第27話

「ただいま」


言ってはみたものの当然のように返事はない。

8畳ほどのリビングと廊下に申し分程度の一口コンロのキッチン、風呂はユニットバス。

それが今の俺の家だった。

あの文化祭を切っ掛けに俺は自宅から一駅ほど離れた町で1人暮らしを始めたのだ。

コンビニで買ってきた弁当を電子レンジで温めて、高さ僅か40cmほどの机に並べる。

ここしばらくこれが俺の晩飯だった。

璃子の温かい手料理を若干恋しく思いながら俺は手を合わせた。


「いただきます」


蓋を開けて卵焼きに箸を付けようとした時だった。

ピンポーンと来客を知らせるベルが鳴った。


「…」


チラッとデジタルの時計を見ると『20:20』と表示されている。

こんな時間来るだなんて非常識じゃないか?

それに普段俺の部屋には基本的来客はない。

とすると、ドアの向こうにいるのはきっと新聞の勧誘か、宗教の勧誘か、或いはセールスマンだろう。

こんな時間までご苦労なことではあるが、だからとわざわざ相手をしていてはせっかく温めた弁当が冷めてしまう。

そうなれば再び温める電気代が勿体ない。

というわけで俺は居留守を決め込んだ。


ピンポーン____。


ピンポーン_____。


何度も鳴らされるインターフォンをガン無視して俺はあくまで弁当に集中する。

気にはなるが無視していればいつかは諦めて帰るだろうと高を括っていた。

しかし…。


ピンポン______。


ピンポン_______。


なかなかに強情だった。

まるで俺が居留守を決め込んでいるのを見通しているかのように執拗にインターフォンを押し続ける客。

一体何者なんだ?

