第23話
そして始まった文化祭。
普段は授業中のこの時間に珍しく学内が喧騒に包まれる。
そんな中で俺は1人虚空を見つめながら、さながらそうシステムされたロボットのようにひたすらにビラを配っていた。
西にカップルを見つければ行ってビラを配り、東に男同士で連んでいる奴らを見つければ行ってビラを配り、北におばさんを見つければ行ってビラを配り、南に一眼レフカメラを構えたおっさんを見つければ行ってビラを配った。
そうしているうちに、段々と自分がビラを配るためだけに生まれてきたのではないかという錯覚にすら陥る。
「あの子めっちゃ可愛いな、お前声掛けてみろよ」
「キミキミ、この後時間ある?っていうかiD交換しようよ」
などなど、どこかのチャラいギャル男たちが架空のメイドに話しかける。
メイドはまるで聞こえていないかのようにそんな彼らをスルーしてひたすらにビラ配る。
まったく、こんなメイドの何処がいいのか?
しかし彼らは知らない、その実このビラを配るだけの機械と化したメイドが実は生粋の男である事を。
「『なゆちゃん』は大好評見たいね」
「…」
「ちょっと高宮くん、私にビラを配ってどうするのよ?ってどこ行くのよ」
「ぐぇ…」
後ろ襟を掴まれて首が締まる。
慌てて振り返るとそこには真代の姿。
その手にはなぜか俺が今配っているビラが握られていた。
「あなたそんな絞められた魚みたいな目でビラを配らないでくれる?」
「…そんな目してたか?」
「思いっきりしてたわよ。しかも何も言わずにビラを渡すだけだなんて、よくもまあみんな受け取ってくれるわね…」
「それだけ俺の才能があったってことだな」
「そうね、でもこれが女装してなかったらきっと誰も受け取ってくれないでしょうけれど」
「…それを言うなよ」
容赦ない一言が俺の現実逃避を打ち砕く。
確かに俺の女装姿は自分で言うのもおかしな話だがなかなかに様になっている。
いや、女装が様になっていて嬉しいことなんて何ひとつ1ミクロンもないのだが、それでも鏡で見た俺の女装姿はちょうど高校生になったくらいの梓の姿のようで、有り体に言って『可愛い』かった。
真代曰く、
「あなたの場合は良くも悪くも特徴のない顔だちだからメイクひとつで美少女にだって生まれ変われるのよ」とのこと。
「クラスでも大好評だったのだから自信を持ってもいいんじゃない?」
「女装に自信とか持ちたくないんだけど…」
そんなものに自信を持つくらいなら死んだ方がマシだった。
「で、真代はそれを言うためだけにわざわざクラスの仕事を抜けてまでこんな所まで来たのか?」
「そんなわけないでしょ?ちゃんと用事があって来たに決まってるじゃない」
「用事?」
「えぇ、あなたの今日の予定のことよ」
「俺の予定…ね。え、なに?デートの誘い?」
ふざけて冗談を言ってみたところ、弾丸のような勢いで拳が俺の頬を掠めて通過していった。
「そんなわけないでしょっ!バッカじゃないの!?生徒会の手伝いとかは入ってないかって意味よ!」
「お、おう…なんかごめん」
「分かればいいのよ。でも…次はないから」
「…はぃ」
だいぶ真代とも昔のように接しられるようになってきたからと軽く冗談を言っただけなんだが、まさかあんなに取り乱すなんて思いもよらなかった。
まさかあんなに顔を赤くして怒るなんてな…次からはもう少し気を付けよう。
「まああれだ。生徒会の手伝いは今のところ入ってないけど、実はこの後璃子と回ることになってる」
「璃子さんと…?それっていつから?」
「えっと…」
そういえば具体的に『いつから』とは決めていなかったっけ?
「ちょっと待ってくれ」
俺は真代を手で制すと、スカートのポケットからスマホを取り出して、璃子の番号に呼び出しをかけた。
『ただいま電話に出ることが_____』
「出ないの?」
「たぶん電源を切ってるか、もしくは____」
そこまで言ったところで、俺は最悪な光景を真代の肩越しに目にした。
そこにあったのは周囲から視線を受けながらも、しかしそのいずれにも関心を示さずスマホを耳に当てる金色の髪の少女の姿。
間違いようもない、俺の義理の妹である高宮璃子。
璃子は女装して今やほぼ別人となったはずの俺の姿を見つけると、まるで蕾の花が開くように満開の笑顔になりこちらに駆け寄ってくる。
その光景を見て俺は青ざめ凍りついた。
ヤバイ、ヤバイヤバイヤバイ!
