第24話

「ふぅ…」


ようやく制服の着替えることのできた俺は、ひとり生徒会室で寛いでいた。

もちろん恋海さんから許可はもらっている。

曰く、「高宮くんはもはや生徒会の一員と言っても過言じゃないからね、この部屋は好きな時に使ってくれて構わないよ」だそうだ。

最初は冗談だと思っていたのだが、鍵を渡された瞬間にそれが冗談ではない事を悟った。


「長かったようで短かったな」


思い返せば夏休み前から準備を手伝い始めて、夏休みが明けてからは今日までほぼ毎日休みなく生徒会を手伝ってきた。

全てはこの文化祭を成功させるため。

扉1枚を挟んだ向こうからは友人や恋人と楽しそうにはしゃぐ声が聞こえてくる。

きっと彼ら彼女らはこの文化祭のために生徒会がどれだけ尽力してきたかなんて知りもしない。

彼らからしてみれば、文化祭の方から歩いてやって来たようなものだ。

彼らからしたら『当たり前』にやって来た文化祭。

だが、俺からしてみれば『なんとかこじ付けた』文化祭。

人の『当たり前』を作ることがこれほどに大変だということを俺はこの文化祭を通して初めて知ったのだ。

それだけに達成感も大きく、苦労が報われたような気がした。

それを思うと、このまま後期から生徒会に入るのもありなのかも知れない。

幸いその面子のほとんどは既に面識があり、なんならそれなりの話もする間柄となっていため、それほど抵抗感はない。

でも、それは同時にあの恋海さんの思惑に沿うことにもなる。

それはそれでなんとも癪に触る。


「…でもやっぱり俺には向いてないよ」


恋海さんは俺にこそ向いているみたいに言うけれど、そんなことは全然ない。

恋海さんのような統率力もなければ、橘先輩ようなカリスマも、ほかの役員のように責任感や誇りもない。

そんな俺にこの学校の生徒会なんて務まるわけがないし、それは歴代の生徒会の人たちに失礼なような気がする。


「これも返さないとな」


本音のところどういう理由で恋海さんが俺にこの鍵を渡したのかは分からない。

でも、この鍵を渡して来たということは俺に『そういう』期待を込めてのことだろう。


この文化祭が終われば俺はもう生徒会とはなんの関係もない一般生徒に戻るだろう。

なら、こんな物持っている理由も必要もない。

このまま恋海さんの机に置いて帰ってしまおうかとも思ったが、出た時に鍵がかけられないことに気が付きそれはやめておいた。


「あれ?鍵開いてる」


扉の向こうからそんな声が聞こえる。

ここ2ヶ月で妙に聞き慣れてしまった恋海さんの声だ。

横スライドの扉が開かれ中に入って来たのは案の定恋海さんだった。


「なんだ、高宮くんか」


少しホッとしたかのような声。

まあ誰もいないはずの部屋の鍵が開いていたらそりゃビビるよな。

いろんな意味で。


「こんな所でどうしたの?クラスの方は?」


「休んでるんですよ。クラスでの俺の仕事はもう終わりましたら」


「もしかして準備サボり過ぎて戦力外通告でもされちゃった?」


気不味そうに言う辺り、生徒会ばかり手伝わせてしまった事に後ろめたさがあるのだろう。


「別にそういうわけではないです。むしろ主戦力にされそうなのを全力で回避したといいますか…」


「っていうことはやっぱり高宮くんも女装したの?うわぁ…少し無理してでも行けばよかった…。そうだ、写真は?お姉ちゃんに見せるべき写真を実はそのスマホに隠し持ってたり___」


