第37話
「まず2人にはちゃんと謝っておかないといけないな。
今まで不躾な態度を取ってて本当に済まなかった。
…え?気にするなって?
いやいや、そういうわけにもいかないさ。
正直もうとっくに見切りを付けられていてもおかしくないことを俺は今まで2人にしてきたんだ。
だからちゃんと謝らせて欲しい。
本当にごめん。
いや、違う。
2人はなにも悪くなんてない。
全部俺が悪いんだ。
2人を最後まで信じきれなかった俺が悪いんだ。
実は俺には悪い癖…というか習性というか、とにかく後先考えずに行動してしまうことがあるんだ。
2人にも多少覚えがあると思う。
そう、去年の海でのことだ。
あの時俺はあの子供を助けることだけしか頭になかったんだ。
自分もロクに泳げないくせにまさか自分が溺れるだなんて1ミリたりとも考えていなかった。
結果として真代のおかげでこうして今も元気に生きていられるわけだけど、もしかしたらあの時俺は死んでいたかもしれない。
それで俺を心配してくれる誰かが傷付くことなんか全く考えないで、そういうことを反射的にやってしまうヤツなんだよ、俺は。
それに俺にとって2人は『いつかは離れていく人』の内の1人でしかなかった。
そして俺も2人が昔を振り返ったときに「そんな奴もいたな」と思い出す程度の存在でいるつもりだった。
だからその日が来るまでは極力深く干渉はせずに、付かず離れず程度の関係でいるつもりだった。
だけどあの事故が起こってしまった。
あの時2人が怒るのを見て、2人が喜ぶ姿を見て、2人が心底安堵するのを見て、そこで俺はようやく自分で引いた線を踏み越えてしまっていたことに気がついた。
だから2人を遠ざけたんだ。
今後も俺はきっと同じことを繰り返す。
目の前で誰かが危険な目に遭っていれば、自分の身なんか顧みずに助けに入ってしまうと思う。
その度に俺は2人を傷付けることになると思う。
そう、以前の真代のように。
だから選んで欲しい。これからの関係を…」
最後まで言い切ると辻野が難しい顔で口を開いた。
「取り敢えず高宮の言い分は分かった」
その表情には「納得はしてないけどな」とありありと書いてある。
「本当はここで1発ぶん殴ってやりたいところだが、場所が場所だしやめておいてやる。ただ____」
そこで辻野は言葉を切ると、俺の目をキッと睨みつけた。
「あんまり俺たちを舐めんなよ?」
ゾワっと全身の毛穴が逆立つ。
辻野から去年の夏と同等かそれ以上の怒気を向けられて息を飲む。
「その程度のことで俺たちが離れていくとかテメェ本気で思ってんのか?だとしたら見縊んな!俺も蓮乃もそんな薄情な人間じゃねぇ!そんなに弱い人間じゃねぇ!」
辻野の慟哭のような言葉のひとつひとつがグサリグサリと胸に突き刺さる。
「わたくしも正敏と同じ思いですわ。高宮さまはわたくし共の為にと仰いましたが、わたくしから言わせてみれば『余計なお世話』以外のなんでも御座いません」
椎葉は辻野とは反対に、声を荒げることなく粛々と静かに言う。
しかしその目と声には確かな怒りが込もっていた。
「だけどな高宮、俺はお前と元の関係に戻りたいとは思わない」
辻野のその言葉に身体が小さく震える。
それは明確な拒絶の言葉だったから。
椎葉も敢えて何も言わないということは辻野と同意見ということだろう。
「…そうだよな。今更どの面下げてって話だよな」
真っ白になりそうな頭で必死に言葉を絞り出す。
幸い拒絶されるのはこれで2度目だから大丈夫。
そう自分に言い聞かせる。
「それが2人の答えなら俺はそれを受け入れる。悪いな急に呼び出したりして」
だけどダメだった。
思考が紙に浸した水のようにシワジワと白く浸食されていく。
俺はそれだけ言い残して立ち上がる。
「待てよ」
それを止めたのは今し方決裂したばかりの辻野だった。
「誰も『絶交する』だなんて言ってねぇぞ」
「…は?」
ほとんどが白く塗り潰されてロクに働いていない頭で辻野の言葉の意味を考える。
しかし既に考えることを放棄していた俺の頭ではその言葉の意味を理解することができなかった。
「正敏、いくらハッキリと口にするのが恥ずかしいからといって、そんな言い方では高宮さまには通じませんわよ」
「そうよ、この男はすごく頭が悪いから最初からそんな可能性は捨て去ってるの。だからハッキリ言ってあげないと辛わらないわよ」
どうやら2人にはどういうことなのか分かっている様子。
「ぐぅ…まあつまりだ、今回のことは水に流してやるけど、その代わり今度からは変な遠慮なんかしたらぶっ飛ばすぞ。ってことだ」
