第34話

夏休みに入って数日、それはピンポーンという間抜けな音と共に突然訪れた。


「おはようございます高宮さん!」


玄関を開けると近所迷惑な挨拶に襲われた。


「朝っぱらからなんだよ花奈。なにか約束でもあったっけ?っていうかどうしてこの部屋のことを知っている?」


「まあまあ、こんな暑い中で立ち話もなんですから中に入れてくれませんか?」


と、俺の肩越しに部屋の中を覗き込んでくる。

俺は慌ててその視線を遮った。

実家よりは遥かにマシだとは言え、この部屋もそれなりにオタクグッツが置いてある。

流石にそれを見られるのは先輩としての沽券に関わるので見せるわけにはいかない。

なんとか追い返さなければ。


「いや帰れよ。それと今何時だと思ってるんだよ?まだ7時前だぞ」


「それは…ほら、早起きは超お得とも言いますし」


「三文の徳な?なぁ、実際なにを企んでるんだ?」


「た、企むだなんて人聞きが悪いですね」


「じゃあなんなんだよ?用がないのなら2度寝の邪魔だから帰ってくれ」


喧しいくらいに何度も何度も鳴り響くインターホンの音で目を覚ましたおかげで寝覚めは非常に悪い。

もしもセールスとかだったら有無も言わさず閉め出していたところだ。


「あー、もしかして冗談抜きで機嫌悪いですか?」


そんな俺の苛つきが表情に表れていたのか、花奈が申し訳なさそうに言う。

そういう殊勝な態度に出られるとどうにもこちらが虐めているみたいでやり辛い。


「はぁ、分かった。話くらいは聞いてやる。その代わり用が終わったらさっさと帰れよ?」


そう言って俺は花奈を部屋に中に招き入れた。


「いいんですか!それでは遠慮なく、お邪魔しま〜す!」


しかしケロッと態度を変えて靴を脱ぎ捨てる花奈を見て、俺は早くも後悔した。


「…うわぁ」


俺の部屋を見るなり花奈が開口一番にドン引いたような声を漏らす。

そして俺へ視線を移して一言。


「私、理解のある方ですから」


そんな引き攣った笑みで言われても説得力の欠片もございません。

取り敢えず際どいタペストリーを外し、目に付き辛い場所に片付けた。


「で、結局なんの用なんだ?わざわざ人の家まで訪ねてきたんだからなんでもないってことはないんだろう?」


ペットボトルのお茶をコップに注ぎ、花奈の座る前に置きながら質問する。


「はい、高宮さんは夏休みが始る前に私とした約束を覚えてますか?」


「約束…?」


なんか約束したっけ?

ヤバイ、なんにも覚えてない。

だがここで「覚えてない」なんて言えば先程に続き俺の先輩としての株が更に暴落する恐れがある。

ここは話を合わせて様子を伺うことにしよう。

そうして口を開こうとすると、それに被せるように言う。


「あ、結構です。その顔で覚えていないってことは分かりますから」


何故だ…。


「前に帰り道で高宮さんと夏休みにみんなでどこか遊びに行こうって話をしたんですけど、それで今日新聞部のみんなでプールに行くことになったんですけど、どうせ高宮さんのことだから普通に誘っても嫌がると思ったので敢えて当日まで高宮さんには伝えずに高宮さんの部屋を待ち合わせの場所にしたんですよ」


