近うちも大変なのよ」

「姉さん羨ましいわ。名義書換料だけで一千五百万円の会社なんて」鈴佳の旦那の父(架け落ち当時の医学系志望の若い男とは既にこの時は終わっていて新たな相手となったのがこの旦那)が小金井カントリークラブを深川氏が興すとき共同出資したのだが脳溢血で倒れ既に亡くなっていたが息子の昭治つまり鈴佳の旦那が継いだゴルフ倶楽部であった。

「あの二人だけど。どうかしら? あの土地を担保にマンション建てたら? あの柿の木坂の一等地なら高く売れるし、賃貸にしても人気のある場所柄直ぐに借り手も集まると思うのよね。第一あの子たちの為にもなるんじゃない」

「上の佳菜は頑固でね『生まれたこの家は思いでいっぱいだから絶対売らない』って云ってるし。それにわたし、あの子たちに負い目もあるのよね……」

「だから担保。所有者はそのままでお金を借りるだけでしょ」

「借りたら担保権が銀行に付いて返せないときは所有権が銀行に移るのよ」

「大丈夫って。絶対に売れて億万長者になるからって。じゃあ、私が一度話してみる。いい?」

「云っても無駄だと思うよ」本当の狙いは鈴由の旦那が建設会社等の役員を手広くしていて、それで妹も一枚噛んで一儲けを目論んでいる、と察した鈴佳であったが娘たちが住んでいる土地にマンションを建てるこの妹の提案を敢えて反対したわけではなかった。


 結果は大嵐。

「叔母さん! 母のパシリ、分かり易い。二人ともどうかしてるわ」

「いや、私の一存よ」

「何云ってるの! 母が承諾しないでどうやってその話になる訳?」

「そうだそうだ!!」と援護射撃をする優佳。

「このスイカ持って帰ってください!」

「まぁ……そう角を立てないで。ま、考えておいて。また来るから」

帰った後、顔を見合わせ「お母さん相変わらずサイテ―」と云って馬鹿笑いをする佳菜と優佳。傍らの猫も手を口に行ったり来たり摩り摩りしながら笑っている。


 最低な事はここでも勃発していた。

1958年、安藤昇は、老舗百貨店の一つであった白木屋買収に絡んで横井英樹の債務取立てのトラブル処理を請け負う。

その話し合いの席でついに横井は「チンピラが口出す問題じゃね。俺を誰とおもっとるんや」と啖呵を切る。

切れた安藤は「そうかい。このままじゃ男の格好がつかんぜ」と云うと組員に目くばせをしその場を後にする。

子分は横井に向け拳銃ドッカンと一発。

血を噴き出し倒れる横井英樹。

殺しを指示したとして安藤は逃亡35日間、女優の山口洋子を始め愛人宅を転々。殺人未遂罪で逮捕される。

1961年前橋刑務所に収監。

3年後の1964年、出所した安藤は「阿保らし! やってられっか!」と突然組を解散す。

当然、佳菜も所属事務所を失う事になり当時プロダクションを立ち上げようとしていた後の渡辺プロへ移籍をする。

余談だが。

端整な顔立ちに左頬のナイフの傷跡、有名暴力団の元組長。もうこれだけで立派な看板である。

数々のヤクザ映画に主演。松竹・日活・東映各社で多くの主演作で一世を風靡ふうびしたのでした。

昭和という時代だからこそ成し得た話でその後の平成、令和の時代ならあり得ない話である。

混乱期ほど、物語は生れ、特異な人も生まれる。


 ナイスボール! さっきのさっきの!! バッチコーイ! ナイスキャッチ! と少年野球の賑やかな声を発する多摩川べりのグランド。

「どうだった? 中間」

「まぁまぁかな」

「大学行くんでしょ!?」

「お姉ちゃんが頑張ってるから、私も助けなきゃ……」

「お金なら奨学金もあるし、少しくらいなら俺も役立つぞ」

「ぅうん。そうじゃなくて。うちってお母さんがああでしょ、だから私がそうならないように……って、どっちが保護者だか」

「勿体ないよ。実力あるんだから活かさないっ手はないさ」

腰かけていた階段を立つと大きく両手を広げて空を見上げる。石段を二歩三歩と下り「きれーい!」という優佳の目に地上の光が映って眩しい。

「おぅ、彼岸花ヒガンバナっていうんだ」

「へー、真二くん、何でも知ってるよね」

「本読むのしか能がないからね」

「だから司法試験受かったんだぁ。本お宅だね」

「おい!」

へボ―! 何所見てんだ! やる気ねぇなら帰れ!