そんな好奇心から俺はスコープ覗き込んだ。

そこには桜塚学園の制服を身に纏った少女が立っていた。

というか普通にお隣さんだった。


「はいはい、今出ますよ」


ドアを開けると、瞬間ジトッとした視線を俺を迎えた。


「どうして那由くんはいっつも居留守を使うかな?ボクも隣に住んでるんだからキミが帰ってるかどうかくらい気配で分かるんだよ?」


ぷくっと頬を膨らまして怒って見せるこの少女は俺の2年でのクラスメイトで名前は森守暦もりさねこよみ

席順が俺の右隣だったというだけの理由で、何故かよく話しかけてくるボクっ娘だ。

そして彼女もまた俺と同じこのアパートで1人暮らしをしている。

年頃の娘をひとりで、しかもこんなオートロックの『オ』の字もないようなセキュリティーもプライバシーもガバガバなアパートに住まわせるなんて、正直親の神経を疑う。


「だって変な勧誘とかだったら対応するの面倒だろ?だから敢えて居留守を使って様子見してるんだ」


「なんのために覗き穴があるのさ」


「さぁ、なんのためだろうな?」


俺がスッとぼけると森守は「もぅっ」とだけ言ってそれ以上追求はしてこなかった。


「それで、こんな時間に一体なんの用だ?飯の途中なんだけど」


「あ、それならちょうどよかった!」


ムスッとした表情が一転し、曇天の空が晴れるかのようにパァッと表情を明るくする森守。

さっきのことなんてまるでなかったかのようだった。


「これカレーなんだけど、ちょっと作り過ぎちゃって…。棄てるのも勿体無いし那由くんが良ければ食べてくれないかな」


と、たしかにひとり用では滅多に使わないであろうサイズの寸胴鍋を渡される。

おおかた味が薄くてルーを足して、今度は濃くて水を足して…のループにでも陥ったのだろう。


「…森守ってなんか頻繁に作り過ぎるよな?」


「えっ!?そ、そんなことはないと思うんだけど」


あせあせと挙動不審になりながら言う森守だったが、実際つい1週間前にも作り過ぎたからと手料理を渡されていた。


「まあこっちは助かってるから別にいいんだけど、森守は食費とか大丈夫なのか?なんなら金は出すけど」


「ううん、そこまではいいよ。元々はボクが作り過ぎちゃうのが悪いんだから」


そうは言うが、現実的な話1人暮らしをしている以上1日の食費はそんなに多くはないだろう。

同じ1人暮らしの身としてはその苦労も分かるし、正直貰うだけというのは申し訳ない。

今度どこかのタイミングでちゃんとお礼をしておくべきだろう。


「まあこれは有り難く貰うよ。そろそろコンビニ弁当も飽きてきたところだったし」


「…キミって奴は未だにコンビニ弁当に頼りっきりなのかい?」


「誰もがみんな森守みたいに自炊スキルがあるわけじゃないんだよ」


「それは練習あるのみだよ。誰か教えてくれるような人はいないの?」


そう言われて頭に浮かぶのは我が不詳の義妹である少女の姿。

しかしそもそもこの1人暮らしは璃子に依存しないために俺が始めたことで、ここで璃子を頼ってしまったら元も子もない。


「そうだな、心当たりはない。ほら、俺って友達いないから」


「それは胸を張って言うことじゃないけどね?それに友達ならここにいるじゃないか」


ポンと自らの薄い胸を叩いて胸を張るが、俺にとって森守はただの親切なお隣さんでしかなかった。


「その…那由くんがよければボクが教えてあげようか?」


「いや、遠慮しとく」


「え…?な、なんで?」


「ただでさえ世話になってるんだし、これ以上負担を掛けるわけにもいかないからな」


「そんな…ボクは別に負担だなんて思わないし」


「それでもだ」


ここは決して譲れない。

いつかは切れる縁と知っていながらあまり借りを作ることはできない。

…なんて既に返しきれそうにない借りを作っておいて今更言うことでもないけれど、まあそれはそれ、これはこれということで。


「…そっか、でも本当に困った時はちゃんと頼ってね。お隣さんでクラスメイトで友達なんだから」


「あぁ、そうするよ」


そして俺はまた、少しだけ嘘を吐いた。






「いやぁ、申請が通ってよかったですね」


花奈が上機嫌な様子で廊下をスキップする。

まあ自分の考えた企画が通ったのだから、その気持ちは分からなくはないが。


「ハナ、浮かれてばかりはいられないよ?今日から取材を始めないといけないんだから」


神崎の言う通り、申請が通ったらそれでゴールではない。

むしろ申請したからにはそれなりに形のある物を作らなければいけないのだ。


「高宮さんはなにか知らないんですか?例の謎の美少女Xについて」


「さぁな、俺は実際に見たわけじゃないし、なにより情報が少ないからな」


そんな顔も名前も分からない亡霊のことなんて聞かれても知るはずがない。


「たしかに確実な情報はほとんどないですけど、その謎の美少女Xにはいくつもの噂があるんです」


「噂?」


「はい、曰く他校の生徒だとか、曰く女装した男だとか、曰く何年も前に亡くなった美少女の霊だとか、まあほとんどが眉唾ものですけど」


花奈が指を折りながらいくつか例を挙げる。

しかし女装した男…か。

そういえば俺たちのクラスって去年は女装メイド喫茶だったっけ?

…まあ関係はないだろう。


「まあなんにしてもこれから地道に調査するしかないってことですね。そういうわけで今日の放課後から取材を始めるので、先輩も絶対参加してくださいね」


そう言って釘を刺す神崎の目が怖い。

俺がに絶対サボると確信しているような目だ。


「…分かった」


全くこれじゃあどっちが先輩でどっちが後輩なのか分からない。


「それではまた放課後に」


そう言い残して2人は自分たちの教室に帰っていった。

さて、それじゃあ俺もそろそろ教室に戻ろうか…と思った時だった。


「那由他くんは歳下の女の子が好み…と。なるほど、これじゃ高宮くんはお姉さんにときめかないわけだ」


後ろから刺さる視線と、ここに居るはずのない人間の声に思わず足を止める。

絶対に振り返ってはいけない。

このまま気付かなかったフリをして立ち去れと俺の本能が告げる。


「那由他くん、無視なんてされたらお姉さん泣くよ?年甲斐もなくこの廊下のど真ん中で駄々っ子のように泣き散らかすよ?いいの?」


最低な脅しだ。

しかしこの人なら本当にやりかねないというのが恐ろしい。


「俺もうすぐ授業なんですけど」


「サボっちゃいなよそれくらい。適度にサボれないと社会に出てから苦労するよ」


普通は逆なんじゃないかと思うけれど、ここで後回しにすれば必ず後で余計に面倒ごとになるのは分かっている。


「少しだけですよ」


そう言って俺は歌戀さんを連れて、旧生徒会室にして今は生徒会備品庫兼新聞部(仮)部室となっているあの教室へ移動した。


「それで今度はなんですか?恋海さんなら海外の大学に進学してもうこの学校にも日本にも居ませんよ」


「君ね、私はこれでも一応あの子の血縁者なんだからそれくらい知ってるよ。今日は那由他くんに用があって来たんだよ」


そんな簡単にホイホイ来られる場所じゃないと思うんだけどな、学校って。


「で、俺になんの用ですか?」


「いや、その後の進捗を知りたくてね。相談された身としては」


相談?