てへっ。と可愛らしく戯けて見せる花奈。

それで許してもらえると思っているようだったが、残念なことに逆に神経を逆撫するものだった。

しかしそれしきのことで腹を立てては先輩として格好悪い。

ここは年上として広い心で許してあげるのもまた先輩の務めだろう。


「…待て花奈、今なんて言った?特に最後らへん」


なにやら不穏な言葉が花奈の口から聞こえた気がしてもう一度聞き返す。

願わくば聞き間違いであって欲しいのだが…。


「高宮さんの部屋を待ち合わせ場所にしました」


聞き間違いでもなんでもなかった。


「おまっ、なに勝手に_____」


ピンポーン。

無情な電子音が再び部屋中に響く。

俺は油の切れた歯車のように首を玄関の方へと向けると、そのドアを1枚挟んだ向こうから梓の声が聞こえてきた。


「兄さん起きてますか?」


「…」


「兄さん?う〜ん…やっぱりまだ寝てるのかな?兄さん入りますよ」


そうしてガチャガチャと鍵を取り出す音を立て始めたところで、俺は慌ててドアを開けた。

居留守を使ったなんて思われたら後からぐちぐちと煩いからな。


「休日に兄さんがこんな時間から起きてる…。もしかしてこれから雨でも降るんでしょうか…?」


我が妹ながらなんて言い草だ。

確かに花奈が来なければもう4、5時間は寝てただろうけど。


「その前に俺になにか言うことはないのか?」


「あ、おはようございます。兄さん」


「あぁ、おはよう。でもそうじゃないだろ。ちゃんと説明しろ」


そう言って俺は部屋の中で茶を啜りながら寛ぐ花奈を指さした。

それに気付いたように呑気にこちらに手まで振っている始末。


「あれ、花奈さんもう来てたんですか?待ち合わせは8時にしてたと思うんですけど」


「いやぁ、ちょっと早く家を出たらちょっと早く着きすぎちゃって」


ちょっと…?

8時に待ち合わせで7時前にやって来るのは『ちょっと早い』の話ではないだろう。

そして梓、1時間前にやって来たお前も人のことを言えないからな?


「っていうか8時集合ってのも早すぎるだろ」


「兄さんがすぐに動いてくれるのならもう2時間時間を遅めにしてもよかったんですけど」


「悪いけどお前の兄さんはプールなんて行く気はないからな?」


ジトっと梓を睨み付けるが、本人はどこ吹く風で俺の脇を素通りして我が家の如く部屋の中へ入っていく。


「それは兄さんの勝手ですけど、行くと言うまで帰りませんからね?」


そしてこの横暴さである。

これはもはや脅迫だろう。


「あれ?兄さんあの趣味が悪くて気持ち悪いポスターは剥がしたんですか?」


俺の部屋に入るなり、室内を見渡した梓がなんの悪気もなさそうに聞いてくる。

悪意のない物言いを聞くに、本心からそう思っていたっぽい。


「流石に女の子を部屋に入れるのにあれを貼りっぱなしってわけにはいかないだろ?今は目に付かないところに隠してあるだけで、後でまた貼り直すから安心してくれ」


「いえ、どちらかと言えばそのまま貼り直さないで欲しいです」


ここは俺の借りている部屋だというのに、自由に模様替えもさせてくれないのか。


「で、プールに行くって一体どこのプールに行くんだよ?こんな時期はどこもやたら混むぞ?」


「隣町の市民プールです。兄さんの言う通り流石にレジャープールなんかは混みますからね」


「だったらやっぱりやめるというのはどうだろうか?」


「「却下です」」


何処からか出してきたのか煎餅を齧っていた花奈と梓の声がハモる。

勝手に同行が決まっていたり、意見を却下されたり俺に選択の自由はないのだろうか?


