第38話

それはよく晴れた日の午後のこと。

お隣さんが突然家を訪問してきた。


「那由くん、ちょっと買い物に付き合ってくれないかな?」


「買い物…?こんな暑い中わざわざなにを買いに行くんだ?」


部屋を一歩外に出ると、じめっとした空気が肌に纏わり付き、蝉の絶叫が彼方此方から聞こえてくる。

見上げれば雲ひとつない群青色。

こんな日にわざわざ外へ出ていく奴の気が知れん。


「ちょっとスーパーまで食材を買い溜めしに行くんだ。そろそろ冷蔵庫の中が心許なくて」


それを聞いて俺は気が変わった。

というか普段からちょくちょくお裾分けを貰っている身としてこれは手伝って然るべきだろう。


「…ちょっと待ってろ。3分で準備する」


そう言い残して俺は部屋に引っ込んだ。

そして長々と森守様を外に放置するのも申し訳なく、慌てて準備を済ませた。


「ほら、ここにも寝癖ついてる」


ぺたぺたと俺の髪を押さえる森守。

必死に背伸びする姿は小動物を彷彿とさせてとても可愛らしい。

そんな森守をじっと眺めていると、俺の視線に気が付いた森守がこちらを見上げてくる。


「…?なに?」


「森守はいつまでもそのままの森守でいてくれ」


「?」


個性強めなあの部の中で森守は唯一も良心とも言えるからな。

頼むからあいつらに毒されないで欲しい。


「そういえば那由くんは今日の晩ご飯はなにが食べたい?」


「…それはどういう意図での質問だ?」


「もし那由くんがよかったらなんだけど、買い物に付き合ってくれたお礼に何か作るよ。それでボクの部屋で一緒に食べようよ」


この娘は正気か?

女のひとり暮らしの部屋に年頃の男を招くということの意味を分かっているのだろうか?

いや、もちろんなにかをするつもりはないんだけど、もしそういう雰囲気になってしまったら止まれる自信はないぞ。

しかし…。


「…イヤかな?」


そんな寂しそうな顔されちゃあ『イヤだ』なんて口が裂けても言えないよな。


「じゃあハンバーグで。中にチーズの入ったやつ」


「___っ!うんっ!任せて!」


萎れた花が咲くように一瞬でパァっと表情が明るくし、ポンと自分の胸を叩く森守。

本当にこういうところがずるいと思う。

多分この先俺は森守にだけは絶対に勝つことはできないと思う。


「時に森守、最近神崎とはどんな感じだ?」


あのプールから凡そ1週間が経った。

この間の神崎の様子から見て割と頑張っているようだし、それなりに仲も進展しているのではないだろうか。


「それを気にするってことは、やっぱりあの時那由くんがなにか言ったんだね?」


「最初の一歩を踏み出す勇気がなかっただけみたいだったから少し背中を押しただけだよ。それからどうするかは俺の感知するところじゃない」


「ふ〜ん?」


少し不満気に森守が口をつがらせる。


「…なんだよ」


「べっつに〜?那由くんは歳下の女の子には甘々だなぁって思っただけ」


甘々…。

確かに少し甘いのは認めるけど、甘々とまで言われるほどか?

それになんか言葉の端々にトゲを感じるのはきっと気のせいではない。

取り敢えず言い訳を試みる。


「いやほら、俺って妹がいるじゃん?それで歳下に少し甘いところがあると言うか…」


「ぷっ」


俺が必死に言い訳を絞り出していると、森守が吹き出した。


「冗談だよ冗談。っていうか那由くん必死すぎ」


両目に涙を浮かべて依然くすくすと笑い続ける森守。

なにがそんなにツボにハマったのかは謎だ。


「森守さん、少し笑いすぎでは?」


「ふふっ、ごめんごめん」


目元に溜まった涙を指で拭いながら謝る森守だったが、未だ余韻が残っているのか口角は上がったままだった。


「神崎さんとは仲良くしてるよ。っていっても那由くんや葉風さんを相手にしてる時と比べてまだ少し距離は感じるけど」


「そうかい、それはなによりだ」


それでこそ恥をかいてまで背中を押した甲斐もあるというものだろう。


「まあ気長に待ってやってくれよ」


「うん」


それっきりすっかり話題の無くなってしまった俺たちはスーパーに着くまで特になにを話すわけでもなく肩を並べたのだった。



買い物を終えて外に出ると、再びムワッとした空気が全身を襲う。


「辛そうな顔だけど大丈夫?重くない?」


「…あぁ、大丈夫。重くはないから」


「そう?それじゃあ行こっか」


暑さなど感じていないような涼し気な素振りで森守が先を歩きだした。

あいつ本当に人間か?