「どうかしたの?」
そんな俺の様子を訝しんだ真代が振り返る。
そうすれば必然、真代と璃子が向き合う形になるわけで…。
璃子は真代の姿を捉えるとピタリとその足を止めた。
満開の花のようだった笑顔は憎悪に塗れ今や見る影もない。
「なんでその女と一緒にいるの?お兄ちゃん」
俺たちの周りだけに一足先に冬が訪れたかのように気温が低くなったように感じる。
今の璃子の言葉には普段の温かみは一切感じられず、氷の刃で首筋を撫でられているかのようだった。
「ねぇ、今日はわたしと一緒に回るって話だったよね?なのになんでお兄ちゃんはよりにもよってその女と2人で一緒にいるの?」
「いや…それは…」
璃子の静かな迫力に俺は言葉が出てこなくなってしまう。
辻野が璃子を『チワワの皮を被ったケルベロス』と評したのも納得だ。
しかしその怒りの矛先は俺から隣に並ぶ真代へ移動する。
「また優姫さんがお兄ちゃんを唆したんですか?」
今にも掴みかからんとする勢いの璃子に真代の身体が強張るのが気配で分かった。
「それはあなたの勘違いよ。私と彼はただのクラスメイト。今は彼にそろそろ交代の時間だと言いに来ただけで他意はないわ」
「あなたのその言葉を、わたしに信じろとでも言うんですか?」
「そうしてもらうより他にないもの」
「わたしことを裏切ったくせに」
「それは…」
璃子の言葉一つで先程まであれだけ饒舌だった真代が何も言えなくなってしまう。
そして璃子の鋭い視線は再び俺へと向かってくる。
「お兄ちゃんもお兄ちゃんだよ!この女はお兄ちゃんを捨てたんだよ?そのせいでお兄ちゃんがどうなったのか忘れたの?」
忘れたわけがない。
あんな辛い事を忘れられるはずがない。
今の俺の基盤とも言えるあの過去は決して忘れてはいけない。
「どうしてそんな辛い目に遭わせた張本人とまたそんな風に楽しそうにしてるの?どうして璃子じゃなくてその女なの?どうして璃子じゃダメなの!?」
聞いているだけでこちらの胸も引き裂かれそうなほどに悲壮な叫びと共に璃子の瞳からポロポロと雫が流れ出る。
思えば璃子が俺にこんな風に本気で怒鳴るなんて随分と久しぶりな気がする。
「ねぇ、教えてよ…どうして璃子じゃお兄ちゃんは璃子の事を見てくれないの?どうして璃子じゃお兄ちゃんの恋人になれないの?」
叱られた子供のようにか細い声で璃子が俺に問う。
なぜ自分を恋人にしてくれないのかと。
そんなの決まっている。
ずっと昔に交わした、たったひとつの大事な約束だから。
だから俺の璃子の問いに対する答えはひとつ。
「…俺たちが兄妹だからだ」
「___っ」
それだけのことだ。
兄妹では恋人にはなれない。
ある程度の年齢になれば誰だって知っている当たり前の事実だ。
確かに厳密に言えば俺たちは兄妹ではない。
けれど璃子は俺の妹で、俺は璃子の兄でなければならない。
それが今はもうこの世には存在しないもう1人の妹との最後の約束だから。
「____お兄ちゃんのバカ!」
そう言い残して璃子は人並みを掻き分けて、廊下を走り去ってしまった。
「なにをしているの?早く追いかけなさい」
隣にいた真代が焦燥を露わにした顔つきで俺に命じる。
しかし俺は泣きながら去って行った璃子を追いかけない。
追いかけたとしても俺は今の璃子に掛けてやる言葉を持っていないし、そもそもその資格さえ持っていない。
だって俺たちは結局どこまで行っても平行線のままなのだから。
しかしそんな風に思う反面で、ここで追いかけられない自分にイライラする。
なんでもいいからまずは追いかけろと叫ぶ自分が俺の中にいるのだ。
「高宮くん!」
「うるさいな!」
なお急かす真代に気が付けば俺は怒鳴りつけていた。
最低だ。
真代はむしろ俺たち兄妹を心配して言ってくれているのに、それに対して『うるさい』なんて言っていい事ではなかった。
こんなの完全に八つ当たりじゃないか。
「交代でいいんだよな?悪いけど少し頭を冷やしてくる」
「…引き継ぎはしておいてあげる」
「おう」
そして俺は璃子が走り去った方向とは逆の方向へと歩き始めたのだった。
どれくらい彷徨っただろうか?