「考えてみてください高宮さん。なんとたったの数百円を出すだけで美少女4人の水着姿を眺め放題なんですよ?水着美少女と仲良く遊べるんですよ?ムラムラきませんか?」


「ちゃっかり自分も美少女枠の中に含めやがったぞこいつ」


花奈を含め新聞部に所属している面々は俺の目から見てもかなりレベルが高いことは確かなだけに、花奈の言葉をまるっと否定はできない。

だがここで納得して、俺が『それ』を目的に承諾したと思われるのも釈だ。

なにより梓に変な虫が付くかもしれないと思うと、それは絶対の阻止しなければいけない。


「ま、まあ水着姿云々は置いといて、確かに女の子だけでプールに行くのは色々と危なそうだし引率として着いて行ってやるくらいは吝かではない」


「うっわ、この人水着の話になった瞬間掌返しましたよ」


「兄さん…サイテー」


せっかく行ってやる気になってやったのにこの扱い…。

理不尽だ。

そしてしばらく3人で話し込んでいると、3度目のインターホンが鳴る。

ドアを開ければそこにはこの部屋の隣に住む森守と神崎が2人揃って立っていた。


「那由くんおはよう」


「おはようございます先輩」


かくして集合時間十分前に新聞部員全員が集結したのだった。




バスで20分ほど揺られた場所にそれはあった。

子供から年寄りまで広い世代に利用されるそのプールにはウォーキング専用プールやウォータースライダー、流れるプールなど市民プールとは思えないほどの充実ぶりだ。


「お待たせしました。兄さん」


そんな声に振り替えると水着姿の4人の少女たちが一様に並んでいた。


「どうですか高宮さん?似合ってます?来た甲斐あります?」


黄色いビキニを着て昭和のアイドルみたいなポーズを取りながら腰をくねらせる花奈を無視して他の3人へ目を向ける。

しかし分かっていたことではあるけれど、やはりみんなかなりレベルが高い。


梓は水色の下にフリルの付いたワンピース型の水着を着用しており、14歳の少女らしさのある清楚な感じだ。


森守は黒のビキニで、意外に着痩せするタイプらしく豊満な胸に視線が吸い寄せられる。

そして森守の恥ずかしそうに顔を紅潮させていのがなによりエロかった。

完全に目の毒だ。


神崎は______何故かパーカーを羽織っていてどんな水着なのかは分からない。

しかし普段はツインテールにしている髪を下ろしているのは貴重な光景だ。

それに、いつもはニーソックスを履いているために見ることはできない生脚は日焼けやシミもなく、まるでモデルのように綺麗な脚をしていた。

うん、これも間違いなく目の毒だ。


もしもこの場に真代がいたら間違いなくゴミ箱に沸く虫を見るような目を向けられていたことだろう。


「…兄さん目がヤらしいです」


「ヤらしくないわ!」


妹からの絶対零度の視線に身を震わせながら、俺は3人の少女たちへ素直な感想を送った。


「あぁ、みんな似合ってると思うぞ」


「やっぱりヤらしいです」


「なんでさ!?」


しかしそう言って顔を逸らした梓は言葉とは裏腹に満更でもなかったようで、髪の隙間から覗く耳が赤かった。


「あ、あの…高宮さん?私のことは忘れてないですよ…ね?」


「あーうん、似合ってる似合ってる」


「あ〜もぅ照れちゃって高宮さんてば。可愛いんだからぁ。ほらほら、恥ずかしがってないで素直な感想を言っちゃってくださいよ〜」


肘でウリウリと人の脇腹を突いて来る花奈。

そんな花奈の両肩に俺は両手を置いて正面を向かせえう。


「…花奈」


「えっ…?あの…高宮さん?その…こんな…人がいっぱい見てますから…」


頬を紅潮させて、忙しなく瞳を泳がせる花奈の目を見据えて、俺は一言。


「自己主張がウザい」


「…え?」


その場に固まる花奈を置いて3人を連れてその場を離れる。

それから花奈が俺たちに合流したのは10分後のことだった。





3人の少女たちが仲良く遊ぶ様をプールサイドからぼんやりと眺める。

あの夏から早いことでもう1年が過ぎた。

辻野がいて、椎葉がいて、真代がいたあの夏から。

けれど気付けば俺はまた性懲りもなくこうして神崎たちとプールなんかに来ている。

去年あんな目に遭ったばかりだと言うのにまた水辺に遊びに来るなんて、我が事ながら本当に学習しない奴だ。

こんなんじゃ真代に愛想を尽かされるのも仕方がない。

そんな風に自嘲した時だった。


「あれあれ?高宮くん?」


