第18話

金田くんが死んだという報せを俺は葉風さんの口から聞かされた。

話を聞いてみると、どうやら複数の彼女を作っていたことが1番最初の彼女にバレて流血沙汰となったらしい。

結局金田くんを滅多刺しにして殺したその最初の彼女も、金田くんを殺した後に自らの首を切って自殺してしまったらしい。

もう少し早くアドバイスしてやれていればと思う反面、もう俺には関係のない話だとも思う俺も心の何処かにいた。

そしてそれからしばらく俺は葉風さんの勉強を見てあげていない。

十数股掛けられていたことや金田くんが殺されたことなどなど、色々相当ショックだったらしく塞ぎ込んでしまったのだ。

その後、1度も葉風さんの顔を見ないまま当初の契約通り夏休みを迎えたことでバイト期間が終了したのだった。





「海だぁー!」


浜辺へ出るなり辻野が叫ぶ。

青い空、白い雲、そして______。


「わざわざ分かりきったことを大声で叫ばないでくれるかしら?」


そんな言葉に俺たちは振り返る。

そこには立っていたのは、白いフリルの付いた黒を基調としたビキニを見に纏う真代と、なぜか水色のパーカーを着込んでしまっている椎葉の姿。

しかし、椎葉の真っ白で程よい肉付きの脚は隠されることなく晒されている。


「…なんで蓮乃はパーカー羽織ってんだよ?」


「わたくし、無闇矢鱈と不特定多数も方に肌を見せたくはありませんの」


ジト目を向ける辻野の言葉に涼しげに応える椎葉さん。

しかしその言葉はそのままとある少女に突き刺さる。


「あ、あら?椎葉さん。それは私への当てつけかしら?」


そこには眉をピクピクとさせながらも、なんとか笑顔を保っている真代の姿。


「そうではありませんわ。単なるポリシーの話です」


「あらそう?」


「えぇ」


にっこりと微笑み合う椎葉と真代。

そんな光景とは裏腹にゴゴゴと効果音さえ聞こえてきそうなほどのプレッシャーが辺りを支配する。

2人とも平常運転なようで少し安心した。


「ところで2人とも、私になにか言うべきことはないのかしら?」


と、安心している場合ではなかった。

真代がいきなり俺と辻野の方へ水を向けてくる。

完全に無警戒だった。

えっと、こういう場合はあれだろう。


「よくお似合いで」


「言い方が演技臭いわ。それに一瞬間があったし、本心ではどう思っているのかしらね?」


ジトーとこちらを見つめる真代からスッと視線を逸らす。

いや、本当に似合ってはいるのだ。

似合ってはいるのだけど、2年前と比べて更にスタイルのよくなった真代をどうにも直視できなかった。


「いやいや、高宮の言う通りよく似合ってるぜ?っていうか真代以外にスタイルいいんだな」


「セクハラ死すべし!」


「っ!?目がっ!目がぁぁぁっ!!」


真代の照れ隠しの目潰しを食らって砂浜を転げ回る辻野。

褒めるのはいいけれど、せめてもう少しオブラートに包むべきだった。

そういうところに頭が回らないのが辻野らしいと思う反面、俺が言えた立場でもないが辻野は1度デリカシーというものを学んだ方がいいのかもしれないとも思う。


「さて、それじゃあせっかく来たんだし遊びましょうか」


「おうさ!」


「はい」


真代の言葉に、復活した辻野と椎葉が応える。

そして3人が海辺へ向かって行く中、俺はその背中を見送った。


「って高宮!お前も来いよ!」


「俺はここで荷物番でもしてるよ。3人は気にせず遊んで来い」


駆け戻ってきた辻野をしっしと追い払う。

実際問題として、こんな人の多い場所では荷物番は必要不可欠だ。


「確かに荷物番は必要だとは思うが、高宮1人にその役を押し付けるわけにはいかねぇだろ」


「でしたら時間で交代していかがでしょうか?」


いつの間にやら椎葉と真代も帰ってきていた。


「蓮乃にしてはいいこと言うじゃねぇか。それじゃあ1時間ずつで交代って事でどうだ?」


「わたくしは構いませんわ」


「私も異論はないわね」


他2人が辻野の意見に同意した事で、辻野の案は多数決的に採用になった。

別に俺はずっと荷物番でも一向に構わなかったのだが、ここは辻野や椎葉の言葉に甘えておこう。