気が付けば俺は校舎裏の人気の全くない場所までやって来ていた。
「兄妹だから…か」
そうだ、兄妹だから俺と璃子は決して結ばれることはないし、あってはいけない。
でも本当にそうだろうか?
本当にそれだけの理由なんだろうか?
それじゃあもし璃子が俺の『妹』ではなく、1人の『女の子』だったとしたら俺は璃子を受け入れていたのだろうか…。
いや、そんなことそもそも仮定として成り立たないと前にも考えたはずだ。
璃子は俺が『兄』だから俺に好意を向けているのだから、この前提がなければ璃子が俺へ異性として好意を寄せることはないだろう。
それでももし俺たちが兄妹でなかったらと想像してみるが、やっぱり俺が璃子を受け入れることはないだろう。
今俺がこうして立ち上がっていられるのは『恋』を捨てたからなのだから。
真代への恋を捨てて俺はようやく再び立ち上がれたのだから。
そしてその代償として俺は誰かを異性として好きになれなくなってしまったのだから。
だから結局、どうあったとしても俺が璃子の気持ちを受け入れることは決してないのだ。
そうすると問題は今後の璃子との付き合い方だよな。
流石にこのままなにもなかったかのように振る舞うのは俺も璃子も難しい。
「おやおや、なんだい?那由他くん。そんな可愛らしい格好しちゃって」
こんな時に限って今1番会いたくない人物と遭遇してしまった。
っていうかなんでこんな所に歌戀さんが来るんだよ。
歌戀さんは俺の隣に座ると、俺の顔を覗き込んできた。
「ん?あれ?もしかして絶際お悩み中?」
「…だったらどうだって言うんですか?」
「お姉さんが特別に相談に乗ってあげるよ」
なるほど、確かにひとりで堂々巡りするよりは誰かに相談した方が遥かにマシに思える。
しかしその相手が歌戀さんだと思うと…。
「…歌戀さんだけ絶対にはないな」
そんな事を考えているとポロッと口を吐いてしまった。
「那由他くん?この超絶天才美人お姉さんを前にその言い草はないんじゃないかな?」
案の定歌戀さんがご不満の様子。
でも今回の件について相談相手としては歌戀さんが1番参考にならないんだよな。
「とにかく言ってみなよ。お姉さんがパパッと素晴らしいアドバイスをしてあげよう」
よほどの自信があるのか、ふふんと得意げな顔で胸を張る。
その自信がどこからやって来るのか知らないが、本人がここまで言うのなら試しに言ってみるだけ言ってみるか?
やや迷ったが、俺は歌戀さんに先ほどの事の顛末を話すことにした。
「…なるほど、つまりどうやったら妹と普通の兄妹として仲良くできるのかって事だね」
「はい」
歌戀さんはしばらく考える素振りをしてから納得したようにひとりで頷き言う。
「そんなの私が知りたいわ!」
「…」
そして逆ギレされた。
「だから歌戀さんだけは絶対ないって言ったじゃないですか!それなのに相談しろって言ったのはあんただろ!?」
「あれ?そうだっけ?」
歌戀さんが誤魔化すように右上に視線を向けてぽりぽりと頬を掻く。
「でも、根本的な解決にはならないかも知れないけど方法がないわけでもないと思うよ。…あの、私今から真面目な話するからそんな懐疑的な目はやめてくれないかな?」
「無理ですね」
今までの自分の行動を振り返って欲しい。
「まあ実際、少し距離を取った方がいいよね。そういう時って」
「距離を取る?」
「うん、世の中時間が解決することって結構あるものだよ?会えない日々が2人の想いを強くする…なんて言うけれどそれは間違いだよ。どれだけ強い想いだって会えない年月が増えるに連れていずれは風化して砂塵となって風に溶けていくものなのだからさ」
「…」
まるで人生の酸いも甘いも噛み分けた大人のように憂いを帯びた瞳で遠い空を見上げる歌戀さんだったが、そんな歌戀さんに俺は半眼を向ける。
「ソースは?」
「わ・た・し♪____うゎいたっ!?」
パチこんとウィンクをかました歌戀さんの頭に気付けば手刀を落としていた。
あまりにもイラッときて反射的に…つい。
「那由他くん、暴力はいくないよ。暴力は。私のこの超絶天才な脳細胞が死んじゃったら人類の重大な損失になるんだよ?___あ、ごめんなさい。お願いだからその手刀をしまって」
頭を庇うように抱えてぷるぷると震えながら懇願する歳上の残念美人。
こんな無条件降伏を受けて追撃できるほど俺は鬼畜ではなかった。
「話は戻すけど、那由他くんだって本当は思ってるんでしょ?このまま一緒に住み続けるのが正解なのかって」
それは確かに何度も思った。
このまま璃子と同じ屋根の下で暮らし続けるのが正解なのかと何度も考えた。
でも璃子はまだ中学生になったばかりの、実質小学7年生のようなものだ。
家に両親がいない今、俺は璃子の兄でありそして保護者でもある。
そんな俺が璃子と離れて暮らすことなんてできるはずがない。
「まあ那由他くんの場合はそんな簡単な話じゃないのは分かるけれどね。中学に上がったばかりの妹ちゃんが心配で心配で離れて暮らすなんてできないよね?」
「なんですか?煽ってるんですか?」
「違う違う、とにかく最後まで話を聞いて」
「内容によっては最期の話にしてあげますから」
「おっと、なんだか同じ言葉なのに那由他くんが言った方だけ不穏な気配がしたんだけど」
「気にしないで続けてください」
恋海さんがこの人を嫌う理由がよく分かる。
どうしてこの人はこうも人の癪に触るようにしかなにかを言うことができないのだろうか?
