第14話
「やりました!高宮さん、私やりました!」
いつものように、店が暇な時間に葉風さんの勉強を見るために彼女の部屋へ上がると、犬のように無邪気にこちらへ駆けてくる葉風さん。
そのハイテンションを見るに、なにか嬉しいことがあったのは間違いない。
「で、なにがやったんだ?」
「連絡先を交換できたんですよ!」
連絡先…?
あぁ、思い出した。
「それって確か昨日話してた件のか?」
「そうです、この葉風花奈、一世一代の決意の末、勇気を出して聞いてきました!」
お手本のようなドヤ顔を決める葉風さんに、俺は適当な拍手を送っておいた。
「頑張ったじゃないか」
「はい!でも、これも高宮さんのアドバイスのおかげです!今日からは師匠と呼ばせて頂きます!」
「といっても特になにもアドバイスらしいことはしてないけどな。あと師匠はやめてくれ」
「そんな事はないです。私のお尻を高宮さんが引っ叩いてくれたおかげで新しい世界が開けました」
「言葉だけ聞いたら絶対に勘違いされるぞ、今の発言」
下には親御さんもいるんだから妙なことは言わないでもらいたい。
「というわけで師匠、次はどのようにすればいいでしょうか?」
「いや、連絡先を聞けたのならあとは適当にメッセージのやりとりを続けていって、学校でも話をして、休日は一緒に出かけて…ってやっていけばあとは告ればだいたいいける」
「ちょっ、高宮さん!簡単に言ってくれますけどそれって結構ハードル高いですよ!?」
「ハードルは倒すためにあるんだ」
「それを言うなら越えるためですよっ。倒してどうするんですか?やる気あるんですか、その人」
言われてるぞ真代。
心の中でこの場にはいない真代に憐れみの視線を向ける。
「大丈夫、今日出した勇気をもう何回か出せばいいだけの話だ」
「一世一代の決意をもう何回かって一体私は何世代生きればいいんですか?」
「そのうち慣れるさ」
「なんで少し遠い目をしてるんですか?あ、もしかして体験談だったりします?」
「ノーコメント」
葉風さんは妙なところで意外に鋭い。
そのうち俺の過去もあっさりバレそうで怖い。
「無駄話はここまでにして勉強を始めるぞ」
これ以上突かれるのも嫌なので話を逸らす。
「あ、逃げた。この人逃げましたよ?聞かせてくださいよ、高宮さんの恋話」
「聞かせるもなにもそんなものない!」
「またまた、思春期真っ只中の男の子がたったの一度の恋もしたことないなんてあるわけがないじゃないですかぁ」
「無い物は無い。諦めて勉強しなさい」
「ちぇー」
文句を言いつつも机の上にテキストと筆記用具を並べる葉風さん。
なんだかんだで退き際を弁えている。
「それじゃあ適当に始めて。俺は横で見てるから」
と、葉風さんの開いたテキストに目を通していく。
今回は数学。
なんとか聞かれても答えられる範囲の問題だ。
とはいえ聞かれてから考えるのでは遅いので俺も葉風さんと並行して問題を解いていく。
「…」
「…」
紙に擦れるシャー芯の音をBGMに問題に集中する。
どちらも口を開かず静かな時間がかれこれ1時間と30分近く過ぎている。
そろそろ一旦休憩を入れるべきだろうか?
「葉風さん、少し休憩しようか?」
「…」
よほど深く集中しているのか、どうやら俺の声は聞こえていない様子。
とはいえ根の詰めすぎも良くない。
「葉風さん」
「っ!?」
名前を呼びつつ華奢な肩を叩くと、ビックリしたように肩を跳ね上がらせた。
「も、もう、いきなり肩を叩くのはやめてくださいよぉ。心臓が止まりましたよ」
「そんな驚くことか?」
「いきなり背後から攻撃されたら誰だって驚きますよ」
「攻撃って、肩を叩いただけだぞ?」
「十分攻撃です。『はかぜは10のダメージをうけた』ですよ」
しょっぼっ!
「ダメージ10って大したことないな」
「なにを言ってるんですか?私はまだレベル2なんですよ?最大HPだって20ちょっとしかないのに10もダメージ受けたら黄色ゾーン突入ですよ?」
ここで葉風さんの言っている意味が分かってしまうのが少し悔しい。
「っていうか葉風さんゲーム好きなの?」
「…え?べ、別に好きじゃないですよ?」
誤魔化すように口笛(鳴ってない)を吹く葉風さん。
その行動自体が俺の質問を肯定しているとなぜ気付かない?