「あゆう云い方する子やね」

「あの子、あとで監督に云われるな。野球はチームだからけなす言葉を吐くチームは弱くなるんだよね」

「どうだい? せっかくの土曜の晴れ。少しドライブでもする?」

「とか云ってまた何所の旅館に!?」

「うん、優佳ちゃんがいいなら?」

「悪いからいい! その分家庭サービスしてやって。今日塾でプレテストもあるし」

「…………」 「そっかぁ、わかった、悪いなぁ。もしもの時は離婚調停を家裁にしてでも別れるからさ」

「ねぇ! あれなんて云う車? 高そ」

「親から軍資金得たもんだから思い切って買ったよ。幸せの鳥を意味するブルーバードっていうんだ。じゃ、乗せて送ってくから」

川端の堤を通りゆくリヤカーのおじさんの鯛焼きを食べる二人。手にした餡子あんこが口から|溢れそうになりながら頬張って。

助手席に座る優佳。

するといつもの手触りが始まって。

最初は拒否したが今では慣れっ子。胸を、腹を、腰を摩ってくる。ああ、愛してくれてる証拠。いずれお嫁さんになるんだから、まぁ、いいか。となっていた。


 「ハイ! お土産」と優佳は鯛焼きの包みをドンっと佳菜の目の前に置くとドッカンと大の字になって寝そべる。

「ほらほら、女の子がそんな脚を大きく開くもんじゃありませんよ」……助手席に座っていた下半身をスッキリと風通し良くしておきたかったのである。

「最近お姉ちゃん綺麗になってない。あ、新しい彼氏できたとかぁ」


 あの時の突き刺さるような寒風の二日後。

小雨降る夕刻の中、佳菜の家の近くの電話ボックスの陰にチマトが坊主頭になって泣きそうな顔をして現れていたのでした。

逃げるように引き返した佳菜。その背後を追いかけて来ると「許してくれ! もぉ!しない! 今一度チャンスをくれないか!」と悲痛な声。泪が出ている。雨露だったのか?

 取りあえず近所の好奇の目を避けようと駅前の喫茶店に行くことにしたのです。

「何それ? ビショビショじゃんか、どのくらい居たの?」

「ちょっと」

「な訳ないでしょ」

「三時間ほど」

「馬鹿か」

「確かに馬鹿だ……」

 

 話はこうなってそうなって結果、佳菜はチマトに押し切られたのです。

本人の自白によると。

男は溜まったモノは出さないとやってけない。

そんなのオメエの勝手だろ。

いやいやそう思ったから佳菜に手は出さなかったけどついつい魔がさして都合のいい女とやってしまった。

もう聞きたくないわ。

俺の今後を見てくれないか!? ゼッテエ浮気をしないと誓う!

実際はその浮気相手の女、結婚を前提に付き合って、その時のドッキングでチマトの種を宿してしまい、これが後の別な話を生むことになるが、未だ誰も知る由もなかった。

「意外とその毬栗頭イガグリアタマ青いねぇ。似合ってるかもぉ」

「いやーあー、さみぃ―わ」

「今度したら絶対別れるからな」

「ハイ」

恋とは、頭と気持ちで別々にするものなのさ。


 と、それとなく優佳に説明すると優佳は「わかるわかる!! 男って子供だからね」

「まったく!」

「って、なんでぇ、もっと早く報告しなかったんだよ、心配して損しちゃった」

「あんたに云われたくないわ」

と互いに笑いながら云い合う二人……が、優佳の内心は穏やかでなかった、浮気をしたような男はまた必ず浮気をするに決まってる、お姉ちゃんにそこを気付いてほしいが、喜ぶ姉の顔を目の前にして、口にすることができなかった。自分だって浮気相手とされてるじゃないか、奥さんが居てのラブだから。第一ホントに奥さんと離婚してくれるのかなぁ!?