「しません」


でも多分ウチのクラスの奴らのスマホには入っているだろうけど。

衣装合わせの時もさっきも滅茶苦茶写真撮られたし。

頼むからネット流出だけはやめてくれよ…。


「そんなことより恋海さんの方から来てくれたのは都合が良かったです」


「え、なに?私に何か用事?」


「はい、実はこれを返しておこうかと思いまして」


俺は手に持っていたこの教室の鍵を恋海さんに渡す。


「これはもう俺には不要な物ですから」


「…そっか、やっぱり意思は変わらないか」


「はい」


恋海さんには俺が鍵を返すことの意味がしっかりと伝わったようだ。

この文化祭が終わればすぐのように次期生徒会の選挙戦が始まる。

これは実質、恋海さんへの返事となる。


「これが終われば私の仕事は全部おしまい。こうしてなんとか形にできたのも高宮くんが手伝ってくれたおかげだよ。ありがとね」


唐突な恋海さんからのお礼に俺は耳を疑った。

今までも何度か恋海さんから聞いた言葉だったが、今回のそれはまるで感じが違う。

それはきっと恋海さんの纏う雰囲気が今までのようなおちゃらけたものではなく、しおらしく、落ち着いた大人の女性のものだったからだろう。

歌戀さんといい恋海さんといい、いきなり大人っぽくなるのはやめて欲しい。

どうやら俺はこの手のギャップに弱いみたいだ。


「な、なんですかいきなり改まって…気持ち悪い」


動揺しているのを隠そうとして結局言葉に詰まる。

これでは全く隠せていないじゃないか。


「気持ち悪いだなんて酷いな。これでも私なりに真剣に誠心誠意お礼を言ってるんだよ?」


頬を膨らませて怒る恋海さんを不覚にも『可愛い』などと思ってしまった。

どうやら俺の目は曇って来てしまったしい。


「そういえば恋海さんはどうして生徒会に入ろうと思ったんですか?」


別に話を逸らせられるのなら話題なんてなんでも良かった。

このままでは自分の中でずっと守ってきたが崩れてしまいかねないという危機感。

そんなものから逃げるために咄嗟に思いついた質問だった。


「どうして…か。実はね私はお姉ちゃんに憧れて生徒会に入ったんだよ」


「…っ!?」


思わず恋海さんの顔を2度見した。

今の恋海さんの一言でそれくらいの衝撃が俺に走った。


「…恋海さんって歌戀さんのこと嫌ってるんじゃなかったんですか?」


「え?そんなこと言ったっけ?私普通にお姉ちゃんの事は好きだよ?」


…。

確かに恋海さん自身からそう聞いたわけではないが、でもあれほど露骨に無視していたら普通嫌いだと思うじゃん?


「じゃ、じゃあなんであんな露骨に無視してるんですか?」


「無視?いやいや、無視してるつもりはないよ?ただほら、従姉妹同士って言っても相手は憧れの人なわけでしょ?だからいざ会うとテンパっちゃって頭が真っ白になっちゃうんだよね。だから前にここにお姉ちゃん来た時も完全の思考が停まってたね。ぶっちゃけアレよ?私がお姉ちゃんのこと語り出したらホントキモいくらい語るからね?」


「…」


え…結局なに?

恋海さんにとって歌戀さんは憧れの人で、別に全く全然これっぽっちも嫌ってない…と?


「あの、それ本人には言わないんですか?」


「本人?お姉ちゃんに?ムリムリ!そんな事恥ずかしくて誰にも言えないよ!私にだって威厳ってものがあるんだから」


「威厳…?」


そんなものを恋海さんから感じ取ったことは今ままでにたったの一度足りともなかったんだが…まあ言わぬが花ってな。

しかし恥ずかしくて誰にも言えない…ね。

だから夏休みの時にも敢えて否定しなかったのか。

しかも俺は言ってるし。


「その微妙そうな顔でなんとなく言いたいことは分かるんだよ?」


恋海さんから半眼を向けられて顔を背けた。


「で、だいぶ話が逸れましたけど、歌戀さんに憧れて生徒会に入ったって話でしたっけ?」


「そうそう、お姉ちゃんが生徒会長やってたのがちょうど私が今の高宮くんと同じ歳の頃だったんだけどね______って高宮くんも時期的にその当時はもう中等部に入ってたんだっけ?」


「えぇ、でもあんな強烈な生徒会長がいたなんて全然知りませんでしたけど」


「あははっ、それは仕方ないよ。ウチの学校って中等部はあんまり生徒会長と関わりないからね。それにあの当時のお姉ちゃんは今みたいな感じじゃなかったし」


恋海さんはまるで遠い思い出を振り返るかのようの窓の外を見つめながら言う。


「あの頃のお姉ちゃんはもっと尖ってたからね、今では『ひとり生徒会』だとか言われているけど、その前は『氷の女帝』みたいなあだ名が付いてたって話だよ」


「氷の…女帝…?」


歌戀さんの姿を脳裏に思い浮かべるが、残念ながらそんなあだ名が付いていたイメージは全くと言えるほどにない。

どっちかって言えば、『残念美人』の方がしっくりくる。


「うんうん、今のお姉ちゃんしか知らないとそういう顔になるよね」


「そういう顔?」


「眉間に皺が寄ってた」


指摘されて思わず手で眉間を擦る。

確かに皺は寄っていた。


「昔からお姉ちゃんは基本的になんでもできたんだよ。勉強も音楽も絵画も、その他にもお姉ちゃんにできない事なんて運動くらいだった」


最後の部分だけ俺にも心当たりがあった。

っていうか周知の事実だったくせによくも自分のことを運動神経抜群だとか言えたものだ。


「だからそんなお姉ちゃんに私はずっと憧れていたし、いつかはお姉ちゃんみたいになるんだっていっぱい勉強もした。その甲斐もあってお姉ちゃんのいるこの学校にも余裕で合格できたしね」


