第16話

「ごめんね?まだあの子帰ってきてなくて」


葉風弁当のピークを乗り越えていつものように葉風さんの部屋へ行こうとしたのだが、それを葉風さんのお母さんである葉風紅葉はかぜもみじさんに引き止められた。

外は明るいとはいえ、かれこれ7時を過ぎようというのにどうやらまだ帰宅していないようだ。

そういえば今日は葉風さんが金田くんとやらに告白すると息巻いていたけれど、それと何か関係があるのだろうか?


「もしかして高宮くんはなにか知ってる?」


お母さんの心配する気持ちは十二分に分かるけれど、葉風さんもプライベートなことを自分の知らぬ間に親に知られているのは嫌だろうし、申し訳ないが嘘を吐かせてもらう。


「いえ、特にはなにも。多分友達と遊んでいるんでしょう」


「もぅ、あの子は高宮君になんの連絡しないなんて…」


「まあまあ、責めないであげてください。たまには息抜きをしたくなる気持ちは分かりますし、最近は少し棍を詰めすぎていたので今日くらいは許してあげてください」


「高宮君がそう言うのなら…」


これで葉風さんが帰ってきてもそれほど怒られることはないだろう。


「それじゃあ、あとはもう私と主人だけでなんとかなるから今日はもう上がっちゃっていいわよ」


確かにいつもならこの時間から葉風さんの勉強を見始める。

今日はそれがないのならもう帰ってしまってもなんの問題もないだろう。


「それじゃあお言葉に甘えさせてもらいます」


葉風さんの告白の結果は明日聞けばいいわけだし、たまには早く帰るとしよう。

そう思い前掛けを外していた時だった。


「そういえば高宮君」


「はい?」


「前々から聞こうと思ってたんだけど、高宮君はうちの子とはどこまで進んだのかしら?」


「…」


愛想笑いも忘れて真顔になる。

この人は一体なにを言い出すのか?


「どこまで進むもなにも、俺と葉風さんはそんな仲じゃないんですが」


「そうなの?密室に年頃の男女が2人きりともなれば、てっきりもう手を出されてるものかと…」


「出しませんよ。っていうか今日まで俺のことそんな風に思ってたんですか?」


「だってほら?密室に年頃の男女が____」


「それはもう分かりましたから。だいたいそんな風に思ってた男と自分の娘を2人きりにするとかどういう神経してるんですか?」


「でも高宮君悪い子じゃなさそうだし、高宮君ならいいかなって」


「適当すぎる…この母親適当すぎる」


そう思われること自体は嬉しい話ではあるけれど。


「じゃあ高宮君的には花奈は有り?無し?」


有りか無しかで言えば無しだ。

俺の理想は2次元美少女であって、決して3次元美少女ではない。

が、その親を前にして正直に言うのがどうなのだろうか?

正直に言うとこは確かに正しく美しいかもしれない。

だが、時には嘘も必要な時がある。


「そりゃ葉風さんは明るくて可愛いと思いますし、有り無しで言えば有りですけど、多分葉風さんの方は俺なんか眼中にもないでしょう」


「う〜ん…そんなことはないと思うんだけど…」


いや、そんなことあるんだけど。

今日なんて好きな男に告ってるはずだから。

なんてこの人が知る由もないし、俺の口から知らせるつもりもない。


「それでは俺はこれで上がらせてもらいます」


「うん、それじゃあまた明日よろしくね」


元気に手を振る紅葉さんにお辞儀して店を出た。


同日の夜、風呂を出て自室に戻ると携帯に一件の着信が入っていることに気がついた。


「葉風さんから?」


そこに表示されていたのは『葉風花奈』の名前。

着信は30分も前のものだった。

俺は部屋の扉に鍵を掛けて、電話をかけ直す。

2コール後に電話が繋がった。


『私だ』


どこのエージェントだよと内心でツッコミながら俺も葉風さんのギャグに乗る。


「俺だよ俺」


「え…あなた誰ですか?ウチに兄はいませんよ」


「で、高宮だけど」


「わっ、いきなり素に戻らないでくださよ」


そう言われてもあれ以上どう話を膨らませろと言うのか?


