第19話

「あら、椎葉さんに生ゴミのように捨てられて意気消沈な高宮くんじゃない」


「まるで全部見てたかのような言い方だな、真代」


背中に掛けられた声の主人は振り向かなくても分かる。

こんなにも言葉の端々に悪意を込めて接してくる知り合いは俺には真代しかいないのだ。


「まあ実を言えば少し前から拝ませて貰っていたわ。あなたのヘタレな姿を」


「うぐっ」


やっぱり側から見たらさっきの俺って超ヘタレだったんだな。

人気の少ない場所に移動していてよかったと割と本気で思う。


「で、あそこまでされてまさか未だに気付いていないわけではないわよね?椎葉さんの気持ち」


「あそこまでされなくても知ってたよ。俺をその辺の鈍感系主人公と一緒にするな」


「あぁ…そうだったわね。あなたの場合は鈍感というよりはヘタレだったものね。「どうぞ釣ってください」と目の前を泳ぐ魚に糸を垂らすかどうか散々悩んだ挙句に「やっぱりやめた」って言って本当にやめるような男だものね」


「例えが的確すぎてちょっと怖いんだけど。っていうかまだ俺から告らなかったこと根に持ってたのかよ」


「心外ね、別に根になんて持ってないわ。あなたとの過去なんてとっくの昔に私の中では清算されているの。今更あの頃のことで根に持つことなんて全然全くこれっぽっちもないわ」


「…」


どこからどう見ても根に持っているようにしか見えなかったが、敢えてなにも言わないでおこう。


「今高宮くんがなにを考えているかくらい簡単に分かるわよ」


「だから敢えて言わなかった」


どうせバレるのなら言っても言わなくても同じだ。


「っていうか少し前から見てたって、お前ミスコンに出てたんじゃないのか?」


たしか椎葉がそんなことを言っていたような気がするんだが…。

真代が出場しているのなら間違いなく決勝に残るはず。

じゃあミスコンが終わったのかと思えばそうでもなく、ミスコンの喧騒は未だに聞こえてきていて終わっているわけでもなさそうだった。


「なにを勘違いしているのか知らないけれど、私は屋台に行ったのであってミスコンなんて微塵も興味がなかったのだけど」


「屋台…?」


「そうよ、あまりに暑いから冷たいものでも買ってこようと思って。それで椎葉さんの分まで買って戻ってみればいなくなってるし、変な男に絡まれるしで最悪だったわ」


「お、おぅ」


まあ最近の真代は黙ってさえいれば基本的に美少女だから、ナンパされるもの当然と言える。

もちろん黙ってさえいればだ。

こんな真っ黒な性格と知りつつ好きになる物好きなんて昔の俺くらいのものだろう。


「…」


視線を感じて見れば、ジトーと俺を睨み続ける真代。

また表情で考えがバレた。


「まあいいわ。それにしても…まだ残ってるのね」


真代は俺の胸あたりにある薄い傷跡を撫でながら言う。


「あぁ、多分これは一生残るな。でも結局はただの自業自得なわけだから」


「そうね、全くの自業自得。フォローの余地すら見当たらないわ」


ピシャリと手厳しい言葉を頂戴した。


「でも、もしあの時私があなたを地面に押し倒してでも止めていればこんなことにはならなかった。もしかしたら私たちの関係も変わらずに…」


そう言って真代にしては珍しく寂しそうに目を伏せた。


「ってそんなわけないわね。むしろ早々に別れられて清々したわ」


「真代ならそうだろうよ」


________ように見えたが俺の気のせいだったようだ。

真代が感慨に耽るような奴じゃないのは俺が1番よく知っていた。


「で、どうするの?椎葉さんのこと」


言いながら俺の隣へ体育座りする真代。


「どうするって聞かれても、答えは『どうもしない』としか返せない。本人も冗談んだって言っている上に、明確に告白をされたわけでもないんだ。わざわざ穿り返す話でもないし、お互いさっきのことは綺麗さっぱり忘れて無かったことにするのが1番だろ」


