日曜日

「人を捜すって疲れますね」

 十八歳の林檎が車のハンドルを切り左折した。左折と右折、どちらが好きかと言われれば、右折だ。なぜか?と問われれば、単純に右利きだからだ。となると左利きは左折好きなのか?その疑問は梨丸さんにぶつけてみよう。だが、聞ける余剰を与えないのが梨丸さんである。ほら。

「大方、研究者風情の記憶をインストールしたんだろ、林檎!」

 唾を飛ばしながら梨丸さんが言った。黒のサングラスが妙に様になっている。それでいて頬にはえくぼが浮き出るから、アンバランスな上司、というのが林檎の見解である。


「なぜそう思うんです?」

 林檎は訊いた。


「探すとか見つける、ていうのはよ、俺らがいる時代の研究者しか興味ねえ事柄だろうが」


「でも、今、僕らも人を捜してますよ」


 林檎は口角を上げた。が、すぐに梨丸さんに頭を叩かれる。口角を上げた事、又は言い返したことが気に食わなかったのかもしれない。


「それとこれとは別だよ。俺は一般論の話をしてるんだよ」


「そうですか。たしかに梨丸さんのいう通り、会計学の教授の記憶をインストールしました。なので標識すら数字に見えてきます」


「お前の指摘は正しいよ。標識には数字が印字されてるからな」


「梨丸さんの切り返しを先読みして言ってみました」

 林檎は梨丸さんに、再度、頭を叩かれた。


「いらねえ事、いうなよ」


「無駄な言葉なんてない気がしますが。で、梨丸さんは、どの記憶をインストールしたんですか?」


「俺か?」


「そうです。梨丸さんです」


「コールセンター勤務二十年、の記憶だな」


「コールセンター?」

 林檎は訊いた。目的地まであと少し。


「商品の機能を説明したり、客のクレーム対応を電話で行う業務に従事してる奴らだよ。記憶をインストールした瞬間、発狂したくなるぐらいストレスが体内に蓄積されたよ。この時代に俺らは生まれなくてよかったな、林檎よ」


 梨丸さんが煙草に火を点け、車内に煙が充満した。


「この時代が一番、平和なような気がしますが。歴史上」


「いやいや、確かに海を渡れば、血が流れる争いもある。だがな、資本主義は心だよ。心の病が多い。俺がインストールした記憶の人間なんか、ストレス溜め込んで、夜のお姉ちゃんに貢いで、挙げ句にはカードローンでキャッシングの泥沼にはまり込み、お金に買い殺され、クレームに心を殺されてる」


「梨丸さんが持っている記憶の人は売上原価が掛かりすぎですね。むしろ売上より原価のが多いという頭が悪すぎるタイプです」

 林檎は梨丸さんに頭を叩かれた。


「なにが売上原価だ、ボケ」


「売上に対するコストですよ。原価は低ければ低いほど、最終的な利益に直結するんです」


「ああ、そうかい」

 梨丸は煙草の煙を大波のように吐き出した。思わず林檎は窓を開け、換気をする。


「で、上層部の依頼を遂行する為に、こ時代に来たのはいいが、突然、『土曜日』て、いわれてもよ、何月何日の土曜日だよな?なあ、林檎わかるか?」


「指示が曖昧なのは時代が変わっても相変わらずですね」


「どういう意味だよ」


「曖昧な正義ってやつですよ」

 林檎はブレーキを踏んだ。知的さをアピールしたいが為に、ブレーキペダルを優しく踏み込んだのだが、そこに梨丸さんは気づいてくれたのだろうか。おそらく気づかないだろう。ストレスを溜め込んでいるらしいから。