「それでこんな時間に電話なんてどうしたんだ?」


なんて惚けてみるが、葉風さんが俺に連絡してくる要件といえば1つしか思い浮かばない。


「実は今日の報告をしようかと思いまして。ほら、高宮さんには色々相談に乗ってもらいましたし」


「そういえば今日告白するって決意してたな。どうだった?」


と、言ってはみたが、葉風さんの声の調子を聞くにわざわざ確認しなくても結果が分かってしまう。


「その…ですね?…オッケー貰いました」


か細い声がスマホの向こう側から聞こえてくる。

その声だけで葉風さんが赤面している様子が容易に想像できた。


「へぇ、よかったじゃん。なんて言って告白したんだ?」


「え、それ聞いちゃいます?」


「むしろこの話の流れで聞かない方がおかしいと思うけど」


知らないけど。


「えっとですね?特別凝ってはいないんですけど、その…スタンダードに『好きです』って」


「へぇ」


姿見に映る自分は能面のような顔をしていた。

そんな表情のまま、にこやかな声で葉風さんと談笑している自分がひどく気持ち悪く感じる。

まるでもう1人の自分が俺の意思と身体が解離して話しているかのような感覚に陥りそうになる。


「そ、それとですね!」


照れ隠しをするかのように大声を張り上げる葉風さん。

妙な間ができていたからちょうど良い突風代わりになった。


「今日は誤魔化しておいてくれてありがとうございました」


「ん?あぁ別にいいよあれくらい」


色恋事情の親バレはかなりシビアな問題だしな。


「はぁ、つくづく話したのが高宮さんでよかったと思いますね。相手が相手だけの友達には相談できませんでしたし」


「なんで?」


友達に協力してもらった方が遥かに成功率は高くなると思うんだけど。

…俺が言えた試しでもないか。


「なんでって、相手は学年1のモテ男なんですよ?狙ってる女子も数知れず、友達も金田くんのことが好きだったら友情崩壊で大惨事ですよ」


「いや、そこまで行くか?」


「そこまで行きます。それが嫉妬深い女子の世界です」


なるほど、女子特有の問題というわけか。

一生関わりは無いだろうが、一生関わり合いたく無い。


「でも、だったら付き合ったらどのみち友達にバレて友情崩壊じゃないか?」


「そこが金田くんの他の男子とは違うところで、私がそんな風にならないように気を使ってくれて、付き合ってるのは他の人には黙っておこうって提案してくれたんですよ」


「…金田くんの方からね」


どうにも引っ掛かる。

なにがどうとは言えないけれど、喉に小骨が痞えているような違和感。

どうせ考えても答えが出てこないのなら考えるだけ無駄だろう。


「とにかく、色々気を使ってくれてありがとうございましたって話です」


「仕事のうちだ」


「素っ気ないですね。あ、もしよければ今度は高宮さんの相談に私が乗りましょうか?」


「残念ながらそんな必要はない」


「あー、なるほどなるほど。つまり『俺に落とせない女はいねぇ』みたいな」


「…」


「あ、調子に乗りました」


今日の葉風さんは普段に比べてやたらテンションが高く、すごく鬱陶しかった。

はしゃぐ気持ちは分からなくはないが。


「まあアレだ。清く正しい交際を心掛けるように」


「はーい。それではお休みなさい」


「おう」


ぷつんと電話が切れると、途端に部屋の中に沈黙が降りる。

その場に居なくても場を明るくできるのは葉風さんのいいところだろう。

そんな葉風さんも今日からいよいよ彼氏持ちだ。

外では今まで以上に先生と生徒として接するように心掛けよう。

そんなことを思いながら部屋の電気を消したのだった。





それは偶々バイトが定休日で休みだった日の出来事だった。


「いい加減しつこいですよ」


軽く生徒会の手伝いをして帰ってくると、家の前に差し掛かったあたりで璃子の声が聞こえてきた。

それ自体は別になのだからなんの不思議もないのだが、その声に含まれる感情は明らかに迷惑気だった。

見れば璃子の腕を別の学校の制服を着たイケメンが掴んでいる。


「頼むから話だけでも聞いてくれないか?」


「話なら何回も聞きました。でもいつも同じことしか言わないじゃないですか」


「それだけ本気なんだ!」


よく分からないが、『青春』というやつなのではないだろうか?

それならこの場に兄である俺が登場するのは些か不粋だろう。

俺は電信柱に身体を隠し、2人の様子を暖かい目で見守る。

それと、頼むから梓は出てこないでくれよ?