余裕…。

俺がこの学校受験した時は割と本気でスレスレだった覚えがあるんだが…。

いや、今はそれは置いておこう。


「そうして2年遅れで入学して久し振りに再開したお姉ちゃんは…そう、尖ってた」


少し迷うように考えてから、恋海さんはやはりその結論を出した。


「尖ってたって、グレてたってことですか?」


「違う違う!そうじゃなくてさ、なんだか人との間に壁を作ってるみたいな感じ?諦観してるというかなんというか…」


恋海さんも自分の中でも確かな言葉に当てはめる事が出来ないようで、何度も首をひねりながらブツブツと呟いていた。

そして、


「ただ、高宮くんと初めて会った時にお姉ちゃんと似てるって思ったのは覚えてる」


「俺と?いやいや、俺は別に諦観とかはしてませんしよ?」


「そうだね、高宮くんの場合は『諦観』してるわけでも諦めているってわけでもなさそうだからね」


頭の悪い俺には『諦観』と『諦める』の違いはよく分からないが、敢えて分ける辺りどこかが違うのだろう。


「って、また話が逸れちゃったね。とにかくその時代のお姉ちゃんは尖ってたの。そしてその頃くらいが1番凄かったし、怖かった」


「怖かった?」


「うん、怖かった。私が知ってたお姉ちゃんはすごく明るかったの。ちょうど今のお姉ちゃんがそれの近いかな?でも、私がこの学校で見たお姉ちゃんはまるで別人だった。眼付きとかすごく冷たくて、正直身内の私ですら話しかけるのに勇気が要るくらいだったよ。特に高等部に上がって生徒会に入ってからはさっき言ったみたいに『氷の女帝』って呼ばれて恐れられてたみたいだし」


俺の頭の中で歌戀さんがダブルピースをしている。

うん、全然イメージが湧かない。


「だけど私はそんなお姉ちゃんを『カッコイイ』と思ったんだ」


少し恥ずかしがりながら恋海さんが言う。


「それで私はお姉ちゃんの真似をして、お姉ちゃんが引退するのと交代する形で生徒会に入ったの」


「…それで?」


「終わり」


恋海さんはそう言うが、どうにも俺の中にはモヤモヤしたものが残っていた。


「結局歌戀さんはどうして今みたいになっちゃったんですか?」


「さぁ?そればっかりは本人に聞いてみるしかないんじゃないかな?そりゃお姉ちゃんがお姉ちゃんに戻るくらいなら、なにかの起点があったのは間違いないと思うけど、私には分かりかねるかな」


苦笑いしつつもどこか嬉しそうな恋海さんはそう言って俺に握り拳を向けてきた。


「手、出して」


「?」


俺はよく分からないながら恋海さんに言われた通りに手を伸ばすと、その掌に軽い感触が落ちてきた。


「あげる。もう私が持っていても仕方のないものだし、つまらない話に付き合わせたお詫び」


そこに乗っていたのは先程俺が恋海さんに返したばかりのこの部屋の鍵だった。


「それにね、今年度いっぱいで生徒会室はこの部屋から別の場所に移動することになってるからこの部屋は来年からはただの空き部屋になるんだよ。だからサボり部屋として使うもいいし、部活を起こして部室にするのもいいし、君の好きに使っておくれ」


好きに使ってくれって…そんな権限がこの人にあるのだろうか?


「空き教室になるのなら他の部活が部室として使うんじゃないですか?」


「そこはまぁほら…しばらくは生徒会備品庫って名目にして空けておくこともできるから」


確かにそんな理由があっては学校としてもこの部屋に下手に手は出せないか。


「それじゃあ私は見回りに戻るよ」


「恋海さん」


ドアに手を掛けた恋海さんの背中に俺は声を掛ける。

どうしてもひとつだけ聞いておきたかったことがあるからだ。


「どうして俺にそこまで良くしてくれるんですか?俺たちあの日に初めて会っただけなのに」


別にこれで恋海さんと一生会えなくなるわけではない。

でも俺はどうしてか、どうしても今このタイミングで聞きたかった。


「どうして君に目を掛けてあげたのかって?そうだね…正直自分でもよく分からないんだけど、多分それは君がどこか昔のお姉ちゃんとそっくりだったからじゃないかな?だから君にお節介を焼きたくなったのかもしれない」


俺が歌戀さんに似ている?

少し考えて馬鹿らしいと搔き消した。


「それじゃあ高宮くん、ばいばい」


そう言った恋海さんは今まで見たことのないくらい可憐な笑顔で、俺は何も言い返すこともできずにその場に立ち尽くしてしまった。


「ばいばいって、まだ半年近く残ってるだろ…」


今はもう見えなくなってしまった先輩へ毒付いて、俺も生徒会室を出た。

そしてその日を最後に、俺がこの学校で同じ学校に通う先輩後輩として恋海さんと再び会話することはただの一度もなかったのだった。

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