「まあ、なんとなく理解してやるよ。ブレーキを踏んだってことはよ、次の行動に移せっていう解釈でいいんだよな」


 梨丸さんが煙草を灰皿に揉み消しながら言った。

「次の行動に移そうにも、到着しますかね、奴!」


「来るだろうよ。バイオウィルス散布阻止に」


「この国って、そんなに脅威なんですか?」

 林檎は素朴な疑問をぶつけた。


「あまり詮索はするなよ、林檎!知らないのが身の為だ。まあ、人間なんて個人で考えれば害はない。集団としての人間は刺激されるがままに野蛮な怪物になる。いつの時代もそうだろう?この国は技術力がある。それが怖いんだろ。平和ボケしてるのにな、どう考えても、この国は」


 梨丸さんが携帯端末を操作し、なにやらメッセージを送信している。

「梨丸さんの言ったことわかる気がします」

「どうわかったんだよ?」

「目に見える恐怖はたかが知れている、本当に怖いのは目に見えぬ恐怖」


 林檎は思ったままを伝えた。自分で恐ろしいぐらい理性的だったため、ギアをニュートラルからサードにでも切り替えようかと思った。

「お前にしては、いい線だな。成長が著しいよ」

「ありがとうございます」

 林檎は礼をしたと同時にハンドルに額をぶつけ宇宙まで轟くようなクラクションが辺りに鳴り響き、梨丸の携帯端末に受信音が到達した。


「おい、へまするなよ」と携帯端末を見ながら梨丸さんが怒気を飛ばし、「こいつか」とフロントガラス前方に視線を移し、「あいつだよな」と小声でいい携帯端末を林檎に見せた。


 林檎は梨丸さんが見せつける携帯端末を凝視し前方を確認し、整った顔立ちと視線が合わさる。「完全にバレてますね。こちらに来ますよ。どうしますか?」

「選択肢は二つだ」

 梨丸さんが言った。

「二つ?」

 林檎が訊き返す。

「戦うか、逃げるか、だ」

「どうします?」

「決まってるだろ」

「決まってたんですか」

「おい、林檎。こんなところで冗談の応酬は必要ないんだよ。奴も俺らがここに到着するのを知っていたみたいだな。そんなに正確なのかね、『タイム』は」

 梨丸さんが言った。


 今回は、世界諜報機関『タイム』としての四回目の任務を林檎は遂行中である。

〝過去に行き、バイオウィルスをを撒き散らし、致命傷を与えろ〟

 曖昧かつ恐怖心を刺激する指示を頭の中で反芻する度に、めんどくさい、と一言が頭をテロップ上に流す。過去に戻る任務は、過去の時代に適した記憶をインストールをしなければいけない為に、頭も重く時差ボケのように頭がクラクラし、眠気を催す。他者の記憶を刷り込まれる為に、自分が一体どういう人間だったかわからなくなる。だから、早く、元の時代に戻りたい、という思いがある。しかし、いつの時代も仕事は大事だ。国際機関は責任もすこぶる重い。バイオウィルスなんていう聞き慣れぬ液状を噴射するということは、人が死に、世界の選択が大いに変わるだろう。それでも、変化の変数を科学者が分析し、変化した部分だけ修正する技術を林檎達がいる時代には開発されている。なので、縁力者達の思う通りに、過去を変え現在に影響を及ぼすことは比較的安易になった。が、問題がある。もちろん、それを阻止する。タイムサーバーがいる。それが、まさに、そう、林檎達の目の前に向かってくる者だ。整った顔立ち。おそらく過去に行く為に、指輪をつけているはずだ。ほら、やはり中指に。タイムサーバーと世界諜報機関『タイム』の待遇の差は、なんといっても顔立ちだろう。どっからどう見ても、タイムサーバーの方が俗にいうイケメン。林檎は自分の腹回りに触れた。そう、林檎はデブなのだ。やれやれ。


「林檎よ、俺らは舐められたもんだぜ。奴は一人だ。それに到着したばかりと来てる」


「舐めたら汚いけど、汚いのは嫌いです。タイムサーバー、武器を持ってないみたいですね」

 林檎は言った。


「だから舐められてんだよ。いくぞ。銃を携帯してるな」

 梨丸さんの言葉に林檎は頷いた。


 林檎が車のドアを開け、開けると同時に、タイムサーバーがアイスピックを林檎の肩に突き刺した。思わず、痛い、と声を漏らす。梨丸さんは武器を持っていない?て言ってなかったか。嘘つき、人はすぐに嘘をつく。鋭利なアイスピックを持っているじゃないか。それも武器がアイスピックって。油断していたのは、こちら側?


