第29話

「なんで居るんだよ?」


どうやって入ったのかは知らないが、俺の部屋でくつろぐ桜塚の制服姿の少女を睨む。


「せっかく可愛い妹が兄さんを心配して来てあげているというのになんて言い草ですか」


ぷくっと頬を膨らませつつ半分閉じた眼で逆に睨み返してくる梓。

たしかに梓の言っていることは正しいだろう。

真面目でしっかり者の妹が不真面目で適当な1人暮らしの兄を心配してやって来るという状況はそれほどおかしくはない。

しかしだ、こいつは以前に人の部屋でとんでもないことをやらかしてくれた前科がある。

あの時のことがあるために、正直勝手に部屋に入って欲しくはなかった。


「今回は変なことしてないだろうな?」


なんとなく、本当にポロッと漏れた言葉だった。

しかしそれを聞いた途端に梓の顔は某湯沸かし器の如く、あっと言う間に真っ赤になった。


「…!?するわけないじゃないですか!兄さんのエッチ!変態!ロリータコンプレックス!」


「お、おまっ!隣に聞こえるだろう!バカ!」


「むぐっ」


慌てて梓の口を塞ぐ。

こんな壁の薄い部屋であんな大声をあげたら当然隣まで聞こえる。

これがまだあまり面識も関わりもない人ならいいけれど(いいとは言ってない)、残念ながら俺のお隣さんは同級生でクラスメイトでついさっき同好会仲間となった間柄だ。

…明日どんな顔で会えばいいのだろうか?

しばらくしてようやく梓が静かのなったところでその拘束を解いてやると、恨みがましそうな目を俺の向けてくる。


「お前な、ここはもう一戸建てじゃなくてアパートなんだぞ?」


「大声を出したことは悪いとは思ってますけど、その原因を作った兄さんが1番悪いと思います」


今思えば冷静に考えればあの話題を出せば梓が騒ぎそうなことくらい予想は付いただろう。

そうだな、わざわざまた掘り起こすような話題でもなかったかもしれない。


「で、今まで1度だって寄り付かなかったくせに、今日は一体どんな風の吹き回しだ?もしかしてお兄ちゃんが恋しくなったか?」


「違います!一体何年離れて暮らしていたと思ってるんですか?今更数ヶ月如きで兄さんのことが恋しくなるなんて有り得ません」


そうハッキリと断言されると兄として悲しむべきなのか、妹が兄離れしたことを喜ぶべきなのか…。


「わたしは兄さんが心配で今日ここに来たんです」


「心配?いやいや、そんな心配しなくてもちゃんと1人暮らしできてるぞ?」


ちゃんと週2回ゴミは出してるし、部屋も適度に掃除してるし、毎日ちゃんと1人で起きて学校にも行っている。

______自炊?なにそれ美味しいの?


「ちゃんと…ね?夕飯に葉風弁当のお弁当を買ってきてる人が良く言えましたね」


その視線の先にあるのは『葉風弁当』というロゴの入ったビニール袋。

中身は昨日もらったカレーのオカズにと買ってきた唐揚げが入っている。

なんと出来立てを半額で売ってもらってしまった。


「唐揚げ買ってきたけど梓も食べるか?ほらここの唐揚げ好きだっただろう?」


「…それはあとで頂きます」


一瞬迷って梓が答えた。

こういう素直なところが梓の可愛いところだ。


「ってそうじゃなくて!わたしが1番心配してるのは兄さんの勉強です」


「う"…」


「その反応、やっぱりまたですか…」


思い出されるのは去年の勉強地獄。

そこに俺の自由はなく、意思もなく、ただひたすらに梓に言われるままにロボットのように机に齧り付くだけ。

まさか梓は再びあの地獄の教室を開こうとでも言うのだろうか?

思い出しただけでも手足が震えてくる。

そんな俺を余所に、梓は仕方ないとばかりに恐れていたその言葉を口にした。


「今年もやりましょうか?勉強会」


「…イヤです」


ノータイムで拒否する。

せっかくの俺の休日を勉強なんかで潰されてたまるものか。


「そうですか…たしかに嫌がる人に無理矢理勉強なんてさせても身になるとは思えません」


やけに物分かり良くそんなことを言う梓に安心したのも束の間。


「でも兄さんに拒否権はありません」


「なんで!?」


今の流れなら今年は勘弁してくれる流れだっただろう?