 立秋とは名ばかり昼間は30度近くの真夏そのもの(明治大正の時代は30度も行くのは稀であったとお年寄りに聞くが太陽も生長してるのかしら?)。が、日没には流石に夕涼み。

お風呂から出た髪を乾かす佳菜、下着のまま部屋のど真ん中に例によって手脚を大の字に寝そべる優佳。

三ツ矢サイダ―(日本人はエライ! 既に明治初期の1884年には発明したのであるから)で割ったカルピスを口にしながら、あのさ! また私の化粧水使ったでしょ、あんたこそ勝手に舶来はくらいのブラウス、エジプト綿で高いんだから着ないでよ、と本人たちには重要、が、どうでもいい事をぶつけあってると「止めなさい! 外まで聞こえるわよ」と母がメロンを手にもう一方の手にスイカを下げていた手の玉の二つをコロッとテーブルに置く、転がってテーブルが揺れる、コップの飲み物が溢れそうに波打つ。

「もー! 相変わらず大まかなんだから」と眉をひそめた佳菜。

「『いい加減』と云いたいんでしょ」と応えた母。

「『寛大』とも云うらしいよ」と横やりを入れた優佳、ペロッと舌を出す。


 「あらぁ、もう柿がる頃。よくお父さんと一緒にあなたたちも食べてよ」と庭の柿の木を見て懐かしむ母の表情。

「まだ渋いよ」と云う優佳。

「いいえ、これは甘柿なのよ」と云った母に佳菜は「まだ青いから渋いの! お母さんみたいに」と牽制球けんせいきゅうを一発。継げて「今日は何の用?」ともう一球を投げる佳菜の顔つきの厳しさ。

「まぁ、ご挨拶。誰も盗りやしないって。だから家の所有権の印鑑を渡してあるでしょうが」

「じゃ、何で伯母さんが『マンション建てたら』って云って来るのよ。お母さんが承諾したから伯母さんがそう云ったんじゃんか」

「もしかしてお母さん、またここで一緒に暮らしたいからマンション建てようと思ったんじゃない」と優佳が云うと佳菜も母も「…………」な空気に。

優佳は内心で「あの歳であの歳下の旦那じゃいずれ捨てられる。その後を考えてそういう計画を練ったのかしら」と思い佳菜は佳菜で「また旦那とは別の若い男に媚を売って金づるとも知らずにこの土地を売って……」と邪推じゃすいを走らすのであった。

「お母さん、泊まってゆく?」

「あら、珍し、佳菜が優しいなんて」

「どっちでもいいよ。泊まってっても、帰っても」 「いや、家に……。私は私の家で寝たいから」

ブル!ブルル―ン!!と黒塗りの自家用車のハンドルを握って「またねぇえ!」と云って母は往く。

「お母さん、本当に愛されてるのかなぁ。うまくいってないから、もし捨てられたらお金が無くなって、この家をマンションにすれば生活してく家もお金も入るし……」

「かもね。それはそれで良いとしても――でもいい加減な生き方する人、嫌い! 見てるだけでイライラするわ――お父さんが居るのに陰では別な男の子を宿し何食わぬ顔をしてお父さんの子として産んでしまう……許せない!」きっと、亡き父への立場を思慕し、そんな生き方をする母に反発。自分ではどうすることもできない、そゆ心境になって母を含め自らのこともただ悶々、あんずる佳菜であった。


 広い敷地面積99,171平方メートルもの日活調布撮影所。

所内はチンドン屋か学芸会か文化祭か、大工仕事をしたり、チマチマ可笑しな事に没頭したり、遊んでいたり、真昼間から男が化粧していたり、の妙な一角となっていた。

この日活は1954年以降の五社協定により人気スターの多い他社の映画俳優を一切使えなくなっていた。

その為に、ギャラも低く抑えられる新人発掘を積極に行お!となる。

その結果、宍戸錠、名和宏、長門裕之、石原慎太郎、石原裕次郎、小林旭、浅丘ルリ子、待田京介、赤木圭一郎、二谷英明、岡田真澄、川地民夫、和田浩治、葉山良二、中原早苗、笹森礼子、清水まゆみ、小高雄二、青山恭二、筑波久子らを起用した若者向けのアクション映画中心の会社となった。

