第21話

長かったようで短かった夏休みが終わり、いつも通りの日常が帰ってきた。

けれどひとつだけ違う点もある。

それは辻野や椎葉と碌に話をしなくなったことだ。

夏休みが終わって以来_____いや、あの旅行の日以来ずっと繰り返しているやり取りだ。

辻野と椎葉から距離を取るのに生徒会の手伝いというのは思いのほか役に立っていた。

そうして日は流れ、いよいよ体育祭が終わり本格的に文化祭へ向けて学校全体が動き出したのだった。


「う〜ん、粗方全クラスの出し物は決まった感じかな」


言葉の割にパッとしない表情の恋海さん。


「その割には浮かない顔だな」


そこにコーヒーを手にした橘先輩が恋海さんへそのカップを渡しながら言う。


「あ〜顔に出てたか…しまったなぁ」


やってしまったとばかりに顔を手で覆う。

確かにリーダーである恋海さんがそんな顔をしていれば他の役員にも不安が広がってしまう恐れもある。

でも恋海さんがそんな顔をするわけも分からないわけでもない。

それというのも、実は文化祭まで残り1ヶ月を切った今、全く準備が追いついていなかった。


「まだステージ使用の順番とかパンフレットの作成とかやることは山のようにあるんだよね」


「装飾やポスターの貼り出しなんかの仕事を実行委員に振っているとは言えこの調子では間に合わないな」


「じゃあ俺みたいに一般の生徒に協力を頼むっていうのは?」


思いつき程度で提案するが、恋海さんは首を横に振った。


「そうしたいのは山々なんだけどね。今はどこのクラスも人手が足りてない状態だからね」


なるほど、確かに恋海さんの言う通りだ。

ウチのクラスもなにをするのかは知らないが毎日遅くまで残って作業している姿が見える。


「そういえば高宮くんのクラスの出し物、なかなか面白そうだよね?高宮くんも参加するの?」


「いや、参加するもなにもそもそもウチのクラスがなにをするのか知らないんですけど。恋海さんに呼び出されたせいで決める時にその場に居なかったですし」


「あ、あ〜あはは」


恋海さんは俺の言葉に誤魔化すように笑う。

そんな恋海さんを俺と橘先輩は半目で見つめた。


「まあ少なくとも恋海さんが『面白そう』って言っている時点で嫌な予感しかしませんけど」


「おめでとうと言うべきか、残念ながらと言うべきか、その予感は的中だな」


橘先輩が聞きたくはなかったネタバラシをしてくれる。

橘先輩はキツイ言い方とは裏腹に心はとても優しい女性だが、そんな優しさはいらない。


「それでウチのクラスはなにをやるんですか?」


聞きたくはない。

本当は聞きたくはないのだが、聞かなかったら聞かなかったでそれはそれで怖いのだ。


「メイド喫茶だ」


「…」


メイド喫茶。

なるほどなるほど。

確かにアニメなんかではよく見るが、現実の文化祭でそんなものは普通やらないだろう。

そういう意味ではなかなかに異色な出し物と言える。

しかし良かった、これなら俺にはなんの被害もダメージもない______


「正しくは女装メイド喫茶だ」


___こともなかった。

…奴ら正気か?


「え…それ許可したんですか?


「うん、したよ。この私が」


「いやいや、なに考えてるんですか?外部からも客が来るんですよ?そんなのどう考えても学校の面汚しにしかならないじゃないですか」


「でも楽しそうだし」


そうだった…この人はこういう人だった…。


「それに高宮くんにはいっぱい手伝ってもらってるからね。そのご褒美も兼ねて」


「全くもってご褒美でも報酬でもないですからね?むしろなんの嫌がらせかってレベルなんですけど」


くそっ、辻野は一体なにをやっていたんだ?

