1 日陰をひなたに

1 日陰をひなたに ①根深き2市の確執

 海に面した中部地方の某県に、西南せいなん市とひがし西南市と云う2つの市が在る。

 西南市は豊富な水源や交通の利便性を背景に、高度経済成長期より第二次産業モノづくりの街として、大手企業の工場を幾つも抱え、さながら小さな工業地帯として発展してきた。

 そして東西南市は、隣り合う西南市のベッドタウンとして発展した。元来、さしたる地場産業や観光名所も持ち合わせていなかった東西南市としては、独自の力で成長する事は現実として難しく、なるべくしてじゅういちに収まったとも云える。

 そんな成長基調が崩れだしたのは、後に「失われた10年」などと呼称される事とる、平成の半ば頃であった。

 振り返ってみると切っ掛けは些細なものだった。国内に2つの工場を有する中小の電機部品製造業メーカーが、もう一つの拠点に生産機能を集約する為、西南市からの撤退を表明した。此れに関して、西南市には何ら落ち度は無い。唯、社内判断にって、西南市の工場を閉鎖するに至っただけだ。

 社会情勢が、刻々と変化していく時代であった。一部では不況など何処吹く風で、半ば狂騒的に此の世の春を謳歌し続ける者共も居れば、直ぐ其処に迫る未曽有みぞうのデフレーションの渦に脆くも呑み込まれてゆく者も居た。

 全ては時世の所為なのか、西南市には不運が重なった。

 西南市から撤退した部品メーカーは、同じく西南市に国内有数の規模を誇る総合電機メーカー・ヤガミ電機の工場に多く部品を納入していた。部品メーカーの撤退表明から程無くしてヤガミ電機は、部品メーカーの西南市撤退を理由の一つとして、老朽化した西南市の工場を閉鎖し、人件費の安い東南アジアに新工場を設立する、と発表した。

 一社の大工場が撤退する事で、どれだけの中小企業、どれだけの人が影響をこうむるか。西南市としては、正に寝耳に水と云える状況だった。此の事態にり、複数の関連企業が西南市を去り、また幾らかの零細企業は廃業した。

 だが、此の段階では・・・・・・、未だ致命傷ではない。西南市は他に幾つもの大工場を抱えており、其の内の一つワンオブゼムが去ったからと云って、西南市に居を構える健全な中小零細の部品メーカーは、其の比重を他の得意先に振り向ける事で此の危機を乗り越えた。

 然し、往々にして危機ピンチと云うものは折り重なるものである。「泣きっ面に蜂」と云うことわざは、なかなか正鵠せいこくを突いている。

 全国各地で金融機関が相次いで倒産し、揺るぎないはずの都市銀行でさえもたおれていった時代だった。製造業は真面まともに景況の影響を受ける。此れ迄は基本的に上り調子で来たが、良い時が有れば当然、悪い時も有る。栄枯盛衰のことわりが当然発動し、西南市にも其の波が襲ってきた。複数の大企業が、事業整理や業務縮小、そして倒産に因って西南市から撤退していったのだ。連鎖倒産や拠点移動などで関連企業も多くが西南市から去り、次第に西南市には隙間風が吹く様になっていった。

 此れ迄の沿革を鑑みると、西南市と半ば運命共同体と為っている筈の東西南市も次第に活力を失っているのではないか、と思われる。だが、ベッドタウンとして発展した東西南市は、相次ぐ西南市からの生産拠点撤退に因って人口こそ減少傾向にあれど、隣の市とは対を為す様に第三次産サービス業が隆盛と為り、小さな工業地帯として発達した西南市と全く様相を異にしていたのだ。上り調子の東西南市と下り坂の西南市、と云う対比と為り、単純に云えば東西南市は此の時、西南市との立場を逆転しようとしていた。

 此処に2市に住む市民達の内に在った感情も絡んでゆく。小さな工業地帯を形成し、中部地方のモノづくりの雄として名を馳せてきた西南市、其の隣町で西南市に勤務する労働力を受け容れていく事で発展していった東西南市――此の関係は曲げ様の無い事実である。東西南市側は積年西南市側に劣等感を抱いていた。一方で、西南市側も左団扇うちわの時代に終止符ピリオドが打たれた現実に直面せざるを得なくなっていた。強者の誇りが、崩れ始めていたのだ。

 そして、2市の確執が表面化する事態が発生してしまう。

 21世紀に入って間も無く、大手総合家電メーカー・五陸電機が倒産する。売上面での占有率シェアははっきり云って下位ではあったが、ブランド力が無いなりにもキラリと光る製品を出してくる、魅力あるメーカーだった。然し、もとよりの丼勘定的な経営体質もあだと為り、押し寄せる不況の波には抗えず、遂に斃れてしまったのだ――西南市に、莫大な広さの主力工場を遺して。

 其の財務状況の悪さから、五陸電機の救済を名乗り出る企業ナイトは居らず、工場は為す術無く閉鎖され、操業が完全に停止した。其の所為で、静まり返り照明が点かない広大な工場は宛ら廃墟同然であり、また再就職先の手配あっせんは為されたといえども、少なからぬ求職者が彷徨ゆきかう町は正に終末の光景であった。

 更に此処でハチが飛来する。西南市に主力工場を構える大手自動車部品メーカーが九州地方に新工場を建設し、其方そちらに生産機能を移管する、と云う発表が為された。公式発表プレスリリース通り一年後に慈悲無く閉鎖された其の工場は、既に解体作業が進行していた五陸電機の工場の隣に位置していた。