これによって「石原、小林、赤木、和田」による「日活ダイヤモンドライン」そして「中原、芦川、浅丘、笹森、清水、更に加わった吉永小百合」による「日活パールライン」を看板に掲げたのです。これが更に世間に大うけ。調子に乗った日活は「浜田光夫、高橋英樹、松原智恵子、和泉雅子」といったいわゆる「日活グリーンライン」と呼ばれる新人スター達の送り出しにも大成功。

 

 そのうちの一人が佳菜です。

昼になるとリヤカーや車いっぱいに乗せた弁当屋が来たり、出前の兄ちゃんや買い出しに行く者等でごった返す調布撮影所内の各スタジオ。

その中に未だ芸名も付かないチカオという一介のエキストラに過ぎない若者がおり。何かと佳菜に親切にしてくれていたのです。

やがて持ち前のエキゾチックな二枚目マスクから日活を背負うほどの大スター、つまり、ダイヤモンドラインの一人として名を売るようになる。本名赤柄あかつか親雄チカオという。

彼は、日本人離れした顔付から日活のトニーと世間から呼ばれた。ハリウッドスターのTony Curtisトニー・カーティスにどことなく風貌が似ていたからです。

そうなると女優たちの間でも関心度が高まる。当然である。最初から中身など見えるわけないのであるから顔が全てとなる。

が、しかし、いくらスターになったとしても彼の佳菜に対する親切さは衰えるどころか真反対にマグマのように沸々とアツくなってゆく(一途!こりゃ本物だ。恋とはそんなもんってこっちゃ。これほど素直な物は無い。馬鹿正直とも云う。んだんだ!! 馬鹿にならなきゃ恋などに没頭できるもんか。と佳菜の目にも関心度は高まってゆく)。


 桜の花も散った葉桜のころ。

「あのーぉ」

「う……? なぁに?」

「これ、良かったら」と撮影所の隅っこで、佳菜が膝の上で食べてる弁当の横に親雄チカオが差し出したラブレター。

「ありがと。食べる? このお肉。太るのやだから」

「貰う貰う!!」

嬉しマッハな彼の顔。

子供みたい!と意外に可愛いと思った佳菜の彼に対する第一印象。

「いいよぉ。一度なら」ラブレターに書いてあった「一生に一度でいいから僕と食事に行ってください」を読んでの返答であった。


 互いの撮影のスケジュール上なかなか時間が取れずにいたが、一週間後にようやっと調整が付き、二人ともでっかいサングラスをして銀座のすき焼き店で、気付いた店側はスターのプライバシー保護を思い遣って奥まった一角のテーブルに案内すると、やっと独りの男と女として向き合って座る。

「一度だけだからな」とおどけた顔で云う佳菜。

「はい、一生感謝感謝!!」と頭をポロポり掻きながら巫山戯ふざけた表情をする親雄。

湯気のいきり立つ鉄板鍋を仲立ちにお肉をあげたり代わりにお豆腐を貰ったりしてくうち、呼応するかのように二人の話題も熱り立ってゆく(今の彼チマトとは全然違うタイプ、新鮮チックと思った佳菜)。


 それもその筈。

佳菜の家庭と違い両親仲良しの上に良家な身分、しかも見た目の派手さとは大違い、教養ある話し方、日活の彼女を取り囲む男優陣はヘッポコなセンス野郎が大半、対照的に目立つ彼の人なりを今知る。

歯科医の家庭に生まれ育ち、栄光学園中学校(卒業生の大半が東大進学の超有名私立中)から神奈川県立鎌倉高等学校卒業後、後すこしやれば東大だった筈が、モテモテな風貌から遊び過ぎて、成城大学に入学したが天才肌。

実は、この歯科医の兄が、母鈴佳が夫昭一に内緒で浮気をし、その時できた子が優佳であった。無論この時は未だ、佳菜がこの事情を知る筈もなかった。

やっやこしなぁ。「近くて遠い存在、遠くて近い存在」の集まった集団が私たち。日本村なのだ。


 すき焼きを食って、話は弾み、ノリノリとなってその夜は遅くまでデートとなった。

そうなるともうその後は一変。撮影所内で会うたびに、依然と違った化学変化、放っておけなくなる、何時どこに居ても相手の存在が気になる、いつの間にか二度が三度とデートを重ねてゆくようになる。重なる度に楽しさ倍、倍倍、となっていった。