そんなことを思いつつ折れそうになる脚でなんとかアパートの前までたどり着くと、前を歩く森守が急に足を止めた。


「どうした森守?」


俺たちのオアシスはもうすぐ目の前にあるというのに一体どうしたというのだろうか?


「なんだかすごく高そうな車がアパートの前に停まってるんだよ」


そう言って森守が指差す方へ目をやると、確かに庶民的なアパートには似つかわしくない高そうな黒塗りのセダンが停まっている。


「まあ俺らには関係ないだろ。ほら行こうぜ」


たしかに車は気になるが、大して車には興味がないし、そもそもそんな金持ちの知り合いなんていな_____。

ふと1人の人物の顔が思い浮かぶ。

いや、まさか。

アパートの場所は教えてないし、ここを知っているはずもない。

だからきっとただの思い過ごしだ。


「あ、誰か降りてきたよ?」


そう、たとえ車から知り合いによく似た人物が降りてきたとしてもただの他人の空似。

決して俺の知り合いと同一人物ではない。


「あれ?なんかこっち来るよ」


俺の知り合いによく似た人物は俺たちの前までやってくる。

そして_______


「こんにちは、高宮さま」


ハッキリと俺の名前を告げたのだった。



「えっと…どうして森守までついてくるんだ?」


椎葉が襲来して慌ててオタクグッズを片付けた俺の部屋には今2人の女子が座っていた。

俺の対面には椎葉が、そして森守は何故かさりげなく俺のすぐ隣に座る。

まるで家庭訪問のような構図が成されていた。


「こんな狭い部屋で年頃の男女が2人きりなんてなにがあるか分からないからね。ボクは那由くんが変なことしないか見張ってるだけだから、ボクのことは気にしないで石か木だと思って」


そんなことを大真面目に言い放つ森守だったが、自分の少し前の発言を是非にも思い出してほしい。

まあそもそも今日は森守との約束の方が先だったわけだし気にしないことにした。


「っていうか椎葉、俺が今ここに住んでるのって教えたっけ?」


「このアパートは真代さんから伺いましたわ」


俺はこの住所を真白にすら教えていないのだけど、一体あいつがどうやって知ったのか…は詮索しないほうが身のためか。


「それでわざわざ真白からこの場所を聞いてまでなんの用だ?」


「えぇ、実は近々同好会活動として我が家の所有する別荘へ避暑旅行に行こうかと計画していまして、そのお誘いに立ち寄らせて頂きました」


別荘…?

そういえば去年そういう話がチラッと出た覚えがある。


「計画としては3泊4日を予定しています。旅費交通費はもちろん頂きません。食事も1日3食最高級ホテルと同質のものをご用意いたします。如何でしょうか?」


それはたしかにいい待遇だとは思うけど、そこまでされると逆に流石に少し申し訳ない気分になる。

本来ならそれだけで一体いくら必要になるのか考えるのも嫌になる。


「既に真代さんと正敏は参加の意をいただいていますから、あとは高宮さまが頷いてくだされば計画を進められます」


椎葉にとって俺が頷くのは必須事項らしい。

でもまあ、既に俺が椎葉を避ける理由もないわけだし拒否する理由もないんだよな。

それに今までの罪滅ぼしというわけではないけれど、椎葉や辻野の要求には極力応えてやりたいと思う。


「分かった、予定が決まり次第連絡をくれ」


俺がそう言うと、椎葉は少し驚いたような表情を見せてからホッとしたように微笑んだ。


「では高宮さまも参加ということでよろしいですわね?」


「おう」


これで話は終わっただろうと心の中で一息吐く。

グラスに手を伸ばすと、中身の液体は既に空っぽだった。

無意識に緊張していたのだろう。

チラッと隣を見ると先の宣言通り石や木の如く無口に身動ぎ一つせずに正座していた。


「ところで高宮さま」


「ん?どうした?」


椎葉が視線を俺の顔から森守の方へとスライドさせる。


「こちらの方は一体どちら様でして?先程高宮さまのことを『那由くん』などと呼ばれておいででしたけれど」


自分の話題となって森守が視線を椎葉へ向ける。

そして椎葉と森守の視線が交わった時、両者の間でバチッと静電気のようなものが走った…気がした。


「ボクは森守暦。那由くんとは席も家も隣同士なんだ。よろしく」


まるで挑発するような口調で森守は自らの手を差し出す。

そんな森守の言葉に一瞬眉を顰めた椎葉は、すぐに愛想の良い笑みに戻す。


「わたくしは椎葉蓮乃です。高宮さまの親友ですわ」


その挑発に喜んで乗っかっていくかのような言葉と共にその手を握り返す椎葉。

2人から発せられる圧がギシッと空間を軋ませる。

2人ともどうしてこんなにも敵対心剥き出しなのだろうか?