「大丈夫です、兄さんもわたしと同じ遺伝子を受けているんですから、やればできます」


その信頼が一体どこからやって来るのか、梓は断言した。


「いやでも、お前も自分のテスト勉強があるだろう?」


「そこは心配なく。高校1年生の授業内容なんて頭の中に完璧に入ってますから。万が一にも悪い点数を取ることなんて有り得ません」


「…流石は天才少女だな」


そう、今この天才少女の学年は高等部の1年生、つまりは神崎や花奈と同じ学年である。

今年の2月に編入試験を受けた梓だったが、まあいろいろあって飛び級に飛び級を重ねてわずか14歳という年齢で高校生へと進級したのだった。


「では週末は兄さんと勉強デートということでいいですね?」


まるで彼氏と遊園地デートの約束をするかのように嬉しそうに言う梓へ、言葉を発する気力を失った俺はただ力なく首を下に落とすしかなかった。



「そういえば兄さん今日はどうして遅かったんですか?いつもなら放課後と同時に帰ってきてるのに」


咀嚼していた葉風弁当の唐揚げを飲み込んだ梓が不思議そうに聞いてきた。


「別になんでもいいだろ?俺も2年生ともなるといろいろ忙しいんだよ」


「ふ〜ん?…もしかして彼女ができたとか?」


探るような視線を向けて来る梓。

どうしてみんなしてすぐにそういう考えになるのか不思議でならない。


「俺に彼女なんてできるわけないだろ?だいたい俺のことより梓はどうなんだ?誰かいないのか、そういう相手」


梓は身内の俺から見ても、本当に俺と同じ親の元に産まれたのかと疑いたくなるくらいの美少女だ。

そんな梓を放っておくような男はいないだろうし、正直14歳ともなれば彼氏の1人くらいいてもおかしくない。

実際俺が真代と付き合っていたのも今の梓と同じ年齢の時だったわけだし。

しかし梓は少しムッとしたようにそれを否定した。


「いませんよそんな人」


「そ、そうか」


なにか虎の尾でも踏んだらしく、梓は目に見えて不機嫌そうになる。


「…兄さんのバカ」


「ん?なんか言ったか?」


「なんでもありません」


ボソッと呟かれたその言葉は俺の耳にまでは届かなかった。

少し気不味い空気が部屋を満たし始める。

このまま帰ってくれないかな?なんて期待はしてみたが、梓は不貞腐れながらも立ち上がろうとはしなかった。


「その…あれだ。部活みたいなことを始めたんだよ」


「…なんですか急に?」


気不味い空気に耐えられず、俺は素直に白状したのだが、どうにも梓には上手く伝わらなかったようだ。


「今日の帰りが遅くなった理由だよ。梓が聞いてきたんだろ?」


「…そういえばそういう話でしたっけ?」


梓が変なことを言い出すからおかしな流れになったのであって、本来はそういう話だった。


「しかし部活ですか、あの兄さんが」


俺が話を振ったことでいつもの調子を取り戻し始めた梓がしみじみと呟く。

にどういう意図が含まれているのかは敢えて聞くまい。


「それでどんな部に入ったんですか?」


「新聞部(仮)」


「(仮)?」


コテンと首を傾けながら梓が繰り返す。

まあたしかに普通に『なんだそれ』だよな。


「実は部って言ってもまだ今年創ったばかりで人数も足りない同好会みたいなもんなんだよ。それでも部長が部活だって言って聞かないから妥協案として『新聞部(仮)』」


「へぇ、自分で同好会を立ち上げるなんて積極的な人なんですね。何処かの誰かとは大違いで」


なぜか俺を見ながら感心したように神崎のことを褒める梓だが、その予想は全く的外れだった。


「…いや、あいつ俺以上にコミュ障だぞ」


たしかに自分で同好会を立ち上げる人間は積極性のある所謂『陽キャ』だと思いがちだけれど、神崎真白に関していえばそれは当てはまらない。

まず初対面の相手とは会話も碌にできないし、学校でもいつも目立たないように生活していると本人から聞いたことがある。

実際今日も森守とはまともに話していないし、真代に対してもたった一言しか話していない。

しかしそんなことは知らない梓は、俺の冗談だろうと取ったのか信じてはくれなかった。


「なにを言ってるんですか?この世に兄さんよりもコミュ障な人がいるわけないじゃないですか」


この世って…流石にそれは言い過ぎじゃなかろうか?

世の中には俺よりもコミュニケーションに弱い奴は幾らでもいるだろう。

例えば恋海さんとか歌戀さんとか。

そんなことを思っていると、梓は「うん」となにか納得したように頷いた。

そして______。


「あの、それじゃあわたしも入ってもいいですか?その新聞部(仮)に」


「…いやいや、なにが「じゃあ」なんだよ?」


「だって人数が足りてなくて部活に昇格できてないんですよね?だったらわたしが入れば少しでも足しになるじゃないですか」


足しになるどころか、梓が入れば人数的には条件を達成できてしまう。

だが、あの部屋は部室であると同時に俺にとってのでもある。

そんなところに真面目でしっかり者な梓を招いて仕舞えば俺のオアシスは永劫失われてしまう。

なんとしても梓の入部だけは阻止しなければいけない。


「どうやって諦めさせよう?って考えてますね?」


「!?」


図星を突かれて、取り繕う間も無く動揺てしまった。

これでは、はいそうですと言っているようなものだ。

また顔か?