「最低な男ね」


「俺はもういいんだよ、そういうことは。惚れた腫れたの話はもう懲り懲りだ。それにもし万が一に俺が椎葉とどうこうなろうもんなら、前までならともかく今の璃子は黙ってないだろうし」


真代の時だって何日も掛けてようやく説得できたくらいなのに、あの時以上に俺に執着している今の璃子を説得するとなると一体何年掛かることになるのか。


「そうね」


たったそれだけ言って真代は黙ってしまった。

やっぱりどうしても璃子の話題になると口数が少なくなる。


「それに真代も言ってたしな。俺は恋人を作るべきじゃなかったって」


「そういえばそんなことも言った気がするわね」


そう言う真代の表情からは特に感情は読み取れない。


「ま、とにかく俺にその気はないし、それに椎葉も『なにか』ある感じだったし、やっぱりお互い今日のことは忘れるのが1番だと俺は思う」


「だったら私もなにも見なかった事にしておいてあげるわ。その代わりなにか奢ってもらうけど」


「…」


見返りを求めるのかよ。

そんな思いを込めて真代を睨むが、当の本人は素知らぬ顔でなにを奢ってもらおうか検討中だった。

別にまだバイトで稼いだ金は残っているからいいけど。


「あ、それとこれ」


「ちょっ、いきなり物投げるな!」


真代が放ってきたのはすっかりぬるくなってしまった500㎖ペットボトルのスポーツ飲料。

恐らくはさっき言っていた椎葉の分だろう。

なんか前にも同じようなことがあった気がするが気のせいだっただろうか?


「250円よ」


「高っ!?」


普通にスーパーで買えば100円そこそこで買える物が、ここで買うとなんとその倍以上の値段。

富士山の頂上付近の自販機よりはマシだけど、こういう人の集まる場所の値段もなかなかにぼったくりだと思う。


「っていうか金取るのかよ。しかもこんなぬるくなったやつで」


「ぬるくなってしまったのはあなたたちがモタモタとイチャついていた所為でしょう?そこに私の責任は欠片もないわ」


「はぁ、分かった。財布は鞄の中だから戻ったら払う。250円だよな」


「いいえ、手間賃込みで1万と250円よ」


「手間賃が高すぎる」


「冗談よ、友情価格で10万と250円でいいわ」


「いや、ぼったくりにも程があるだろ」


なんでジュース1本で10万円も出さなきゃいけないんだ?