少し照れた様子の辻野がそっぽを向きながらぶっきらぼうに言う。
「えっと…それって…」
突然のどんでん返しに目を白黒させていると、隣の真代が俺の肩を叩く。
「よかったわね高宮くん。2人ともあなたの愚かさを許してくれるそうよ」
その言葉で俺の頭はようやく現実に追いついた。
同時に胸にこみ上げる物を呑み下しながら、なんとか一言を紡ぎあげた。
「…ありがとう」と。
「あの…そろそろ店仕舞いですので…」
まるで見計らっていたかのように、ちょうどそこへ店員が恐々と声をかけてきた。
見渡すといつの間にか他の客は1人もおらず、外の景色も真っ暗になっていた。
慌ててスマホを確認すると、液晶には19時の表示。
結構な間話し込んでいたらしい。
それから俺たちは慌てて会計を済ませると、椎葉が門限が危ないということでその日はそのまま解散となった。
とある日の出来事。
俺と辻野は某喫茶店で向かい合っていた。
「まさかあの高宮が部活に入ってるとはな…」
「あぁ、気付いたら入ってた」
たしか最初は部の立ち上げを手伝うだけの約束だったはずなのだが、気付けば正式に部員にされてしまっていた。
しかも名誉部長なんていう意味の分からない役職まで与えられてだ。
「気付いたらって…いや、高宮らしいっちゃ高宮らしいか」
「おい、どういう意味だ?」
「流され易すぎってことだ」
包み隠さないストレートな物言い。
心当たりがあり過ぎて否定しきれない。
「そういう辻野はどうなんだよ?部活とかはしないのか?お前ならどこも引っ張り凧だろ」
これで運動神経抜群な辻野さんだ。
どこの運動部も喉から手が出るほどに欲しいに決まっている。
「そうだな、結構勧誘とかは受けるけど全部断ってる。たしかに運動は好きだしそれなりに上手くできるつもりだけど、運動部に入ってまでやりたいとは思えないからな」
「そうなのか?なんか勿体無い気もするけどな」
「それも何度も言われた。でも結局やる気のない奴が流されて入部したって、他の真剣にやってる奴らに失礼だろ?」
眼から鱗が落ちるとはこういうことか。
たしかに辻野の言う通り、半端な気持ちで本気の奴らの中に入っていくなんて失礼にも程がある。
「なんだ、意外にちゃんと考えてるんだな。辻野のことだからまた練習が面倒だからとかそういう理由だと思ってたんだけど」
「……そんなわけがないだろ?お前は親友をなんだと思ってるんだ」
「今かなり間があったけどな」
ついでに言えば自覚があるかは知らないけど、かなり声も裏返っていた。
「それで高宮はどの部活に入ったんだ?」
挙句に露骨に話を逸らしにきた。
まあこれ以上言及したってなんの得もないからいいけど。
「…新聞部だ」
「新聞部?そんな部活ウチの学校にあったっけか」
「あったけか?ってお前はウチの学校の全部活を覚えてるのかよ?」
「少なくとも運動部に限れば全部知ってるな」
さっきはあくまでものの例えで言っただけだったけど、まさかホントにどこの運動部からも引っ張り凧状態だったらしい。
「とにかく新聞部はちゃんと存在してる。って言ってもつい最近立ち上がったばかりの人数ギリギリな弱小部だけどな」
「ほ〜、つまり今は絶賛部員募集中というわけだ?」
「…まあ部員を募集してるのは間違いないが」
辻野の目が怪しく光る。
なにかロクでもないことを言い出す前兆だ。
「よし分かった、なら親友特権でこの俺が新聞部に入部してやろう!」
今の話の流れなら、きっと誰もがなんとなく言うと思っていたことだろう。
「…マジで言ってる?」
「なんか問題でもあるのか?」
「いや、別に問題はないと思うけど…運動部総出で猛バッシング受ける未来しか見えない」
そんな爆弾を易々と受け入れても良いものかと判断に迷う。
「っていうかあっちの方はどうするんだよ?」
「あっち?」
「例の頭の悪そうな名前の同好会」
「頭の悪そう言うな」
名付け親の辻野的には『頭の悪そう』はNGらしい。
「っていうかぶっちゃけあの痛々しい名前の同好会ってまだ生きてるのか?」
「痛々しい言うな。まあ生きてるとは言い難いな。どっかの誰かは言わずもがな、真代は生徒会で来なくなっちまうし、その段階で蓮乃も来なくなっちまったからな」
どっかの誰かが誰なのかについては言及しないとして、中々に悲惨な状況らしい。
というか実質解散状態だった。
「…分かった、一応部長にそれとなく聞いてみる」
「おぉ、マジか」
「でも、悪いけど最低でも文化祭が終わるまでは待ってほしい」
「なんでだよ?」
「色々準備があるんだよ」