また顔でバレたのか?


「怪しいですね…どうしてわたしの入部を拒むんですか?」


「いやほら、兄妹で同じ部活ってなんか嫌だろ?」


「わたしは別にそうは思いませんが?」


「お前がそうでも俺は嫌なんだ」


お互いに譲らないまま数分が経過。

このまま平行線では埒があかない。

仕方なくここは1度折れたフリをすることにした。


「分かった、って言っても俺には決定権はないからな。明日の放課後旧生徒会室まで来てくれ。そこで部長に判断してもらう」


「旧生徒会室?でもあそこって今は生徒会の備品庫なんじゃ…」


「ちゃんと生徒会には使用許可は取ってある」


とは言ったものの正式に許可を得たわけではなくただ黙認されているだけだ。

許可と黙認では雲泥の差があり、もしも教師に突っ込まれれば当然言い訳の余地もなく追い出される。


「生徒会の?その部長さんは生徒会にも伝があるんですね」


正確には神崎ではなく俺が生徒会とコネを持っているのだが、多分言っても信じてはくれないだろうし敢えて否定はしないでおく。

しかしいつになったら梓は神崎がコミュ障だと信じてくれるのだろう?


「ま、なにをするにしても明日だ。送ってくから今日はもう帰れ」


そう言って立ち上がるが、梓は黙ったまま動かない。


「どうした?」


「その…泊まっていっちゃダメですか?」


なにを言い出すかと思えば、梓にしては随分と子供っぽい我儘だった。

しかし俺の答えは決まりきっている。


「ダメだ。だいたいお前着の身着のままで来てるんだろ?明日も学校はあるんだから今日は帰れ」


「は〜い」


不満そうではあるけれど、俺の反応は大方の予想がついていたのか梓は特に食い下がることなく引き下がった。

とはいえ、歳の割にしっかりしているから忘れがちになるが梓はまだ14歳の女の子だ。

俺も璃子も居なくなったあの家は1人では広すぎるのだろう。

今度気が向いたら泊めてやるのもいいかもしれない。

そんな風に思いながら俺は梓を実家に送り届けるべく、出かける支度を整えるのだった。




いつも通りに目覚ましで目を覚まして、朝ごはんを食べ、制服に着替える。

そしていつものように眠い目を擦りながら家を出ると、そこでは森守が待っていた。


「おはよう、那由くん」


「…おう」


朝イチから合わせたくない顔を合わせてしまった。


「今日のいい天気だね」


隣を歩く森守が空を見上げながら言う。

俺も真似して空を見上げたが、その空はどう見ても曇天模様だ。


「超曇ってるけどな」


さっきから気になっていたが、どうにも森守の様子が少しおかしい。

今の話題も無理矢理絞り出した感が感じられた。


「あのね、那由くんってさ」


いよいよ本題だといった様子で森守が深刻そうに口を開く。


「…ロリコンなの?」


「違う」


間髪入れずにその言葉を否定した。

やっぱり昨日の話を聞かれていたようだ。


「その…盗み聞きするつもりはなかったんだよ。でもほらウチって壁が薄いじゃん?それで偶々聞こえちゃっただけなんだけどさ?」


慌てたように口早に言葉を紡ぐ森守。


「だ、大丈夫だよ。那由くんがどんな趣味をしていてもボクはずっと友達だからね!」


思いっきり目を泳がせながら森守が必死にフォローを入れようとするが、誤解は誤解のままなんのフォローにもなっていない。


「違う、あれは妹が適当言っただけで別に俺はロリコンじゃないから」


今までシスコンと中傷を受けたことはいくらかあったが、ロリコンと言われたのは初めてだった。

っていうかあいつは自分を『ロリ枠』に入れても気にしないのだろうか?


「無理しなくていいんだよ、ボクはちゃんと分かってるから」


「分かってないよな?お前なにも分かってないよな?聞いて?人の話をちゃんと聞いて?」


そんな不毛な押し問答を何度か繰り返してようやく森守はくれた。


「もう、誤解なら最初からそう言ってくれよ」


心底安心したように森守が怒る。

勝手に勘違いしたくせに。


「だから最初から言ってただろ?違うって」


「それは…そうだけどさ。でもロリコンの人は絶対そう言うじゃないか」


「いや、誰でも謂れのない疑いを掛けられれば否定すると思うけど」


「だ、だよね…。うん、疑ってごめん」


パチンと音を立てて両手を合わせて森守が謝った。

別に俺は誤解を解きたかっただけで腹を立てていたわけでもないので許す許さないの話ではないのだけど、それが森守にとってのけじめのつけ方というのなら俺はこう答えるしかない。


「元は誤解を招くようなことを言った妹に非があるんだ。だから気にするな」


「…ありがとう」


そうして森守はようやくいつも通りの明るさを取り戻した。

それと同時に、俺はアパート暮らしの恐ろしさを見に染みて感じたのだった。

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