それも生ぬるくなったやつに。

それだったら自分で冷たいものを買い直してきた方が遥かにいい。


「ま、いいわ。特別に今回だけは私の奢りにしておいてあげる。その方が後で気兼ねせずに奢ってもらえるし」


「動機は不純だけど、どうもありがとう」


後で一体なにを奢らされる羽目になるのかは考えたくない。

真代から奢ってもらった生ぬるいペットボトルを開けて一気に煽る。

やはりぬるいだけあって美味しくはない。

美味しくはないのだが、身体が水分を欲していたようで五臓六腑に染み渡る。


「ところで高宮くん、はじめてのアルバイトはどうだった?」


水分の有り難みを噛み締めていると真代が聞いてきた。


「どうだったって聞かれても、なんて答えればいいんだ?」


「色々あるでしょう?あんな客がムカついたとか、こんな客がウザかったとか、そんな客に殺意を覚えたとか、どんな客をシメたとか」


「なんで嫌な客ばっかりが来るのが前提なんだよ。いないよ、そんな客はいないから」


しかも何気に『あんな』『こんな』『そんな』『どんな』を全部使ってきてるし、しかも『そんな』については文法がおかしいし。

多分言いたかっただけなんだろうけど。


「じゃあ、あんな失敗したとか、こんな失敗したとか______」


「もうそのネタいいから」


しかも今度は失敗してばかりなことが前提でいるし。


「とにかく退屈しのぎにあなたのバイトの話を聞かせなさい」


「…はいはい、分かりましたよ」


命令口調には敢えて突っ込まない。

いや、むしろ真代優姫という女はこうでなければ気味が悪い。

そして俺は真代にバイト話を細かに話して聞かせた。

そして全て聞き終えた真代は俺の話を総じて言う。


「つまり高宮くんはバイトと称して可愛い女子中学生と密室でイチャついていたわけね」


「待った、なんでそう悪意に満ちた人聞きの悪いまとめ方をする?」


「なにか間違ってた?」


「色々と間違ってるから!イチャついてたんじゃなくて勉強を見てただけだから!」


「で、本当は?本当は部屋に充満した女子中学生スメルを堪能していたんじゃないの?変態」


「してない、してないから!」


ちょっとくらいしか。

…いやほら、やっぱり家族じゃない女の子の部屋の匂いって気になるじゃん?

って誰に言い訳してるんだ?


「まあ高宮くんの変態性については後で言及するとして、まさかあなたが恋愛相談に乗るなんてね。その子も高宮くんに相談するなんて人を見る目がないわ。そんなんだから十何股も掛けてる男に騙されるのよ」


「ホント人には厳しいよな真代は…」


「しかもその男、最初に付き合った女に殺されてるのでしょ?」


俺の言葉は聞こえないフリして続ける。

どうにも都合のいい耳をしている。


「…聞いた話だとな。俺と話したその日の帰り道で」


「ということは高宮くんが呼び付けさえしなければもしかしたら死ななくて済んだかも知れないわね」


「うっ…」


それは今日まで少なからず気にしていたことだ。

もしもあの日に呼び付けていなければ、金田くんももっと早く家に帰っていたかも知れない。

そうなっていれば金田くんも死ぬことがなかったかも知れない。

そんな後悔がずっと棘のように心の奥底に刺さっていた。


「なんて顔してるのよ。そんなのあなたが気にすることではないじゃない」


「…?」


さっきと言っていることが全く違う真代に俺は少し戸惑った。

さっきまでは「お前もまた間接的に殺したんだぞ?」と言わんばかりの言い方だったというのに、今はまるで俺を擁護するかのような言い方だ。


「その男が殺されたのは完全な自業自得。いつかは殺される運命だったの。それが偶々あなたが引き止めた日と重なっただけのことよ。だいたいそんなの一々気にしていたらキリがないわ」