じっと葉風さんへ訝しげな視線を送り続けると、とうとう観念した。
「そうですよ、好きですよ!なにか悪いですか!?女の子がRPGやFPSやMMOが好きで悪いですか!?」
いや、逆ギレだった。
しかしこれまた意外だ。
RPGやMMOなら分かるけど、葉風がFPSを嗜んでいるイメージが湧かない。
「別に悪いとは言ってない。むしろ親近感が湧いたよ。俺も前はよくやってたし」
「そうなんですか?意外です。高宮さんってゲームとかやらなさそうに見えるのに」
「外ではそういう風に見せてるから」
その甲斐あって未だに誰にも俺のオタク趣味はバレていない。
「そうなんですね、でも別に高宮さんは隠さなくてもいいんじゃないですか?男の人ですしそんなに周囲を気にしる必要もないですし」
「そうでもないぞ。言い触らすにもある程度上手くないと笑い者になるだけだし」
「あ、もしかして高宮さん下手な人ですか?」
「エンジョイ勢だから」
「はっ、エンジョイ勢は漏れなく死ねばいいのに」
なにかエンジョイ勢に恨みがあるのかハイライトの消えた眼で普段の葉風さんからは想像もつかない一言を漏らした。
「葉風…さん?」
「すみません、ちょっと昔いろいろありまして」
『いろいろ』がすごく気になる一方でそれを訪ねる勇気が俺にはなかった。
葉風さんの闇は深い。
「まあでも、最近はRPGもMMOも全くやってないな」
「どうしてです?」
「純粋にレベル上げという作業が面倒になった」
「うわぁ、この人根っから向いてない人だ」
「あと、バトルに勝ったりミッションをクリアしないと話が進まないのも嫌気がさした」
「そこに嫌気がさしたのならやめた方がいいですね」
「気が合うな、俺もそう思った」
「そうですね、私たち意外に似た者同士なのかもしれませんね」
そう言って2人笑い合う。
しかしそうしているうちに予定していた休憩時間を大幅に過ぎてしまっていた。
「さて、それじゃあ勉強に戻ろうか」
「なっ!?このタイミングでそれを言いますか?せっかく高宮さんと心が通じ合ったというのに」
「はいはい、それじゃあこの先は次に繰越ってことで、今は勉強に集中な」
「高宮さんの鬼!悪魔!」
「なんとでも言え。こちとら金を貰ってるんだ。いい加減なことはできないんだよ」
「高宮さんってアレですよね。変なところで馬鹿真面目というか、律儀というか、お人好しですよね」
「そうか?」
「そうですよ。私は嫌いではないですよ?高宮さんみたいな人」
そう言うだけ言って机に向かう葉風さん。
今みたいな会話を金田くんとやらの前でもできるようになれば、葉風さんなら誰とだって付き合えるだろう。
それからは一切の会話もなくバイトが終わるまで彼女の勉強に付き合うのだった
ある休日のことである。
「最近お兄ちゃんから女の臭いがするの」
璃子が深刻そうな顔で呟く。
いや、実際彼女にとっては深刻そのものだ。
最近兄がアルバイトを始めたことは兄本人から聞かせれている。
しかし、毎回家に帰って来るたびに兄からは柑橘系の臭いを漂わせているのだ。
普段香水を着ける習慣のない兄からそんな臭いがするのはおかしい。
璃子の獣のような直感が女を感知したのだ。
これは璃子としては面白くない。
自分の知らない場所で知らない女と兄がよろしくやっていると思うと腹の奥から黒い感情が湧き上がって来るだった。
「臭いって璃子、あなた犬みたいなこと言うんだね」
「わたしはお兄ちゃんの従順な犬だよ」
「…」
その発言に梓は困った。
この子は一体なにを言いだしているのか?