って、どうせ寝てたに決まってるか。

こうなったら当日も生徒会を手伝って自分のクラスには顔を出さないという手段を取るしかないか。


「あ、当日は生徒会だけでなんとかするから高宮くんは今まで手伝えなかった分たくさんクラスに貢献してあげてね」


「だからなんの嫌がらせですか!」


「いや、実際高宮には色々苦労を掛けてしまっているからな、せめて当日だけでも自由させてやりたいんだ」


「橘先輩、その優しさはむしろ残酷ですよ…」


橘先輩の場合一切の悪意なく100%善意で言うから変に反論することもできない。


「さて、それじゃあ休憩はここまでにして続きを始めようか」


「えー!まだ早くない?もうちょっとだけ___」


「始めようか」


「…はい」


橘先輩が駄々をこねる恋海さんを一睨みで大人しくさせたことで、3人とも仕事モードに頭が切り替わる。

そしてそれからしばらくは自分でも信じられないほどに集中して仕事ができたのだった。




それは生徒会の手伝いをした翌日の昼休みのこと。


「絶対にイヤだ!」


「我儘を言わないで。あと採寸が終わってないのはあなただけなのよ?」


真代に壁際まで追い込まれた俺は未だに抵抗を続ける。


「もう時間もそれほど残っていないの。あなたの我儘ひとつでクラス全体に迷惑がかかるのよ?」


「だったら別に俺は参加しなくていいよ!っていうか絶対参加したくないんだけど」


「ダメよ、今まで散々サボっていた分あなたには馬車馬のように働いてもらう必要があるの。それに女装なんて今更じゃないの」


真代のその言葉に嫌な記憶が呼び起こされる。


「いい機会じゃない、今こそ復活の時じゃなくて?」


「違う!あいつはもう死んだんだ。もう2度と永遠に蘇ることなんてない」


「そんな事はないわ。あなたの意思ひとつで彼女は何度でも蘇る。宛ら救世の主の如く」


ずいっと巻き尺を手にした真代が詰め寄ってくる。

逃げ場は_____ない。


「さ、それじゃあ採寸しましょうか。安心して、まだちゃんと変身キットは残してあるから」


真っ黒な笑みをたたえた真代はそう言うと、嫌がる俺を押さえ付けて採寸を始めたのだった。



「…汚された」


「失礼な言い方ね。ただ採寸しただけじゃない」


「だからって脱がす必要はなかっただろ!?」


それも他に何人も行き交う廊下で脱がされるこっちの身にもなってほしい。


「大丈夫よ、誰もあなたの貧弱な身体なんて見ていやしないわ」


「貧弱言うな」


否定はしないけど、人に言われるのはそれはそれで腹が立つのである。


「そういえば貧弱な身体で思い出したんだけど、あなた最近2人を避けてるわよね?」


「シリアスな話を始めようとしてるところ悪いんだけど、なんだよその脈絡のない言い出しは?っていうか貧弱な身体で思い出す話じゃないよな?」


「そんな細かい事を気にしているようじゃ女の子からモテないわよ?それに私の中ではちゃんと話は繋がっているからいいの。そんな下らない事より質問に答えて」


半ば_____いや、かなり強引に話を戻す真代。

どうやらこの話題から俺を逃す気はないようだ。

もしかしたらそんな廊下の隅に追い込まれたのも2人だけでこの話をするためだったのかも知れない。

とにかく真代に嘘は通用しない上に、逃げ場もない以上、ここは正直に白状するしかないだろう。


「…よく分かったな。確かに真代の言う通り俺は2人を避けてる」


「あれだけあからさまなら誰だって_____それこそ本人たちだって気が付くわ」


「それで、真代は俺にどうしろって言うんだよ?」


「別にどうしろこうしろと私から言うつもりは全くないわ。あなたの考えていそうな事はなんとなく分かるし、それに対して糾弾するつもりもない。ただ____」


真代は俺の目を、その澄み切った冬の空のような瞳で覗き込ん言う。

まるで俺の心の奥まで覗き込まんとするように。


「あなたにとって2人はなんだったの?そんなことで切り離してしまってもいい存在だったの?」


真代は少し悲しそうな瞳でそう言った。

よりにもよってそう言ったのだ。

かつて『好きだから』と俺を切り離した女がその口で言うのだ。

カッと頭に血が上っていくのが分かる。

だが、今更そんな話をしても何の意味もない。

今にも沸騰しそうな血を抑えるように大きく深呼吸をした。


「大切な友達だからこそだ。真代ならこの意味が分かるだろ?」


「…そうね。確かにこれについては私が言えた義理ではなかったわね」


たった一言で真代は俺の言いたいことの真意を読み取った。

多分他の誰かが聞いていたのなら全く意味の分からない会話だっただろう。

でも、俺と真代の間ではたったこれだけの言葉のやりとりで十分だった。


「話はこれで終わりよ。それじゃあ私は先に教室に戻っているわ」


「あぁ、俺も後から戻る」


真代が踵を返して歩き去っていくのを俺はただ黙って見送る。

そう、これでいい。

これでいいはずなんだと、自分自身に言い聞かせながら…。



「こんにちは…?」


今日もまた放課後に生徒会室へやってきた。

そこにはいつものように橘先輩と恋海さん、それから生徒会の面々が既に揃っていた。

しかし、今日はその中に見慣れない顔がひとつ多く見えた。

どこかで見た顔である事は間違いないけれど、一体どこで見たのだろうか?

そんな事を考えていた時だった。


「あれ?あれあれ?なんか見たことのある無個性でパッとしない顔だと思ったら、もしかして那由他くんじゃない?」


「…海の人?」


思い出した。

夏休みに浜辺で絡まれた、恋海さんを彷彿とさせる変な女の人。


「海の人って…おいおい、那由他くん。私は人魚でも海女でもないんだよ?ちゃんと歌戀お姉ちゃんと呼んでくれないと寂しいじゃない」


「記憶を捏造しないでください。たったの一度もそんな呼び方をした覚えがないんですけど?」


「あれ?そうだっけ?でもきっと心の中ではお姉ちゃんって_____」


「呼んでませんから」


「先回りされた…ぐすん」


嘘泣きには騙されない。

っていうかなんでこの人がこんな所にいるんだ?