「それじゃあ最初は高宮、その後は俺が荷物番を変わるって事でいいな?俺の後は…まあその都度考えようか」


全員の同意を得て荷物番問題は解決され、3人は再び海辺へ戻っていった。

俺はそれを見送り、レンタルしてきたパラソルを広げる。

そしてレジャーシートの上に仰向けに寝転がり、持参していたライトノベルを広げた。

もちろん表紙はブックカバーで隠している。

バイトバイトで忙しくて積んでしまっていたラノベを消化する良いチャンスだ。


しかし、パラソルで直射日光は避けているというのに、全身から汗が滲み出る。

少々…いや、かなり暑苦しいが、それでも水の中に入るよりは遥かにマシだ。

こんな事なら冷感スプレーなり持って来るべきだったかもしれないと後悔する。


「…」


しばらくの間文字の羅列に目を走らせていると、ふと人の影が俺に降りた。

目を上げるとそこには知らない女の姿。


「君、こんなところまで来て本読んでるの?」


初対面のはずのお姉さんが呆れたように俺を見る。

しかし、わざわざ言葉を返してやる義理も義務もないのでお姉さんを無視して読書を再開させた。


「ちょっ、無視はひどくない?」


「…ナンパなら別の人を当たった方がいいですよ?俺別にイケメンでもないですし、面白い人間でもないですから」


「いやいや、こんな美人の水着姿を前にして全く気にせず本を読むような子が面白い人間じゃないわけがなくない?」


俺はよく知っている、自分で自分を『美人』だの『美少女』だの言う女に碌なのがいない事を。

なにせその筆頭はあの真代だから。


「ってそうじゃなくて、あれいいの?」


ん?とお姉さんの指差す方向へ視線を向けるとカラスが辻野の荷物を漁っていた。


「…よくはないですね」


荷物番を買って出ながら荷物1つ守れなかったのでは3人に____主に真代に____なにを言われるか分かったものではない。

俺は辻野のリュックからカラスを追い払い、再び元の位置へ戻った。


「教えてもらってありがとうございました。ではお互い良い夏を」


教えてくれたことに感謝の言葉を述べ、ついでに一言サービスして再び寝転び本へ視線を戻す。

なにせ時間は1時間しかなく、人に構っている暇などないのだから。

しかしお姉さんは動かない。

しかもなぜか俺の隣に腰を下ろしてきた。


「ね、君どこから来たの?」


「…」


「っていうか学生だよね?お姉さんの予想では高校生くらいかな」


「…」


「ちなみお姉さんは大学生だよ。ピチピチの大学2年生」


「…」


「おーい?聞こえてる?」


「…」


「え、ちょっと?お願いだから少しくらい反応して?じゃないとお姉さんただの痛い人になっちゃうんだけど…」


「…」


隣で1人話し続けるお姉さんを俺は向かいそうになる視線を活字へ向かわせてひたすらに無視した。

しかし、どういうわけか読書が進まない。

目の前の真っ白な肌を露出させたナイスバデーのお姉さんを無視し続けながらの読書は流石に集中力を欠く。

おかげで今ではお姉さんを無視するため読書をしているようなものだ。

その読書さえ集中力を欠いて碌に進まない。

俺は仕方なしに読んでいたラノベを傍に置いた。


「一体いつまで居るつもりなんですか?」


「あ、やっと反応してくれた」


少し嬉しそうにお姉さんの表情が明るくなる。

そんなに無視されるのが嫌だったんならさっさと何処へでも行ってしまえばよかったのに。

そういえばこの鬱陶しい感じ、誰かを彷彿とさせるのだが…一体誰だっただろう?


「もう、無視はひどいよ?無視は」


「じゃあ、そっちは名前も知らない男からいきなりナンパみたいなことをされても素直に応じるんですね?」


「え?無視するよ?」


当然でしょ?と言わんばかりにキョトンと言うお姉さん。


「あ、そういうこと」


そして何か思いついたように両手を合わせてにこりと可愛らしい笑顔を浮かべる。


「そうだよね、まずは自己紹介からだよね」


「違う、そうじゃない」


「私は羽科歌戀わしなかれん。気軽に歌戀さんとでも呼んでね」


「聞いていやしないし…」


っていうか『羽科』?

なんかすごいどこかで聞き覚えがある気がするような…しないような…?