主に神崎の心の準備だけど。
あいつもようやく今の新聞部に馴染み始めたばかりだからな、そこにいきなり新メンバーなんて言われてたら心臓発作を起こしかねん。
それに謎の美少女Xの正体を知る辻野を今のタイミングで入部させるわけにはいかないからな。
「まあよく分からんけど分かった」
分からないのか分かったのかよく分からんが、まあ分かってくれたのならいい。
俺はまだほのかに温かいコーヒーを一口啜る。
それを辻野は化け物でも見るような目で見ていた。
「よくこんなクソ暑いのにホットなんか飲めるな」
「俺、コーヒーは春夏秋冬問わず断然ホット派なんだよね」
「うわぁ、有り得ねぇわ…」
だってそっちの方がカッコいいじゃん。
という言葉はあまりにも格好悪いので飲み込んだ。
そんなどうでもいい会話をしていると、俺たちの座るテーブルに2つの人の影が差した。
「あれ、高宮さん?」
聞き馴染んだその声に顔を上げると、花奈と神崎が目を丸くして立っていた。
「やっぱり高宮さんだ!どうしたんですかこんなところで?」
「ちょっと花奈、他の人に迷惑だから大人しくして」
花奈の大声に他の客たちが一様にこちらへ目を向ける。
そんな中で注目されるのが苦手な神崎が必死に花奈を落ち着かせていた。
「…知り合いか?」
「全然知らない。知りたくない」
2人には聞こえないようにコソッと伺ってくる辻野に俺は頭を抱えながら答える。
嫌な現場を1番見られたくない奴に見つかってしまった。
「ほらほら、高宮さんもっと詰めて詰めて」
そんな俺をお構いなしに、花奈が俺を押し詰めて隣に座り込んでくる。
そしてそんな花奈の隣にシレッと神崎も座っていた。
「俺、今初めて高宮に殺意を持ったわ。羨ま死ね」
「…もうなんでもいいです」
もはや突っ込む気力さえ湧かなかった。
かくして、面識のない後輩2人と親友1人が同じテーブルに着くというカオスな空間が完成してしまったのだった。
「で、この可愛い子たちは結局どちら様なんだ?」
「はい!私は高宮さんの1番の後輩の葉風花奈といいます」
1番の後輩ってなんだよ。
なにが1番なんだろう?
思ったが面倒なのでそっとしておいた。
「ほら、ましろんも頑張って」
トントンと花奈が神崎の背中を叩くと、それまで俯いて黙りこくっていた神崎が瞳に決意を秘めて顔を上げた。
「わ、私は神崎真白でひゅ!しぇんぱいの本当の1番の後輩でござるます!」
噛み噛みな上に日本語も一部怪しいが、それでも普段の神崎を知っている身からすれば物凄く頑張ったと思える。
でもな神崎、なんでお前まで1番の後輩を自称するんだよ。
なんでそこを張り合った?
1番が2人になっちゃうじゃないか。
結局なんの1番なのかは知らないけど。
あと辻野、親友をそんなゴミを見るような目で見るんじゃない。
「そういうあなたは2年生の辻野正敏先輩ですよね」
「え、なに?俺のこと知ってるの?」
「辻野先輩といえば球技大会以来1年女子の間で大人気ですからね」
あ、なるほど。
それなら納得だ。
「あ、でも私としては断然高宮さん派ですからご安心を」
パチンとウィンクしながら親指を立てて見せる花奈。
安心しろって言われても、なにも心配してないから。
「先輩」
呼ばれて神崎を見る。
すると神崎も顔を赤らめながらグッと力を込めた拳を胸の前に持ってくる。
「私も先輩派ですから!」
うん、謎のアピールありがとう。
でもさ、恥ずかしいならやらなきゃいいのに。
「高宮、お前いつか刺されるぞ」
やめろ、その話題は花奈にとってはクリティカルすぎる。
「あははっ、大丈夫ですよ。私は最悪愛人でも全然構いませんから」
全然構いませんからじゃねぇよ。
こっちは全然構うわ。
ほら、既に辻野の俺を見る目が冗談で済まないレベルになってきてるんだよ。
「わ、私も花奈が愛人なら全然構いません」
なに言っちゃってんのこの子。
この子もしかしてテンパって自分がなにを口走ってるのか理解していないんじゃないか?
ダメだ。
下手に口を出して状況をややこしくするくらいならいっそ黙っていようと思ってたけど、余計におかしな方向へ向かっている気がする。
流石にそろそろ止めた方がいいかな。と思った矢先だった。
「ま、もちろん冗談ですけど」
同じことを思ったのか、ようやく花奈がそう言って締めたことによってなんとかオチがついた。
…神崎、その梯子を外されたような顔は見なかったことにしといやる。
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