 隣接する2つの大規模な工場が無くなった結果、西南市の財政は悪化の一途を辿り、市民の心情にも黒々とした影を落とした。ぽっかりと空いた余りにも広大な更地は、内外にまざまざと偽らざる現実を見せ付けていた。21世紀に入って数年が経ち、バブル崩壊後の正しく世紀末的な空気感からようやく日本が脱却しつつあった頃、しくも西南市の勢いは完全に喪われたのだ。

 そうして、西南市が没落していく一方、東西南市の復調傾向はより鮮明になっていた。抜け殻の如き西南市をしりに、県内で最も勢いの有る都市と化していたのだ。「東西南市おれたちはもう西南市おまえらしもべじゃねぇ」――誰一人として口にはしないが、東西南市民の間に共通してそんな意識が芽生えていたのは、疑い様の無い現実であった。

 そんな最中、食料品や衣料品を主とする、小売業界最大手のファーストオンリーが、満を持して西南市に進出する事と為った。それも、周辺の公立高校を統合再編した新たな県立高校を内包したかつて無い形の、国内最大規模のかん店として、例の広大な2工場の跡地を活用する、と云う内容だった。

 此れは、西南市に取って願っても無い話だった。県の支援も確約された、超巨大店舗が誕生するのだ。人の流れが活性化し、副次的な経済効果も期待出来る。暗闇の只中の西南市に去来した、いちの光であった。

 とんとん拍子ハイペースで話は進み、正式な発表の記者会見がもよおされた。だが其の壇上、ファーストオンリーの代表取締役社長の一言が、2市間の確執を表面化させ、順調に進行していた計画プロジェクトに暗雲が垂れめる事態となるのだ。

 ――西南市このちに出店するに至った理由は幾つか御座いますが、東西南市からきんの距離に位置する、と云うのが大きな決め手です――。

 此の発言は或る意味で、西南市民の感情を逆撫でするものだった。其れ迄、西南市民に取って東西南市は侍従的存在であり、対外的にも下に見られる事は決して無かった相手なのだ。差別的思想だ、とのそしりも有ろうが、此れは西南市民の胸中の偽善を引っぺがした本心だった。仮令たとえ栄光の時代は終わり、暗澹あんたんたる未来しか見えない没落都市と化していても、其れを客観的に突き付けられる様な発言は、どうしたって屈辱そのものだったのだ。

 そして、社長の発言から数日後、西南市民の有志がファーストオンリーの西南市出店への反対運動を起こした。反対運動の主導者は、自らの運動を正当化する為に、それらしい主張を用意していた。そしておもてに立たされたのが、ショッピングモールが開店した場合、その立地から最も打撃を受けると予測された、ひなた通り商店街の一同だった。当初、ひなた通り商店街としては「決して歓迎はしないが明確に反対もしない」と云う立場だったが、反対運動の主導者が商店会の会長と懇意だった為に、次第に対立する様な意見となり、気付けば商店会の総意として反対運動の最前線に立たされていたのだった。

 然し、一度動き出した計画プロジェクトは、そう止められるものではない。転がる石の様に、幕が開いた見世物ショーの様に、高速道路を疾走する過積載オーヴァーロードの大型貨物車トラックの様に――。

 どんなに拡声器で声を上げても、どんなに横断幕を張って練り歩いても、県からも東西南市からも歓迎され、何より西南市自体から正式なGOサインが出ている以上、事業母体であるファーストオンリーとしては、工事を止めるに足る運動うごきとは為り得なかった。それどころか、西南市の内部でも圧倒的な少数派マイノリティであった反対派は、声を上げれば上げる程居心地が悪くなる、と云う悪循環に陥っていた。そんな中、施設の建設は工期通り着々と進行し、巨大なたいが姿を現しつつあった。そして、高校の校舎部分を含めた延べ床面積は東京ドーム7個分以上にもなる、超大規模マンモス店舗が其の全貌を現し始めた頃、反対運動は線香花火の終わり際の様に沈静した。ひなた通り商店街全体が何処と無く肩身の狭い思いを抱え続ける、と云う唯一の最低な成果を遺して。

 多少の紆余曲折を乍らも、ショッピングモール“フォモール・ペタ オールイン西南”は西南市や東西南市のみでなく周辺の市町村からも歓迎されつつ、概ね想定通り開業した。併設される、工業や商業と云った専門分野を備えた県立の総合高校も、目論見もくろみ通り東西南市からの通学者を多く受け容れつつ開校した。

 ファーストオンリーの青写真通り、主に東西南市から多くの買い物客が流入し、其れに因り西南市は潤った。2市間の主従の立場は、今と為ってはほぼ逆転して、現在に至る。

 然し今なお、両市民の心の根底には、微量のわだかまりが残存している。西南市側からしたら、東西南市に対しては「追い抜かされた」と云う劣等感が、東西南市側からしたら、西南市に対して「逆転して遣った」と云う優越感がこびり付いている。或る意味で其れは仕方の無い事だ。何故なら其れは確かに、厳然たる史実に基づいたものだからである。

 市民感情と云うものはきっと、希ガスの様なものなのだろう。皆が皆、自身以外の全市民だって同様に感じている筈だ――なんて絶対的な確信を持ち合わせている訳ではない。然し、想いの濃淡はあれど宛ら通奏低音の如く、全市民の心の何処かに同じ色をして在る――そんな捉え所も掴み所も無い、けれども確実に其処に在る想いの事を云うのだろう。



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