 林檎は銃を取り出そうと胸ポケットを漁るが、ない。なぜないんだ。入れたはずの銃がないなんて。もたついてる隙に、タイムサーバーが甘い匂いを放出しながら、アイスピックを林檎の喉をめがけて振りかざす。その時だった。タイムサーバーが大きく体を反らせたかと思うと、そのまま地面に倒れ込んだ。頬から血を流している。


「お前、なんでサイレント銃を持っていない?」

 梨丸さんがサイレント銃を持ちながら、幾分か怒気を含めながら言った。


「申し訳ないです。装備はしていたはずなんですけど、装備不良でした。思い込みは怖いです」


「ミスの原因は、うっかりと思い込みだからな」

「名言ですね」

「お前に褒められても嬉しくはない」

「電気ショックが効いてるみたいですね」

「サイレント銃は、致命傷には程遠いからな。体内に気絶させる電気を流すだけだ」

 梨丸さんはタイムサーバーを足で突く。


「どうしますか?」

 タイムサーバーを見下ろしながら林檎は訊いた。肩が疼く。肩に触れると案の定、鮮血していた。とどまることを知らないマグマのように血はどろっとしていた。糖分の摂りすぎだろうか。チョコレートは控えよう、と林檎は自分を戒める。


「気絶してるし、頬からは血が、かなりの勢いで流れてるし」と梨丸さんは言い、タイムサーバーの足に銃を一発撃った。「これで、死ぬのも時間の問題だろ。てか、こいつなんで制服なんだ?年齢的に林檎と対して変わらなそうだな」


「そうですね。なんで制服なんでしょ?この時代の女子高生は生意気って評判ですけどね。そっちの趣味が合ったのでしょうか?」


「林檎、女ってのは、いつの時代も生意気で強いんだよ。お前も女と付き合えばよくわかる。怖いぞ、女は。付き合ったらよくわかる。男女の関係にならないとわからないことは多々あるんだ」


 過去を懐かしむように梨丸さんは遠くを見つめた。過去を懐かしむ表情がここまで似合わない人はいないよな、と林檎は勝手に納得し、タイムサーバーの口元に異変を感じた。


「こいつ喋ろうとしてますよ」

 林檎の声に梨丸さんが反応する。

 どれどれ、と梨丸さんは膝を折りタイムサーバーの口元に耳を当てる。「あ・す・な、だってよ」


「なんですか?明日な?それともアスナという食べ物ですかね?」

 林檎は冗談半分で言った。


「明日なにかあるのかもしれねえな。そもそもこいつなんで制服なんだ?」


「梨丸さん、その疑問さっきも言ってましたよ」


「俺みたいな熟練されると素朴な疑問は何度でもぶつけたがるんだ」


「いわゆる素朴の確認、てやつですね」


「難しい仕事程、確認と検証は徹底しなければならねえ。もちろん簡単な仕事もな。手を抜くから、失敗が繰り返され、評価にまで響かない。地道が一番だよ。地道が好きなやつはよ、林檎!最後に笑うんだ」


 梨丸がサングラスを外し、林檎に視線を移す。切れ長の目だった。むしろ目が細すぎて、爬虫類を彷彿とさせる。それは言わないでおこう、と林檎は思った。


「どれも苦手な部類ですね」


「まだお前は若い。これから学んでいけばいい。若いっていうのはいいよな。学ぶ楽しさ、吸収する喜びがあるから」


「学ぶとか吸収するって、もしかしてタイムサーバーは学校に行こうとしてたんじゃないですかね?」

 林檎は憶測を提示した。


 おっ、と梨丸は細い目を比較的開き、「お前にしては勘が冴えてるな。学校に行く筈だった。そうかもしれない」と携帯端末でパシャ、パシャと写真を数枚撮り、送信ボタンを押していた。