「じー」


「…なんですか?」


「人にだけ自己紹介させといて君はしないのかなって」


「いや、そっちが勝手に始めたんでしょう?」


「いいからいいから、名前は?」


この人ホントに人の話を聞かないな…。

このまま言い合っていてもきっとこの人は諦めないだろう。

俺は抵抗を諦めた。


「高宮です」


「下は?」


「…那由他です」


名字だけで誤魔化せるかとも思ったが、誤魔化し切ることはできなかった。


「わ、いい名前だね!」


「お世辞は結構です」


「お世辞じゃないよ。那由他というのはとても大きな数字の単位。ご両親はきっと那由他くんに大きな人間になって欲しかったんだろうね」


そう言う歌戀さんに俺は目を丸くした。

言葉の柔らかさや眼差しを見れば分かる。

とてもお世辞で言っているようには思えなかった。

今まで生きてきて、俺の名前を『変だ』という人は大勢いたが、『いい名前だ』という人はいなかった。

少しだけ感動を覚えながらも、真っ直ぐに名前を褒められて顔が熱くなった。


「いや、ウチの親もそんなに深く考えてはいないと思いますよ?」


だいたい適当に生きている2人のことだ、俺の名前に意味なんて持たせているとは思えない。


「ふふっ、那由他くんてば照れてる」


「照れてない」


「可愛いお顔を真っ赤っかにして言っても説得力ないよ」


「くっ」


自覚があるだけに反論もしづらい。

どうにもこの人を相手にするのはやり辛い。

気が付けばいつのまにか歌戀さんのペースに巻き込まれている。

そしてそんな感じがまた何処かの誰かを彷彿とさせるが、それが誰だったのかがどうしても思い出せない。


「さて、那由他くんとのお話も堪能したことだし、私も自分のシートに戻るね」


「あ、はい」


「うわっ、淡白!せっかくこんな美人なお姉さんとお話できたんだから、もう少し名残惜しんでくれてもいいのに」


「俺もそんなに暇じゃないんですよ」


「って言っても本読んでるだけじゃん」


「本を読むのに忙しいんです」


「そっか、那由他くんらしいと言えばらしいのかな」


苦笑いを浮かべる歌戀さんは「アデュー!」と手を振って去って行った。

一体なにがしたかったのかは不明なままだが、何故だかこれで今生の別れとはいかない、また会うことになるという予感がするのだった。





「高宮さま!」


辻野と荷物番を交代した俺の姿を見つけるなり、飼い主を見つけた忠犬の如く駆け寄ってくる椎葉。

今はパーカーを脱ぎ、Tシャツ姿となり浮き輪を抱えていた。

『わたくし、無闇矢鱈と不特定多数の方に肌を見せたくはありませんの』

その言葉を今なお忠実に守っていた。

しかし、水に濡れて肌に張り付いたTシャツ姿は逆にエロかった。

そんな椎葉を俺は直視できず、周囲へ視線を彷徨わせてふと気付いた。

そういえば真代がいない。

てっきり2人は一緒にいるものだと思って来たのだが、なぜか近くに真代の姿が見当たらない。


「椎葉、真代はどうした?」


「真代さんでしたらあちらに…」


椎葉が指差す方には『mis水着コンテスト』と掲げられた旗。


「下着と大して変わらない衣服を身に付けて人前に出られる神経がわたくしには分かりませんわ。眼前には飢えた獣のような視線を送る男性方ばかりだというのに」


理解不能だとその表情がなにより語っている。

たしかに椎葉みたいな大財閥の御令嬢にはよく分からない文化だろう。

だが、あれはあれで見られる女子は男たちに可愛いと言ってもらえて、男たちは女子に水着姿を合法的に見られるある意味ではwin-winなイベントだったりする。


「もしかして高宮さまもご興味が?」


「それは全くない_____とは言えないのが男の悲しい性でね。正直に言えば多少の興味はあるかな」


「そうですか…」


俺の共感が得られなかったからかしゅんと落ち込んでしまった。

全く、人の話は最後まで聞いて欲しい。


「でも、今日は椎葉が居てくれるわけだから、わざわざ見に行く必要性はないよ」


可愛い女の子というのなら別にあんな人混みだらけのステージまで行かずとも目の前にいるからな。

とはいえ思い返してみれば俺結構恥ずかしいことを言ってないか?


「…?」


しかし椎葉は俺の言った言葉の意味を理解できてはいない様子。

それならそれでいい。

むしろこのまま理解しないでいて欲しい。


「さて、せっかくだしなにして遊ぶか」


「そうですわね…では高宮さま、少しお話でも致しませんか?」


「え…遊ばなくてもいいのか?」


「はい、先程まであの無駄に運動神経のいい男に付き合わされてましたから少々疲れてしまいましたの」


「…なるほど、そういう事なら俺は構わないよ」


あの辻野に付き合わされるなんて椎葉も大変だな。

まあそこは辻野も幼馴染だからこその無遠慮さってやつなんだろうけど。

そして俺は椎葉に連れられて人気の少ない砂浜へと移動した。


「ここらでいいでしょうか」


「こんな人気ない場所に連れ込んでなんの話をするっていうんだ?」


椎葉が座り込むのを見て俺も人1人分ほどの距離を空けて椎葉さんの隣へ座る。


「そうですわね…なにを話しましょうか?」


ノープランかよ!