説明を求めて恋海さんへ視線を向けるが、当の本人は珍しく仕事に集中して一向に顔を上げる様子がない。

そんな恋海さんの代わりに助け舟を出してくれたのは


「なんだ?高宮は歌戀先輩と知り合いだったのか」


「えぇ、前に少し会うことがありまして」


「そうだったか、でも一応紹介しておこう、この人は3年前の生徒会会長であり、前に話した『ひとり生徒会』の会長兼副会長兼書記兼会計の羽科歌戀先輩だ。さっき突然やって来た」


「よろしく〜って私と那由他くんの仲だし別に今更よろしくし合う必要もないか」


全くこれっぽっちも、俺と歌戀さんの仲がどんな仲なのか分からなかったが、否定してたらそれはそれで面倒くさそうなので敢えてなにも言わない。

スルースキルは現代日本で生きていく上では必須スキルとも言えるだろう。


「で、歌戀さんは一体何しに来たんですか?あなた部外者でしょ?」


「なにをしにって、遊びに来たに決まってるじゃない。せっかく可愛い従妹が生徒会長をやってるんだから。それにここの教師たちは私にはなにも言えないし、言わせないから」


怖っ!?

一体この人はこの学校でどれだけの権力を持っているというのだろうか?


「…歌戀先輩、先輩にこんなことを言うのは心苦しいですが、今生徒会は文化祭に向けて一番忙しい時期ですので今日のところは帰ってもらえませんか?」


そんな横暴な女王に橘先輩はストレートに言う。

本来なら生徒会長であり血縁者である恋海さんが言うべき台詞だと思うのだが、恋海さんは我関せず_____というより意図的に無視しているかのようにこちらを一瞥もせずに作業している。

前からなんとなく思っていたが、この2人の間にはなにかあるのだろうか?


「桃花ちゃん、これでも私も生徒会を3年はやってたんだよ?文化祭前が忙しい事くらい知ってるに決まってるじゃない」


「だったら____」


「違うよ桃花ちゃん、だよ」


橘先輩の言葉を遮るように歌戀さんが言う。


「お祭りは準備期間こそが一番楽しいんだよ。当日なんてリア充どもがイチャコラしているのを尻目に見回りばかりだし、トラブルが起これば駆り出されるしで全然楽しくないじゃない?だから、今この時期にこそ遊びに来たの。それになにより、他の人が必死に作業してる横で自分だけなにもしなくていいなんて最高じゃない?」


最低だ!

この人超最低だ!

恋海さんは面倒くさいけど根は真面目なのに対して、この人は根っからの最低な人間だ。


「やだなぁ那由他くん、そんなあからさまに『うわぁ引くわぁ〜』みたいな顔はしないで欲しいな。ゾクゾク来ちゃう…」


頬を染めてくねくねとするその様子に俺は見覚えがある。

というか割とよく見る光景だ。

そう、璃子が変態な時の行動そのものだった。


「…高宮、随分と気に入られたな」


橘先輩を含めて恋海さん以外の他の役員たちが同情の視線を向けてくれる。

同情するなら代わってくれ…。


「あの、ホント今日はもう帰ってもらっていいですか?全然作業が進まないので」


俺はダメ元で歌戀さんに懇願する。

俺だけの願いではない、これはもはやこの場全員の願いだった。


「ふ〜ん?そう言うってことはもしかして那由他くんも役員なの?」


「いえ、俺はただの手伝いですけど」


「なるほどなるほど?ただの手伝い…ね?ふ〜ん」


そう言って何やら意味深な視線を会長席に座る恋海さんへ向ける歌戀さんだったが、それも一瞬のことだった。


「よし、じゃあ那由他くんはこれからお姉ちゃんとデートしようか」


「…は?」


「別にいいじゃない。どうせただの手伝いなんでしょ?だったらここに残る意味も義務も責任もないわけでしょ?」


「それはそうですけど_____」


「付き合ってくれるのならお姉ちゃん今日のところは帰ってあげようかな。ね、いいかな桃花ちゃん?」


俺は縋るような気持ちで橘先輩を見る。

この人と2人きりにされるなんて嫌だ。絶対に嫌だ。

橘先輩ならきっと俺のこの気持ちを汲んで助けてくれるはず。

信じてます、橘先輩!


「高宮、今日は帰ってもいいぞ」


信頼は一瞬にして打ち砕かれた。

後に残るものは、かつては信頼だった『なにか』と俺の心の『涙』だけ。


「よし、桃花ちゃんの許可も降りたしレッツゴー」


俺は腕を掴まれ、歌戀さんに引き摺られながら生徒会室を連れ出される。

後ろでチラリと見えた光景は、恋海さんを含めた生徒会メンバー全員の敬礼する姿だった。

そして後に俺は生徒会メンバーから『勇者』として崇められる事になるのだが、それはまた別の話である。

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