「なにをしてたんですか?」


「どこの学校の制服か上層部に特定してもらってんだよ。数分で結果が出るだろ。とりあえず次はバイオウィルスだな」


「それなら学校に噴射しますか?でも、僕、バイオウィルスなんて噴射したくないんです」

 林檎は肩を押さえ項垂れた。


「ああ、実は俺もなんだ」

 梨丸さんの言葉に思わず、えっ!と林檎は声を上げる。


「そうだったんですか?」


「利権争いとかよ、汚職だとか、弱みを握るだとか、それなら俺も燃えるんだがな。命が絡むと、どうもな。今回のバイオレウィルスの致死率は広範囲だ。なにせ人から人へ感染するからな。おそらく止めることはできない。この国自体無くなるかもしれねえ」


 梨丸さんの話を遮るように、携帯端末が鳴り響く。梨丸が端末を確認し、ニヤリとする。

「的中したんですか?」

 林檎は身を乗り出した。


「情報を効率よく処理する能力はいつの時代も特権だな」


「で、的中したんですか?」

 ああ、と梨丸さんは頷き、「緑が丘高校の制服らしい。緑色のブレザーだけにな」と苦笑した。


「そのままですね」

 林檎はタイムサーバーを見下ろした。

 おっ、と梨丸さんは驚嘆し、「これは面白い。全校生徒の情報とさらには教員のデータも届いてるんだが、一人、鳩みたいな男がいるぞ。動画付きだ」と林檎に携帯端末を見せてきた。

 思わず鼻で笑いたくなるような動作だと林檎は思った。首を前後に動かしながら歩いている、背骨が既に曲がっている影響もあるのかもしれないが、動作は不自然であり滑稽である。これでは生徒の悪戯の標的になっているかもしれない。

「こいつだけ、渾名でデータ登録されてるな。鳩って渾名どうだ?嬉しいか?特記事項に『名前すら忘れられた男。ストレス過多』て記載されてるし、こいつを利用するか」

 梨丸さんが不適な笑みを漏らした。

「利用するんですか?」

「利用価値があるだけ人間冥利だろ」 

「タイムサーバーどうします?」

「どうせ、学校行きたがってたし、緑が丘高校は柳の木が校庭に毅然と立っているらしい。木の上にでもぶら下げとけって。責任転嫁で申し訳ないが、この鳩なる人物にバイオウィルスを託す。人生は選択の連続だろ。こいつがウィルスをバラまくかもしれねえし、もしかしたら目覚めたタイムサーバーが阻止するかもしれない」

「僕らはどうなるんでしょう?」

 林檎は心配そうに尋ねた。現代に戻って、まさか職務不履行の為に、首切りに合わないだろうか。もしくは裏切りの刑とか、ああ、嫌だ。絶対に嫌だ。

「お前、何頭抱えてんだよ!」

「現代に戻ったら、様々な刑罰が待ってるんだろうな、と思って」

 ハハハ、と梨丸は激しく声を出して笑い携帯端末を押し、「これでどうだ!」と画面を林檎に見せてきた。林檎は自然と口角が上がった。そこにはこう書かれていた。

〝辞めさせてもらいます。第二の人生を歩みます〟、と。

「林檎、俺は独立する。お前も一緒に来い」

「それなら、刑罰は待ってないですもんね。もちろん、ついていきますよ」

「よし、そうと決まれば。手筈通りに、緑が丘関係者との接触、タイムサーバーを緑が丘高校に運ぶとするか」

 梨丸は指示をし、車に戻った。ババを引くのはいつも林檎なのだと、果たして自分の選択はよかったのか疑問が過った。

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