もしかしたら羞恥心というものをどこかへ置き忘れてきたのかもしれないと割と本気で心配する。
「梓は気にならないの?あんなあからさまに女の臭いを漂わせて」
「まあ気付いてはいたよ?明らかに兄さんのじゃない甘い香りがするもん。でもそんなに目くじら立てる事かな?」
「当然だよ!これでまたお兄ちゃんが変な女にでも引っかかったらどうするつもり?」
「また?」
璃子の発言に疑問を抱く梓だったが、今はあえて言及しない。
なんとなくそれが璃子にとっての地雷であることを直感で悟ったからだ。
「わたしは別に兄さんが好きになったしてだったら認めてあげてもいいんだけど」
「甘い!梓は甘いよ!そうやって他の誰かに任せたからあんな事になったんじゃ_____ってごめん、梓は知らなかったっけ」
あんな事という言葉が梓の頭に引っ掛かる。
どうにもさっきにまたという言葉と繋がりそうな予感が梓の頭に過ぎる。
「そんなに心配なら見に行ってみればいいんじゃない?」
子供を心配する母熊のようにそわそわ落ち着かない様子の璃子に言う。
梓としても兄のバイト風景には少々興味があるための提案だ。
「見に行くって、場所は知ってるの?」
「当然、兄さんのスマホのGPSをチョチョっと」
「…」
当たり前のように犯罪すれすれの発言をする梓に少々ドン引きの璃子だったが、自分にも利益のある話のためここは黙っておく。
「それじゃあ行こっか」
ニコッと笑う梓に寒気を覚えつつ、璃子は大人しく梓の後に続いた。
2人がやってきたのは兄である高宮那由多の働く弁当屋、『葉風弁当』_____の正面にあるチェーンのカフェ。
そこからガラスの自動ドア越しに見える兄のバイト姿を眺めていた。
「意外に真面目にやってるんだね」
梓は素直に感心した。
あんなに勉強に不真面目な態度だった兄が、必死に胡散臭いながらも笑顔を作りながら客に対応していた。
「あぁ…バイトに一生懸命なお兄ちゃんもカッコいい…」
人様には見せられないほどに蕩けた表情の璃子を横目に梓も兄の姿を凝視する。
今は昼時なだけあって客足は途絶えない。
よく見れば兄の他に店員らしき人物は見当たらない。
完全に兄が1人で対応している状態だった。
あれでは息をつく暇もないだろう。
璃子とは対照的に梓は兄の姿をハラハラとした心境で見守っていた。
「ねえ梓」
「ダメ」
「まだなにも言ってないのに?」
「なんとなく分かるからダメ」
どうせわたしも客として行きたいなんて言い出すに決まっている。
璃子の表情や口調から梓はそう読み取った。
実際その予想は完璧に当たっていて、璃子は梓の予想した言葉を一字一句そのまま言うつもりだったのだ。
「なんでダメなの?もっと近くでお兄ちゃんの働く姿見たいよ」
「だったらもう少し後にした方がいいよ。今行くのは兄さんへの負担が大きいから」
ただでさえ1人で何十人と捌かなければいけないのに、その上自分たちの対応をさせるのは申し訳がなかった。
それは璃子にも正しく伝わったようで、おかげで璃子も少しだけ冷静さを取り戻したのだった。
「それにわたしたちの目的は兄さんに付いている女の臭いの正体でしょ?」
「そ、そうだね。ちゃんと覚えてたよ」
「へー」
璃子の下手くそな嘘にジト目を向けつつ吹雪のような声を返す。
「そ、それじゃあ偵察の続きね」
誤魔化すように言う璃子から視線を外し、梓も『葉風弁当』へ視線を向ける。
しかしそれから1時間近く経ち、店も落ち着いたというのに一向に怪しい女は現れない。
「梓、わたしちょっと行ってくる」
「なっ!?」
言うが早いか、璃子は席を立ち店を出てしまう。
梓はテーブルに丸められた伝票を引っ掴み、璃子の姿を追いかけたのだった。
「あ、この唐揚げ美味しい」
「ホントだ」
兄から手渡しで受け取った唐揚げを食べ歩く2人。
外はサクサク中はジューシーな出来立てだ。
「結局女の正体は掴めなかったね」
「璃子が勝手に飛び出していくからでしょ?」
「ご、ごめんなさい」
璃子も自分がやらかした自覚があり、素直に謝る。
「それじゃあまた学校で」
「う、うん。今日は付き合ってくれてありがとう」
そんな2人の前に、1組の歳上の学生らしき男女の姿が映る。
少女の方はどこか申し訳なさそうに沈んだ様子で、そんな少女へ人当たりの良い笑みを向ける少年。
カップルかなにかだろうと、梓は見て見ぬ振りをして行こうとしたのだが、隣から飛び出した一言に思わず足を止めた。
「あの人どこかで見た気がする」
「え?」
「あの男の方。どこで見たのかは覚えてないけど、あの胡散臭い顔はどこかで見た気がするの」
璃子が胡散臭いと言う少年へ目を向けるが、梓には普通の爽やかな少年に見えた。