そうなると頭と体は別、体は正直なもんである。徐々に本命だった筈のチマトに以前懐いていたような旋律が衰え始める。


 この頃、六感で感じたのだろうか? 焦り出したかのようなチマト。焦る姿が見難くなる。余計に以前よりシツコク付きまとうようになるチマトが却ってウザくもなる、浮気された仕返しだーぃ!と。


 「俺な。俳優は男が一生する仕事じゃないと思うんだ。もっと世の、もっと人の、もっと儲かる、仕事をしたいんだ」と親雄は云い出す(これを金座のクラブで得意気に云って実際に行ったのがマイトガイ小林旭。実は彼の真似をしただけなのである)

「うん、わかるわかる、燃えてる人格好いいもんね。そんな考え方する人80点」

「マジすっかぁ。80点上等! 初めて人に誉めて貰ったよ」この素直さが、子供みたいで余計に佳菜の胸の内で惹きつけてくる人柄となって。1人のとして意識するようにとグレードアップする。


 すると予期していた通り、親雄は佳菜の裸を求めるようになる、佳菜も見せてもいいよとなる、心地いい緊張感、と、期待感を伴ってベッドに横たわる佳菜。

何故かなんも抵抗がなかった。直直ただただ、胸を触れても、どこを見られても、そして深く抱かれても、自然に受け入れていた――チマトからはどうしても一線を超えられなかったこのさかいがいとも簡単に……この落差はなんだろう!? 相性か? それとも魅力のなせる技か、このように恋には最初から人には見えない空気が流れているのです。初めてになった。素直にこの感動を受け入れてる佳菜。

ああ、私はやはり蛙の子かしら!? あんなにみ嫌らっていた母の所業、生き方、生々しい欲望の発露を――自分がしたではないか……別に、彼氏持ちのまま、もう一人とエッチまでする……いやいや、チマトはもう彼氏ではないと自分に言い聞かせる。

この瞬間決めた。親雄とやってく! ウキウキした日が始まって行くのでした。


 運命はあるのでしょうか?

或る日突然訪れるから厄介である。

重傷!瀕死!の状態。病院のベッドに沈んだまま! の知らせが家電から妹を介して届く。

1961年の皆んながお昼を食べてる頃、偶偶たまたま石原裕次郎の怪我によって代役に抜擢となって撮影に臨んだ映画『激流に生きる男』のセット撮影中、「ちょっと昼休憩」と親雄が云ってスタジオから外に出ると、セールスマンが持ってきたゴーカートを日活撮影所内で運転、キャッホ―! スリル満点! ガンガン行け行け!! キャキャと大声を発し、、いきなり四方八方がデンと立ちはだかる壁。

咄嗟にブレーキとパニくる! 踏み違えたブレーキとアクセル。60km/h以上のスピードで大道具倉庫の鉄扉に激突。ああ、何と、翌日は病院のベッドで、この若さ21歳でこの世を勝手に去ってしまう。

彼のご両親が差し出した手帳に「佳菜さんを、もっともっと売れるように自分がなったら、絶対にお嫁さんにするぞ云々」とした走り書きにハートマークを幾つも、のページを見せられ号泣してしまう。

 傍らの妹優佳も貰い泣き。「自分なら決してそうならないぞ! 彼氏が居るのに別な男と浮気をしたからだ、お姉ちゃんもお母さんの二の舞だ。いつか絶対壊れる、実際お姉ちゃんの場合は壊れた、お母さんだって破局への道をあゆんでるだけ。そんなナンセンスな者にはならないからな!」と密かに自らに誓いを新たにしてるする優佳であった……未だこの時はその両親つまり片側の男を優佳の実父とは知らなかったのであるが――知るのはもっと後になってだが、その時に実父と知ってその人を「赤柄さん」と呼ぶのでした……。