心の中で突っ込みつつ、それを表へ出さないようにする。


「えぇ、ノープランですわ」


しかし椎葉には呆気なく見破られた。

表情を隠すって簡単なようで実は結構難しいんだな。


「まあせっかくの機会ですもの、話題なんてゆっくり考えればいいのです」


すすぅっと肩が触れ合いそうなほどに距離を詰めてくる椎葉。

一体なんのつもりなんだ!


「そういえばこんな風に椎葉と2人で話すのって割とレアじゃないか?」


言いながらさり気なく椎葉から距離を取る。


「そうですわね、いつも必ずと言っていいほどあの邪魔な男がいますから」


再び距離を詰めてくる椎葉。


「あいつはあいつなりに俺のことを気にしてくれてるんだよ。もし辻野が居なきゃ今頃俺は1人で本を読んでるだけの文学少年になってただろうし」


もう一度椎葉から距離を取る。


「その点についてだけ言えば正敏に感謝しなければいけませんわ。もし正敏が高宮さまと友人でなければ、高宮さまとは一生お話しする機会はなかったでしょうから」


ついに、俺と椎葉の肩がピタリとくっ付いた。

なんなんだ今日の椎葉は?

いつになく積極的な椎葉に俺は戸惑いが隠せない。

椎葉が俺を憎からず思ってくれているのは幾ら何でも分かっている。

それでも今までこんなに積極的になにかしてくることはなかったんだが…。


「そ、そういえば俺と椎葉の出会いも元を正せば辻野の紹介だったっけか?」


「はい、わたくしが正敏に無理を言って紹介させました」


「無理言ってって…俺と椎葉ってあの頃は特に接点なかったよな?同じクラスだったとはいえ事務的な会話すらした覚えがないんだけど」


「えぇ、わたくしの一方的な心変わり…のようなものですわ」


一方的な心変わり…か。


「ちなみになにが切っ掛けで心変わりなんてしたんだ?正直全く身に覚えがない」


「それは______内緒です」


スコンとコケてしまった。

深刻そうな表情から一転してお茶目に言う。


「内緒って…別に教えてくれてもいいじゃないか」


「女は少しミステリアスな方が魅力的に映るものですもの」


パチンとウィンク1つ。

ぎこちなさもなく、とても様になっていて心の中で100点満点を送る。

しかし流石に俺も我慢の限界だ。


「あの、椎葉さんや」


「どうかなさいましたか?」


「いや、そんなキョトンとした顔で『どうかなさいましたか?』なんて聞かれてもこっちが困るんだけどさ。むしろこっちが『どうかなさいましたか』って感じなんだけどさ。流石にこの距離感は『友達』の距離感じゃない気がするんだけど」


俺は未だピッタリとくっ付いたままの肩へ視線を向ける。

実はさっきからも俺と椎葉の鬼ごっこは続いていたのだが、結局この形に戻ってしまった。


「わたくしは一向に構いませんわ」


「構えよ!一向どころか二向三向と構えよ!?」


って俺は一体なにを言ってるのだろうか?

自分でも自分の言っている言葉の意味がよく分からなくなってきた。


「高宮さま、『二向』『三向』という言葉は存在致しません」


「知っとるわ!」


だいたい分かっているのか?

このタイミングで『一向に構わない』ということはつまり、になるんだぞ?


「高宮さまはお嫌でしたか…?」


「くっ」


この質問はまずい。

どう答えたってこの先の俺と椎葉の関係が変わってしまう。

それは俺の望む所ではない。

とはいえここで『答えない』という選択肢もない。

俺の中に正解の答えもない。

もちろん嫌か嫌ではないかで言えば嫌ではない。

こんな可愛い女の子と密着して嫌な男はそうそう居ないだろう。

でも俺のそれはあくまで『性欲』の話であって『恋愛感情』ではない。

椎葉が期待しているような感情ではない。


「…」


「…」


そうして見つめ合いどれだけの時間が経っただろうか?

ふと椎葉が目を逸らし、俺から離れた。


「というのは冗談ですわ」


あっけらかんと言う椎葉の言う通り、そこに居たのはいつも通りの『友達』の椎葉蓮乃だった。


「少し高宮さまをからかってみただけです」


よく分からないが、椎葉の中で何かのブレーキが掛かったようだ。

だが、そのおかげでなんとか助かった。


「それではわたくし、今頃1人寂しくしてる正敏のところに行ってきますわ。あんまり放っておくと拗ねるかも知れませんし」


椎葉そう言っていそいそと砂浜から腰を上げる。

その様子は明らかに俺から距離を置こうとしている。

案外平気そうだと思ったが、あれはあれで椎葉なりに相当に勇気を出した行動に違いない。

逃げたくなる気持ちもよく分かる。


「あぁ、そうしてやってくれ」


だから俺はそんな椎葉を黙って送り出した。

それが今の俺にできる椎葉への最大限の配慮だった。

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