そうこうしているうちに少年は少女へ手を振りながらその場を立ち去り、少女は無理矢理な笑顔で控えめに手を振り返してそんな少年を見送った。
「あんまり見てたら悪いし行こ」
璃子の手を引きその場を離れようとした梓だったが、あちらに少女が2人の視線に気が付いたのか、目が合ってしまった。
「…」
流石にこのまま立ち去るのも感じが悪く、梓は迷った挙句に少女に声をかけることに決めたのだった。
「すみません、決して覗こと思ったわけではなくて…」
「あ、うん。それは分かってるから大丈夫。こっちこそ道の真ん中でごめんね」
「いえ、よければ話くらいなら聞きますよ?話して楽になることもあると思いますし」
梓の目にはどうしても目の前の少女が気丈に振舞っているように見えたのだ。
「それじゃあお言葉に甘えて聞いてもらおうかな」
少女が語ったのは今日1日の出来事。
気になっている男を初めてのデートに誘ったのはいいが結局失敗してしまったという事だった。
「もう頭の中では大反省会中だよ…」
少女は深刻そうに言うけれど、梓にとってはつい2ヶ月ほど前にどこかで聞いたことのある話だった。
その話を梓に語った本人へ梓は視線を向けるが、当の本人は素知らぬ顔。
というか少女の話そのものにそれほど興味を持っていない様子だった。
「まあ初めてだったのなら仕方ないと思いますよ?この子も前に失敗しちゃってるので」
「え?」
少女は本気で驚いた。
梓が示したのは女である少女から見ても素直に可愛いと認められるほどに可愛らしい人形のような少女。
見た目から自分より歳下であることは分かるが、自分よりも遥かに大人っぽくなんでも卒なくこなしそうな雰囲気がある。
そんな少女がデートで失敗することなんてあり得るのだろうか?
「梓、自分は上手くいったからって人を引き合いに出すのはやめて」
ツンとした言い方で梓へ釘を刺す璃子。
興味のないフリをしてはいるが、決して話を聞いていないわけではないのだ。
「だいたいあんな胡散臭い男のなにがいいのかわたしには全く見当もつかない」
「…」
「…」
璃子のあまりに直接的な物言いにその場の時間が止まる。
しかし言った本人はといえばもう自分は関係ないと言わんばかりにスマホをと取り出した。
ここで璃子が1人で帰らないのは単に梓への配慮である。
「えっと…すみません。ホントすみません。わたしたちそろそろ行きますね」
気不味くなった梓は璃子の手を少し強引に引っ張って立ち去ろうとするが、なぜか璃子は動かなかった。
そして璃子は少女を冷めた目で見つめながら言う。
「デートで大事なのは互いに楽しめることだってわたしは教えてもらいました。失敗を悔やむ前に一度落ち着いて次にどうすればいいかを考えるべきなんじゃないでしょうか」
経験者は語るとはこの事だった。
そしてそのアドバイスは少女の心にスッと落ちたのだった。
「そう…だね。アドバイスありがとね」
少女は素直に璃子へ感謝の言葉を述べる。
その顔に先ほどまでの影はもうない。
「いえ、お礼なら結構です。その代わり___」
璃子は一度言葉を切ると、その視線を鋭くした。
「お兄ちゃんにあんまりベタベタしないでください」
そう言うと璃子は用は済んだとばかりに手首を握る梓を引き摺って歩き出した。
「お兄ちゃん…?」
取り残された少女は璃子の言う『お兄ちゃん』が誰なのか分からず首を傾げる。
そこでふと思い出す。
(そういえばあの2人、ウチの唐揚げ持ってた)
まさかと思った思考をすぐに打ち消す。
なにせ少女が思い浮かべた人物は、今しがた自分にアドバイスをくれた美少女とは似ても似つかなかったからだ。
少女_____葉風花奈は先ほどとは別の意味でモヤモヤした思いを抱えたまま2人が歩いてきた道を歩くのだった。
「ところで璃子」
「なに?」
「最後のなんだったの?」
梓が言っているのは璃子が葉風へ言った最後の言葉のことである。
「お兄ちゃんに着いてる臭いの正体、あの人だよ。あの人から同じ臭いがした」
璃子は確かに兄に纏わりつく柑橘系の臭いを葉風から嗅ぎ取っていた。
しかしそんな発言に梓はドン引きである。
(この子、ホントに犬みたい)
そんな感想を梓は胸の奥に仕舞い込む。
「でも、あの人はさっきの男の人が好きみたいだから大丈夫なんじゃない?」
「うん、あの男は胡散臭いけど、是非とも上手くいって欲しいね」
純粋に葉風の恋を応援する梓と不純に葉風の恋を応援する璃子。
似た者同士の2人の、数少ない価値観の相違であった。
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