「2人とも仲良く…な?」


「なに言ってるの那由くん、ボクたちもうすごい仲良しだよ?ね、蓮乃さん」


「暦さんの言う通りです。わたくしと暦さんはもうお友達でしてよ?」


うふふふ。と2人して声を揃えて笑う。

仲良しだって言うのならせめてその圧を仕舞ってから言って欲しい。



車に乗り込んだ椎葉を見送った俺と森守は、そのまま森守の部屋に移動した。


「まさか那由くんがあの椎葉蓮乃さんと知り合いだったなんて驚いたよ」


「椎葉のこと知ってたのか?」


「うん、っていうかこの辺りだと『椎葉家』を知らない人の方が珍しいんじゃないかな?」


なに事もなかったかのように言う森守だが、むしろ俺はそれを知っていながら椎葉に喧嘩を売りにいった森守が恐ろしかった。


「それじゃあ那由くんはその辺で寛いでて。その間にチャチャっと作っちゃうから」


そう言いながら森守は真っ白なエプロンを手慣れた様子で身につけて、廊下に面した台所へ移動していった。

ピシャと扉が閉められ、俺は部屋に1人取り残される。


寛げと言われても女子の部屋はおろか、友達の家にすら遊びに行ったことのない俺にはこの状況でなにをしているのが正解なのか分からない。

ただ間違いないのは、クローゼットの中やタンスの中、それからベッドの下を漁るのは当然NGだということだろう。


しかし、森守の部屋は女子の部屋にしてはやけの殺風景に見える。

間取りは俺の部屋とほとんど変わらないが、壁にはポスターなどは貼っておらず、元々の白い壁紙のままだし、家具にしてもクローゼットやタンスの他にはエアコンと折り畳み式の丸テーブル、それからベッドと本棚くらいしか見当たらない。


本棚には小難しそうな題名の分厚い本がズラっと並んでおり、漫画やライトノベルの類は一切見受けられなかった。

俺はそのうちのひとつを手に取る。

見た目通りズッシリとした重量感が伝わってくる。

ライトノベルで喩えるならホラ◯ゾンくらいの分厚さだ。

広辞苑かよ。

俺だったら絶対半分も読まないうちに断念するだろう。

そっと本を元あった位置に戻して、丸テーブルの前に座り直す。


「…」


っていうかよくよく考えたら、森守に完全に任せきりというのはどうなのだろう?

ここは俺もなにか手伝った方がいいんじゃないだろうか?


そう思った俺はそっと扉を開けて首だけを覗かせた。


「森守、俺もなにか手伝うか?」


「大丈夫、那由くんは気にしないで寛いでなよ」


「あ…はい…」


森守に断られた俺はおずおずと首を引っ込め、開けた時と同じようにそっと扉を閉めた。


ダメだ落ち着かない。

こうなったら最後の手段、スマホに頼るか。

森守に働かせておいて自分はスマホで遊んでいるのはどうかと思って敢えてやらなかったが、こうなっては仕方ない。

思い立った俺は早速スマホを開き、最近購入したばかりの電子書籍を開く。

当然ライトノベルだ。


読書に没頭していると、高熱で油の弾ける音と肉の焼ける匂いがこっちの部屋まで届いてきた。

そして待つこと数分、森守が焼き立てのハンバーグの乗った皿を手にこちらへやってきた。


「ごめんね、待たせちゃって」


「いや、謝るのはむしろ森守に全部任せきりにしたこっちの方だから」


「いいんだよ、今日は買い物に付き合ってもらっちゃったし、それに最初に誘ったのはボクの方だから」


そう言いながらも手際良くテーブルに食事の準備をしていく森守。

謙虚で家事もできて、縹緻も良くて性格もいいなんで、きっと森守は将来いい嫁さんになるだろう。

森守と結婚する男は幸せ者だな。


「さ、どうぞ召し上がれ」


「いただきます」


両手を合わせて、早速ハンバーグに手をつける。

ハンバーグに箸を入れると、中からジューシーな肉汁とドロッとしたチーズが溢れ出てきた。

俺は肉にチーズをよく絡ませてそれを口の中へ放り込んだ。


「…うまい」


それ以上に言えることは俺にはなかった。

この美味さをうまく言葉にできない自分の語彙力のなさが口惜しい。

しかし_____。


「そ、そう?そう言ってもらえるとボクも作った甲斐があるよ」


少し照れたように笑う森守を見るに、案外余計な言葉は必要なかったようだ。

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