一瞬考えてようやく閃いた。


「それで、その後どういう展開になってるのかな?ほら、お姉さんに話してごらんよ」


言い方がすごくムカつくが、たしかにこの人には聞く権利くらいはあるだろう。


「実は1人暮らしを始めました」


「…なるほど、それで成果はあったの?」


「いえ、あの日から璃子とは一言も話していません。今ではたまに梓…もう1人の妹から様子を聞く程度の繋がりですね」


「ふ〜ん。それが君の出した答えっていうわけね。うん、まあ間違ってはいないんじゃないかな?」


「なんですか、その含みのある言い方は?」


「別に?ただ、それが最適解だったのかどうかと聞かれれば微妙なところだよねって思っただけだよ」


「なんだそりゃ…」


しかし歌戀さんはそれ以上は言わず、コロリと話を全く関係ない方へシフトした。


「そういえば那由他くん、部活に入ったんだね。話の内容から察するに新聞部かな?」


「…あんたいつから聞いてたんだよ?」


「え?割と最初から?」


コロンと首を傾けて無駄に可愛らしく言う歌戀さんだったが、歌戀さんの行ったそれは盗み聞きそのものだった。


「いやぁ、那由他くんがまさかどこかのグループに所属するなんてね。それも可愛らしい後輩ちゃん2人も侍らせてるなんてねぇ。お姉さんビックリだよ」


「…」


「あ、待って待って!無言で帰ろうとしないで!もう少しお姉さんに付き合って!」


人の制服の裾を掴んで離さない歌戀さんに根負けして俺は再び歌戀さんの前に腰を下ろした。


「君たち謎の美少女Xについて調べてるんだよね?」


歌戀さんが当たり前のように盗み聞いたことを話す。

この人に罪悪感なんてものはないのだろう。

俺は適当に聞き流そうと適当に頷いた。

しかしそのあとすぐに、歌戀さんの口から思いも寄らぬ言葉が飛び出した。


「私、その正体知ってるよ」


ニヤリと意地の悪い笑みを歌戀さんが浮かべる。

どうやら俺がようやく反応したから少し嬉しい様子。

正直にうざい。


「教えて欲しい?ねぇ、教えて欲しい?ん〜?ぃった!?ちょっ、那由他くんやめて!乱暴しないでぇ!」


目に涙を浮かべながらも自分の頭の上に両手を置いて守ろうとする。

しかし俺はその手の上からも手刀を落とす。


「ごめんなさい!ごめんなさい!らめぇっ!お姉さん壊れちゃうっ!」


どうやらまだ冗談を言える余裕があると見える。


「なんで強くなるの!?謝ったじゃない!サービスしてあげたじゃない!」


あんなのはサービスとは言わない。

とはいえこれ以上は本当に根に持ちかねないのでここらで引き上げた。


「…キズモノにされた…ぐすん」


すると今度はぺたんと女の子座りになり、ヨヨヨと泣き真似を披露し始める。


「これはもう那由他くんにもらってもらうしか____ごめんなさい、冗談です」


性懲りも無くアホなことを宣う歌戀さんを呆れと憐憫の眼差しで眺めていると、なぜか勝手に謝った。

本当にこの人の行動は意味が分からない。


「それでなんで歌戀さんが謎の美少女Xの正体について知ってるんですか?」


「あ〜、そうそう。っていうかただ気付いていないだけで那由他くんだって知ってるはずだよ?」


気付いていない…?

ふと俺の知り合いを思い浮かべる。

真代と椎葉、璃子と梓と恋海さんと…うん、あの文化祭における俺の知り合いはこの5人。

そして梓を除いて4人ともに『謎の』が付くような無名人物ではないはずだ。

そうなれば答えは1人しかいない。


「その顔はなにか閃いたって顔だね?」


「えぇ、正しく『灯台下暗し』って感じでした」


「へぇ?意外と冷静なんだね?那由他くんのことだからまた1人で怒り出すんじゃないかと内心ヒヤヒヤしてたんだけど」


「怒る?いやいや、俺が怒る理由なんてなにもないでしょう?むしろ誇らしいほどですよ」


「え…待って、那由他くんそこまで行っちゃった?」


歌戀さんがドン引きだという様子で俺を見る。

むしろ可愛い妹を可愛いと言われて嬉しくない兄がいるとは思えないが…。


「ま、まぁうん、いいと思うよ?人の趣味は自由だと思うし、お姉さんも理解のある方だから」


どうにも先程から歌戀さんの様子がおかしい。

もしかして俺はなにか致命的なミスをしているのではないだろうか?

…。

…そういえば歌戀さんって梓と既知の関係だったっけ?

いや、あの時に文化祭に来ていたのならどこかで知り合っていてもおかしくはない。

おかしくはないのだけど…。


「あの…ひとつ確認なんですけど」


「な、なにかな?」


「高宮梓って名前に心当たりは…?」


「さっきポロっと漏れた名前だね。もう1人の妹だっけ?…その子が今なにか関係が?」


その表情からはいつものような冗談っぽさは感じられない。

まるで嘘を吐いているようには見えなかった。

だとすると、歌戀さんは一体誰を指していたのか?


「じゃあ一体謎の美少女Xって誰なんですか?」


俺の問いに歌戀さんはそっと震える指を差す。

もちろんこの場にいるのは俺と歌戀さんの2人のみ。

だから当然その指先の示す先にあるのは俺の姿。

そして歌戀さんは決定的な一言を口にした。


「例の謎の美少女Xの正体は女装姿の那由他くんのことだよ」


視界が真っ暗になった。

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