「そちらの本気がわたしにとっては迷惑なので」


一体誰に似たのか、絶対零度のような言葉を男へ投げ掛ける璃子。

その姿はどこかの元カノを彷彿とさせる。

そういえば俺の前以外での璃子の姿っていうのは意外と貴重な光景だ。


「でも別に璃子ちゃんは誰かと付き合ってるわけじゃないんだろ?だったら試しに俺と付き合ってみるのも有りじゃないか?」


「確かにわたしには今付き合っている人はいませんけど、好きな人はいます」


キリッと誇らしげに言い放つ璃子。

『好きな相手』が俺でないことを願いたい。


「…は?そんなの聞いてないんだけど」


「当然です、誰にも言ったことがありませんから」


「っていうか誰?俺が知ってるヤツ?」


イケメンの声のトーンがやや下がったが、その表情は人の良さそうな笑顔のまま。


「知らないと思いますよ?それに知って欲しくもないですし。少なくともあなたよりも遥かにカッコよくて優しくい人です」


そう語る璃子の瞳は、まるで神を盲信する信者のようだ。


「それってつまり、俺がそいつよりカッコよくて優しいって証明できれば俺と付き合ってくれるってことだな?」


こめかみをヒクつかせながらもなお爽やかな笑みを消さず必死に食い下がるイケメン。

純粋な好意がそうさせるのか、はたまたイケメンのプライドがそうさせるのか、自分が振られているという現実と向き合おうとしない。

流石に璃子が可哀想になってきた。

そろそろ止めに入ろうかと電信柱の陰から出ようとした時だった。


「…兄さん?家の前でなにをしてるんですか?」


「っ!?」


背後からの声に慌てて振り返ると、梓が買い物袋を両手に下げて不審者を見るような目で俺を見ていた。

というか絵面的には完全に俺は不審者だった。


「あ、梓…?なんで外に?」


「わたしが外に出ているのがそんなにおかしいですか?」


そう言って本屋の紙袋を掲げる梓。


「全く、一体なにを見ていたのやら…って、うわっ!?璃子とイケメンがいい感じに!?」


「違う、会話を聞いていた感じだと一方的に璃子が絡まれてるだけだった」


「ふぅ〜ん?で、兄さんはそれを高みから見物していただけ。と」


「人聞きが悪いことを言うな。俺は単にあの2人の青春を邪魔しちゃ悪いと思って暖かい目で見守ってただけだ」


「どっちにしてもいい御身分ですね」


妹の視線が冷たい。


「ほら、璃子が困ってますし早く助けに行ってあげたらどうですか?」


「そうしようとしたところに梓が来たんだ」


言い訳がましく聞こえるだろうが事実は事実だ。


「って、あれ?あの人って…」


「なんだ?知り合いか?」


人に散々言っておきながら自分も覗いている梓が思わずと言った調子で声を上げた。


「知り合い…と言いますか、知り合いの好きな人と言いますか…」


「…それはまた難儀な話だな」


「というか無駄話ばかりしていないで早く璃子のところへ行ってあげてください!」


「いや、最初に無駄話始めたのって___」


「言い訳は結構です。ほらほら」


ぐいぐいと背中を押される。

結果、電信柱の陰から追い出させてしまった。

俺は一度だけ未だ電信柱の陰に身を潜める梓へ非難の視線を送ると、諦めて我が家の前で言い争う2人へと足を進めた。


「り__」


「遅い!」


「璃子」と名前を呼ぼうとしたところで、先に璃子がこちらを振り返った。

イケメンの方は、「誰だこいつ」と言わんばかりに敵意剥き出しの視線をぶつけてくる。

居心地は最悪だ。


「ずっとあそこの電信柱の裏で見てたんでしょ?声がずっと聞こえてたし視線も感じてた」


あれでもだいぶ小声で話していたんだが、相も変わらずこの妹は耳が野生動物並みだ。


「ちょっと璃子ちゃん、誰この人?」


あからさまに歓迎していない様子のイケメンが璃子に説明を求める。

まあ女口説いてる時に、その女と仲の良さ気な男が割り込んできたら面白くはないだろう。

だからってここは俺の家の前でもあるわけで、むしろこんなところで女を口説こうと思うイケメンが悪いのだ。

そんな嫉妬深いイケメンを璃子は更に煽る。


「この人がわたしの好きな人」


俺の腕に自らの腕を絡ませて、まるで恋人であるかのように演出する。

非常に暑苦しい。


「は?これが!?」


『これ』って…。

仮にも口説いている女の家族に向かって『これ』って…。

思わず素が出たといった感じだ。

いや、別にいいんだよ?そんなことで俺は腹を立てたりはしない。

しかし、やはりというか当然というか、璃子の目が鋭くなった。


「あなた__むぐ」


「というわけで悪いな。ウチの妹はちょっとブラコンが入ってるもんで」


爆発寸前の璃子の口を塞ぎ、俺がイケメンへネタバラシをする。


「ブラコン…?」


「そうそう、璃子の兄」


そう言って自分を指差す俺。

ぽかんとするイケメンへ俺は続ける。


「迸る熱いものがあるのは分かる。でもさ、流石にちょっと家の前でゴチャゴチャやられると邪魔なわけ。そこは幾ら何でも分かるよな?」


口が開いたまま頷くイケメン。

本当に分かっているのかよく分からないところではあるが、ここは早く帰ってもらおう。


「分かったんなら早く帰ってくれないか?ご近所で噂になったら困るのはこっちだけじゃないだろ?」


俺がそう言ってようやくここが住宅地のど真ん中だと思い出したのか、焦ったように辺りを見渡した。


「それじゃあ璃子ちゃん、続きはまた明日」


そしてイケメンはそれだけ言うと、足早に去って行った。

っていうか明日も来るのは勘弁してくれよ?

いやマジで。


「…お疲れさん」


「ううん、助けに来てくれてありがと」


俺はすっかり頭の冷えた璃子に労いの言葉をかけて、その頭を撫でながら玄関を潜るのだった。

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