「らっしゃい! 毎度ぉ! あの映画観たよ。全然まるで地上に降りた天女様、あの濡れ場シーン、本当にキスしたの?」

「してませんよ」

「あら、いらっしゃい」 「あんた! 奥の揚げやっといて!」

「今日はコロッケの特売日。七円が五円だよ、ど?」と揚げ場に行くどころか勧める、いや、佳菜と話したがる御主人。

「じゃ、お願いします、二つ」

いい加減にしな!とキツイ目付のお上さんに促されるように奥の調理場へ行く旦那さん。

アツアツのコロッケ二つがおまけに三個となって帰宅。

「あらぁ、カレーなの。ちょどよかった、これを乗せて食べよ」

「うんうん!! 合うね、男たちがカツを乗せて食べるのが分かる」

「優佳、最近お料理の腕上がってない」

「元々」

「あ、そっだ。あんたちどうなってるの?」

「何が?」

「やったんでしょ」

「何それ――お姉ちゃんじゃあるまいし」

「こら! 云い過ぎよ……」内心グサッと刺さった妹の言葉。

「うちらは清純路線。ってか、エッチな話は言うだけでやってないし……」

「そ! それじゃ、あげたくなくなるよね」

「何が?」

「体」

「もーぉ!」やはり図星か妹もグサッと刺さって胸の痛み――実際はやっていたからです。

「ねーぇ、柿実ったから後で食べよ」

「夜の柿はやめなさい、体が冷えるっていうから」

「あ、それ、お母さんの受け売りだ」

「今、お母さんどうしてるんだろうね?」

「何も云って来ないから順調なんじゃない」

「ん……だよね。本当に子に心配かける不幸ものの親」と同調する優佳。


 日曜の朝早くから何? さっきから人の家の前で車のエンジン音。やはりブルーバードだった。

「こんにちわ」

「まぁ、いつも妹がお世話になっています」

「いえいえ、こちらこそ」

「おっす。ねぇ! うちのおねえちゃ綺麗でしょ」

「うん、映画で見るよりずっと美人。「…………」 「あ、優佳さんの方が綺麗だよ」

「ちゃんと云え!二人とも美人って!」と優佳が云い返すと、間をおいて、三人とも吹き出す。


 「暖かいから公園散策でもしないか?」と真二は誘う。

「お花見しよっか。新宿御苑は?」と応える優佳。

「お、いいかも」

「ここ、こんなに広いとは知らないかったぁ」と、ファーストフードで買ったパストラミサンドとレモンソーダを交互に口に入れ園内を歩く二人。

「散った桜の後もいいもんだねぇ。若葉が生き生きと映って。次の花の躑躅つつじの芽、こんなかわーぃ!」

「そうなんだよね。散った後の人のやり直しのようにな」

「何それ。失敗と散るとどゆ関係?」

「いやぁ、喩えだよ」

「変な喩え。って、裁判官って皆んな嫌な部分を抱えてる人たちを対象としたお仕事だから大変だね」

「けど。困ってる人を助ける仕事と思えば張りも出るさ」

「ねーぇ、困ってるといえばその後奥さん、どうなってるの?」

「…………」一呼吸入れた真二は「あいつ入院してさ……」

「あらぁ、どこが悪くて?」

「医者が云うには『双極性障害』とかいって情緒不安定だから子にも影響を与えかねないから暫く家庭を離れて入院してはどうでしょう!? とアドバイがあったもんで」

「そ。四歳だっけ?」

「妻がいないから、よかったら家に来るかい?」

「え!? 流石に遠慮しとくわ。奥さんと寝てたベッドでしょ。信じられな―ぃ」

「そうかぁ。わかった。あいつは来年から幼稚園。なぁ、ドライブしない? 江の島とか」

優佳が黙ってると「映画とかは?」と云い換える真二。こいつ又途中のモーテルに寄ってうちの体狙ってるなと過ぎった六感――なんでやねん? 何処どこ此処ここ行きたい所ある? と先に訊くのが普通やろ。

「ねえ! お子さんの為にも、しばらく真二さんが奥さんの傍に居てやった方がよくない?……なんかうち、ワルい気がして来て」

「ぇえ? どうゆ意味?」

「そゆ意味!」

と話しながらも真昼間から真二は優佳の腰に手を遣りゆっくりと摩り出す、次第に手は……。

、「ありがとう!今まで。真二さん、お幸せに」と言い残すとその場を跡にする優佳。立ち上がり優佳の腕を掴む真二。そっとその手をほどくように払う優佳。庭園事務所のガラス面に映る背後に、その場に佇んだままの真二が映る。

見上げた空は雲が吹っ切れたような春の青空に、そして、優佳のかお――もう分かった。少しも思い遣りの無い男、私にも奥さんにも。私への優しは性欲のけ口だった。見抜けなかった私は大馬鹿者。