「…真代が励ましてくれるなんて珍しいじゃないか」


「事実を言っただけよ」


ツンと顔を逸らす真代。

しかし耳が赤くなっているのを俺は見逃さなかった。


「でもどうせ、高宮くんの場合1番ダメージが大きかったのはせっかく仲良くなった女子中学生に避けられて、そのままそれっきりことんじゃないかしら?」


「柄にもないこと言って照れちゃったのは分かるけど、そのシャレにならないからかい方はやめてくれ。それに、別にそこについてはそこまでダメージはないから」


「はぁ?馬鹿じゃないの?別に照れてないわよ。妄想も大概にして。あんまり変なこと口走るとその口縫合するわよ?」


目が本気だった。


「さて、そろそろ1時間経ったんじゃないかしら。次は私のローテだし、私は戻るけどあなたはどうするの?」


「俺は_____もう少しここにいる」


少し迷ってからそう答えた。


「あっそ」


真代はそれだけ言って立ち上がり、去っていったのだった。



そしてしばらくして砂で城を造っていた俺の元へやって来たのは辻野と椎葉だった。


「よぅ、なにやって…いやマジでなにやってんだ?」


サングラスをかけて花柄の海パンを履いたその姿はどこからどう見ても不良だった。


「悪い、近付かないでくれるか?仲間だと思われたくない」


「そりゃこっちのセリフなんだが…まあいいわ。お前泳がねぇのか?」


辻野が先ほどまで真代が座っていた位置へ、そして妙に無口な椎葉は俺から距離を取るように辻野の隣へ腰を下ろす。

辻野に関しては頼むからもう少し離れて欲しい。


「疲れるから嫌だね」


「…なんのために海まで来たんだよ」


少なくとも泳ぐためではないのは確かだ。

だからって別に砂で城を造るために来たわけでもないので、せっせと造り上げていた砂の城を足で蹴飛ばして崩してしまう。


「よかったのかそれ?地味にスゲークオリティだったんだが」


「なに、また作ればいいだけさ」


この道12年の俺にかかればこのくらい造作もない。


「泳がねぇのならなんか話でもするか?」


「千夜一夜物語でも語ってくれるのか?」


「なんだそれ?ボーカロイドか?」


「それは六兆年だ」


っていうかあの名曲を辻野が知っていたことに素直に驚いた。

意外とボカロってオタクじゃない一般の人にも知られてるんだな。

しかしちょっとしたジョークのつもりだったんだが、通じないと通じないで悲しいものがある。

ちなみに千夜一夜物語については俺もよく知らない。


「そういえばさ、お前らなんかあったのか?」


これは俺だけでなく椎葉に向けても言っているのだろう。

おそらく戻ってきた椎葉の様子がおかしい事に気がついた辻野が直前まで一緒にいたであろう俺に話を聞きにきたというわけだ。

チラリと椎葉の様子を伺うと、気不味そうな顔をした椎葉と目が合う。

しかし椎葉は慌ててサッと顔を逸らしてしまった。


「何度も言う通りなにもありませんわ。ですわよね、高宮さま?」


その言い方を聞くに椎葉は既に辻野から何度も問い詰められた後であることが窺える。

俺としては椎葉が『なにもなかった』ことにしてもいいのならその意思に背く気は無い。

むしろ俺にとっては好都合である。


「そうだな、別になにもなかった」


「別に何もなかったって、そんなお互い避けてるような態度で言われても全く説得力もないんだが」


「ぐっ…」


妙なところで鋭い。

仕方ないここは適当な嘘で誤魔化すしかない。


「それは_____」


そうして動かした口はある光景を見て途中で止まる。


「どうした?」


「辻野、あれ…」


不審そうに俺を見る辻野に、俺は自分の目線の先を指差して見せる。


「お、おい、あれって不味いんじゃねぇか?」


それは沖の方まで流されている浮き輪を抱えた子供の姿。

浮き輪があるのなら溺れる心配はないだろうけれど、ここは人気の少ないスポットで万が一のことがあっても下手をすればそのまま気付かれない可能性もある。

そう考えていた時だった。

一際高い波がやって来て子供を飲み込み、子供から浮き輪を取り上げた。

そして浮き輪を失った子供は…上がってこない。

その光景を見た途端、考えるよりも先に身体が動いた。


「辻野!」


「おう!」


「椎葉、浮き輪借りる!」


浮き輪を抱えて俺は海の中へと突っ込んだ。

が、遅い。

波に押されて中々前に進まない。

特に浮き輪が波の影響を受けるのか、辻野の背中がぐんぐん離れていく。


「くそっ!」


それでも必死に脚を動かしてようやく子供が波に飲まれた場所まで辿り着いた。

そこには既に小学生低学年くらいの少年を抱える辻野の姿があった。

少年は意識を失っているらしく、ぐったりと動かない。

こんな状態の子供を1人抱えて戻るのはいくらスポーツ万能の辻野といえど簡単ではないだろう。

そこで俺は自分が持っている物を思い出す。

これを使えば少しは楽に連れて行けるだろうが、これがなくなってしまえば俺も困る。

だが今は一刻を争う事態だ。

迷っている暇はない。


「辻野、これを使え」


「サンキュー!それじゃあ悪いが先行ってるぜ」


「おう!」


そして俺は浮き輪から手を離し、辻野の背中を見送る。

そして浮き輪という浮力を失った俺の身体はそのまま_________海へと沈んだ。

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