これが天然だとしたら確かにこの人は自分で言う通りの天才に違いない。
「だからねつまるところ物理的な距離を取れないのなら、精神的な距離を取ればいいわけさ」
「精神的な距離?璃子のことを無視するとかですか?悪いですけどそんな話なら聞けないですよ。俺にとって璃子はあれでも可愛い妹なんですよ」
「うわぁ…もしかして那由他くんも結構なシスコン?」
「違います、っていうか妹が可愛くない兄姉がいますか?」
「うん、なるほど。理解した。つまりやっぱり那由他くんもシスコンなんだね」
『も』って…この人自分がシスコンな自覚あるのかよ。
っていうかサラッと俺も同類にされてるのが気に入らない。
「無視は言い過ぎにしろ、壁は必要だよね。那由他くんってなんだかんだ言いつつも妹ちゃんの言うがままされるがままなんじゃない?」
「そんなことは______」
ある。
心当たりがあり過ぎる。
というか今日の出来事もぶっちゃけリコに我儘をゴリ押しされたことによる結果とも言える。
「その顔は心当たりがあるみたいだね。那由他くんは妹ちゃんがキミに依存しているというけれど、多分さ、キミたち兄妹はお互いに共依存してるんだろうね」
「共依存…?」
「そうそう、キミは迷惑そうに言うけれど、その実では妹ちゃんに頼られたり我儘を言われることで承認欲求を満たしているんだ」
違う。
そう一蹴したいところだったのだが、俺の喉は声を出してはくれない。
だって違うなんてことはないのだから。
歌戀さんの言う通りだ。
多分俺はどこかで璃子に頼られ、当てにされることに自分の存在意義を感じていたんだと思う。
なるほど、共依存か。
歌戀さんの表現はなかなかに的を射ていた。
「要するにさ、キミたちは精神的に自立をするべきなんだよ。そうでないと今だけは解決できてもその内同じ事を繰り返すだけだよ」
なんだ?
この人は本当にあの歌戀さんなのだろうか?
俺の知っている歌戀さんはそんな『精神的自立』だなんて小難しいことは言いそうにない。
「…歌戀さん、本物ですか?」
「少し真面目に話しただけなのに今度は偽物を疑われた!?」
いや、だって真面目な歌戀さんとかそれってもう歌戀さんじゃないよな。
「と、私から言えるのはこれくらいかな。具体的にどうするのかは自分の頭でしっかり考えて行動するべきだよ。なにせこれは『アドバイス』なんだから、私にできるのはキミに道を示すことだけ。案内まではしないんだよ♪」
パチンと再びウィンクをする歌戀さんだったが、なぜか先ほどのような苛立ちは感じなかった。
それにヒントも得ることもできたことだし、一応お礼でも言っておこう。
そう思った時だった。
「まあ、那由他くんがどんな道を選んだとしてもお姉さんは一切責任は取らないから、選択は慎重にね」
ケロっとした顔で今までの自分の言葉に対して無責任であることを告白。
っていうか貸し駐車場の注意書きかよ…。
俺は喉まで出かかった感謝の言葉をそのまま呑み込んだ。
「そういえば結局、なんでそんな格好してるの?」
そして再び歌戀さんの興味が俺の格好へ移る。
それから俺は瞳を子供のようにキラキラと輝かせる歌戀さんへ誤解のないようにしっかりと説明するのだった。
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