 数日が数週間が経ち、一向に電話口にでない優佳にしびれを切らしたか、一通の手紙が届く。「云々……その後も、どうしても忘れられません。妻と離婚することは誓って云い切れます。信じてください僕の愛を……云々」を一読すると、「離婚離婚!!」と云うだけやん、「してないじゃん!」とケロッとした顔になる優佳。

一旦気が剥がれると。後を引きずり易いのは男か女か? 環境への順応性は男が強いか女が強いか? これが時代しょうわ女だ。


 千万富チマトの一家は学芸大学駅近のパン工房で父が稼いだお陰で裕福な家族となっていた。兄の千万億チマオもこの裕福な家庭がなるゆえに海外旅行を楽しむようになっていた折。

フランス東部のリゾート地 Chamonix-Mont-Blancシャモニー・モン・ブランで見たモンブラン峰の美しさに感銘。さっそくそれに似たケーキを作ろうと兄のチマオが云い出す。

実は違って、このケーキはフランス・サヴォワ県と隣接するイタリア・ピエモンテ州の家庭菓子が原型でその独占許可を得て日本での販売権を得た、と謳って販売した方がいいよと弟のチマトは兄に知恵を付けたのでした。このキャッチフレーズが大当たり。

売れる売れる!! 儲かる儲かる!! ついに金持ちたちが多く住む自由が丘にデンと立派な店を構えるまでになる。

このケーキの格好と味は、その後多くの店が真似をして売り出していくが味がこの店に適う店舗はいまだ無し。商売繁盛となると大抵は支店を出していくが「一店舗で味を守る」姿勢がこの自由が丘店の商売のノウハウ。支店を出せば出すほど味がまちまちになりかねないと考えたからで現に遠くからもお客さんは買いに来るそうです。

その際に、チマトが画家志望であった縁から日本画家の伊東深水に頼んで店のイメージキャラとしたのです。これでこの店のイメージが全国的に確立した。


 「へぇー、そうなんだ」と「田園調布せせらぎ公園」の以呂波紅葉イロハモミジの紅葉も真っ盛りな樹木に、大きな湧水池も見下ろせる屋根付き休憩所で佳菜はチマトは互いの貌を見ながら腰掛け、脚をユラユラと揺らしながら。

「食べてみたい」

「オ―、行こぉ!」とひと駅隣の自由が丘で下車すると佳菜の目に飛び込むモンブラン店内の広い光景、数段降りると数十脚のイスにテーブル、柔らかくて優美なオシャレ感が漂う店内は隅から隅まで満席。

「ねえ、好き?」

「え?」

「うちのこと」

「アタボウよ! 今更なんだよ、大好きなの知ってるだろ」

「じゃぁ、抱いてもいいよ」

「え、マジ―ィ。ここじゃマジィだろ」

「馬鹿か、変態じゃんか。チマトの部屋でだよ」

こうして長年の付き合いの末に佳菜はチマトに初めて体をあげるのでした――実はこの時あの日活の恋人親雄との間にすでに新しい命を宿していた佳菜の思惑であった。

「善は急げ」が相応しいか?はどうでもよく、二人の体の関係は急激に昼夜関係なくお盛んに――二人は早々に式を挙げることになった。


 

 男女ほど分かり難いものはない。男と女ほどいい加減なものはない。異性同士ほど相手の環境に染まるものはない。環境が昭和だと余計しっちゃかめっちゃかとなる。

いやいや、昭和に限らず、社会の、環境の、混乱期には、必ず人も乱れるものです。


 男と女は、たとえそうであっても、そうあってはならないのだよ――心を一つにして信頼し合ってこそ理解し合えるラブとなるのだから。解り合える愛こそ本物。理解すなわち思い遣り不十分な恋は渋柿といって誰も食べないのさ――恋は食うもの。味が良ければ恋の味も増す。


 母鈴佳が駆け落ちした相手は若い医学生だったのは僅かな期間。その後に知ったその医学生の弟に本格的に熱を上げることになった。この弟は歯科医師志望の学生であの日活の二枚目スターの親雄の親に当たる人であった。

佳菜が初めて身を託した相手は親雄、その彼との間に宿した子を元彼氏のチマトとの関係を復活することによって、チマトの子として出産する。その子の名を美佳と名付け、やがて成長し大人となった美佳が出逢うのが……。