随分と懐かしく、しかしできる事ならこのまま一生聞かなくても良かったとすら思う声が俺を呼ぶ。


「あれ?高宮くんだよね?…え?もしかして人違い?」


本格的に不安になってきたのかどんどんと声が細くなっていく。

そんな様にこのまま無視を続けるのも面白いかと思ったが、流石にそれは可哀想だと応えてあげることにした。


「ちゃんと合ってますからそんな泣きそうな声を出さないでください。恋海さん」


そう、それはこの春から海外の大学に進学したはずの元生徒会長にして現役JD・恋海さんだった。


「合ってるならすぐに返事してよ〜、本当に焦ったんだからね?」


「いえ、どんどん自信なさげになっていく恋海さんが面白くてつい」


本音の「あんたと関わると面倒だから」という言葉は飲み込んだ。


「もぅ、お姉さんを揶揄っちゃいけません」


頬を膨らませながらツンと俺の額を指で突く。

ヤバイ、滅茶苦茶ウザい。

最近の花奈なんか目ではないくらいにウザい。

久々すぎて忘れていたが、そういえばこの人ってこんな感じだったな。


「それで、海外に飛んだ恋海さんがどうして日本にいるんですか?」


「そんなの夏季休暇だからに決まってるじゃない」


俺の質問にさも当然と言わんばかりに答える恋海さん。

なるほど大学ももう夏休みに入っているのか。


「それより高宮くんこそこんなところでどうしたの?なんかあっちの方見つめてたけど…」


そう言いながら恋海さんは俺が見ていた方向、つまりは楽しそうに遊ぶ新聞部女子たちへ目を向けた。


「…高宮くん、あれはちょ〜っとレベルが高すぎるからナンパするのなら別の子にしといた方がいいと思うよ?なんだったら私をナンパしてもいいんだよ?」


「いや、それだけはマジで勘弁」


「わ〜、そのトーンはマジなやつだ〜」


俺を見る恋海さんの瞳からハイライトが消えた。


「っていうかそもそもナンパなんてしませんし、する予定もないですから」


「だったらなんで1人プールで女の子物色してたの?」


「物色って…人聞きの悪い事言わないでくれませんか?あれは俺の入ってる部活のメンバーです」


変な勘違いを更に加速される前に釘を刺しておいた。


「部活?えっ、なに?高宮くん部活作ったの?」


「はい…って言っても部長は俺じゃないんですけど、恋海さんのおかげでなんとか部活立ち上げることができました」


「あ、もしかしてあの生徒会室?」


「そうです。あの部屋を空けておいてくれたことは恋海に感謝してます」


「そう?そう言われると私も職権乱用した甲斐があるってものだね…ん?今『だけ』って言わなかった?」


「気のせいですよ」


危ない危ない、思わず口が滑ってしまった。


「ん〜、でも高宮くんが元気そうで少し安心したかな」


「なんで恋海さんが安心するんですか?」


「だって最後に会った時の高宮くん、すごく追い込まれて余裕がないように見えたからさ。実は結構心配してたんだよね」


最後に会った時といえばあの文化祭か。

確かにあの時は色々あり過ぎて気持ちに余裕なんてなかったけど、まさかそこまで心配を掛けていたとは…。


「っていうかあの後もしばらくは一緒の学校に通ってたんだから顔くらい見に来れば良かったじゃないですか」


「あはは、それはそうだったんだけど、私もあの後から猛勉強の毎日でそんな余裕もなかったんだよね」


猛勉強なんて軽く言っているが、いくら学校で1番成績が良かったといっても海外の良い大学を受験するとなれば相当に勉強していたはずだ。

そんな、特別な関係でもない後輩のために割く時間なんてあったはずもない。


「でもまあ結果オーライだよ。高宮くんは元気になった。私は大学に合格した。それでいいじゃない」


「…ふっ、そうですね」


1年前と変わらない能天気な恋海さんの言葉に思わず笑みが溢れる。

本当にこの人は相変わらずだ。


「っと、いけないいけない。桃花ちゃんを待たせてるのを忘れてた」


「いや、それは絶対忘れちゃダメでしょ?流石可哀想ですって」


「そうだね、じゃあ桃花ちゃんが寂しくて泣いちゃわない内にお姉さんは帰ります」


ビシッと敬礼をこちらに向ける恋海さんに俺はヒラヒラと手を振って応えた。

そしてなにか不満そうに立ち去る恋海さんの背中見つめながら俺は、その解けそうなビキニの紐の行方を想像しするのだった。

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