 と云う事は……。

佳菜は母の遺伝子を持つ。この佳菜が産んだ美佳は母佳菜と祖母鈴佳の遺伝子を持つことになる。そして美佳が出会って恋愛関係になるのが、あの誕生日料理をしてあげようと訪れたとき「都合のいい女」と云って浮気をしていたその女愛菜マナが密かに産んで育てた翔と云う男子である――チマトの遺伝子の入った彼翔と佳菜と鈴佳の遺伝子の入った美佳とが出会うという新たな展開となった。

親のチマトは「二人の結婚は俺と佳菜が親だから『兄弟同士の結婚は行かん!』」と封じてしまう。

事実は、佳菜と親雄との間の子であるから兄弟ではなく血縁の無い結婚となる筈だが、この事実を佳菜が公にすれば今度は佳菜とチマトとの関係にヒビが入ることになる……。



 どんなひびか? 一つの暗示例あり。

昔、山田五十鈴という女優は、1935年、二枚目俳優・月田一郎の子を身ごもり出産。だが恋多き母は隠して一切面倒を見ることがなかった。このとき生まれた女の子は後に凄艶な美人女優となって母と再会した折に「あんたは誰? よくも捨てたな! 最低!」となじりやがて破滅の道をたどる娘。母も奈落の底を見ることに。

 その子はやがて嵯峨美智子の芸名で女優デビュー。

デビュー後、既に嵯峨美智子の父と離婚していた母五十鈴と十数年ぶりに対面を果たした折りには、母を「山田さん」と呼んだ。

1956年に松竹移籍。母五十鈴譲りの妖艶な色気と演技力で女優として超人気者となる。

1962年、俳優の岡田眞澄と婚約したが、伴に美系同士が影響したか!? 結婚に至らず2年後に解消。

その後はもう破茶滅茶はちゃめちゃ

金銭トラブルや薬物中毒などたびたびトラブルを引き起こし、芸能界復帰と失踪を何度も何度も繰り返す。俳優の森美樹とのラブロマンスもあったが、運が悪かった(美樹が美智子を好きになり過ぎて思いのままにならない事に悩んだ末か?)、ついに森のガス中毒による急死によって更に悲劇の女に追い落とされる。

そして、1992年8月19日、苦痛と窮愁きょうしゅうに日本から逃れるように異国へ行きたくなる。タイ国のバンコクへ身を置くことに。

ところが癒えるどころかますます心は煩悶はんもんとなるだけで滞在先のバンコクでクモ膜下出血(脳内の主要血管の分岐部などに発生したこぶ――脳動脈瘤――が裂けて出血するのだが高血糖高脂肪以外にもイライラな生活も大きく影響する)のため死去してしまう。57歳の若さであった。

もし、もし、母がその娘と正常な親子関係にあったのなら充分に防げた筈。

何故って?

人の関係の初めは親子関係から始まるからである。これが正常でないと一生イライラで終わる。


 父昭一の弟の法要の知らせが届く。

さっそく鈴佳と二人の子佳菜に優佳は弔問ちょうもんに訪れる。葬儀が終わると「ちょっと」とその親族の1人、日本医師連盟会長の武田さんから声を掛けられる。実は義弟(つまり佳菜と優佳に当る)には別な女に生ませた男の子がいて私の子として育ててきたのだが、あなた方のことについていろいろ生前聞いておりましたので一度お目にかかりたい云々、と云ってるのですが、この際「会ってみますか?」 「やはりそうでしたかぁ」と母のこもった声。「ぇーえ!」とうなるような声を抑える佳菜と優佳。


 陽の入り間近には一瞬大きくパッと燃え揚がる陽の光。

回光返照えこうへんしょう)」と子二人とその母に声を射してくる。

「私には私の生き方。精一杯の生き方だったのよ」と応える。

空は真っ赤ないろだった。


 二股三股した方の勝ちなのよ。見つからなければいいのさ。メソメソした方の負けだわ。

――恋愛は自由奔放なもの。愛は制約なの、これが喜びとなるものなの。――




 実話に基づいた物語です。登場する夫々の固有名詞及び関連する名は一切関係ない事をご承知おき下さいますよう。

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エ女子な私。二股恋の方が身も心も落ち着くんさ!するのが女子だわ いく たいが @YeahYu

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